そして獲物は罠の中
ぺしぺしぺし……。
ふみふみふみ……。
カリカリカリ……。
つんつんつん……。
「うん……おはよう……」
いつものモーニングコールに無意識にそう呟いて、そのままいつものように、気持ち良く二度寝の海にダイブしそうになる。
その時、誰かの笑う声が聞こえて俺は驚いて目を開いた。
ええ、ちょっと待って?
部屋に誰いるのか?
慌てて起き上がった俺が見たのは、少し離れたところで丸くなって、くっ付きあって仲良く寝ているシリウスとハスフェル。そして、同じく蹲っているブラックラプトルのデネブに、もたれかかる様にして寝ているギイ。丸くなってくっ付いて、こちらも気持ち良さそうに熟睡しているベリーとフランマ。
それから、背もたれ付きの椅子に座って、のんびり何かを飲んでいるオンハルトの爺さんだった。
起きた俺を見て、カップをあげた爺さんがまた笑っている。
なんだよ。さっきの笑い声は、爺さんの声かよ。
「そうだった。確か、果物を見つけて森の奥で夜明かししたんだった。ってか、今ってどう言う状況なんだ?」
起き上がって大きく伸びをしながらそう尋ねると、爺さんが寝ている二人を指差してまた笑っている。
「ケンが寝た後、もう一度収穫して、それからこいつらも少し寝ると言って休んだんだよ。で、まあ俺も少し休んだんだが、何だか目が冴えて眠れなくてな。それで一人でのんびりと一杯やっていたところだ」
「なんだよ、結局飲んでるのかよ」
爺さんの説明に笑って立ち上がって、とりあえずサクラに綺麗にしてもらう。
見ると、少し離れた所にある茂みは、またしても巨大なリンゴとたわわに実ったブドウの房で一面覆われていた。
「どうやらここの果実は、収穫すればする程実る果実が大きくなり数も増える様でな。さすがにそろそろ良かろうって事になって、収穫は一旦終了したんだよ」
オンハルトの爺さんの言葉に、頷いた俺は茂みに近付いてリンゴを一つ千切ってみた。
「バスケットボールサイズになってる。でもってブドウも、高級な箱入りの巨峰くらいになってるぞ、おい」
呆れた様にそう呟き、腰のベルトに付けているナイフを取り出してリンゴをちょっと切り取って食べてみる。
「甘っ。もうこれ以上美味しくならないと思ってたけど、その上をいってるぞ、これ」
そして、目の前に実っているブドウも一粒千切って口に入れてみた。
「美味すぎる。なんだよこれ。俺、マジでここに住みたい」
覆わずそう呟く。これは、ちょっと目眩がするレベルの美味さだ。
もっと食べたくなって、左手にリンゴを持ったまま、ナイフを持った手で実っているぶどうをもぎ取ろうとした時、何故だか分からないけど、突然ものすごい不快感が湧き上がってきた。
それは、生理的な嫌悪感とでも言えばいいのだろうか。
首筋がひんやりする様な何とも言えない不快感で、俺は思わずブドウに伸ばした手を止めた。
「何だ?」
周りを見回したが、別に何か危険な生き物がいる気配がするわけでは無い。
しかし、昨日までとは全く違うその不快感はどんどん大きくなっていく。
「何だこれ?」
足元から湧き上がる様なその不快感に、俺は思わず身震いした。
「うん……」
その時、シリウスと一緒になって眠っていたハスフェルが、小さく唸って寝返りを打った。
ギイも、同じ様にモゾモゾと動いて寝返りを打っている。
オンハルトの爺さんは、もう飲み終わったらしく、今はカップは収納されたみたいで手ぶらになってる。
どうやら、違和感を感じているのは俺だけらしい。
手にしたままだった、一欠片切り取ったリンゴを無言で見つめる。
「どうしたの?」
いきなり、俺の右肩にシャムエル様が現れて、リンゴを見つめたまま固まっている俺を覗き込んだ。
「いや、どうしたって言うか……」
この湧き上がる不快感をなんと言って説明すればいいのか分からず口籠る。
その時、寝ていた二人がほぼ同時に起き上がった。揃って大きく伸びをするのが見えた。
「おはよう。よく寝ていたな」
オンハルトの爺さんの声が、何だか遠くに聞こえる。
これは不味い。
うまく言えないけど、絶対に何かがおかしい。
「お、何だ。自分だけ食うなって。俺にも一切れ切ってくれよ」
立ち上がったハスフェルの声に、俺は無意識に頷き一切れ切り取った。
「なあ、ちょっと食ってみてくれるか」
俺の縋る様な声に不思議そうに眉を寄せたハスフェルが、差し出したリンゴを受け取り口にする。
満足気に頷き何度か咀嚼した後、急に無言になった。
一瞬身震いした後、黙って自分の足元を見る。
間違いなく、俺の感じた違和感をハスフェルも感じたみたいだ。
「ギイ、オンハルト。今すぐ来てくれ!」
いきなり大きな声でハスフェルがそう叫び、俺をものすごく真剣な顔で見つめた。
「彼らにも、一切れ切ってやれ」
黙って頷き、それぞれ切り取って渡してやる。
真剣な顔の俺達を見て、不思議そうにしつつも二人がリンゴを口にする。
そのまま無言になった。
「なあ、これって……」
絶対彼らも気付いたと分かり、俺が叫びそうになった瞬間、ハスフェルが手を出して俺の口を覆った。
「言うな」
その一言に無言で頷く。
ベリーとフランマを始め、従魔達も全員起き上がって俺達を見ている。
しかし、その顔に警戒心は無く、逆に、俺達がいきなり警戒心全開になった事を不思議そうにしているだけだ。
黙ってオンハルトの爺さんが出していた椅子を畳んで収納する。
『皆さん、一体どうしたんですか?』
頭の中に、不思議そうなベリーの念話が届く。
どうやら、俺達が何かを警戒しているのに気付いて、わざわざ念話で伝えてきたのだ。
「あそっか、この手があったな」
思わずそう呟き、ハスフェルと頷き合う。
「おはよう。ベリーとフランマもどうぞ」
平然とそう言って、リンゴを切って二人に渡す。
『とにかく食ってみてくれ』
念話でそう伝えると、不思議そうにしつつも頷いてそれぞれリンゴを口にする。
『どうだ?』
念話でそう尋ねると、息を飲んだベリーとフランマは、本気で驚いた様に俺を見る。間違い無く彼らも気が付いている。
『これ、何だと思う?』
『どうやら、我々はこの地に気に入られた様ですね。果たしてここから出してもらえるでしょうか?』
警戒心全開のベリーの言葉に、俺達が絶句する。
『それって、どう言う意味か聞いても良い?』
しかし、茂みを振り返って考えていたベリーは、黙って首を振った。
『申し訳ありません。迂闊にここに貴方達を呼んだ私の責任です』
まるで苦虫を噛み潰したかの様な、ものすごく嫌そうな顔のベリーの念話が届く。
『どうやら我々は、この地が張った罠に足を踏み入れてしまった様です』
驚きに目を見張る俺に、黙ったベリーが頷く。
どうやら呑気に寝ていた間に、またしても何やらとんでもない事態に巻き込まれたみたいだ。
本気で気が遠くなったけど、俺は悪くないよな?