今度は蝶退治
「ここにあの芋虫の成虫の蝶がいるのか。へえ、綺麗なところだな」
森を抜けた先に広がっていたのは、なだらかな平原いっぱいに広がる見事な花畑だった。
しかし……。
「なあ! ちょっと待ってくれよ! これって絶対変だよな! 俺の目がおかしいんじゃ無いよな!」
マックスにしがみついて俺は叫んだ。
だって、目の前に広がる花畑は、どう見てもサイズがおかしい。
地面に這うようにして生えている、スミレみたいなその花一つが俺の身長よりも高いのだ。しかもその花の直径は恐らく3メートルに近いだろう。
そしてその花に、これまたとんでもなくデカい蝶があちこちに群れているのだ。
すみません。前言撤回します。
あれは無理!
そもそも、どう見ても剣で立ち向かえる相手じゃ無いだろう……。
本気で気が遠くなる俺だったが、また目の前にシャムエル様が現れた。
「着いたね、じゃあ始めようか」
「いや無理だって! あんなデカいの、どうやってやっつけるんだよ。ってか、そもそも空を飛ぶ蝶を相手に、地面に這いつくばって剣を持ってる人間に何をしろと?」
必死で首を振る俺に、またしてもシャムエル様が冷たい目で見る。
もうやだ。帰りたい……。
うん、だけどその先を考えるとまた悲しくなるから、とりあえず今は現実を見よう。
「いやマジな話。どう見ても、俺なんかが太刀打ちできる大きさじゃ無いだろうが。あれ」
気を取り直してもう一度そう言ったが、シャムエル様は笑って胸を張った。
「大丈夫だよ。ゴールドバタフライは、大きいけど攻撃してこないから安心してね。花の下で待ち構えてて、降りて来たところをやっつければいいよ。あ、羽は高く売れるから、出来るだけ壊さないようにね。胴体を狙うのが良いから」
「へえ、ジェムモンスターなのに、消えずに素材を落とすのか?」
「ヘラクレスオオカブトの角と同じだよ。あれよりも柔らかいけど、ゴールドバタフライは最上位種である成虫になると、硬化した羽を持つんだ。倒して落とした羽をドワーフの技で綺麗に洗うと、綺麗な透明な板になるよ。街の建物の窓に嵌っているのはブラウンバタフライって言う、また違った種類の最上位のジェムモンスターでね。そっちは大きさも手頃だし比較的人里に近い場所に現れるから、簡単に入手できるんだよ」
それを聞いて、俺は思わず手を打った。
「ああ、宿の窓に嵌ってたのは、やっぱりガラスじゃ無かったのか。何か変だと思ってたんだよな」
「分かった? じゃあ頑張って戦ってね」
当然のように言われて、俺は慌てて首を振った。
「いやいやいや。だから無理だって!」
「もう、面倒臭いなあ。だから大丈夫だって言ってるでしょうが!」
いきなり誰かに後ろから蹴飛ばされて、俺は草原へ飛び出した。
あのデカいスミレの下には、普通のサイズの下草がぎっしりと生えている。どうやら、サイズがおかしいのはあのスミレと蝶だけのようで、足元の草には普通サイズの花が咲いている。
飛び出した俺を追いかけて、マックスとニニ達も、森から駆け出して来た。
「大丈夫ですか?ご主人。いきなり飛び出すからびっくりしましたよ」
「本当よ。いくらゴールドバタフライが無害だって言っても、いきなり驚かせたりしては駄目よ」
「ごめんごめん。で、あれって本当に無害なのか?」
マックスとニニは顔を見合わせた。
「無害というか、攻撃する武器を持っていないって意味ですね。まあとにかく行きましょう。ご主人なら大丈夫ですよ」
マックスがそう言って、体を低くして這うようにしてデカいスミレの群生地へ向かった。ニニも大人しく後をついて行くのを見て、俺も諦めてその後に続いた。
「ご主人はこの辺りで戦ってください。私達はもう少し離れた所で戦いますからね」
マックスがそう言って、二匹は右と左に分かれ、言った通りに少し離れたところでそれぞれ止まった。よく見ると、セルパンとラパンもそれぞれ最大サイズになって二匹の隣で並んで待機している。
「じゃあ始めますね。ご主人も剣を抜いていてください」
俺の肩に留まっていたファルコが、そう言って翼を広げて花の隙間から飛び立った。
すると、頭上でざわめく音が聞こえて、急に視界が暗くなった。
「うわわわわー!」
俺のすぐ側に来たゴールドバタフライの金色の羽が、視界いっぱいに広がって、後ろに下がろうとした俺は、何かに躓いて仰向けに転がってしまった。
「ご主人、しっかりー!」
音を立ててアクアがこっちに跳ねて来てくれて、目の前で広がって守ってくれた。
それを見て我に返り、慌てて手をついて立ち上がる。
改めて間近で見るゴールドバタフライのデカさは、本当に凄かった。
蝶の体は俺よりちょっと小さいくらいで、触覚まで入れたら俺よりデカいぐらいだろう。
そして広がった大きな羽。左右に二枚ずつ、合計四枚のその羽だけで、恐らく俺の住んでいた部屋より広いぞ。
「ほら、あいつらは貴重なこの花を取られると思って威嚇する為に近寄って来るから、その時に体か頭を狙うんだよ」
突然右肩に現れたシャムエル様がそう言い、呆然としている俺の頬を叩いた。
周りでは、マックス達が既に大暴れしている。
蝶達は怒ったようにバサバサと羽ばたいていて、羽から落ちた金色の鱗粉が周り中に飛び散っている。しかし、鱗粉は地面に落ちる前に霧のように消えて無くなっているのも見えた。
「こいつはジェムモンスター。こいつは攻撃して来ない!」
必死でそう叫んで、花の下から飛び出した俺は、近くにいた蝶に手にした剣を振り下ろした。
胴体を真っ二つにしたら、いつものジェムモンスターのように消えて無くなり、ジェムが転がった。ただし、背中についていたデカい左右二枚ずつの羽が、支えを無くしてゆっくりとこっちに向かって落ちて来たのだ。
「ひえええええー!」
目の前全面が金色一色になり、完全に俺の部屋よりデカい羽の下敷きになってまた仰向けに転がる。
「ああ、これは死んだ……あれ?」
倒れ込んできた金色の羽は驚くほどに軽かった。手で掴んで横にずらして起き上がる。側にいたアクアが、平然と四枚の羽を飲み込むのを見て、俺は小さく吹き出した。
「ありがとうな。じゃあ羽根は回収してくれよな」
深呼吸をした俺は、改めて剣を持ち直して、花に近付くゴールドバタフライを斬りまくった。
消えるとは言え、飛び散る金色の鱗粉を見ながら、もし俺が花粉症だったら、これを見ただけでくしゃみが出そうだなあ、なんて馬鹿な事を考えていた。
ようやく蝶がいなくなり、疲れ切った俺はその場に座り込んだ。
「はあ、怖かった。無害だって言われても、あのデカさに立ち向かうのは勇気がいるよ」
大きなため息を吐いて、頭上に咲くスミレを見る。
「あれも貴重な花なのか?」
いつの間にか肩に戻っているシャムエル様に、俺はそう尋ねた。
「あれはヒトヨスミレ。文字通り、午後から咲き始めて一晩で枯れてしまうんだ。蜜を出すのは陽が出ている間だけで、夜になると強い匂いを出して夜鳴き鳥を呼ぶんだ。そして、最後の蜜と一緒に種を渡して運んでもらうんだ。ね、上手く出来ているでしょう。陽のあるうちにゴールドバタフライに受粉してもらって、受粉した種をすぐに夜鳴き鳥に託すんだ」
「おお、確かに上手く出来てるな。でも俺達が全部やっつけちゃったら、この花は受粉出来ないんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。すぐにまた出て来るから」
笑顔でちっこい指で上空を指す。俺が見たのは、まるで湧き出るみたいに森から飛んで来る、数え切れない程のゴールドバタフライの姿だった。
「もう勘弁してー! なあ、マックス!早く帰ろう」
「ええ、もっと戦いたい」
ニニの不満気な言葉に、俺は必死になって首を振った。
「だってほら、一日しか咲かない花なんだから、受粉の邪魔したら悪いじゃないか!」
背中に飛び乗って首を叩く。
「分かりました。ニニ、一旦戻ろう」
「つまんないの。まあ仕方ないわね。それじゃあ戻りましょう」
マックスが俺を乗せて、花の下から飛び出して森の中へ走り込んだ。ニニもその後に続く。
幸いな事に飛んで来るゴールドバタフライは、俺達にはもう見向きもしなかった。
「お疲れさん。じゃあひとまず街へ戻ろうか」
マックスの首を撫でてやり深呼吸した俺は、革の籠の中に小さくなって納まるラパンをそっと撫でた。このふわふわ感。やっぱり最高だな。
「乗り心地は如何ですか?」
ふざけて聞いてやると、顔を上げたラパンは嬉しそうに何度も頷いた。
「最高です。これなら長旅だって全然大丈夫ですよ!」
得意気なその言葉に、俺は笑いながらちょっと考えた。
「そっか。長旅になったら、俺だってマックスの背中にずっとしがみついてるのは大変だよな。うん、街へ戻ったら、革工房のおっさんに相談してみよう。マックスの背中に乗せられる、鞍みたいなのはさすがに無いかなあ?」
そんな事を呟きながら、俺達は森の中に入って行った。