腹は立つけどまずやるべき事をする
「ファルコ!」
軽い羽ばたきの音と共に、屋敷の方角から逃げてきたファルコが俺の左肩のいつもの定位置にふわりと留まった。
「ただいま戻りました! ご心配おかけして、ごめんなさい。ご主人」
申し訳無さそうに首を項垂れてそう言うファルコを、俺は手を伸ばしてそっと抱きしめてやった。
いつものふわふわな羽毛の手触りに、不意に涙があふれそうになって鼻をすすって誤魔化したよ。
「おかえり。無事で、良かったよ……」
「ご主人、敵は早くも内輪揉めをしていましたよ。私を逃してくれたのは厩舎にいた飼育係の男でした。彼らはあの誘拐犯とは仲が良く無いみたいでしたよ」
「ああ、知ってる。シャムエル様のおかげで、ちょっとだけ俺達もその様子を見たよ」
驚くファルコに、右肩の定位置にいつの間にか戻っていたシャムエル様が俺の膝の上に現れてドヤ顔になった。
「ありがとうな。だけどまだ、敵の情報が圧倒的に少なすぎる。実力行使に出るか、内密に解決するか。どちらになるかによって、俺の出方は全然変わるからさ」
頷くハスフェルとギイ、オンハルトの爺さんの隣に、不意に二つの揺らぎが現れた。
「ケンさえ良ければ、タロンを連れ出して、その屋敷ごと焼き払ってあげるわよ。私なら、欠片も残さず完全に灰に出来るわよ」
「そうですよ。よければ、ご希望の方法で完全に消滅して差し上げますよ」
もう一つの大きな方の揺らぎまでが、平然と恐ろしい事を言ってのける。
「お前らなあ……でもまあ、心配してくれて、ありがとうな」
苦笑いした俺は、ため息を吐いて屋敷の方角を睨みつけた
「だけど取り敢えずは俺にやらせてくれよ。フランマとベリーには、本当に最終手段でそれをやってもらう可能性だってあるよ。あそこにはまだ、タロンが檻の中に閉じ込められているんだからな」
「じゃあ、先程ケンが言ってた、プラン3か4をまずはやってみるわけね」
横で聞いていたのだろう、フランマがそう言うのを聞いて、俺は頷いた。
「まあそうだな、だけどその前に下調べからだ」
俺の言葉に、ギイが頷いて立ち上がった。
「それじゃあ俺は、ギルドへ顔を出して聞き込みをしてくるよ」
ギイがそう言って、手を上げて足早に冒険者ギルドへ向かって行った。
まず、ギイには俺がこう頼んだ。
この屋敷の主人が何者なのか。また病弱だと言う息子についても、なんでも良いから調べて欲しいと。ギルドマスターなら、多分何か知っているだろう。その情報が入り次第、今後の動き方を考える。
「なあ、ちょっと気になってるんだが、プラン1と2は?」
「おお、それは確かに気になるな」
ギイがいなくなり、何となく話題が途切れたのを見て、ハスフェルが笑って俺の背中を叩きながら聞いてきた。
「プラン1は、夜のうちに屋敷に忍び込んで勝手にあいつらを救出する。だけど、俺は隠密行動には向かないし、あの屋敷の警備がどの程度なのかも分からないから、ひとまず却下」
「プラン2は?」
オンハルトの爺さんも、俺を覗き込んで聞いてくる。
「文字通りの実力行使。真正面から堂々と突撃して、抵抗されたらやっつけて、タロンを取り返す。これが一番気が晴れるだろうけど、そのあとの騒ぎを考えるとさすがに無理だ!ってなって、これも却下」
「何が無理だ? 俺ならその案を支持するぞ」
ハスフェルのやつ、神様のくせに物騒な事を堂々と言っているぞ。
そこ! 隣で爺さんまで一緒になって頷くな!
「冷静に考えろよ。相手が誰であれ、少なくとも高級住宅地にこれだけの屋敷を構えるような奴だぞ。街の重鎮ってか、偉い奴だったりしたらどうするんだよ。一気に俺達の方が悪役になるぞ。それにギルドに登録する時最初に聞いたぞ。明らかな犯罪者の場合、冒険者ギルドを強制的に追放される事だってあるって。あんな奴らのために、俺達がそんな貧乏くじ引くつもりは無いよ」
「ほう、冷静だな」
感心したような二人の言葉に、俺は首を振った。
「俺だって、はっきり言って滅茶苦茶腹が立ってる。何も考えずに突撃出来れば良いかとも思うけどさ……一応、考える頭があるんだから、話し合いって言うか、交渉の余地は残しておくべきだと思うだけだよ」
「交渉するのか?」
「だから、それは相手次第だって言っただろうが。本当に、何でこんな事になってるんだよ」
俺はもう、今日何度目か覚えてもいないため息を吐いて頭を抱えた。
そのまま、しばらくそこで待つ事になった。
途中、シャムエル様から連絡があって、タロンに水と鶏肉を食べさせてくれたと聞いた。
飼育係が水と鶏肉を置いていったが、さすがに何が入ってるかも分からないそれを口にするつもりはタロンには無かった。まあ当然だな。
「ありがとうな。シャムエル様」
一旦戻ってきてくれたシャムエル様にお礼を言って、空を見上げる、まだ暮れるには早い時間だ。
「日が暮れたら、どうするかな……あんな場所にタロンを置いておくなんて、絶対嫌だよ……」
俯いて小さく呟くと、ハスフェルとオンハルトの爺さんが両側から背中を撫でてくれた。
その時、頭の中に声が聞こえた。
『ケン、待たせたな。いろいろ分かったぞ』
「ギイ!待ってたぞ!」
思わず声に出してしまい、三人が小さく笑うのが聞こえてちょっと恥ずかしかったよ。
『まず、その屋敷の持ち主だが、予想以上だ。王都の貴族で公爵家の別荘だそうだ。問題の体が弱いのだと言う息子の療養の為にここにいるらしい。息子はずっとここにもう二年近く滞在していて、主人は年に数回程度、ここへ来ているらしい。今は、来ている時期な訳だな』
「王都からこんな離れた場所にわざわざ?」
地図を取り出してそう呟くと、横でハスフェルが呆れたようにため息を吐く。
「要するに、ここがその公爵の直轄地な訳だな?」
『ああ、そうだ』
ええ、俺っていきなり王都の貴族に喧嘩売られた訳?
正直、言って、そんな奴と絶対関わり合いになりたく無い。
だけど、売られた喧嘩は買うよ。
『それからもう一つ。意外な事も分かったぞ』
「意外な事?」
『あいつら、その坊ちゃんは、部屋から出る事が出来ないって言っていたが、どうやらそうでも無いみたいだ。その屋敷に出入りしている商人からの情報なんだが、見る限り、元気で病弱には見えないそうだ。屋敷から出してもらえないのは事実らしく、その子は外の事を知りたがって、行く度に話をしたりするそうだが、少なくとも、話す限り素直な良い子らしい。ただ、周りにいる者達が、どうやら暴走しているらしいな。あいつらなら、そんな乱暴な事でも平気でするだろうと言われたよ』
全員揃って腕を組んで考える。
『しかも、ギルドマスターに言われた。あそこは下手に敵に回すと厄介だぞってな。ギルドとしても協力してやりたいが、実際にはかなり難しいとも言われたぞ。どうする? 俺達だけで殴り込むしか方法は無さそうだぞ』
明らかに嬉しそうなギイの言葉に、俺は上を向いて、またため息を吐いた。
「おお、まさかのプラン5かよ……」
頭を抱えてそう呟くと、ハスフェル達が揃って驚いた。
「何だ、まだあったのか?」
「一応ね」
頭を抱えたまま、俺はもう数える気もない大きなため息を吐いた。
ちなみに、プラン3は、全員悪人だった場合。
ギルドマスターに頼んで同行してもらい、表から正々堂々と訪ねて行って問い詰め、タロンを取り返す作戦。この場合、手荒な展開に移行する可能性もある。なので、絶対に第三者を介する事。
プラン4は、軍に申し立てをして公権に介入してもらう作戦。他力本願になるけど、多分これが一番俺的には平和な作戦
だけど、今の話を聞くに、相手がそれほどの人物なら訴え出ても却下されるか、訴えそのものを無かった事にされかねない危険もある。
つまり、出来れば俺としてはこの二つの作戦のどちらかで、ある意味平和裏に解決したかった。
だけど、どうやらこれは望み薄だ。しかも、肝心の坊ちゃんは良い子らしい……。
まんまプラン5、そのままの展開だった。
ただ、俺の考えでは、あくまでも部下の暴走であって主人も子供も無関係だったんだけどさ。あのファルコを殺せって言ったのがこの屋敷の主人なら、少なくとも仕返しさせてもらいたい。
って事で、プラン5を少々変更して、急遽プラン6を考えました。
よし、これで行こう。
「あ、その前にシャムエル様に聞きたい事とお願いがあるんだけど良いか?」
「いいよ、何?」
「さっき、厩舎でファルコを殺せっていった男が、あの屋敷の主人なんだよな?」
「そうだよ。ケンを襲撃した事自体は知らなかったみたいだけどね。少なくとも、タロンとファルコが誰かから奪って来たって事は分かってるみたいだったね。どうやらあの男達は、いわば荒事の専門家みたいな連中だったみたい」
「やっぱりそうだよな、俺を転がしたのも、めっちゃ慣れてる風だったしな。街中で背後から刺されなかっただけ、良かったってか」
うん、あいつらには絶対仕返ししてやる。
「それからお願いなんだけどさ。一応、シャムエル様の目で、その息子を見て来てくれないか。シャムエル様が見て、本当に良い子で大丈夫だって思えるのなら、もうプラン6で行く」
シャムエル様は、何か言いたげだったが俺を見て頷いてくれた。
「分かった、ちょっと見てくるから待っててね」
そう言って、また消えてしまった。
「本当にその子が良い子だったとして、どうするんだ?」
真顔のハスフェルにそう聞かれて、俺は考えたプラン6の詳しい説明をした。念話でギイにももちろん聞こえるようにしてな。
「成る程、ケンらしい考えだな」
「少々甘いと思うが、まあ良いんじゃないか」
『俺も少々手温いと思うが、ケンがそれで良いと思うなら構わないんじゃないか?」
最後はギイの声が聞こえて驚いたら、丁度戻って来たところだった。早いな、おい。
三人とも、まあ言いたい事はある様だったが、プラン6で概ね賛成してくれたみたいだ。
って事で、とにかくシャムエル様の調査が終わるまで、俺達はそのまま公園で待つ事にしたのだった。