誘拐犯とファルコの脱出
「そんなの俺にどうしろって言うんだよ」
大声を上げるわけにはいかないので、小さな声でそう言って茂みの中にしゃがみ込む。
困ったようなシャムエル様と見つめ合った後、俺はこれ以上ないような大きなため息を吐いて頭を抱えた。
頭の中は、怒りと戸惑いと、それから状況が見えない苛立ちで埋め尽くされている。
だけど、もの凄く冷静な部分もあって、そこはこれ以上ないくらいに冷静に今の状況を判断している。
しばらく黙って必死になって考えて、とにかく幾つか対応策を考えた。
相手の出方次第で、こっちも態度を変えるよ。
俺だって、やられっぱなしって訳じゃない。
「なあ、今、タロンとファルコの置かれた状況ってどうなってるんだ? 捕まってどう言う扱いを受けてるか分かるか?」
まずはそこからだ。
もし虐待に及んでいたら、絶対に許さない。相手が誰であれ思い知らせてやるからな!
内心でそう叫んで拳を力一杯握りしめた。
「ちょっと見て来る。オンハルトに頼んで見せてもらってくれる?」
そう言うと、シャムエル様はまたいきなり消えてしまった。
小人のシュレムはいつの間にか姿が見えなくなっている。
呆気に取られて消えた姿を見送り、黙ってオンハルトの爺さんを振り返る。
「ふむ、中にいる意味がなくなったな。一度外に出よう」
至極冷静な爺さんの言葉に、なんとなく毒気を抜かれた俺達も頷いて一旦その場を撤収した。
帰りもガサガサ足音立てて茂みを移動した俺だったけど、誰も駆けつけて来る事はなかったよ。
自分は隠密行動には致命的に向かないって事がよく分かりました。
うん、さっきのプラン1は却下だな。
プラン1とは、さっき色々考えた対応策のうちの一つで、夜中に忍び込んで二匹を救出して黙って出てくるパターンだ。
ただし、屋敷の夜のセキュリティがどんな風なのか分からない以上、軽率にいきなり突撃するのは、さすがに無謀かと思った程の案だ。
まあ、一番こっちの気持ちは晴れそうだけどな。
とにかくその屋敷を離れて、通りの先にあった植え込みの前にあった小さな公園のような場所に集まった。数本の背の高い木と植え込み、それからごく小さな泉があって綺麗な水が湧いているだけの場所だ。
なんとなく全員黙ったまま、泉の横に置かれていたベンチに座る。
「それじゃあ、見せてやるとするか」
これから先どうするべきかを考えていると、オンハルトの爺さんが俺を見て手招きをしている。
「ああ、何を見せてくれるって?」
隣へ行って座る。
「何でもいい、空の大きめの平たいお皿を一枚出してくれるか」
頷いて鞄を覗き込み、サクラに頼んで夕食用に使っている大きめのお皿を一枚出してもらった。真っ白で綺麗なお皿だ。
「これで良いか? あ、腹減ってないか?」
水筒も取り出して水を飲みながら二人に聞き、ハンバーガーを取り敢えず出してやった。
俺も、一つ取り出して思い切り噛み付いた。
何が起こるにせよ、飯は食っとかないとな。
無言で黙々と食べ物を腹に詰め込む。
多分、この世界に来てから一番味気ない食事だっただろう。
マックス達は、揃って俺の横にピタリとくっついたまま黙って俺達の話を聞いている。
俺が最後のひとかけらを食べ終えた頃、黙って水を飲んでいたオンハルトの爺さんがいきなり顔を上げた。
黙ってさっき渡したお皿を手にして膝の上に置いた。
何をするのかと思って覗き込んだ俺は、危うく声を上げるところだった。
お皿がまるでタブレットみたいに映像を映し出していたのだ。しかも、そこには二つの蠢く袋が転がっている。
「なあ、これって……」
ハスフェルが黙って口元に指を立てる。
大きく息を吸い込んでから頷き、とにかく皿の映し出す映像を見つめた。
映し出されているのは、あの屋敷の中にある薄暗い部屋で、どうやら厩舎のような場所だ。足元は板張りの床では無く土で、あちこちに干し草のかけらが見える。
「捕まえて参りました」
くぐもった男の声が聞こえる。
「檻を用意した。ひとまずそこへ入れろ」
横柄な声が聞こえて、袋が持ち上げられる。
中から聞こえる唸り声はタロンのものだろう。しかし、袋を持ち上げられてもモゾモゾと暴れるだけだ。
それは当然で、そもそもタロンは幻獣とは言ってもフランマのように魔法を使える訳じゃない。
以前シャムエル様に聞いたら言われたんだ。
タロンは言ってみれば幻獣界にいる普通の住民。魔法なんて全く使えないいわば一般人レベル。逆にフランマは、例えとしては王族とかそのレベルに数が少ない程の希少種。
なので、タロンの武器は爪と牙だけ。大きくなれるのは幻獣では当たり前なのでそれ以上はもう何も無い。
手荒に袋の口が開けられ、袋ごと開いた檻の中に放り込まれる。それから直後に乱暴に鍵の閉められる音がする。
「フギャア!」
袋がしばらく暴れて、中から毛を逆立たせたタロンが飛び出して来る。
体が一回り大きく見えるのは、毛が立っているからで、元の大きさはいつものままだ。
見た事がないような顔で怒って牙を剥き出しにしてフーシャー言っている。
おお、膨れた尻尾が凄い事になってるよ……。
こんな時なのに、膨れた試験管ブラシのような尻尾に目がいってしまい、慌てて目を逸らす。
落ち着け俺、今はそれどころじゃ無いって。
少し離れて置かれたもう一つの檻には、同じく袋ごと放り込まれたファルコが中から出てくるのも見えた。
ファルコも、全体に毛を膨らませて甲高い声で鳴き、威嚇している。
しかし二匹とも大きさは変わらず、今のところ様子見のようだ。
「こんなのまで捕まえて来たのか。鳥はいらん。処分しろ。そっちの猫は水でもやっておけ」
また横柄な声が聞こえた後、靴音がして人が出ていく音がした、軋む扉が閉まる音もする。
あの男、今なんて言った?
ファルコを処分しろだって?
驚き飛び出そうとしたら、ハスフェルに肩を掴んで止められた。
黙ってお皿を指差す。
必死で叫びたくなるのを我慢して、もう一度皿を覗き込んだ。
「お前さん達、すまなかったな。そんなに怒らないでくれ。坊っちゃまの慰めになるかと思って連れてきたんだが、その前にご主人に見つかっちまったよ。鳥さん、お前は頼むから今すぐにここから逃げてくれ。ご主人は大きな鳥はお嫌いらしい。ここにいたら処分される。な、今から俺は大きく檻の扉を開けて水の交換をするから、俺を引っ掻いて良いから、頼むから逃げてくれ」
泣きそうなその男の声に、俺達は首を傾げる。
どうやらこいつは、ファルコを逃がそうとしているみたいだ。
当然、ファルコにも男の言葉は通じている。
まだ羽は膨らませたままだが、威嚇して鳴くのはやめたようだ。それを見て頷いた男が、平たい水桶を持って来て檻の鍵を開ける。
黙って扉を全開にする。
その瞬間、ファルコは思い切り羽ばたいて一瞬で檻から飛び出した。すれ違いざま、男の腕に鍵爪で大きく引っ掻き傷を作る。
男が悲鳴を上げて水桶を放り出すのが見えた。
全開だった風取り窓からファルコが飛び立っていくのを、男は腕を押さえて泣きながら見送っていた。
その時、また足音がして後二人男が入って来た。
「この馬鹿野郎が、鳥を逃がしやがった!」
「ああくそ。せっかく捕まえたのに、なんて事しやがる」
怒った男達が、泣いている男を見て無言になる。
「いいんだ。旦那様は、鳥は要らぬと仰った。処分しろとな。手間が省けて良かったじゃないか」
吐き捨てるようにそう言って立ち上がると、まだ膨れて威嚇しているタロンを見た。
「しかし見事なオッドアイだな。白のオッドアイ。坊っちゃまのご希望通りだな」
入ってきた男のうちの一人が、威嚇しているタロンを見て平然とそんな事を言う。
「しかし、これではどうにもならんだろう。慣れているのでは無かったのか?」
もう一人の男も、不満そうにそんな事を言ってる。
「そりゃあ、あの男には懐いているさ。何しろあの男は超一流の魔獣使いなんだからな」
腕を押さえた男が憮然としたようにそう言う。こいつら、仲が悪いみたいだ。
「あれが超一流?」
「俺達の尾行にすら全く気付かず、蹴り倒しても無抵抗だったあの男が?」
鼻で笑われてなんだか腹が立って来た。
お前らか。俺を突き飛ばした上に、後ろから膝カックンしやがったのは!
ハスフェルが、怒り爆発な俺を宥めるように黙って背中を叩く。
もう一度深呼吸して、手にしたままだった水筒の水を飲んだ。
「一流だか二流だか知らんが、少なくともこれはただの猫だろうが」
「ただの猫を魔獣使いが連れている理由なんて俺は知らんよ。多分そいつのペットの猫なんじゃないか」
腕を押さえた男が鼻で笑って馬鹿にするようにそう言い、大きなため息を吐いた。
「動物は、人間の都合では言うことを聞かせる事は出来ない。そもそも言葉は通じない。このまま坊ちゃんの所へ連れて行ったら、怒って坊ちゃんに怪我をさせるだけだよ」
「だったらお前が何とかしろ」
「お前は動物の扱いには慣れているんだろうが」
そう言うと、何といきなり二人の男は、腕を押さえてまだ座り込んでいる男を蹴っ飛ばして、そのまま足音も荒く厩舎を出て行った。
「クソ野郎が。何でも自分の思い通りになると思うな!」
怒鳴った男は、またため息を吐いてタロンを見た。
「水と鶏肉を入れておくから、俺がいなくなってからで良いから食って飲むんだぞ」
打って変わって優しい声でそう言った男は、ゆっくりと起き上がってトボトボと肩を落として厩舎を出て行った。
「大丈夫?タロン」
シャムエル様の声がして、映像が檻の中に変わる。
そっか、これはシャムエル様の視線な訳だ。
「放り込まれた時、ちょっと痛かったけど大丈夫よ。暴れたらご主人に迷惑がかかるかと思って我慢したんだけど、どうしたら良いかしらね。暴れて良いなら、巨大化してこんな檻くらい壊すけど」
「いやあ、これはかなり頑丈みたいだからちょっと難しそうだね。じゃあ鍵を壊すからとにかく逃げよう」
「いや、ちょっと待って」
思わず、俺はそう声に出して叫んだ。
「どうしたの、ケン?」
いきなり映像が途切れて、目の前にシャムエル様が現れる。
「おう、いきなりだな。それで、肝心の坊っちゃまってのは、何処にいるんだ?」
「まだ出てこないね。えっと、ケンを襲撃したのは怒ってた男達ふたりね。怪我をした男は厩舎の世話係みたいだよ。それであの男達の話によると、坊っちゃまが白猫でオッドアイの子が欲しいんだって言ったらしいよ。それであの男達がケンがタロンを連れて歩いているのを見て、あれなら慣れてるから大丈夫だって思ったらしい。檻の中で威嚇しまくってるタロンを見てドン引きしてたよ。馬鹿だねあいつら、そんなの怒るに決まってるのに」
「馬鹿再びかよ。だけど今回は俺も怒ってる。だから、遠慮無く行かせてもらうよ」
「どうするの?」
「まずは正攻法で攻める。で、坊ちゃんってのがどんな奴かによってこっちの出方を変えるよ。俺に考えがある。まずここは俺にやらせてもらっていいか?」
ハスフェルとギイ、オンハルトの爺さんとシャムエル様は揃って驚くように俺を見て、それからほとんど同時に大きく頷いた。
「分かった、何でも手伝うから言ってくれ」
頷いた俺は、考えていた対応策の一つであるプラン3と4を、まずは彼らに説明した。