誘拐事件発生
「ええええ? これって一体どういう状況だ?」
地面に座り込んだまま思わず叫んだ俺は、いきなり誰かに腕を掴まれて引き立たされた。
「うわあ! あ……おお、オンハルトォ〜! ハスフェルも!!」
半泣きになって叫んだ俺は、思わず俺を掴んで立たせてくれたオンハルトの爺さんのぶっとい腕にしがみ付いた。
「助けてくれ! タロンがいないんだ。それにファルコも! いきなり誰かに転ばされて、何がなんだか……」
「大丈夫だから落ち着け」
思いの外、冷静なオンハルトの爺さんの声に俺は息を飲んで口を噤んだ。
「いきなり襲われてパニックになるのはわかるが、とにかくまずは落ち着け、大丈夫だ。誘拐されたタロン達の位置は把握しとる」
耳打ちされたその言葉に、俺は息を飲んだ。
「とにかく場所を変えよう」
ハスフェルの言葉に、俺は頷いて服の汚れを払った。
「怪我は無いか?」
「大丈夫だ。打ち身も無いよ」
すると、オンハルトの爺さんが右手を俺に差し出した。
「ケン、宿泊所の鍵を貸せ。マックス達を連れて来てやる」
確かに、何があるにせよ、従魔達の力は必要だろう。
頷いて、鞄から鍵を出して渡すと、ひとつ頷いてあっという間に走っていなくなった。
爺さんの足、速っ。
呆気に取られて見送っていると肩を叩かれた。
「行くぞ」
「ああ、頼む」
頷く俺の背中を叩いて、ハスフェルが早足で移動したので、慌てて俺もその後に続いた。
いつの間にか、ハスフェルの右肩には小人のシュレムが現れて座っていた。
彼は振り返って俺に手を振ると大きく頷いてくれた。
「大丈夫だ。タロンにはシャムエルが付いておる」
その言葉に、俺は頷きかけてちょっと考えた。
「それって、ただ単に一緒に誘拐されたってレベルじゃね?」
思わず口にした俺の言葉に、前を歩いていたハスフェルが堪える間もなく吹き出すのが見えた。
「全くお前は相変わらずだな。シャムエルがどう言う存在か忘れたのか?」
笑い過ぎて出た涙を拭いながら振り返ってそう言われて、俺は肩を竦めた。
「そうは言うけど、あの見かけだからさ。やっぱり心配だよ」
「まあ心配するのは構わんさ。好きなだけ心配してやれ」
笑ってそう言い、真顔になって角を曲がる。
黙って俺もその後に続いた。
ハスフェルの後ろを歩きながら、俺の心臓がバクバク鳴ってる。
正直言って、もしも一人だったら、あのままどうしたらいいのかわからずに、ただただ途方に暮れていただろう。
頼もしい仲間の後ろ姿を見ながら早足で歩き、一つ大きく深呼吸した俺は、だんだん、さっきまでの転ばされて仲間がいなくなってパニックになっていた時とは違う気持ちになっていきた。
つまり、誰か知らんけど、よくもやりやがったな! って言いたくなるような、腹立たしい気持ちだ。
待ってろよ、タロンとファルコ。絶対にすぐに取り返してやるからな。
ハスフェルは、早足のまま中央の大通りを離れて山を右手に見ながら別の通りを進んでいく。
この街のすぐ北側には、クーヘンの故郷の郷があるのだと言う険しいカルーシュ山岳地帯が大きく見えている。その山を越えて北西と北東に伸びる二本の街道がこの街から出ているのだが、当然どちらも山越えの難所であるため、皆この街で滞在してしっかり山越えの準備を整えるんだそうだ。
見えるそのカルーシュ山岳地帯の景色は、旅行のパンフレットに載っているスイスの山みたいな感じだ。
石造りの重厚な建物とその奥に見える険しい山並み。こんな状況じゃ無ければ、見える景色を楽しみながら散歩したくなるような、それは綺麗な景色だよ。
ハスフェルの歩く速さがゆっくりになって来た。
今いる辺りはどうやら住宅地のようで、最初はおしゃれな集合住宅みたいな箱型の大きな建物が並んでいたのだが、今いる辺りはそれとは違う。そうはっきり言って家がデカい。庭が広い。門がデカい!
つまり、この辺りは、間違いなく高級住宅地って訳だ。
そんな場所で彼が立ち止まり、しかも突き当たり奥にあった、一際大きな屋敷の大きな塀の隙間からギイが出て来て手招きするのを見れば、何となくこの後の展開に予想がついて、俺はちょっと遠い目になった。
後に続こうとした時、いきなり後ろから肩を叩かれて、俺は文字通り飛び上がった。
悲鳴を上げなかった俺を誰か褒めてくれ。
「すまんすまん、そんなに驚くとは思わんかったぞ」
聞こえた声は、オンハルトの爺さんで、その背後にはマックスとニニの姿があった。
俺は無言でマックスの大きな首に抱きついた。
「頼むよ、手を貸してくれ。俺の不注意でタロンとファルコが拐われたらしいんだよ」
「彼から話を聞きました。ご主人は悪くないです。でも、正直言って私達だって、仲間に手出しをされて黙っている気はありませんよ。堂々と行って取り返して来ましょう」
嬉しそうに物騒な事を当然のように言うマックスに、ちょっとビビったけど俺も気持ちは同じだった。
「おう、取り返すぞ。よろしくな」
「任せてちょうだい」
ニニも当然のようにそう言って俺に頭を擦り付けて来た。
「よろしくな。じゃあ行こう」
マックスの首元を叩いて。俺達も
足音を忍ばせて彼らの後をついて行く。
当然ながらマックス達もその後ろをついて来ているんだが、あの大きな存在を忘れそうになるくらいに足音ひとつしなければ、そこにいるのだと言う気配も無い。気配の消し方が半端ねえよ。
さすがは狩りをする生き物だな、と、密かに感心した。
そのまま彼らは塀の隙間から裏へ回り、軽々と塀を乗り越えて植え込みの中に潜り込んでいった。
仕方がないから俺もついて行ったよ。
塀をよじ登り茂みを越えてな。絶対俺だけガサガサ音が鳴りまくってたと思うんだけど、そこはもう諦める。茂みの中を音も無く移動するなんて高等技術は俺には無い。断言。
こうして白昼堂々と大きな屋敷に忍び込んだ訳だが、正直言って拍子抜けするぐらいに簡単に入り込めた。
これだけの大きな屋敷でこれって……この世界のセキュリティってどうなってるんだ? と、他人事ながら逆に心配になるレベルだ。
「言っておくが、ちょっとした目眩しの術を使っているからであって、普通はそう簡単じゃないぞ」
まるで俺の心の声が聞こえたかのように言われて、俺はつまずきそうになって慌てて誤魔化した。
大きなお屋敷の茂みの中から屋敷の様子を窺うが、さすがにここからでは中の様子までは分からない。
どうやら、ギイが先行して誘拐犯の後をつけてくれて、この場所を特定してくれたらしい。
「奴ら、タロンとファルコが入ったままの袋を持って中に入って行った。今のところシャムエルも無事のようだから心配は要らんよ」
「そうは言っても、この後どうするんだよ。これって完全に不法侵入じゃないか」
その時、俺達の目の前に突然シャムエル様が現れた。
「ああ、来たね」
俺を見て平然と言うその様子は、全くいつもと変わらなくて、俺は安堵のあまりその場にしゃがみ込んだ。
「心配させるなよ。それでタロン達は?」
顔を上げた俺の膝の上にシャムエル様が一瞬で移動する。
「それがねえ、ちょっと予想外の展開になっちゃってさ。どうするべきか、ケンに相談しようと思って一旦戻って来たんだ」
無意識に手を伸ばしてシャムエル様を抱き上げて尻尾をもふもふしながら頷く。
「何が予想外なんだ?」
「だって、タロンとファルコを誘拐した犯人達の理由が、病気で一歩も部屋から出られない、このお屋敷の主人の一人息子の為だって聞いたら、怒れなくなっちゃってさ」
あまりに予想外のその言葉に、俺だけではなくハスフェルとギイ、それからオンハルトの爺さんも揃って息を飲み、マックス達も戸惑うように小さく鼻で鳴いた。
「ええ、それはちょっと……予想外過ぎる展開だろう。ってか、俺に相談してどうしろって言うんだよ?」
困った俺は、咄嗟にそう言ったんだけど、これは間違ってないよな?