何があったか聞いても良い?
「……彼は貧血でフラフラだったそうなのに。能力の付与は、体調が万全の時にしてあげてください。さすがに無茶が過ぎましたよ。彼の心臓を止めるおつもりですか」
「うう、ごめんなさい。もう大丈夫かと思ったんだけどなあ」
「まあ、能力の付与に気軽に同意した時点で私も同罪ですが、人間は、いったん弱るとそう簡単には回復しないようですからね。せめて次からは一晩待ってください……」
耳元で聞こえる声は、どうやらベリーとシャムエル様の会話みたいだ。
だけど、この時の俺は完全に体が言う事を聞かず、意識も朦朧としていて、二人の会話に参加する事は出来なかった。
目覚めは唐突だった。
ぱちっと目が覚めた俺は、とにかく天井を見上げて、所々にある亀裂から差し込むやや不自然な角度の日差しを無言で見つめていた。
「何であんな風に日が差し込むんだろう……?」
小さな声で呟くと、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ケン、目が覚めましたか!」
蹄の音がして、上から俺を覗き込んだのは、心配顔のケンタウロスのベリーだった。
「あ、ああ。ええと、俺……?」
どうやら地面に寝転がっているようだが、何故なのかわからない。
それに、地面に寝ている筈だがその割になんだか妙に寝心地が良い。
全体にひんやりしているが、ふわふわしていてまるでウォーターベッドみたいな感じだ。
「ご主人! 良かった目が覚めたんですね」
「ご主人! ああ良かった。良かった」
いつもの大きさになったプティラとセルパンが、俺の胸元に飛び込んできて泣きそうな声でそう言いながら擦り寄ってくる。
腹筋だけで起き上がり、二匹を撫でてやりながら周りを見回して自分が寝ていた不思議な地面を見る。
「ええ、お前らだったのか!」
驚きの声を上げると、ベリーが笑って足元のスライム達を撫でてくれた。
そう。俺が寝ていたのはアクアゴールドから分裂してバラバラに戻ったスライム達が、総出で作ってくれたベッドだったのだ。
それぞれ直径80センチくらいになって互いにひっつきあって、三匹並んで三列になってくっ付き合った、大きな正方形の平たい塊になっているのだ。
うん、これはどこから見ても完全にカラフルウォーターベッドだよ。
「貴方が倒れた直後、ニニちゃん達がいなくて貴方を寝かせる場所が無いと言って、慌ててこうしてくっついて即席ベッドになってくれたんです。気分は如何ですか? 目眩や貧血はどうなりましたか?」
心配そうなベリーの言葉に、ベッドに起き上がっていた俺は、スライムベッドから降りて立ち上がった。
剣帯や胸当て、籠手などの防具はいつのまにか外されていた。
試しに思いっきり深呼吸と伸びをしてみたが、もう貧血は完全に回復したみたいだ。
別に、どこも痛く無いし苦しくも無い。
「ええと、驚くぐらいにいつも通りなんだけどな。ってか、俺いつの間に寝てたんだ?」
なんだかベリーと会った少し後からの記憶がポッカリと抜けているみたいで戸惑っていると、苦笑いしたベリーが水の入ったコップを差し出してくれた。
「とにかく、まずこれを飲んでください」
見たところ普通の水に見えるが、恐らく回復系の水なのだろう。有り難く受け取って一気に飲み干す。
「美味っ! 甘くてめっちゃ美味いよ」
今まで飲んだ水の中で、確実に一番美味しかったと断言出来るくらいに甘くて美味しかったよ。
水が身体中に染み込んでいくみたいで、俺は飲んだ直後、本当に快感に震えてしばらく動けなかった。
「どうやら本当に、もう大丈夫なようですね。とにかく中で座ってください。話は何か食べてからにしましょう」
それを見て頷いたベリーが示した場所には、いつの間にか俺のテントが取り出して張ってあった。
テントは、以前恐竜に破られて修理してもらった最初のテントだ。何しろ、いつも使っていたテントは、上のグリーンスポットに置いてきてしまったからな。
とにかく、外してあった防具と剣帯を身につけてテントの中に入ると、大きい方の机と椅子が並べてあった。
俺について入って来たいつものサイズのセルパンとプティラが、それぞれ椅子の背と椅子の足に巻きついて留まる。
それを見て、二匹の頭を撫でてからもう一つ並べてあった椅子に座って、元のサイズに戻って跳ね飛んできてくれたサクラを抱きとめる。
足元にはバレーボールサイズになったカラースライム軍団とアクアが、ポンポンとカラーボールよろしく跳ね回っている。なんだか皆嬉しそうだ。
「皆ありがとうな。なかなか良い寝心地だったよ」
笑ってそう言ってやると、何だか更に跳ね回って喜んでいた。
その時、俺の腹が妙な音を立てた。
うん、そうだな。確かに腹が減ったよ。
ちょっと考えて、鶏肉の入ったお粥を取り出して小鍋に取って温める。もう一つコンロを取り出してお湯を沸かして、緑茶も淹れておく。
「ベリー果物は? フランマも食べるだろう?」
箱ごと取り出しながら、いつもの左腕にしがみついているモモンガのアヴィを思い出した。
「あいつ、きっと今頃腹空かしてるぞ。悪い事したなあ。一日一回は食べたいって言ってたのに……」
思わず取り出したリンゴを見てため息を吐いた。
あんなに小さな体で、腹を空かせるなんて、可哀想な事をしている。
「あ、それなら大丈夫だよ。従魔達のご飯なら私が面倒見ているから心配しないでね」
いつの間にか机の上に現れたシャムエル様が胸を張ってそう言ってくれたので、俺は本気で感謝したよ。
俺が下手をしてはぐれたせいで、従魔達にひもじい思いをさせるなんて、本当に申し訳なかったからな。
「そっか、ありがとうな」
笑ってお礼を言って、そろそろ温まったお粥をお碗によそった。
「あ、じ、み! あ、じ、み! あ〜っじみ!」
妙なリズムのもふもふダンスを踊っているシャムエル様にも、温めたお粥を少しだけ入れてやり、いつもの杯に緑茶も入れてやった。
お粥に頭から突っ込むシャムエル様を見て笑いながら、俺も久し振りのお粥を味わった。
食後にリンゴを剥いて食べながら、改めて天井を見上げる。
「なあ、昨夜の記憶が途切れてるんだけど、何がどうなったんだか分かるか?」
机の上に座って身繕いしているシャムエル様にそう言うと、顔を上げたシャムエル様は、申し訳なさそうな顔をした。
「ええと、どこまで覚えてる?」
その質問に、目を閉じて考える。
「ここまで来て、ベリーに会ったんだよな。で、ハスフェル達と念話で話をして……そう、誰かさんが俺にマッピングの能力を授けてくれたんだったよな。で、それからどうしたっけ?」
どうも、その辺りからの記憶が無い。
すると、シャムエル様が右肩に現れた。
「今はどう? マッピング出来てる?」
改めて聞かれて、目を瞬いた。
確かに、昨夜感じていた違和感というか、圧倒される感じが全く無い。そもそも新しいマッピングの能力自体、すっかり忘れていたくらいだ。
だけど改めて考えたら、ちゃんと俺の中に地下迷宮の地図があるのが分かった。
「ええと、多分大丈夫っぽい。昨日は、なんて言ったらいいのか分からないけど、違和感と威圧感みたいなのを感じて苦しかったんだけど、今はもう全く何ともないよ。だけど、ちゃんとマッピングは出来ているみたいだ。あ、ハスフェル達はもう三階層まで降りて来てくれてる! 凄え!」
ハスフェル達の位置が分かって俺は驚いた。
だけど、彼らは今俺がいる位置とは正反対の、階層の端っこの方にいるみたいだ。
「ああ、ちゃんと馴染んだみたいだね。じゃあもう大丈夫だね。ごめんね。昨日はスライムテイムのショックから立ち直ったばかりの所に、怪我による出血や水路への墜落によるショックで弱ってたでしょう。そこに無理矢理マッピングの能力を授けたもんだから、どうやらちょっと過剰摂取みたいな感じになっちゃったんだよね。で、身体に無理がかかって急激な貧血で倒れたわけ。本当にごめんね。人間が弱いんだって事、すぐ忘れちゃうんだよね。君が壊れなくて良かったよ」
頼むから、頬を可愛くぷっくらさせながらそんな恐ろしい事を平然と言わないでくれって。
何だよ。昨日の俺って、言ってみれば能力のオーバードーズで倒れた訳? 意識朦朧としていた時に聞こえてた、あのベリーの言葉の意味を理解したよ。
確かに、大量スライムテイムの後の、大怪我による貧血とウォータースライダーショックでふらふらの状態の時に、更に突然のマッピングの能力付与……。
あはは、よく生きてたね、俺。
考えたらとっても怖い事になりそうなので、これも全部まとめて明後日の方角に放り投げておく。
少し冷めた緑茶を飲みながら、俺はもう一度大きなため息を吐いたのだった。