滝壺からの脱出
「ええと、出口が何処にも無いんだけどなあ……」
俺の呟きに、シャムエル様はにっこりと笑って少し離れた場所を指さした。
「ええとね。あそこへ行ってくれる」
「あそこ? ああ、分かった」
俺の横に、巨大化したセルパンと、反対側にも巨大化したプティラがぴったりと寄り添ってくれる。おお、この安心感!
「で、来たけど何も無いぞ?」
言われた場所に到着したけど、何処にも出入り口らしき亀裂も洞窟も見当たらない。
「じゃあこれを貸してあげるから、頑張って開けてね」
そう言って当たり前のように取り出したのは、以前貰ったハンマーの数倍はデカいであろう巨大ハンマーだった。
「この向こう側に通路があるんだけど、壁に穴が開くまであと数百年掛かるんだよね。なので緊急事態につき、通路は自力で確保してください!」
「はあ? つまり、これで岩を砕いて穴を開けろってか? 無茶言うなよ!」
……叫んだ俺は悪く無いよな?
しばし無言で見つめ合ったが、負けたのは俺の方だった。
まあ、確かにどう見ても出入口が無い以上、自力でなんとかするしか無いのは分かる。これ以上ないくらいの大きなため息を吐いた俺は、諦めて貰ったハンマーを握り直して壁に向かった。
「ここで良いんだな?」
「うん、ここで良いよ」
「じゃあ、必死で開けさせて頂きます!」
そう叫んで、力一杯壁の岩に向かってハンマーを振り下ろした。
物凄い衝撃が走り、ハンマーが吹っ飛ぶ。
勢い余って俺も吹っ飛んだ。
「痛ってえ!」
腕を抱え込んで余りの痛みに悶絶して転がる。
しばらくして、ようやく衝撃から立ち直って壁を見て、もう一度悲鳴を上げたのだった。
「何で! ここは見事に穴が開いて拍手するシーンじゃねえのかよ!」
そう、振り返って見た壁には、全く変化が無く、小さな小石が数個足元に転がっているだけだったのだ。
「どんだけ硬いんだよ。この岩!」
しばし呆然と岩を見ていたが、もう一度立ち上がってシャムエル様を振り返った。
「なあ、ツルハシとかって持ってないか?」
「ツルハシって?」
「ええと、岩に穴を開ける時に使う道具なんだけど、こんな風に鳥の長い嘴みたいに尖った金属製の金槌みたいなやつ」
身振り手振りを加えて、ツルハシの説明をする。
シャムエル様はしばらく考えてから、納得したらしく頷いた。
「もしかして、これかな? ドワーフ達が鉱山で使ってる道具だよ」
そう言って取り出してくれたのは、やや小さいが間違いなくツルハシだ。
「おお、これこれ。もうこうなったら、これでコツコツ穴を開けるしかねえよ。それである程度開いたら、さっきのハンマーで殴る! さあ、どれだけかかろうと、開けてやるぞ!」
俺の持つ氷の魔法は使えないだろうし、諦めて俺はツルハシを振りかぶった。
「おりゃあ!!」
物凄い衝撃と共に、ツルハシが岩にめり込む。引き抜いて穴を確認する。
「よし、これなら何とかなりそうだ」
小さいとはいえしっかり穴が開いた岩を見て、俺は大きく頷いた。
それからはもう、必死でガツンガツンと何度も何度もひたすら岩を叩き続けた。
「はあ、はあ、はあ……ちょっと休憩……」
両手が衝撃に痺れてきて、俺はそう言ってその場に座り込んだ。
「ご主人、大丈夫? 美味しい水、いる?」
アクアゴールドがそう言って美味しい水の入った水筒を渡してくれた。
「おお、ありがとうな。もらうよ」
ツルハシを横に置いて、出して貰った美味しい水をゆっくりと飲む。
しばらく休憩した後、いくつか穴の空いた岩を見て不意に思った。
「あれ、もしかして今なら氷の術でも使えるかも……」
そう呟き、いったん飲んでいた美味い水の入った水筒をサクラに返して、俺は鞄から普通の水筒を取り出した。
「これをこうやって、と……」
蓋を開けて穴を開けた岩の隙間に、水を流し込んでいく。
全部流し終えた後、水筒に蓋をしてから、今濡らした岩に手を置いた。
「凍れ!」
濡らした壁全体が一気に凍る。
「砕けろ!」
力一杯そう叫んだ瞬間、轟音と共に、五十センチぐらいが丸く一気に崩れ落ちた。
「よっしゃ! やっぱり出来たぞ!」
拳を握って叫んだ瞬間、シャムエル様が岩の横に現れた。
「ええ、すっごい! 今何をしたの?」
目を輝かせて聞かれて、俺の方が驚く。
「何って、凍らせて砕いたんだよ。氷は膨張するから、凍らせて岩ごと一気に砕いたんだ」
「膨張って?」
しばし無言で見合った後、納得した俺は掌に小さな氷を作り出して見せた。
「水が凍る時、水の状態よりも少しだけ、体積、つまり大きさが大きくなるんだ。なので、今みたいに岩の隙間に入った水を凍らせると、膨張して岩に普段以上の圧力が掛かる。で、その状態で一気に砕いたから、衝撃で一緒に岩も砕けたのさ」
「へえ、凄いや。そんな事も出来るんだね」
これって小学校の理科のレベルだぞ。それで神様に感心されるって、なんか複雑。
「だけど、まだ俺が出るにはちょっと小さいな。もう少し砕くか」
覗き込んだ穴の奥に、確かに空間があるのが見えたが、まだ俺が通るには小さすぎる。振り返って滝壺を見た俺は、大きなお椀を取り出して、水を汲みに行った。
「これだけ沢山水があるんだから、別にわざわざ飲み水を使う必要は無いよな」
そう呟いて水際まで行き、手にしたお椀で水をすくった時だった。
滝壺の奥から、何かがこっちに向かって一気に浮き上がってくるのが見えた。
「ケン、逃げて!首長竜だよ!」
シャムエル様の声に、俺は慌てて立ち上がった。
「やめてくれー! 俺は餌じゃねえよ!」
悲鳴を上げて、慌てて後ろに走って逃げる。
直後に顔を出したのは、本当に首長竜だったよ。
「ヒエエエーーーーーーー!」
情け無い悲鳴を上げて、転がるようにして更に後ろに下がった。
「ご主人は下がっててください!」
巨大化したプティラが俺の前に飛び出て、首長竜に飛びかかった。
「無理するな!」
叫んだ瞬間、後ろ足の鉤爪で、俺に噛み付こうと伸ばした首長竜の鼻先を思い切り引っ掻いたのだ。
その直後、跳ねて飛びかかった巨大化したセルパンが首長竜の首に巻きつくのが見えた。
「キエエエ!」
金属が擦れるような声がして、首長竜が下がる。プティラはその場で羽ばたいてそれ以上は追いかけようとはしなかった。
太い首に巻き付いたセルパンがさらに一気に締め上げると、首長竜は嫌がるように口を開けたまま必死になって首を振った。
そのまま水の中に逃げ込んだ首長竜は、しばらく水の中で暴れ回っていた。
「セルパン! 無理するなって! もう良いから戻って来てくれ!」
聞こえないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。いくら泳げるといっても、セルパンは水の中で呼吸が出来る訳じゃ無い。
しばらくすると、不意に静かになり、悠々とセルパンが戻って来た。
「逃げて行ったわ。脅かしておいたからもう来ないと思うけど、迂闊に水辺には近寄らない方が良いわね」
平然としたセルパンの言葉に、俺は安堵のあまり地面に座り込んだ。
「うわあ、滝壺にあんなデカいのがいたのかよ。よく食われなかったな俺達……」
のんびり泳いでいたけど、あんなのが足の下にいたのかと思ったら、また足が震えてきた。
「今回の旅は、油断大敵。って言葉の意味を思い知るよ。本当にもう勘弁してくれって」
大きなため息を吐いて起き上がった俺は、全部こぼれてしまって空になったお椀を見て、もう一度ため息を吐いた。
「サクラ、シャムエル様から貰った水筒を出してくれるか。この際、勿体無いとか言ってる場合じゃねえよ。また増えるんだから、ありがたく使わせてもらおう」
肩の上で何度も頷くシャムエル様を見て、俺も大きく頷いた。
それから、出して貰った水筒の水を流しては凍らせて岩を砕く事を繰り返し、ようやく俺が通れる穴を開けた時には、もうヘトヘトになっていたのだった。
念の為、もう一度美味い水で体力を回復させてから、俺はゆっくりと通路に出た。
先頭に巨大化したプティラ。ランタンを持った俺とゴールドアクアがその後ろに続き、俺の後ろに巨大化したセルパンという布陣だ。従魔達は、何か近づいて来たら分かるらしいので、一本道なら仕方が無いが、極力戦闘はしない方針でお願いした。
慎重に通路を進み、何とか無事にグリーンスポットに到着する事が出来た。
「はあ、ひとまずこれで一安心だ」
安全地帯に到着出来て、とにかく安堵したよ。
ここは、真ん中部分に綺麗な水が湧く泉があり、周囲は低木の茂みと草地が広がっている。
見回して、壁面の大きな岩の横にテントを張る事にした。
「足元、大丈夫だろうな?」
見たところ、岩盤のように見えるが、本当に大丈夫だろうか?
慎重に足を進めると、右肩に現れたシャムエル様が笑って俺の頬を叩いた。
「この、グリーンスポットの下は大きな岩盤だから落ちる心配は要らないよ」
「あはは、それなら安心だな。だけど、岩盤なら釘が打てねえじゃん」
周りを見回し、大きめの石を拾って来て、ロープで括り付けて釘の代わりにテントの重りとして使う事にする。
「あいつら、飯は大丈夫かな?」
テントを張り終え、机と椅子を出しながら、何だか心配になって来た。
「彼らなら、携帯食は持ってるから、まあ心配は要らないよ。従魔達はしばらく我慢してもらうより仕方が無いけどね」
「あ、そうか……あいつらの弁当もこっちにあるのか」
無言でアクアゴールドを見つめる。
『なあ、お前らと従魔達の食事って大丈夫か?』
念話でハスフェルを呼ぶと、すぐに返事が来た。
『ああ、大丈夫だ。各自が持っている携帯食や幾つか屋台で買い込んだのがあるらしいから心配するな。グリーンスポット近くに、大きな猪がいたので、シリウスとマックスが倒してくれたよ。従魔達は、これだけあれば、しばらく大丈夫らしいから心配は要らんよ』
『そっか。こちらも近くのグリーンスポットに何とか到着したよ。この後はどうすれば良い?』
『皆で相談したんだが、お前は無理に動かない方が良いだろう。場所は把握しているから、俺達が行くまでお前はそこにいろ。少なくともグリーンスポットにいれば安全だからな』
もの凄く情け無いけど、どう考えてもそれが一番良い案だろう。
『分かった、じゃあ、申し訳ないけどここで待ってるから拾いに来てくれるか』
『ああ、じゃあそこで美味いものでも作って待っててくれ』
笑みを含んだ声でそんな事を言われて、俺も笑って頷いた。
『了解だ。じゃあ合流したら、好きなだけ食わせてやるよ』
『楽しみにしてるよ』
皆も笑う声も聞こえてようやく俺も安心出来た。
ハスフェルの気配が消えて、大きくため息を吐いた時だった。
「やはりケンですか。一体どうしたんですか?」
突然掛けられた言葉に、俺は文字通り飛び上がった。
「だ、だ、だ、誰!」
腰の剣に手を掛けて振り返った時、そこにいたのは、驚きの目で俺を見ているケンタウロスのベリーの姿だった。