負傷と精神的ダメージ
「じゃあよろしく!」
ミスリル製の槍を構えて叫ぶ俺に、皆が笑顔で拳を突き上げた。
「行くぞー!」
何故か、シャムエル様が俺の右肩でちっこい手を上げて大声で叫んだ。
すると、まるでそれを合図にしたかのように、百枚皿にいたトライロバイト達が一斉に跳ねたのだ。
「うわうわうわー!」
悲鳴を上げて、ぶち当たってくるトライロバイトを槍で突き刺す。
二匹一度に串刺しにしてしまい、自分で自分にびっくりした。
「うっわ、このミスリルの槍、めっちゃ切れる。全然抵抗無く突けたぞ」
以前ハスフェルに借りた槍とは全く違う使い心地に嬉しくなった俺は、足元に転がる大きなジェムを見て、槍を握り直した。
跳ね飛んでくるトライロバイトは、どうやら俺を狙って飛んで来ていると言うわけでは無いようで、飛んでくるその動きはかなり適当だ。慌てて転んだりしない限り、それほど危険は無いだろう。
背中の守りはスライム達にお任せして、とにかく俺は、自分が見える範囲にいるトライロバイトを槍でひたすら突きまくった。
あちこちで、魔法が炸裂する音が聞こえるかと思えば、従魔達の嬉々として大暴れする水音なんかが聞こえたりしている。
「皆凄いな。俺達も負けてられないぞ」
隣の百枚皿で暴れまわっているマックスと猫族軍団にそう言ってやると、全員が嬉しそうに答えてくれる。
「任せて! いっぱい倒すからねー!」
ニニの声に、マックスが吠えて応える。
「ジェムも素材も、いっぱい集めるんだもんね!」
「ご主人様の為に、頑張るからね!」
「いっぱいジェムを集めるんだもんね!」
巨大化しているタロンがそう言うと、
ソレイユとフォールも楽しそうに大暴れしながら律儀に答えてくれる。
巨大化したセルパンとプティラ、それからファルコは、どうやらトリオを組んで戦っているみたいだ。
跳ね飛ぶトライロバイトはプティラとファルコが、水から出てこないのはセルパンが、こちらも大暴れしていて次々にジェムを量産しているし、ウサギコンビも巨大化してあのデカい足で丸くなったトライロバイトを蹴りまくってる。
モモンガのアヴィは、今回は参加せず、見学チームのシルヴァの腕にしがみ付いて避難している。
うん、無理はしなくていい。
草食のアヴィに、ここで戦えなんて無茶は言わないよ。
「ご主人、気をつけて! 大きいのが来るよ!」
アクアの声に振り返ると、今まで見た中で一番デカい五本もの角を持った超巨大なトライロバイトが跳ね飛んでくるのが見えた。
「的がデカいと楽だぞっと!」
そいつを突き刺した瞬間、アクアの悲鳴が聞こえる。
「違う!そっちじゃ無いよ! 左後ろ!」
その瞬間、俺の左斜め後ろ側から、一本角のこれも巨大なトライロバイトが、ものすごい勢いで跳ね飛んで突っ込んで来るのが僅かに視野の隅に見えた。
「アクアが言ってたのは、こっちか!」
慌ててもう一度振り返って咄嗟に払おうとしたが、僅かにそいつの方が速かった。
左足に激痛が走る。
余りの痛みに声も出ない。
見ると、三十センチ以上ある太い角が、俺の左の太腿にまともに突き刺さっていたのだ。
激痛と急激な貧血で、そのまま後ろに尻餅をつくように倒れ込む。
「ああ、ケンが!」
「ケン!」
シャムエル様の悲鳴と、ハスフェルの俺を呼ぶ声が重なる。
「じっとしてろ!」
俺の横まで、文字通り一瞬ですっ飛んで来てくれたハスフェルが、俺の左太腿に突き刺さっているトライロバイトを掴んで力一杯引き抜いた。
抜いた瞬間に物凄い量の血飛沫が飛び散り、目の前が真っ暗になって気が遠くなる。
しかし、その直後に脳天まで突き抜ける激痛に襲われ、俺は悲鳴を上げる事も、気を失う事も出来なかった。
しかし、突然の出来事に硬直していたのは一瞬だったようで、即座にサクラが出してくれた万能薬のおかげで痛みは嘘のように消えて無くなり、ハスフェルの大きなため息が聞こえた。
「お前は全く……油断するなといつも言っているだろうが! 万能薬も即死の怪我には効かんぞ」
「うう、申し訳有りません。助けてくれてありがとうございます……」
お礼を言いながら、今更ながら体が震えてきて、握っていた槍が手から転がり落ちる。
まだ座り込んだままだった俺は、それに気付いて慌てて手を伸ばして拾おうとしたら、ハスフェルが拾ってくれた。
「大丈夫か? 痛みや痺れは無いか? 立てるか?」
心配そうにそう言われて、大丈夫だと答えてもう一度謝る。
手を引かれて立ち上がると、武器を収めた神様達も一斉に駆け寄って来てくれて、口々に心配されてしまい、また俺は謝った。
「ご主人!」
「ご主人!」
同じくすっ飛んで来たマックスとニニにも大歓迎されたよ。だけど、その直後に酷い貧血に見舞われて、またしてもその場に尻餅をつく事になったのだった。
サクラが出してくれた背もたれ付きの椅子に座ってしばらく休ませて貰った。
分厚いズボンの左太腿部分に開いた大きな穴を見て、今更ながらに怖くなり、またしても体が震えて来て、俺は誤魔化すのに苦労していた。
ようやく、落ち着いて辺りを見回すと、目に見えてトライロバイトの数が減っている。
今はそれぞれの個体にバラけたスライム達が、手分けして広範囲に渡って転がるジェムをせっせと拾い集めてくれているところだった。
「怪我は万能薬で治るが、貧血や精神的な恐怖感は万能薬では治らんからな。もう、今日は無理せず休んでいろ」
オンハルトのじいさんに真顔でそう言われてしまい、この後もう一戦する気だった俺は小さく頷いた。
確かに、まだ心臓の鼓動はいつもよりも早いし、微かだけど、まだ手が震えているのが自分でも分かった。情けないけど、無理は禁物だろう。
「そうだな、情けないけどそうさせてもらうよ。ちょっと本気で怖かった。貧血は寝れば治ると思うから、気にしないでくれ」
出来るだけ平気そうに言ったつもりだったけど、神様達はきっと、俺の強がりなんか全部お見通しなんだろう。
笑って背中を軽く叩かれて、俯いた俺はもう一度謝った。
「ジェムも集め終わったしとにかく移動しよう。ここではテントも張れないからな。大丈夫か? 歩けるか? 無理ならおぶってやるぞ」
真顔のギイにそう言われて、慌てて俺は立ち上がった。
まだちょっと足は震えてるけど、これはもう生理的なものだから仕方がない。何度か屈伸してみて、痛みも貧血も落ち着いている事を確認した。
「まだ心臓はドキドキ言ってるけど、まあなんとか大丈夫だよ。自分で歩けるって」
「なんなら私が運んであげるわよ」
笑顔のグレイにそう言われて、また心臓が早くなる。ああ、駄目だ。またしても不整脈、不整脈……。
取り敢えず、出発前に、全回復出来る美味い水を飲んでおく。チョコレートをふた粒まとめて口に放り込んでから出発した。
いざ歩いてみると驚く程いつも通りで、貧血も痛みも無く歩く事が出来た。
狭い通路を歩きながら何度も皆から大丈夫かと聞かれて、その度に、俺は笑って軽く飛び跳ねて見せたのだった。
「あ、この先に出来たばかりのグリーンスポットがあるよ。この地下迷宮は、下層階へ行っても、幾つかグリーンスポットがあるから安心してね」
得意気なシャムエル様の言葉に、俺は頷きつつ前回の大騒ぎを思い出して遠い目になったよ。
うん、大丈夫だ。今回はもうひと張り予備のテントも持って来ている。
思わず、自分に言い聞かせる。
「今のところ、そう言えば他の恐竜を見ないけど、ここにはどんなのがいるんだ?」
「色々いるよ。だけどまあ、今回は地下迷宮のマッピングを完成させるのが一番の目的だから、何がいるかは確認してもらった方が良いけど、あまり無理して戦う必要は無い……よね?」
最後はハスフェル達を見ながらそう言ったシャムエル様の言葉に、先頭を歩いていたハスフェルが振り返って苦笑いして頷いた。
「まあ、ジェムの在庫もかなりあるからな。もしも何か新しい恐竜がいれば、少しくらいなら戦っても良いかもな。まあその程度だ」
「準備運動で怪我して、申し訳有りませんねえ」
俺の言葉に、皆が笑った。笑ってくれた。
しかし、考えたら情けなさに消えてしまいたい。
せっかくアクアが警告してくれたのに、周囲への警戒を怠り、思い込みだけで目の前の獲物に集中しちまったんだもんな。今回の怪我はある意味自業自得。俺が下手打った為だよ。
まあ、怪我したのが自分で良かったと思っておこう。
自分のミスで、誰かが怪我するなんて、それも絶対駄目だからな。うん、気をつけよう。
到着したグリーンスポットは、まだ地面に生える緑の草もまばらで、大きな木は無く、低木の茂みがあちこちに固まっているだけの、緑の量は細やかなものだった。
だけど、綺麗な湧水が二箇所も有り、大人数で野営するだけの広さは充分にあった。時間が経てば、緑が生茂る立派なグリーンスポットになるだろう。
見上げた高い天井には僅かな裂け目があり、そこから星が少しだけ見えている。あそこから光が入るんだな。感心してしばらく星を眺めていた。
「じゃあ、今夜はここで野営だな」
ハスフェルの声に、全員が何と無く少しずつ距離を置いて固まってテントを張る。
俺は少し考えて茂みの横にある、俺の背丈くらいありそうな岩の横にテントを張る事にした。
「あ、でもやっぱりちょっと貧血っぽい……」
下を向いたら軽い目眩を覚えて、その岩に手を付いて深呼吸をする。
「大丈夫か? テントくらい張ってやるから座って休んでいろ」
ハスフェルの声にお礼を言って頷き足元を見ると、今立っている場所は少し水が溜まって濡れている。
横を見ると、岩の端の部分に濡れていない箇所があったのでそこに座ろうと思い、岩に手をついてゆっくりとそこへ向かった。
合体したアクアゴールドが、テント張りをハスフェル達に任せて俺の所へ飛んできてくれて頭の上に収まった。
「じゃあ悪いけど、テントは頼むよ。もう少し休ませて貰うな」
そう言って、その場に座ろうと身体を屈めた瞬間、何故か落下する浮遊感があり、直後に水音と衝撃に息が一瞬止まる。そのまま視界が暗転した。
ハスフェルと誰かの悲鳴が聞こえて慌てて顔を上げた俺は、完全に絶句して硬直した。
俺のすぐ目の前に岩の壁があり、背中側が何故だかびしょ濡れだ。視界が暗い。そして、首筋から背中にかけて水の流れを感じる。
「え? え? え? 何?」
全く、自分の置かれた状況が分からず慌てるが、体が動くし暗いけど見えるから貧血じゃ無いぞこれ。
その瞬間、俺の体は流れてきた水に押されて一気に押し流された。
「どっへーーーーー!」
真っ暗な筒状の水路の中を、間抜けな俺の悲鳴が流されて消える。
そう、地面で唯一濡れていなかったその箇所は、すぐ下にあった水路の天井部分で、俺はうかつにもその天井の薄い部分を踏み抜いて、下にあった水路に落ちてしまったのだ。
「ウォーーターースライダーーかよーーーー!」
叫んだところで、流される体が止まる訳もない。
水路の底、つまり仰向けに流される俺の背中側は完全にツルツルで、全く引っ掛かりが無い。
真っ暗な狭い水路を、俺は何の抵抗も出来ないままに、あっという間に流されて行ったのだった。