それじゃあまたな!
「うう……頭、痛い……」
いつもの様にニニのもふもふの腹毛に埋もれて眠った俺だったが、珍しく起こされる前に目を覚ました。
目を覚ました理由は簡単だ。とにかくもの凄い喉の渇きと酷い頭痛。
「まずった。今日出発だったよな……うう、サクラ……いるか?」
「ご主人、おはよう! ここにいるよ」
ニニの身体に登って来たサクラが、呼びかけに応えて伸び上がっている。
「美味い水の水筒、出してくれるか」
今こそ、あの水の出番だろう。
「これだね。はいどうぞ」
触手が伸びて、取り出した水筒を目の前まで差し出してくれる。
「おう、ありがとうな」
なんとか起き上がって、とにかく水を飲む。
「美味っ! 何これ、めちゃめちゃ甘いぞ。以前よりも甘く感じる……ああ、幸せ……」
陶然としながらそう呟き、もう一度水筒から水を飲む。
気が付けば、喉の渇きも酷い頭痛も綺麗さっぱり無くなっていた。
「おお、凄えな、美味い水の効果」
栓をしてサクラに返す。
「おはよう。二日酔いにそれを飲むなんて、なんて贅沢だろうね」
からかうような声に振り返ると、ニニの腹の毛に埋もれたシャムエル様が笑って俺を見ていた。
「いやあ、疲労回復の効果がある水なら、二日酔いにも効くかと思ってね」
誤魔化すように笑ってそう言うと、立ち上がろうとニニにもたれていた体を起こした。
「まあ、延命水の効果は色々とあるから、二日酔い程度ならすぐに治るよ」
ん? 今なんつった?
「延命水?」
振り返ると、もふもふ尻尾の毛を身繕いしていたシャムエル様が当然のように顔を上げた。
「そうだよ。その水は、元は神々が人の身体を作る際に使ういわば材料の一つでね。それぞれを整えて正しき場所に収める効果があるんだ。だから、ケンの場合は私が一番良く整えた状態になる訳」
尻尾を抱えたままドヤ顔でそんな事を言われても、俺にどうしろと?
まさか、神様が飲む水だったとは!
無言で慌てる俺だったが、ふと我に返る。
「あ、そうか。俺、神様軍団に毎食毎食飯を振舞ってんだから、水ぐらい頂いてもバチは当たらないよな?」
とりあえず、そう思って自分で自分を納得させておく。
うん、延命水って名前の意味は考えない事にしよう。でも、寿命が延びてたらちょっと嬉しいかも。
顔を洗ってサクラに綺麗にしてもらった俺は、のんびりと身支度を整えて、ベリー達には果物を、それから肉食チームに、グラスランドチキンの胸肉を切り分けて出してやった。
マックスとニニにも、大きなのをひと塊り取り出してやる。
『おはよう、もう起きてるか?』
その時、念話でハスフェルの声が聞こえて、マックスを撫でていた俺は顔を上げた。
『ああ、おはよう。もう起きてるよ。今、従魔達に肉を出してやったところ』
『どうする? もう朝飯に行くか?』
確か、少し前に8回鐘が鳴っていたから今は8時半ぐらいか。
『じゃあ、そろそろ行くか。最後に、ギルドに顔を出してから港へ行けば丁度いい時間になるんじゃね?』
『だな、じゃあ行くとしようか』
そう言って気配が途切れる。
あっと言う間に平らげられて、すっかり綺麗になった従魔達用のお皿を綺麗にしてサクラに預ける。
「じゃあ、行くか。もうこの部屋には戻らないから、忘れ物は無いようにしないとな」
一応一通り見て回り、忘れ物がないのを確認してから全員揃って廊下へ出た。
そのまま揃っていつもの広場へ向かい、それぞれ好きに屋台で朝食を買い込む。
俺は、シャムエル様お気に入りのタマゴサンドと、薫製肉と野菜のサンドイッチを買って、マイカップにコーヒーをたっぷり入れてもらった。
広場の端に寄って食べていると、あちこちから手を振られる。
「色々あったけど良い街だったよな。また来よう」
小さく呟くと、シャムエル様も、差し出したタマゴサンドを食べながら嬉しそうに頷いていた。
別に構わないけど、鼻の先に玉子が付いてるぞ。
手を伸ばして玉子の塊を取ってやり、真ん中の分厚い玉子の入ったところをナイフで切り取ってシャムエル様にもたせてやる。残りはまとめて口に放り込み、もう一つの野菜サンドの包みを開いた。
コーヒーの入ったマイカップは、マックスの足の上に乗ったアクアに持ってもらってる。
少し平たくなってくれているサクラやアクアの上は、今みたいにちょっと持っているものを置くのに重宝している。
移動式アーンド絶対物が落ちない、高性能の即席テーブルだよ。
「いつもありがとうな」
アクアの紋章のところを撫でてやり、残りのサンドイッチを平らげた。
残りのコーヒーを飲みながら、ゆっくりとギルドへ向かう。
「ああ、ちょっと待ってくれるかい。アルバンから紹介状を預かっているから渡すよ」
カウンターの奥で話をしていたエルさん振り返って手を振ってそう言っている。
おお、昨日言ってた紹介状だな。本当に用意してくれたんだ。あれだけ飲んでいたのに、アルバンさん仕事早っ!
ってか、エルさんも樹海の酒を飲んだ翌日に平然と仕事してるよ。底無し、怖っ!
感心していると、封筒を持ったエルさんがカウンターから出て来た。
「ケンは、王都へ行く予定は無いのかい?」
突然そんな事を聞かれて、ちょっと考える。
「まあ、いつかは行くつもりですけど、とりあえず、すぐには行けそうに無いですね」
「確かにこの後の予定は、アポンからターポートへ行って、最終的にバイゼンだって言っていたね」
苦笑いして頷く俺に、エルさんは持っていた封筒を差し出した。
「こっちが、アルバンから預かった紹介状だよ。バイゼンへ行って必要なら使ってくれってさ」
「ええ、そう聞いています。ありがとうございます」
お礼を言ってその封筒を受け取る。
「それから、こっちは私が書いた紹介状だよ」
目を瞬く俺に、エルさんはにっこりと笑った。
「こう見えて、一応全冒険者ギルドを束ねる総本部の副部長をやってるんだ。まあ、別に偉いとかそんなんじゃ無いけどね。それで、その総本部があるのが王都の冒険者ギルドなんだよ。いつか是非とも王都の冒険者ギルドへも行って登録しておくれ。その際に、これを見せれば色々と便宜を図ってくれるからね」
「へえ、そうなんですか。まあ、ちょっと先になるとは思いますが、行く事があれば使わせていただきます」
せっかくのご厚意だからね。喜んで頂いておく。
「それじゃあ名残惜しいけど、ここでお別れだね。ますますの活躍を期待するよ。きっとすぐに君達の噂が聞けるだろうから、楽しみにしておくよ」
「いやあ、あんまり目立つのは本意じゃ無いんで、出来れば大人しくのんびりしたいんですよ」
苦笑いする俺の言葉に、エルさんは目を瞬かせた後、いきなり笑い出した。
「その従魔達を連れている時点で、永遠に叶えられない願いだと思うけどね。まあ、願うだけなら誰でも出来るよ」
「あはは、それはもう諦めてます。もっとテイマーが増えてくれれば、俺達が目立たなくなると思っているんですけど」
すると、エルさんは嬉しそうに大きく頷いた。
「その意見には大いに同意するね。行く先で、もしもクーヘンみたいにテイマー希望の人がいれば、弟子入りとまでは言わないから、是非短期間でも構わないから、少しでも指導して頂けるようにギルドマスターとしては願うよ」
「あはは、こればっかりは、ご縁のものだからなんとも言えませんけどね。まあ心に留めておきます」
受け取った二通の封筒を一旦鞄に放り込んでから背負い直す。
「それじゃあもう行きますね。色々とお世話になりました。ありがとうございます」
「ああ、体には気をつけてな。いつでも大歓迎だよ、また気が向けば、早駆け祭りに参加してくれたまえ」
あの騒ぎを思い出して遠い目になる俺を見て、エルさんは堪える間も無く大笑いしていた。
笑いを納めて右手を差し出されたので、握り返した俺は例の台詞を口にした。
「絆の共にあらん事を」
目を瞬いたエルさんは、満面の笑みで大きく頷いた。
「良い言葉だね。絆の共にあらん事を」
笑顔で頷き合い、手を離した俺は、その場にいた冒険者たちからの大歓声に見送られて、ギルドを後に港へ向かったのだった。
予想通り、港で俺達を迎えてくれた船舶ギルドの職員さんは、俺とハスフェルが持っているチケットを見るなり、またしても別の入り口へ連れて行ってくれた。そのまま予定していた船に乗せられ、やっぱりどう見ても一等船室に案内されたよ。
しかも、一般船室の乗船券しか買っていない、ギイを始めとした神様軍団全員と一緒にね。あ、もちろん、前回と同じく従魔達はデッキに作られた専用の厩舎に案内されていたよ。
「あ、あれってクーヘンだ。見送りに来てくれたんだな」
間も無く出発の時間になったので、俺達もデッキへ出て港の景色を楽しんでいたら、ハスフェルが俺の肩を叩いて埠頭の先を指差した。
そこには、従魔達を全員連れたクーヘンが立っていたのだ。
恐らく従魔達が教えたんだろう。彼は真っ直ぐに俺達を見ていた。
「本当にありがとうございました! どうかお元気で! いつでも遊びに来てください! お待ちしています!」
両手を振って叫ぶ彼の声が、俺たちの耳に届く。
鑑識眼と同じで、どうやら耳も聞きたい言葉を拾えるみたいだ。
俺達も笑って大きく手を振った。
「クーヘンこそ頑張れよ! それじゃあまたな!」
大きな声で叫び、身を乗り出すようにして両手を振った。
多分、声が聞こえたんだろう。驚いたクーヘンが一瞬手を下ろしたが、満面の笑みになってもう一度両手を振った。
その時、大きく汽笛が鳴り響き、大きな銅鑼の音がしてゆっくりと船の外輪が回り始めた。岸からの見送りの人達も、一斉に手を振る。
ゆっくりと遠ざかるクーヘンと従魔達の姿を、俺達は色んな思いを込めて黙っていつまでも見つめていたのだった。
港が遠くなり、俺達も顔を見合わせて笑いあった。
「さてと、まあ、夕方までだからあっという間さ。のんびり昼寝でもする事にするよ」
束でもらったレストランチケットが大量にあるので、昼食の心配をしなくて良い。なので、俺は午前中は皆と一緒に部屋でカードで遊んで過ごし、午後からはのんびりと、デッキに置かれたソファーで昼寝を楽しませてもらった。
そして夕方、夏の遅い夕日が沈み始める頃、見覚えのある東アポンの街に到着した。