開店前の大騒動
ぺしぺしぺし……。
ふみふみふみ……。
カリカリカリ……。
「うん、今日は起きるぞ……」
そう言ってなんとか目を開いた俺は、大きな欠伸をしながら腹筋だけで起き上がった。
何しろ今日は、クーヘンの店の開店初日だ。
俺達に何か出来る訳ではないけど、やっぱり気になるもんな。
昨夜の話で、場合によっては裏方の荷物運びくらいなら手伝えるかもしれないから、開店前から行くだけ行ってみようって事になったんだ。
「ああ、ご主人起きちゃった」
「本当だ。せっかく起こしてあげようと思ってたのにー!」
ソレイユとフォールに文句を言われて、笑って二匹をおにぎりの刑にしてやった。
喉を鳴らす二匹を置いて、なんとか立ち上がる。
マックスとニニを順番に抱きしめてやり、他の従魔達も順番に撫でてやる。
よしよし、今日も皆元気だな。
もうクーヘンはこっちの宿泊所は引き払って、店舗兼自宅に暮らしている。
家具が届いただけだった俺達の為の客間も、すっかり綺麗になって、もういつでも泊まれますよと言われたよ。お兄さん家族、有能すぎ。
昨日のうちに、差し入れ用の昼食も用意したぞ。
豪華、グラスランドブラウンボアで作ったトンカツならぬボアカツサンドだ。野生肉って、そのまま焼くとちょっと硬かったんだけど、カツにすると肉の味が濃厚でめっちゃ美味い事が分かったので、グラスランドブラウンボアは、主に油で揚げて使う事にしたんだよ。
あ、次は、猪肉で味噌鍋にチャレンジする予定だ。
いつものように、顔を洗って身支度を整えると、起きてきた神様軍団や従魔達と一緒に、いつもの広場の屋台へ朝食を食べに向かう。
最初のうちこそ、この顔面偏差値の無駄に高い彼らを一緒にしておく事に抵抗を感じたんだけど、今ではもう街の人達も彼らを見てもに殆ど反応しなくなってる。
ううん、慣れって怖い。
それぞれ好きなものを買い込み、広場の端に集まってのんびり食べていた時、不意に近くで話す声が聞こえて、食べていた手が止まった。
「なあ、あの店、今日が開店初日らしいぞ。後で見に行ってみようぜ」
「装飾品とジェムって、品揃えからして完全に女性向けの店だろうが。俺達が行っても、それなら見る物なんて無いって。ジェムなら自分で集められるし、装飾品なんか買っても誰にあげるってんだよ」
若い冒険者の男性二人の会話だが、明らかに片方は店に興味津々で、もう片方はとりあえず否定から入る人みたいだ。
「いや。それがすっげえジェムがあるらしいって」
「そんなの噂だろう? 肉食恐竜のジェムや、ティラノサウルスのジェムなんかがそう簡単に手に入る訳ないじゃ無いか。第一、それがティラノサウルスのジェムだって誰がわかるんだよ。ただデカいジェムを持って来て、そんな事言ってるだけじゃねえのか?」
「だけどあの店主は、早駆け祭りでイグアノドンに乗っていたぞ」
「あれは金銀コンビがテイムしたんだろうさ。クライン族なんかに、恐竜がテイム出来るわけ無いじゃないか」
「お前なあ、その何でもかんでも否定する癖やめろよな。じゃ良いよ。俺だけ見に行ってくるから」
「あ、おい待てって」
声が遠ざかるのを聞き、なんとなくハスフェルと顔を見合わせる。
「まあ、話題になるって事は注目されてるって事だよ。あんなのはどこにでもいる。気にするだけ無駄だよ」
平然と串焼きを齧りながらそんな事を言うハスフェルの言葉に、納得は出来なかったけれど、俺は頷いた。
まあ、確かに街中の話題にはなっているみたいだ。あの二人組だけじゃなく、あちこちからイグアノドンに乗っていたクライン族の彼が店を開けるらしい。クライン族が作る装飾品って、どんなふうなんだろうな。と、男性も女性も関係無く噂している。
だけど、よく聞いていると、女性は装飾品ってどんなのがあるのか気にしていたが、男性陣はほぼ全員がどんなジェムがあるのかを気にしていたのは面白かったね。
腹拵えが済んだ俺達は、そのままクーヘンの店へ向かった。
「……なにこれ? 一体何事?」
思わず呟いた俺は悪くないよな?
何しろ、クーヘンの店の前には、まだ開店前にも関わらず、長蛇の列が出来ていたのだ。
「ええ? これって全部、もしかしてクーヘンの店のお客さん?」
人混みの先には、人を誘導して奥の広場側に綺麗に並んでもらっているマーサさんが見えた。
「うわあ、最後尾の看板が出てるぞ」
冗談半分で、少し前にクーヘンに会って飲んだ時に、もしも店に長蛇の列が出来たら、最後尾はこちらって書いた看板を一番後ろの人にお願いして持たせておくんだぞ。って、俺が言ったんだよ。
慌てて横の通路から裏へ回り、従魔達にはひとまず厩舎で待っていてもらった。神様軍団は、ハスフェルとギイ以外は少し離れたところで待ってくれている。
「おい、なんだか大変な事になってるな。大丈夫か?」
裏庭側の扉をノックすると、半泣きになったヘイル君が扉を開けてくれた。
「ああ、おはようございます。ケンさん。もう大変なんです。夜明け前から人が並び始めて、あっという間に広場まで続いてしまいました。今のところ、大人しく並んで下さっていますが、あんなに一度には店には入れません。どうしたら良いでしょうか?」
本当なら、もう少しゆっくりしてから開ける予定だったが、これ以上待たせたらもっと人が増えて収集がつかなくなりそうだ。
「人数制限をして入って見てもらい、時間を決めて入れ替え制にするしかないだろう。手伝うからとにかく店を開けよう」
「人数制限? 時間制限? え?」
完全にパニックになっている様子の彼の背中を叩き、とにかく俺達三人は中へ入った。
やってやろうじゃねえの、元営業マンの対応力舐めんなよ。
「クーヘン。ちょっと予定を変えるぞ」
店に入って見たが、クーヘンはなにをしたら良いのか分かっていないようで、ジェムの在庫を持ってウロウロしているだけだし、ルーカスさんも似たようなものだ。
「ああ、ケン、おはようございます。どうしましょう。ものすごい人出で……」
「おはよう、とにかく説明するから、皆よく聞いてくれ」
大きく手を叩いて、店にいる全員の注目を集める。
「時間前倒しで、とにかく店を開けるぞ。ただし、あれだけの人に一斉に入られたら店が潰れちまう。だから一度に入れる人数は二十人程度だ。ハスフェルとギイ、悪いけど店の入り口で人を数えて止めてくれるか。団体で来ている時は、人数を超えて入れてもらっても構わないけど、三十人を超えないようにな」
一番トラブルが多いであろう入り口にマッチョ二人を配置する。彼らが立っているだけで、間違いなくトラブルは減る。それに、彼らがお願いすれば、恐らく殆どの人が聞いてくれるだろう。
呆然と見ていたハスフェルとギイは、ニンマリと笑って頷いた。
「了解だ。任せろ」
俺が言いたい事を、今の説明だけで正確に理解してくれたみたいだ。
店の広場側に少し小さな扉が作られていて、こっちは普段は閉じている。休日に荷物の出し入れをする為の搬入用の扉なのだが、これを開ける事にした。こっちは出口専門だ。
『おおい、手伝って欲しいから悪いけど裏から回って店に来てくれるか』
念話で外にいる神様軍団を呼び出し、ネルケさんと娘のスノーさんには、危なくないように、カウンターの中でジェムの注文を聞いてもらう位置について貰った。
「来たわよ。私達は何を手伝えば良いの?」
シルヴァの声に振り返った俺は、ちょっと考える。
美女二人には何処に……うん、地下の倉庫へ入ってもらおう。彼女達が人目につく所に出ると、さらに騒ぎが大きくなりそうだ。売れて品切れになりそうなジェムを持って来てもらう役だ。
オンハルトの爺さんには、出口前で待機してもらい、帰る人の誘導と勝手に外から入られないようにしてもらう。
計算に強いのはエリゴールだと言うので、クーヘンと二人で一番大事な会計を担当してもらう。
レオと俺は、カウンターの後ろで二人が聞いた注文品を棚から取り出す役だ。多分これが一番忙しい。
幸い俺達は念話が出来るから、足りないジェムが出るとすぐに頼んで持って来てもらえる。
運ぶのは……シルヴァとグレイに頑張ってもらおう。いや、いるじゃないか。役に立つ奴らが!
慌てて外に走った俺は、厩舎からスライム軍団を全員連れて来た。
これで、こいつらに倉庫と店の間のジェム運びは任せられる。女性二人に階段を往復させるのは申し訳ないもんな。
「なあ、シャムエル様。10分の砂時計ってまだあるか?」
「あるよ、いくついるの?」
この世界には時計が無い。なので、ある程度入って見てもらう時間も計って制限する必要がある。
「二つ貸してくれるか」
「良いよ、はいどうぞ」
見覚えのある大きな砂時計が取り出される。
ハスフェルとギイに渡して、15分から20分程度で時間を計ってもらう事にした。
それくらいあれば入れ替えても文句は言われないだろう。
「後は……外で待っている人が、退屈しないように……」
ただ並んで待っているだけだと、絶対不機嫌になって喧嘩を始める人が出る。それは絶対にまずい。
考えた俺は、一つ方法を思いついた。
「なあ、店の横の通路に、チョコに出て貰っても良いか? 柵の中なら、勝手に触られたりしないだろう」
「ああ、それは良い考えですね。広場側からぐるっと回って並んでもらっていますから、前を通る間だけでも、チョコを見てもらえますね」
頷いた俺とクーヘンは、大急ぎで外へ出て厩舎からチョコを連れ出した。
「悪いけど、ここで皆に姿を見せてやってくれるか。柵にあまり近づくと、外から手を出されたりするかもしれないから、立つのはこれくらいの位置でいい。時々大きく動いたりして、待ってる人達が退屈しないように相手をしてやって欲しいんだよ」
「分かりました。じゃあこんな感じですね」
嬉しそうにそう言ったチョコは、大きく伸びをして吠えるような声を上げた。
手前の道路に並んでいた人達が、一斉にこっちを向いた。
「うわあ、あれって早駆け祭りで走ってた恐竜だよね」
「ええ、あんなに近くで見られるんだ」
「凄い凄い! デカいなあ」
歓声が聞こえて、俺は笑って手を振った。
拍手と歓声が上がって、気が遠くなったのは気の所為だって事にしておく。
大急ぎで、マーサさんのところへ行って、早く店を開ける事や二十人程度ずつの入場制限をする事を話した。
「それはいい考えだね。分かった。任せるからお願いするよ。私は外で人の誘導をするからね」
「お願いします。時々交代しますので、無理はしないでくださいね」
そう言って店に戻ったが、正直言って交代要員がゼロのこの状況に、頭の中では途方に暮れていた。
昼休憩くらいは、せめて取らせてやらないといけないけど、どうしたらいいんだろう。
とりあえず、今は店を開けるのが先だ。
裏から店に戻って、各自の配置と担当をもう一度確認する。
ルーカスさんとヘイル君には、彼らの作った細工物の棚の前で商品説明や箱詰めをお願いした。装飾品の詳しい説明は俺達には無理だもんな。
全員が配置についた事を確認して、俺とクーヘンは店の半分だけ板を外した扉を開けて、ゆっくりと外に出た。
「大変お待たせいたしました。ただいまより『絆と光』開店させて頂きます」
大声で言ったクーヘンの言葉に、店の前に並んでいた人達から拍手が起こる。
「思った以上に大勢の方にお越し頂き感激致しております。ただ、ご覧の通り小さな店でございます。大変申し訳ございませんが、入る際に人数の制限と時間の制限を設けさせていただきます。本日お越しの皆様には本当に申し訳ございませんが、一人でも多くの方に見ていただけますよう、どうかご協力をお願い致します」
俺は隣に並んで、大きな声でそう言って深々と頭を下げた。
それを聞いてザワザワと囁き合う声が聞こえたが、ほとんどが感心する呟きだった事に心底安堵したね。
扉の前に立てていた、最後の板を取り外し、中にいたハスフェルとギイに合図を送る。
彼らがゆっくりと店の入り口の扉を全開まで開く。
先頭にいた団体がゆっくりと店の中に入るのを見て、俺とクーヘンは慌てて裏から入りカウンターの中に駆け込んだ。
さあ、いよいよオープンだぞ!