薬草三昧と鶏狩り
「行っちまったよ。ニニが身軽なのは分かるけど、マックスも凄えな」
あっという間に目の前の急な坂を登って行ってしまったマックスを見送り、俺は呆れたようにため息を吐いた。
それから、シャムエル様に渡された大きなお椀を抱えて、また、貴重なのだと聞いた薬草摘みに精を出した。
「なあ、ニニ。さっきマックスと一緒にアレが食べたいって話していたけど、何なんだよ、アレって?」
丸くなって座っているニニに話しかける。
「この辺りは、ハイランドチキンの生息地なんです。アレは美味しいんですよ」
「ハイランドチキン、ええと、訳すと高原鶏?」
「まあそんな意味だね。要は高地に住んでる鶏の一種なんだけど、羽毛は最高級品として取引されてるし、肉も絶品だって言われてるよ。ケンも食べたいなら、捕まえてきて貰えば?」
それを聞いてちょっと考えた。
絶品の鶏肉かあ。正直言ってかなり興味はあるけど、狩ったまま持って来られても、俺は鳥なんて捌けません!
「魅力的な話だけど、鶏を丸ごと持って帰られても俺には捌けないよ」
苦笑いしながら首を振ってそう言うと、シャムエル様は呆れたように俺を見た。
「なんの為に、スライムに収納の能力を授けたと思ってるんだよ。ギルドへ持ち込んで捌いてもらえば良いじゃない」
「へえ、そんなのも出来るんだ?」
思わず振り返った。
「ハイランドチキンを持ち込んだら、確実に狂喜乱舞されるよ。羽も少量でも買い取ってくれると思うよ」
ううん、ちょっと食ってみたいかも。
「だけど、その鶏って簡単に捕まるのか? 狩りに行く目的は、マックスとニニの食事なんだから、せっかく捕まえたそれを、俺が横取りするのは駄目だろう?」
「優しいねえ」
感心したように言われて、ちょっと笑っちまった。
「まあ興味はあるから食ってみたい気はするけど、そんな貴重な獲物をギルドに持ち込んだら、どこで捕まえたって絶対聞かれるだろう? 俺に聞かれても、正直困るしね」
「じゃあ、余裕があったら捕まえてくるわ。それなら良いでしょう?」
ニニが顔を上げてそう言ってくれたので、側へ行って手を伸ばして喉の下を撫でてやった。
「そうだな。じゃあ、余裕があれば一匹捕まえてきてくれよ」
「分かった。頑張って捕まえてくるね」
目を細めて気持ち良さそうに喉を鳴らすニニに、俺は思わず抱きついた。
ああ、このもふもふ……堪らん……。
「こら、寝るんじゃありません!」
またしてもシャムエル様に叩かれて、しぶしぶ顔を上げた。
「分かったって。しかし、快適すぎるのも考えもんだな。もう、このもふもふに埋まったら、何か色んな事がどうでも良くなるよ」
思わずそう言ってまた笑った。
「私は、くっついて寝ててくれても全然構わないんだけどなあ」
ニニが嬉しい事を言ってくれる。
「じゃあ、今夜も、潜り込ませてもらうよ」
鼻先にキスをして、俺はまたせっせと薬草摘みに励んだ。
お椀がいっぱいになったら、どんどんサクラに飲み込んでもらう。こう言う単純作業って案外好きなんだよな、俺。
鼻歌交じりに、延々と作業を続けていると、マックスが坂を駆け下りて戻って来た。
「ご主人、ちょっとアクアを連れて行きますね。お土産がありますので」
ドヤ顔でそう言うと、アクアを背中に乗せて、また坂を駆け上がってしまった。
「あれ? もしかしてマックスが捕まえてきてくれたのかも?」
思わずニニと顔を見合わせて笑い合った。
しばらくして、また軽々と坂を駆け下りてくる。
うん、何度も見てたらなんでもない事みたいに思えてきたけど、これは大いなる勘違いだよな。
若干遠い目になる俺の前に、マックスはおすわりをする。
「何なんだ? お土産って」
「これだよ。ほら」
アクアが吐き出したそれをみて、俺は悲鳴をあげてニニに抱きついた。
それは、ダチョウぐらいありそうな巨大な鶏だったのだ。
うん、トサカもあるしあのシルエットは確かに鶏っぽいけど、大きさがおかしいです!尾羽もデカくて長いって!
呆気にとられる俺に、マックスはドヤ顔で胸を張った。
「これの肉は、本当に美味しいんですよ。確か人間も食べられるはずですから、ご主人に食べていただきたくて捕まえてきました。如何ですか?」
「あはは、有難うな。ニニにこれの話を聞いて、余裕があったら捕まえて来てくれって話してたんだよ。しかし……すごい大きさだな」
若干ビビりつつ足元に転がる鶏を見る。うん、俺には絶対捌けないね。
「じゃあ片付けとくね」
アクアが、簡単に鶏を飲み込んじまった。相変わらず物理の法則も、質量保存の法則も無視。
「じゃあ、今度は私の番ね。アクア、一緒に来てくれる?」
その言葉にアクアがポンと跳ねてニニの背中に飛び乗る。
「じゃあ行ってきます」
嬉しそうにそう言うと、ニニもいとも簡単に坂道を駆け上がって行ってしまった。
「ニニも凄いな。まあ、元が猫だから当たり前か」
笑って見送った俺は、振り返って椅子の背に留まったファルコを見た。
「お前も、狩りに行って来てくれて良いぞ」
「そうですか、では行ってきます」
そう言って嬉しそうに翼を広げたファルコは、軽く羽ばたくと飛び立って行った。
「おお、さすがに軽々と飛ぶね。やっぱり俺は、帰りもファルコに乗せてもらおう」
ファルコも見送り、また薬草摘みを再開した。
黙々と薬草摘みをしていてふと気がつくと、太陽はもう頂点を過ぎていた。
「腹が減ったと思ったら、もうこんな時間か。じゃあそろそろ昼飯にしよう」
お椀に山盛りになった薬草オレンジヒカリゴケを眺めて、大きく深呼吸をした。
「もうかなり採ったと思うけど、どう思う?」
「良いんじゃない? これだけあれば、塗り薬を作って置いておいて、いざって時に作り置きした液体を使ったら良いよ」
シャムエル様にそう言われて、俺は思わず振り返った。
「え? 液体のは強力だけど作り置き出来ないんじゃ無いのか?」
「サクラと、念の為アクアにも作って持ってて貰えば良いよ、そうしたらいつでも使えるでしょう?」
「あ、そうか。時間停止か」
納得して頷いた。
スライムの中にあれば時間停止してるから蒸発する心配もないって事だな。それは素晴らしい。じゃあアクアが帰ってきたら、あっちにも薬草を渡しておこう。
別にしておくようにサクラに頼み、俺はまた薬草摘みに励んだ。今度はアクアに渡す分だ。
「あ、そうだ、昼飯にするって言ってたんだった。何やってるんだよ俺」
我に返って小さく吹き出し、サクラにバーガーとコーヒーセットとコンロを出してもらう。
ゆっくりコーヒーを淹れて、屋台で買った分厚い肉を挟んだバーガーを食べた。
手抜きだけど、全然手抜きじゃない。これ、忙しい昼に良いよ。うん、街に戻ったらもっと色々買っておこう。
大満足で食事を終えて、また薬草摘みに戻る。
しばらくすると、ニニが戻って来た。
「お帰り。じゃあ、そろそろ帰らないと、また野宿する羽目になるよ」
シャムエル様にそう言われて、俺は山盛りの薬草の入ったお椀を机の上に置いた。
「それは出来ればやりたくないな。でもファルコがまだ戻ってないぞ」
空を見上げて言うと、離れてもわかるから大丈夫だと言われた。
「いやいや、俺が大丈夫じゃないです! 俺にはこの坂を自力では登れないって!」
「だから乗せて差し上げますよ、ご主人。さあどうぞ」
「あ、机を片付けないと。サクラ、畳むから飲み込んでくれよな」
話を逸らすように、慌てて薬草を飲み込んでもらい、出したままの机と椅子を片付ける。
しかし、片付け終わって振り返ると、伏せの状態で目を輝かせて待っているマックスと目が合った。
俺、このマックスの期待に満ち満ちたキラキラの目に弱いんだよなぁ……。
大きなため息を吐いて、マックスの背中によじ登った。アクアとサクラが伸びて俺の両足をホールドしてくれる。
「おお、しっかり捕まえててくれよな。さすがにここを落ちたら冗談じゃすまないからさ」
「任せて! 大丈夫だから安心してね!」
俺の言葉に、肉球マークがこっちを向いてそう言った。
もう見慣れたけど、よく考えたら結構シュールな光景だよな、これって……。
それからラパンが定位置に飛び乗ったのを確認して、最後にもう一度忘れ物がないか周りを見回す。
「大丈夫だな。じゃあマックス、頼むから静かに行ってくれよな」
しがみつく俺に、マックスは一声吠えると一気に坂を駆け上った。
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
坂道に、情けない俺の悲鳴が延々と木霊していた。
「待って!無理無理無理無理!」
俺の悲鳴に、呆れたようなシャムエル様の声が聞こえた。
「今止まったら、それこそ谷底まで真っ逆さまだよ。諦めて景色を楽しめば?」
「絶対無理ー!」
マックスにしがみついて、本気で叫んだ。
もうやだ。絶対、もうここには来ないぞ。
ようやく上まで登って来た。とはいえ、坂の途中ではある。
「早く行こう。怖くて左側を見られないよ」
本気でびびる俺を、腕に座ったシャムエル様が冷たい目で見る。
「ここに来る時、ずっと爆睡してたのはどこの誰だったかなあ」
「それは俺です、申し訳ございません!」
マックスの背中で素直に頭を下げる。
「では戻りましょう。明るいうちに街へ戻らないとね」
細い道を一気に駆け出すマックスの背中で、俺は生きた心地がしなかった。
ようやく、断崖絶壁を抜け出し、やや段差はあるものの平地らしき場所に出た。
マックスが一気に加速して、車並みのスピードになった。
鳴き声に上を見ると、ファルコが上空を旋回しているのが見えた。
「おかえり!」
見上げて手を振ると、また鳴き声が聞こえた。
皆お腹いっぱいだな。よしよし。
安心した俺は、マックスの毛を掴んでいる両手に力を込めた。
さて、あの鶏の味はどうなんだろう? 本当なら照り焼きが良いんだけど、醤油はさすがに無さそうだから、塩焼きかバター焼きだな。
あの大きさなら、かなりの肉が有りそうだな。なんて、マックスの背の上で、俺は呑気な事を考えていた。