五万倍と百倍
「おや、それは戸棚ですか?」
背後から覗き込むクーヘンの声が聞こえて、俺達三人は揃って振り返った。
「クーヘン、ちょっと来てくれるか」
ハスフェルの言葉に、不思議そうにしつつ近寄って来る。
「ここに両手を当てて開いてくれるか」
ハスフェルが指差しているのは観音開きになっている扉の取っ手部分だ。
「開けば良いんですか?」
言われるままに、両手で持ってゆっくりと開く。
扉の中が丸ごと引き出しになっているのを見て、クーヘンはちょっと驚いたみたいだった。まあ普通はただの戸棚になってると思うよな。
軋む音さえ立てずに、静かに扉が全開まで開く。しかし、ハスフェルは手を伸ばして扉を閉めてしまった。
「もう一度、開けてくれるか」
「はあ、分かりました」
不思議そうにするのも当然だろう。せっかく開いた扉を閉めて、また開けろと言うのだから。
今度もゆっくりと音もなく扉が開く。
「よし、大丈夫だな」
そう呟いたハスフェルとギイは、また扉を閉めてしまった。
それから二人は金庫の左右に立つと、両手で箱を押さえつけるようにして小さく何かを呟いた。
しかし、あまりにも小さかったその声に、俺の耳でも言葉を拾う事は出来なかった。
クーヘンと二人揃って首を傾げて見守っていると、オンハルトの爺さんが満面の笑みで近寄ってきた。ほかの神様達は、少し離れた所で見ているだけで近寄って来ない。
「これは良き品だな。我からも祝福を贈らせてもらうとしよう」
何やら嬉しそうにそう言ったオンハルトの爺さんは、ハスフェル達がやったように、金庫の上に手を当ててこれまた押さえつけるようにして、聞こえない何かを呟いた。
いつのまにか、オンハルトの爺さんの肩にはシュレムが現れて座っている。
「守れ、この良き場所にて」
シュレムの声はちゃんと聞けたところで、オンハルトの爺さんは顔を上げて笑った。
「開店祝いとしては、これ程の品はあるまい。成る程な。これは良い」
満足そうにそう言うと、クーヘンににっこりと笑い掛けて頷いた。
「彼から聞きましたぞ。細工物を売る店にするのだとか。クライン族の作る装飾品。後ほど是非とも見せて頂きたいですが、よろしいですか?」
「もちろんです。どうぞお好きなだけ見てください。何かご意見などございましたら、聞かせて頂きたいです」
満面の笑みでそう言ったクーヘンは、後ろに大人しく控えている神様軍団を振り返る。
神様軍団も、嬉しそうに頷いている。
「じゃあ、後はこっちにこれを置いてと」
ハスフェルが金庫の隣に取り出したのは、横幅が2メートル、奥行きが60センチくらいで、高さは金庫と同じ、30センチ位の深さの引き出しが全部で五段になっているだけの、見たところ普通の引き出しの家具に見えた。
変わった所は特に見当たらず、本体は綺麗な木目で、角や引き出しの取っ手に、和ダンスみたいな細やかな細工が彫られた金属製の細工が施されているくらいだ。
「これはまた綺麗な引き出しですね。ありがとうございます。使わせて頂きます。でも、どちらも地下の倉庫で使うのは、ちょっともったいないような綺麗な家具ですね」
クーヘンの言葉に、ハスフェルとギイは顔を見合わせて満足気に頷き合った。
「クーヘン。これはただの家具じゃないぞ」
「え? どういう事ですか?」
目を瞬くクーヘンに、ハスフェルはあのジェムのリストを取り出して渡した。
リストを受け取ったクーヘンがそれに目を通した瞬間……固まった。
「おおい、クーヘン。起きろー!」
目の前で手を振っても、全く反応無し。
目を見開いたまま、瞬きも身動きもしないってちょっと怖い。
困っていると、シャムエル様が突然クーヘンの肩に現れた。
「起きなさい!」
そう言って、耳のあたりを力一杯叩いた。
「うわっ!」
衝撃に驚いていきなり叫んだクーヘンは、慌てたように周りを見回し、それから物凄い勢いで顔を上げて俺達を見た。
「ちょっと、これは一体なんですか!」
「何って、ここに入ってるジェムのリストだよ。あ、こっちの大きい方の引き出しは空なんだけど、よく出るジェムや、装飾品の在庫を入れるようにすれば良い。どちらも収納力が付与されている。こっちの扉付きの方は五万倍。こっちの大きな引き出しの方は大した事はない。百倍だ」
「五万倍って聞いた後に百倍って聞くと、確かに大した事ないって思うなあ」
思わずそう呟いた俺を、またしてもクーヘンはものすごい勢いで振り返った。
「ケン、比較対象がおかしいです! 百倍でも驚きなのに、五万倍って、五万倍って何ですかそれは。冗談ですよね?」
しかし、ハスフェルはリストを指差してニンマリと笑った。
「いや、何処にも冗談の要素は無いぞ。ちなみに、こっちの一番下の段には、俺達が委託で頼むジェムがそれぞれ小分けして入ってる。どれを売るかは任せるよ」
またしても無言になったクーヘンは、リストを見て神様軍団を見て、ハスフェルとギイを見てから最後に俺を見た。
「もしや、このジェムはあの皆様も一緒に集めてくださったのですか?」
苦笑いしたハスフェルが笑って頷く。
「ちょっと調子に乗りすぎたもんでな。予定よりも色々と増えすぎた。まあ、俺達からの開店祝いだ。気にせず受け取ってくれ」
「ですが、これはさすがに……そうですか。ありがとうございますと言って、貰っていい数ではありませんよ」
困ったようなクーヘンの言葉に、心配そうなマーサさんが近寄って来て、クーヘンの持つリストを覗き込んで、こちらも絶句したまま固まっている。
「なら、こうしよう。委託品に関しては、約束通りの配分でまとめてケンに支払ってくれ。贈ったジェムについては、店が落ち着いて儲けが出るようになれば、余裕分を街にある保護施設や療養所などの、各ギルドが行なっている慈善事業の資金の一部にしてくれ。どうだ?それなら良かろう」
ギイの提案に、マーサさんが目を輝かせた。
「それは、それは有り難いですが……本当によろしいのですか? 王都で売れば、とんでもない金額になりますよ」
「どうぞお好きに。これはクーヘンの為に集めたジェムだからな」
ハスフェルの言葉に、後ろの神様軍団が手を叩いて大笑いしていている。
「だからお前らは、ちょっと辞書で自重って言葉の意味を調べて来いって」
まだ残っている大量のジェムの種類と数を思い出して笑いながら叫んだ俺の言葉に、その場にいた全員が大爆笑になった。
「確かに我らの辞書に自重って言葉は載ってなさそうだな」
「程々とか、適量って言葉も無さそうだよな」
腕を組んで、如何にもその通りだ、と言わんばかりに頷いたレオとエリゴールの言葉に、俺はもう、笑い過ぎて膝から崩れ落ちたよ。