薬を採るのは命がけ……
ぺしぺしぺし……。
うう、疲れてるんだよ。頼むからもうちょっと寝させて……。
ぺしぺしぺしぺし……。
だから、もうちょっと……あれ?
不意に目を開けた俺は、いつもと違うマックスのむくむくの毛並みを目の前に思わず考えた。
あれ? いつの間にマックスと寝てたんだ?
えっと……。
状況が全く理解出来なくて固まる俺の目の前で、呆れ顔のシャムエル様が、これ見よがしの大きなため息を吐いた。
「この状況で熟睡出来るって、ケンってある意味大物だよね。だけど、幾ら何でもここから先は危険だから、起きなさいって!」
……思い出した。
岩みたいなモンスターを叩きまくって、手が血塗れになったんだった。それでシャムエル様が薬を取りに行くとか言って移動したんだ。
「あはは、もしかしてマックスの上で寝てたのか。俺」
「もしかしなくてもそうだよ。急に静かになるから、死んだかと思って本気で心配した私の気持ちを返して!」
おお、心配かけてすみませんね。ってか、何故にそこでドヤ顔。
「ごめんごめん。だけど本当に疲れてたんだって」
苦笑いして、止まっているマックスの背中から起き上がって周りを見渡した。
そして絶句した。
「ええと……いつの間に別世界へ来たんでしょうか?」
思わずそう言った俺は間違っていないと思う。
マックスが止まっている場所は、急峻な坂に作られた細い道の途中で、辛うじて足場は確保されているが、すぐ左横を向けば、そのまま下へと果てし無く続く、全く谷底が見えない程の断崖絶壁だったのだ。
「待って……こんなところへ来るまで、俺、マックスの背中でグースカ寝てたのかよ」
顔を覆って叫んだ俺は間違ってないと思う。ってか、頼むからここに来るまでに起こしてください!
「何度も声をかけたのに、全く起きなかった奴が言う台詞かなあ?」
「うう、すみません。ちょっと本当に怖いんだけど、降りた方が良い?」
本気で怖がる俺に、シャムエル様は鼻で笑った。
「だから早く降りてって。今からここで薬草の採取をするんだから」
「今からここで? ええと、その薬草って……何処にあるの? 道には、何もそれらしきものは見当たらないんですが……?」
しかし、シャムエル様はニンマリと笑った。
「有るよ。あそこにね」
そのちっこい指が差しているのは……まさかの左の谷底側だ。
「無理無理無理無理! 絶対無理です!」
本気で叫ぶと、またしても冷たい目で見られたよ。うう、泣いてやる……。
「完全にファルコの存在を忘れてるね。何の為の従魔?」
「あ……」
俺の左肩に留まるファルコを見る。
「確かに、そりゃあファルコなら何処へでも飛んで行けるだろうけど、じゃあファルコに取りに行ってもらうのか?」
それならなんとかなりそうだと安心して頼もうとしたら、爆弾発言いただきました!
「何言ってるの。ファルコに乗せてもらって、君が行くんだよ」
気絶しなかった俺を、誰か褒めて……。
マックスとニニ達は、道の先で大人しく座って待機している。で、目の前でマックスよりもデカくなったファルコを見て、俺はもう何度目か数える気もないため息を吐いた。
「本当に行くの? 俺が?」
「そうだよ、この谷底に生えてるオレンジヒカリゴケが、人の怪我や病気にはすごく効く万能薬になるんだよ。滅多に手に入らない貴重なものなんだから、頑張って取れるだけ取ってきてね」
「あ! アクアとサクラに行かせるってのは駄目?」
すごく良い思いつきだと思ったんだけど、シャムエル様は目の前で短い手でバツマークを作って見せた。
「残念ながら、スライムだけだとオレンジヒカリゴケを取れないの。手で取るしか方法が無いからね」
「何で? スライムって何でも食うんだろ? 苔ぐらい簡単にまとめて確保してくれそうなのに」
「もちろん、荷物持ち役でスライム達も君に同行させるけど、苔を取るのは手のある君にやってもらわないと駄目。材料さえあれば、スライム達に命じて作らせるからさ」
「つまり……何があっても、俺がこの谷底まで行かなきゃ駄目なわけだな」
「そう、じゃあ行こうか」
当たり前のように言われて、もう諦めた。こうなったら、暗くなる前に早く終わらせよう。さすがにここで夜明かしはしたくないよね。
するとファルコはいつもマックスがしているみたいに、俺が登りやすいように伏せてくれた。どの子も良い子だなあ。
ちょっと感動して、とにかくファルコの背中に登った。
「それでは、翼の上あたりに跨ってください。アクアとサクラは、ご主人が落ちないようにしっかり押さえててください」
言われた通りにふわふわの羽の上から、翼の付け根あたりに跨って座った。おお、これまたふわふわだぞ。
喜んでる俺をみて、ファルコはゆっくりと起き上がって翼を広げた。
何か嫌な予感が……。
アクアとサクラが、ビヨンと伸びて俺の両足に絡みついた。
「おお、成る程。足ごと下半身をホールドかよ」
感心したのも束の間、次の瞬間俺は口から心臓が飛び出しそうになった。
翼を広げたファルコが、左側にひらりと飛び出したんだもん!
「ヒェ〜〜〜〜〜〜!」
俺の情けない悲鳴を残して、ファルコは谷底へ向かって落ちるようにして飛んで行った。
すごい風が勢いよく俺の頬を叩く。
あまりの恐怖に目を開いていられなくて、必死になって目を閉じてファルコにしがみついた。
だけど、ふわふわの羽根は、掴んでも掴んでもスルスルと握力の弱った俺の手から逃げて行く。
スライム達を仲間にしておいて、本当に良かったと心底思った。彼らがホールドしてくれてなかったら、文字通り俺は谷底まで真っ逆さまだったね。
「ほら、いつまでしがみついてるの、到着したから降りなさいって」
またしても頬を叩かれて、俺はゆっくりと顔を上げた。
ほとんど日の差さない薄暗い谷底にファルコが降り立っている。そして何故だかマックスとニニもここにいるのだ。
「お前らもしかして……この断崖絶壁を駆け下りて来たのか?」
驚いてそう言うと、マックスとニニは当たり前のように頷いた。
「我らには、造作もない事です。何なら帰りはご主人を乗せて駆け上りましょうか?」
「謹んでお断りさせて頂きます……」
気が遠くなったけど、俺は悪くないと思う。
気を取り直して周りを見て、俺は歓声を上げた。
「何だこれ。これがそのオレンジヒカリゴケなのか?」
そそり立つ断崖に、へばりつくようにして不思議な植物が育っていた。
「苔っていうから、杉苔みたいなのを想像してたんだけど……うん、これはあれだ。色は違うけど芝生だな」
そう、目の前に広がる伸び放題のそれは、名前通りの薄い緑色とオレンジの入り混じった植物で、硬くてツンツンとした形状は、公園や庭で見慣れた芝そのものだったのだ。
近寄って掴んで引きちぎってみる。案外簡単に毟る事が出来た。
「あ、取った葉はここにでも入れてね」
またしても、何処からともなく大きなお椀のようなものを取り出して渡してくれた。
「だけど、スライムが取れないって、どうしてだ?」
別にそれほど硬いわけでもないこの草を、スライムが取れない理由が思いつかない。
「スライム達に取らせると、丸ごと飲み込んでから千切るから、どうしても根を痛めちゃうんだよね。そうすると、次が生えてくるまで何年もかかるんだよ。だけど、葉を毟るだけなら、またすぐに新しいのが生えてくるんだ」
「つまり、葉っぱだけを取れって事だな」
「そう、分かった?」
「よく分かりました。じゃあ手のある俺が頑張るよ」
仕方がないので、しばらく無言でひたすら目の前に広がる草を毟り続けた。
「かなり取れたけど、まだいるか?」
振り返ると、地面にいたシャムエル様が、ここに置けと言わんばかりに隣の地面を叩く。
「はいはい、ここに置けば良いんだな」
お椀ごとそこに置くと、サクラが近寄って来た。
「順番に授けるからね」
シャムエル様がそう言ってサクラの額、丁度紋章の部分に手を伸ばして置いた。
「調合と精製の能力を付与する。主人に尽くせ」
またしても神様っぽくそう言って手を離した。
「はーい! 作るね!」
サクラは嬉しそうにそう言うと、お椀ごとペロッと飲み込んじまった。
そして、空になったお椀を吐き出す。
「ん! ん! んー!」
何やら、頑張っているようなうめき声と共に、いきなりぴょんと飛び上がった。
「出来たよー!お薬出来たよー!」
嬉しそうにそう言って、いきなり空のお椀にコップ一杯分ぐらいの水を吐き出した。
そして、こっちを向いてサクラは伸び上がって見せた。あ、これは今、俺に胸を張って見せたな。
小さく吹き出して、そのお椀を覗き込む。
「水みたいに見えるけど、これがその万能薬なのか?」
「そうだよ、怪我してる手をそこに入れてごらん」
そう言われて、ずっとジンジンと痛んでいる両手を、布を外してお椀の中に入れてみた。
「冷たい!何だこれ?」
まるで氷の中に手を突っ込んだみたいだ。
「もう良いよ、出してごらん」
恐る恐る、濡れた手を見て驚きの声を上げた。
「おお。すごい! 傷が消えてる……」
あれほど痛かった潰れたタコが、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
「すごい! これはすごい! じゃあもっと頑張って集めれば良いんだな?」
目を輝かせる俺に、シャムエル様はまたしてもドヤ顔になった。
「この薬草のありがたみが解ったのなら、頑張って確保すると良いよ。あ、ナイフで切るのも有りだけど、根は残してね」
「成る程、毟るよりそっちの方が効率は良さそうだな」
腰についたナイフを取り出し、お椀を持って驚いた。
「あれ? ここにあった薬は?」
残っていたはずの薬が全部無くなっている。地面にこぼしたのかと思ったが、濡れている様子はない。
「その液体の薬は、すごく効き目は良いんだけど、空気に触れるとすぐに蒸発しちゃうんだよ。だから、いる時に必要な分だけ作ってね。他に、塗り薬も出来るから保存するならそっちがオススメ。今程一瞬では治らないけど、湿布して置けば死なない限り一晩で完治するよ」
「それはまた、すごい薬だな。まあ良いや、じゃあ取れるだけ取っておきましょう」
俺だけじゃ無い、だれかが怪我したときの事も考えると、出来るだけたくさんあった方が良いもんな。
納得した俺は、黙々とオレンジヒカリゴケを収穫し続けた。
まとめて掴んでナイフでバッサリやる。ある程度溜まると、サクラがせっせと飲み込んでくれるので、もうどれくらい取ったのか全然分からない。
ふと我に返った時には、あたりはすっかり夕闇に染まっていた。
「なあ、ここで日が暮れると帰れないんじゃ……」
「今から帰っても、城門は閉じてるよ。今夜はここで夜明かしだね」
当然のように言われて、ちょっと焦った。
「待てって。谷底で夜明かしするのは怖いぞ。駄目だって。寝ている間に雨が降ったら、全員流されかねないぞ」
心配そうに上を見上げる俺に、シャムエル様は首を振った。
「この辺りは、今では雨がほとんど降らない地域でね。この断崖絶壁は、大昔の地殻変動で出来たものだよ。だから安心して」
まあ、神様がそう言うのなら、信用するよ。
「仕方がない。それなら今夜はここで野宿だな」
大きなため息を吐いた俺は、サクラに頼んでランタンとライターを出してもらい、とにかく日が暮れる前に、急いで明かりを確保した。
さてと、まずは夕食だな。