間に合って良かったね
キャンプ地を出発したのは、太陽がかなり高くなってからの事だった。
「それで、このまま街へ戻るのか?」
のんびりと、周りの景色を眺めながら進んでいて、ふと思って隣にいるハスフェルに尋ねた。
「一応、クーヘンと別れた時に、合流方法は打ち合わせてある。姿を変えたクーヘンと一緒に、またマーサさんが馬のノワールに乗って出て来てくれるから、人気のない森で合流して、クーヘンは元の姿に戻ってチョコに乗って街へ帰る予定だよ」
「成る程ね。それなら、確かにクーヘンも一緒に帰って来た事になるな」
納得した俺は、少し速度を速めた皆について行った。
「あの大木が合流地点だよ」
ハスフェルが指差したのは、まだかなり遠いにも関わらず、ひときわ大きくすぐに気がつく巨木だった。植物には詳しく無いから、種類や名前は分からないけど、真っ直ぐに伸びた幹は物凄く太くて、大きく張り出した枝には、緑色の濃淡のある幅の広い丸っぽい、手のひらくらいの大きな葉っぱが茂っていた。
しかし、木にもう少し近付いた時、俺達は異変に気付いた。
真っ先に異変に気が付いたのは、クーヘンの従魔達だった。
何の前触れもなく、チョコの背中から飛び降りて一気に巨大化して走り出す従魔達を見て、驚いたのは一瞬だった。
「おい、あれはなんだ? ああ! 大変だ。二人が狼に襲われてるぞ!」
ギイがそう叫んで、デネブを一気に加速させる。いきなりの加速に悲鳴を上げたオンハルトの爺さんがギイにしがみつくのと、俺達全員が一気に加速するのも同時だった。
集合予定の大木の下で、その木の幹を背にしたクーヘンとマーサさんは、大型犬よりもまだデカいであろう狼みたいなジェムモンスターの群れに取り囲まれていた。
クーヘンの顔は真っ青で、短剣を構える右手は真っ赤に染まっていた。左の頬のあたりにも血が流れているのが見て取れる。
そして、同じく杖を構えているマーサさんの右肩の辺りにも、かなりの出血が見られた。
狼の群れに、巨大化した猫族軍団が背後から襲いかかる。
しかし、相手も相当な数がいる。恐らく五十匹以上はいるんじゃないだろうか。しかし、そんな事は物ともせず、あちこちで従魔達がものすごい勢いで暴れまわり、次々に狼がジェムになって転がる。
それを見たクーヘンとマーサさんは、抱き合うようにして木の幹にもたれて、腰が抜けたみたいにしゃがみ込んでしまった。
そこに剣を抜き払ったハスフェルとギイが、従魔から飛び降りてそのまま狼達とクーヘンの間に着地する。その背後から、同じく武器を手にした神様軍団が駆け付け、戦いは呆気なく終わった。
全滅した狼達は、全て巨大なジェムになって転がってる。
しかし、そんなのは後回しだ。
「大丈夫か!」
結局、鞍上で剣を抜いたものの、暴れるマックスが全て引き受けてくれたので俺の出る幕は全く無く、使わなかった剣を収めた俺は、サクラとアクアを引っ掴んでマックスから飛び降りて二人の前へ駆け付けた。
「ケン!」
二人の悲鳴のような声が聞こえて、俺は大急ぎでサクラから瓶入りの万能薬を取り出した。今こそこれの出番だろう。
「怪我はどこですか?」
「手当をお願いします!マーサさんの右肩が酷い怪我なんです!、狼の牙にやられて……」
真っ青なまま震えているクーヘンの言葉に頷き、蹲るマーサさんを見ると、彼女の革鎧の右の肩当ては完全に外れて吹っ飛んでいた。破れた服の隙間から引き裂かれたような血塗れの傷口が見え、慌てて持っていた万能薬を振りかけた。
一瞬の輝きの後、すっかり綺麗になり服の隙間から見える皮膚には傷痕も無くなっていた。見た所、それ以外に怪我は無いみたいだ。かすり傷程度は、今の万能薬で一緒に治ったみたいだ、よし。
「クーヘン、お前は、何処を怪我したんだ?」
もう一本の万能薬を手に振り返ると、二人は揃って目をまん丸にしていた。
返事が無いので、取り敢えず、血塗れのクーヘンの頭からひと瓶丸ごと振りかけてやった。
「まさか、伝説の万能薬なの……?」
怪我が治ったマーサさんとクーヘンは、驚いたように自分の身体を見て、治っている事を確認するように手足を動かして首を回し、それっきり黙り込んでしまった。
「ケンさん! お願いします! お代は一生かかってもお返ししますから、もう一本ありませんか!」
突然、顔を上げたマーサさんが叫ぶように俺に縋り付いて来た。
「ええ、まだ怪我人がいるのか?」
マーサさんの言葉に驚いた俺は叫んだ。まさか、クーヘンのお兄さんもここにいたのか?
そう思い必死で辺りを見回して気が付いた。マーサさんが乗っていた、あの黒っぽい毛の小柄な馬が、完全に地面に横倒しになって倒れていたのだ。
「ああ、馬もやられてるじゃないか! 大変だ!」
叫んだ俺が駆け付けると、もう身動きの取れない馬は、それでも俺を見て弱々しく鳴いたのだ。それはまるで、主人を助けてくれて有難うって、そう言ってるみたいに聞こえた。
「大丈夫だよ。お前も助かるからな」
優しくそう言い聞かせるように話し掛けてやる。
首の根元の辺りと、右足の付け根のあたりに大きな噛み跡がある。毛が焼け焦げた痕があるから、恐らくクーヘンが、襲って来た狼を火の術でやっつけたんだろう。
怪我の部分に、取り敢えず一本分を分けて振りかけてやると、今度も光った後、怪我は完全に消えてなくなった。
「大丈夫か? ほら、立ってみろよ。他に怪我した所は無いか?」
立ち上がった馬の側へ行き、そう言いながら身体を確認してやる。
馬はお礼を言うように、俺に頭を擦り付けてきた。
「よしよし。大丈夫そうだな。本当に間に合って良かったよ」
大きく深呼吸をして、その小さな頭を抱きしめてやった。
その時気がついた。
馬の前足の蹄が血塗れだ。しかも、狼の毛っぽい物が付いているところを見ると、噛みつかれながらも、こいつも蹄で蹴って戦ったんだろう。凄いな。
そして、改めて足元の血溜まりを見て今更ながらに足が震えた。駆け付けるのが後少し遅かったら、俺達は二人の死体とご対面する所だったんだからな。
「ケンさん、本当に、本当に有難うござます。私だけでなく、この子まで助けてくださって……」
駆け寄って来たマーサさんが涙を堪えながら頭を下げるのを見て、俺は慌てて顔の前で手を振った。
「間に合って良かったです。もう怪我はありませんか?」
今程、万能薬を持っていて良かったと思った事は無い。
「あの、薬代は幾ら払えばよろしいですか……?」
恐る恐ると言った風に、マーサさんが聞いてくるので、俺は笑って首を振った。
「仲間が怪我した時に、薬代の心配なんかしますか? 大丈夫ですよ。原価はタダなんでご心配なく」
俺の言葉に、またマーサさんが絶句する。
「まさかケンさんは、オレンジヒカリゴケの生えている場所まで行けるんですか?」
「簡単じゃ無いけどね。そう言って」
耳元でシャムエル様の声が聞こえて、俺は小さく頷き肩を竦めてその通りに言った。
「簡単じゃ無いけどね」
「そんな貴重なお薬を……なんとお礼を言ったら良いのか……」
感極まったように座り込んで口元を押さえるマーサさんを、クーヘンも涙ぐみつつ何度も頷いて、彼女の背中をずっと何度も何度も撫でていたのだった。
ようやく落ち着いたようなのでスライム達にジェムを集めさせている間に、神様軍団を簡単に二人に紹介した。
一応ハスフェルとギイの古い友人達で、祭り見物に来た所を合流したって事にしておいたよ。
それから正直腹が減ってきてるんだけど、此処で食べるのはさすがに嫌だろうと思い、一先ず俺達はその場を後にした。
血塗れだった二人は、スライム達に頼んで綺麗にしてもらった。さすがにあのまま戻ったら、大騒ぎになるだろうからな。
「万能薬を教えてくれた、シャムエル様に感謝だな」
マックスの背の上で、いつの間にか右肩に座っていたシャムエル様を俺は笑ってそっと突っつく。
「間に合って良かったね」
笑ったシャムエル様は、俺の耳にすり寄って来た。
うわあ、そのもふもふ堪りません!
途中の小川沿いの空き地で良い場所があったので、そこで昼飯にする事にした。
作り置きのおにぎり各種と卵焼き。それから唐揚げと切ったトンカツ、サラダとトマトを切ったのも並べて、粉吹き芋と温野菜も並べておく。
それから、干し魚で出汁を取ったお味噌汁も並べる。これは好みがあるから、駄目なら俺が自分で食うつもりだ。味噌汁の具は、ジャガイモと茄子もどきと溶き卵。
残念ながらワカメは今のところ見つかっていない。
全員に空の皿とお椀を渡せば準備完了。俺が楽する、好きに食え作戦だ。
「おお、どうかと思ったけどなかなか美味いぞ、これ」
俺が手にしているのは、魚のほぐし身の入ったおにぎりだ。
買い置きに干した魚があったので、これならいけるかと思い、塩を追加して焼いて身を解してみたのだ。中々良い感じに出来たので、ご飯に混ぜ込んで握ってみたのだ。
他には、チャーハンを薄焼き卵で包んだのとか、鶏肉を入れて炊いた炊き込みご飯のおにぎりもある。
うん、こうして改めて眺めると、我ながらちょっと感心するよ。よくこれだけ作ったな……偉いぞ俺。
喜んで食べる皆を見て、俺も追加のおにぎりを取る為に立ち上がった。
腹がいっぱいになったら、少し休憩してから出発する。
さて、いよいよ楽しみにしていた早駆け祭りだよ。
期待に胸を膨らませつつ、俺達は街へ向かって従魔と馬を走らせたのだった。