何をした?
「この大馬鹿者が!」
もう一度大きな声でそう叫んだセーブルが、今度は前脚でアサルトドラゴンの頬の辺りやや下側を思いっきり殴り飛ばした。
小さな手で殴られたアサルトドラゴンは、しかし悲鳴のような声を上げて首が大きく横に振られる。どうやら、アッパーカットが見事に決まったみたいだ。
他の従魔達の攻撃はほとんど通っていないようなんだけど、セーブルの攻撃だけは何故かそれなりにアサルトドラゴンに通用しているみたいだ。
マックスやニニ達、魔獣達の攻撃すらほとんどノーダメージなのに、セーブル凄えな。
現実逃避でそんな事を考えながら、ただただ感心していた俺だったよ。
しかし、アサルトドラゴンだってやられっぱなしって訳じゃあない。
何と、戻る勢いで氷でガッチガチになった頭をそのままセーブルにぶつけてきたのだ。
それを見て、即座に横に大ジャンプで逃げるセーブル。
地面に叩きつけた巨大な氷は、しかし砕けるどころかヒビすら入る気配がない。
それを見て怒りの唸り声を上げたアサルトドラゴンだったが、向き直ったセーブルがまたしても大声で叫んだ。
「この大馬鹿者が! 己が何をしたのかも理解出来ないお前は、正真正銘の大馬鹿者だ!」
驚きに目を見開くアサルトドラゴン。
「そうだそうだ!」
「この大馬鹿者が!」
「自分が何をしたのか!」
「分かろうともしない大馬鹿者よ!」
「大馬鹿者!」
「大馬鹿者!」
「馬鹿馬鹿馬鹿!」
「馬鹿馬鹿馬鹿!」
攻撃の手を止めた従魔達が、口々にそう叫ぶ。
だけど、よく見ればどの子の顔も今にも泣きそうになっている。
最前線で戦うセーブルだってそうだ。
セーブルの小さな目は、もうさっきからボロボロと大粒の涙を流している。
あれ、前がちゃんと見えているのか心配になるレベルだよ。
「自分を、この世界で唯一無条件に自分を愛してくれるご主人を手にかけるなんて!」
「大馬鹿以外の何者でもないわ!」
マックスとニニの叫ぶ声に、ここでようやく従魔達が何故あんなにも怒り、そして悲しんでいるのかを理解した。
そうだ。偶然とはいえテイムされたあのアサルトドラゴンは、自分をテイムした魔獣使いを返り討ちにしている。
それはつまり、従魔がご主人を殺したという事になる。
テイムに至った理由はどうあれ、成功した以上は、自分を可愛がり、愛してくれるはずだったご主人を知らぬとはいえ殺してしまい、それなのに自分が何をしたのかすら気付いていないで、さらに人間に攻撃を加えて多くの人を殺した。
そりゃあ事情を知った従魔達が怒るはずだよ。そして悲しむはずだよ。
セーブルは、大好きなご主人の大切さも、愛おしさも、そして喪失の悲しみと絶望も知っている。
目の前のアサルトドラゴンは、経緯こそ全く違えど、あの時の、ご主人を失って絶望と悲しみの淵にいた時の自分と同じ立場なのだ。
それなのに、その事にすら気付いていない。
確かに、大馬鹿者と言いたくなるのは当然だ。
しかし、相手を罵る言葉が、馬鹿と大馬鹿者しかない従魔達の語彙力が割と本気で愛おしくなった俺だったよ。
まあ、かくいう俺も人を罵る言葉のバリエーションなんて……うん、アホと馬鹿くらいしか思いつかないな。
若干遠い目になっていると、また大きく顔を振り上げたアサルトドラゴンが氷ごと頭を地面に叩きつけた。
凄い音がして、瞬時に氷が粉々に砕ける。
あそこで今炎を吹かれたら、セーブルを含む従魔達なんて一瞬で焼かれてしまう。
大慌ててもう一回口を凍らせようとした時、不意に側にいたフランマが俺の腕を咥えて引っ張った。
「待ってご主人。あいつに炎を噴き出す前兆はないわ」
驚きに目を見開いて下を見ると、顔を上げたアサルトドラゴンは、涙を流しつつ自分を睨みつけているセーブルを見た。
それから、同じく自分を睨みつけているマックスとニニを見た。
「今、今何と言った」
マックスとニニに向かって静かにそう尋ねるアサルトドラゴン。
「自分を、この世界で唯一無条件に自分を愛してくれるご主人を手にかけるなんて。そう言いました」
「私は、そのマックスの言葉に続いて、大馬鹿以外の何者でもないわ。そう言ったわ」
何故か怖がる事なく平然とそう答えるマックスとニニ。
「この世界で、唯一無条件に自分を愛してくれるご主人、だと?」
明らかに不審そうなその言葉に、マックスとニニだけでなくセーブルをはじめとする従魔達全員が揃って大きく頷く。
「この世界で、唯一無条件に、自分を愛してくれる……ご主人、だと?」
同じ言葉だったが、さっきとは明らかに込められている感情が違う。
それは戸惑うように、そして怯えているようにすら見えた。
「この世界で、唯一無条件に自分を愛してくれるご主人、だと?」
もう一度、怯えるように小さな声でそう呟く。
もちろんその呟きは俺を含めこの場にいる全員の耳に届いている。
攻撃を一旦やめたハスフェル達やベリー達も、何も言わずにこの状況を見守っている。
「そうよ! 貴方は、貴方はその、自分を愛してくれたはずの唯一のご主人を手にかけたのよ。その意味を思い知りなさい!」
泣きそうな声で叫ぶニニの言葉に、アサルトドラゴンは怯えるかのように首を引いた。
足元はまだガッチガチに凍ったままなので、後退り出来なかったのだろう。多分。
「この世界で、唯一無条件に自分を愛してくれるご主人、だと? 我は、我は……」
もう一度、さっきよりも少し大きな声でそう呟いたアサルトドラゴンは、怯えるかのように体を震わせると、大きく翼を広げて、まるで隠れるかのようにその翼の中に頭を突っ込んでしまった。
セーブルやマックスをはじめとする従魔達は、誰も、何も言わずにそんなアサルトドラゴンを取り囲んでいるが、もう攻撃も、そして馬鹿と言う事もなく丸くなって隠れてしまったアサルトドラゴンを見つめているだけだ。
そして俺は、先ほどまではずっと感じていた威圧感というか恐怖心みたいなものが、俺の中から完全に消えている事に不意に気が付いた。
無言で、地面に氷漬けにされたアサルトドラゴンを見る。
「フランマ。今ならあいつの側に降りても危険は無いか?」
ごく小さな声でそう尋ねると、驚いたように俺を見上げてきた。
「ご主人、まさか……」
「うん、そのまさかだよ。今なら出来る気がする。でも、炭になるのはさすがに避けたいからさ」
誤魔化すように笑って肩をすくめると、しばし沈黙していたフランマは俺から視線を外してアサルトドラゴンを見てから大きなため息を吐いた。
「どうせ、止めても行くんでしょう?」
「まあそうだな。己の罪を理解したらしいあいつにも、せっかくなんだから罪滅ぼしの機会をあげるくらいの事はしてあげたいからさ」
俺の言葉にもう一度大きなため息を吐いたフランマは、俺を見上げて大きく頷いた。
「分かった。じゃあ、私が一緒に行ってあげるわ。万一にもあいつがご主人や仲間の皆に向かって炎を噴き出すような真似をしたら、即座に私が全ての炎を消し去ってあげる。だから安心して良いわよ」
目を細めてそう言ったフランマの言葉に、ベリーが驚いたように何か言いかけ、しかし振り返って自分を見たフランマを見て、何も言わずに小さく頷いた。
「ん? どうかしたのか?」
今の一瞬の無言のやりとりを見て驚いてそう尋ねたが、フランマは俺を見て笑って首を振った。
「何でもないわ。じゃあ行きましょうご主人。あいつに己の仕出かした事の重大さを思い知ってもらわないとね」
「そうだな。よろしく頼むよ」
頷き合った俺達は、ゆっくりと地上へ降下して行ったのだった。