ピンクジャンパーとマーサさん
「へえ、かなり奥まで入ってきたんだね。私もこの辺りには何度か来た事が有るけれど、ジェムモンスターの出る場所があるなんて知らなかったよ」
マーサさんは、嬉しそうに周りを見回しながらそう言っている。
「この辺りは水場が無いんで、来ても通り過ぎるだけだね。もう少し北の小川沿いの場所へ行くと、いくつか綺麗な水の湧く場所があるから、テントを張るならそっちへ行くんだよ」
「まあそうでしょうね。今夜の野営地にはまた別の水の湧く場所へ行きますよ。ですがその前に一働きしましょう」
ハスフェルの言葉に、マーサさんも笑顔で頷いた。
今、俺達が来たのは、ハンプールから北上する街道沿いに少し行って、そこから西に街道を外れてカルーシュ山岳地帯に入った辺りだ。当然人影は一切見当たらない。
「まあ、この辺りまでなら腕の立つ冒険者なら入れるぞ。だがこの先になると、一気にジェムモンスターが凶暴化するし、地形も複雑になるから、迂闊に入り込めば遭難するのは確実だぞ」
西側を指差して、ギイがそんな物騒な事を言う。
分かった。ここから西は危険地帯につき立ち入り禁止区域って事だな。
「で、ここがピンクジャンパーの営巣地だよ。さ、降りた降りた」
ハスフェルがそう言って軽々とシリウスの背から飛び降りる。俺もそれに続いた。
到着した段差のある土手の斜面には、見る限りあちこちにボコボコと穴が空いている。よく見るウサギの巣穴の光景だ。
そこでまず。マックスとシリウス、それからファルコとミニラプトル二匹がそれぞれ狩りに出掛けた。
留守番組の首輪を外した猫族軍団が一気に巨大化するのを見て、マーサさんは大喜びしてたよ。
そしてやっぱりタロンも一緒に巨大化してるんだが、二人には見えてないみたいだ。本当にこれってどうなってるんだろうな?
土手の真ん中あたりにマーサさんとクーヘンが身構え、俺と猫族軍団が手前側、ハスフェルとギイも今回は働いてくれるみたいで、奥側の穴のある場所に陣取っている。
「それじゃあ行きますね!」
普通の蛇サイズになったセルパンが、俺達が配置についたのを見て、頭をもたげてそう言った。
「おう、よろしく頼むよ」
剣を抜いて身構えた俺の言葉に嬉しそうに目を細めたセルパンは、するすると巣穴の中に滑るように入って行った。
しばしの沈黙……。
いきなり中で、ドタンバタンと暴れる音がしたかと思ったら、ほぼ全ての巣穴から、緑の塊が一気に吹き出すように飛び出して来たのだ。
「うわあ、でかい!」
思わず叫んだ通り、前回のオレンジジャンパーよりもふた回りは大きい、以前のマックスくらい、つまり雑種犬くらいは余裕でありそうな大きさだ。
「よっと!」
歯を向いて飛びかかってくる緑のウサギを、落ち着いて叩き斬る。転がるジェムには見向きせず、とにかく周りを見てぶつからないように気を付けながら剣を振り回した。
まあ、そんな事言ってられたのは最初だけだったけどね。
ただ、前回と違ってハスフェル達やマーサさんがいてくれたおかげで、ピンクジャンパーもばらけたみたいで以前ほど酷い目には会わずに済んだよ。
まあ、青あざは確実に量産されたけどね……はあ。
ニニ達はいつもの如く、大喜びで飛び跳ねるウサギ達を叩き落としているし、ハスフェル達はもう余裕で半分遊んでるみたいに見える。
そして真ん中で頑張っている、魔法使いの二人の術も見事だった。
クーヘンは火の術、マーサさんは水の術だから、もしかして相殺しちゃうのでは無いかと密かに心配していたのだが、どうやら術を交互に発動しているらしく、いつものクーヘンの火の術で小さな爆発のようなものが起きてウサギ達が一気に殲滅された後、次に出て来たウサギ達を、マーサさんが作り出した水の巨大な塊がウサギ達を水の中に閉じ込めてしまうのだ。
水の中に取り込まれたウサギ達は、当然息が出来ずにすぐにジェムになって消えてしまう。
シャボン玉のように、フヨフヨと移動しながら空中に浮かぶ大きな水の塊に、初めて見たときには目を疑って思わず手が止まったよ。
「そっか、ジェムモンスターも生き物である以上息はしてるよな」
妙に納得する光景に、俺は思わずそう呟いてちょっと笑った。
そして、周りの草地に飛び火する事もなく。二人も次々とジェムモンスターを仕留めていった。
そうなんだよな。今までは、俺が気を付けていて、飛び火しそうな茂みがある場所には、細かく砕いた氷を撒いたりしていたんだよ。
だけど、今回はマーサさんが定期的に周りに水を撒いてくれるおかげで、火の心配はしなくて済んだし、足元も適度に濡れたおかげで、砂埃が舞う事も無かった。
まあ、これは後で聞いたら、万一飛び火しても火の術者がいれば一瞬で火は消せるらしい。
なんだよ、いつも危ないと思ってクーヘンの火には気を使っていたのに。
他にも、マーサさんは水をごく細く噴き出させて一気にウサギをぶった切ると言う、なかなかに豪快な術も使っていた。
確かに、元の世界でも、水で物を切る技術ってあったよな。
周りの木まで見事にスパッと切れるのを見て、離れててよかったと、密かに思った俺は間違ってないよな?
ようやく緑の巨大ウサギが出てこなくなった頃には、もう辺りは転がるジェムで埋め尽くされていた。
スライム達がせっせとジェムを拾い集めているのを、マーサさんは感心したように眺めていた。
その時、巣穴からごく小さな緑のウサギが出て来た。
周りの匂いを嗅ぎ、巣穴に戻ろうとして俺達が見ているのに気付いたそいつは、一気に動けなくなり固まってしまった。
「繋ぎの子だな。これが出たって事は、とりあえず一面クリアだな」
「ハスフェルまでが、当たり前のようにゲーム用語を使ってるよ」
俺は小さく呟き、苦笑いしながら一旦剣を納めた。
すると、マーサさんが目を輝かせてクーヘンの腕を掴んだのだ。
「ねえ、一生のお願い! お願いだから、私にあの子をテイムしておくれ! いつかジェムモンスターのウサギを飼うのが夢だったんだよ!」
まるで少女のように目を輝かせてそんな事を言うマーサさんを見て、俺達は揃って吹き出したのだった。
「分かりましたよ。じゃあこの子で良いですか?」
同じく笑っていたクーヘンが頷き、固まったまま動かない小さな緑のウサギをひょいと捕まえた。
「私の仲間になるか?」
顔の前まで持っていき、静かな声でそう言う。
一瞬身じろぎをしたそのウサギは、顔を上げて鼻をヒクヒクさせた。
「はい、貴方に従います!」
返事をした瞬間、光ったそのウサギはみるみる大きくなった。
妙に可愛い声だが、多分あれは雄だろう。
「名前は何にしますか?」
「え? 私が決めるのかい?」
「だって、貴女が欲しいって……」
二人揃って困ったように顔を見合わせて俺を振り返る。
「だから、何で毎回俺に振るんだよ!」
笑いながらそう言ったが、クーヘンはすがるような目で見るし、マーサさんも困ってる。
「じゃあ、ヴェルデ……いや、ヴェルディってどうだ?」
確かヴェルデがイタリア語で緑って意味だった……筈。うん、自信ないけどね。それをちょっと変えてヴェルディにしてみた。うん深い意味は無い。単に言いやすくしただけだ。
「あ、良いですねそれ、じゃあそれで良いですか?」
クーヘンが嬉しそうにそう言い、マーサさんを振り返る。
「お願い!」
目を輝かせるマーサさんに頷き、クーヘンは足元に座って、犬みたいに大人しく自分を見上げている緑のウサギを見た。
そして右手の手袋を外す。
「紋章はどこに付ける?」
「ここにお願いします」
緑のウサギは、そう答えて頭を差し出して額をクーヘンに向ける。
「ここで良いか?」
「はい、お願いします!」
額を指で突っついた後、クーヘンは右手を額にそっと当てた。
「お前の名前はヴェルディ、それから、お前はこの人の所へ行くからな。私の大事な大先輩だよ。可愛がってもらえよ」
その瞬間、もう一度光ったウサギはみるみる小さくなり、最初よりも一回り大きなサイズで止まった。
「こんな感じの大きさで如何でしょうか?」
ドヤ顔のウサギに、マーサさんは大喜びだ。
「嬉しいよ、よろしくねヴェルディ」
両手で抱き上げて頬擦りするマーサさんは、本当の少女みたいに心の底から嬉しそうな、とっても良い笑顔だった。