狂騒の始まり
「うわあ、何だか既に街中が……お祭り騒ぎ状態?」
半ば呆然と俺が呟くのも無理はなかろう。
何しろ、冒険者ギルドの前の道路は、物凄い人の列で埋め尽くされていたのだ。
その人々が並んでいる先は、ギルドの横に一夜にして現れた特設馬券?売り場だ。
皆、大喜びでギルドが発行する馬券……いや、勝馬投票券だっけ? あ、ここでは賭け券って言うらしいけど、それを次々に購入しているのだ。
「ああ、だいたい毎年オッズが発表されたら一気にお祭り気分になるんだが……ここまで凄いのは久し振りに見たぞ」
「あいつら、よっぽど嫌われているみたいだな」
呆れるようなハスフェルとギイの言葉に、何となく納得した俺は、自分がどう評価されているのか見たくて、掲示板を見上げた。
巨大な特設掲示板に貼られたオッズでは、ブラックラプトルに乗るギイが一番人気、続いてグレイハウンドの亜種であるシリウスに乗るハスフェルが二番人気。ヘルハウンドの亜種であるマックスに乗る俺は、ギルドの予想では三番人気を頂いてる。ブラックイグアノドンのチョコに乗るクーヘンが四番人気で、ストームに乗るカスティが五番人気、サンダーに乗るポルタが六番人気になっている。
どうやら後ろの二人が、例のあいつららしく、皆貼り出されたそれを見ながら、五番人気と六番人気に落ちてると言って大笑いしているのだ。
チーム戦では、ハスフェルとギイの金銀コンビは一番人気、俺とクーヘンの愉快な仲間たちが二番人気、そして三番人気があいつら二人のテンペストになっている。
周りの人達が教えてくれたんだけど、商人ギルドも船舶ギルドも、倍率に多少の差があるだけで、ほぼ同じ人気予想になっているらしい。
「期待してるぞ!」
「頑張ってくれよな!」
気付けば、俺達は大行列に取り囲まれていた。
皆、満面の笑みで俺たちに手を振ったり握手を求めて来たりする。
「全財産をあんたに賭けるよ!」
掛けられたその声に、俺は思わず叫び返した。
「おい!全財産は駄目だって! せめて生活費は残せよ!」
一瞬静まり返った後、周りにいた人々が一斉に大爆笑になったのだった。
だって、さすがに全財産は駄目だよな! 俺は間違ってないよな?
結局、あまりの人出に出かける事を諦めた俺達は、俺の部屋に一旦戻り、少なくなって来た手持ちの食料で朝食を済ませた。
俺とクーヘンは在庫があるお粥を温め、ハスフェルとギイには肉系のサンドイッチを色々と出してやった。
「祭りまでに買い出しと料理の仕込みをしておかないと、料理の備蓄がかなり少なくなって来てるな」
海老団子の入ったお粥を食べながら、サクラに今ある料理の在庫を確認していた俺は、苦笑いしながら皆を見た。
「それは困るな。さて、どうするかな。まさか、ここまでの人気になるとは思わなかったよ」
ハスフェルとギイも顔を見合わせて困っている。
食後のデザートと紅茶を飲みながら、四人で顔を見合わせていると、ノックの音が聞こえた。
「はい、どなたですか?」
扉は開けずに、声を掛ける。
振り返ったハスフェルとギイは、明らかに警戒している。
まあ、この部屋に全員いるんだから、誰も訪ねてくる予定は無い。
「ケン、いるかい? 私だよ、エルだよ。開けてくれるかい」
扉の向こうから、ギルドマスターのエルさんの声が聞こえて、ハスフェル達も警戒を解いた。
立ち上がったハスフェルが扉を開けると、エルさんが笑顔で入って来た。
「おはようございます。朝からどうしたんですか?」
エルさんの分も、紅茶をいれてやりながら尋ねると、顔を上げたエルさんは、申し訳なさそうに俺達に向かって頭を下げた。
「今日、ギルドが出したオッズなんだが、予想以上の大人気でね、確認したら商人ギルドも船舶ギルドも似たような状況らしい。それで、念の為、君達の身の安全を確保する必要が出て来たんだ」
驚いて顔を見合わせたハスフェルとギイが、嫌そうにエルさんを見る。
「断る。自分の身くらい自分で守れるよ」
しかし、エルさんは引き下がらなかった。
「君達がどれほど強いのかはよく知ってるよ。ハスフェル達が認めた彼らについてもね」
俺とクーヘンは、困ったように肩を竦めた。
いや、神様と同列にしないでくださいって。
脳内で突っ込んでおき、空いていた椅子に座ったエルさんにまずは紅茶を出してやる。
「だけど、君達だって人間なんだから、寝る事だってあるし、手洗いにだって行くだろう? それに、口に入れるものに、毒物とまではいかなくても、例えば下剤でも盛られたりしたら……最悪だろうが」
うわあ、それは嫌だぞ。
ハスフェルを見ると、彼も思いっきり嫌そうな顔をしている。
「つまり、俺たちに下剤を仕込みそうな奴がいると、お前は言いたいわけだな」
ギイの言葉に、エルさんも、これまた思いっきり嫌そうに頷いた。
「まあ、こう見えてもこの街の顔役なんでね。色々と教えてくれる人もいるんだよ。それによると、すでに向こうは下剤と催淫剤は購入済みらしい。屋台の店主を丸め込めば、薬を盛るのくらい簡単だからね」
「げ、下剤はまだ分かるけど、その催淫剤ってなんだよ!」
思わず叫んだ俺は間違ってないよな?
「え? 知らないかい?そのまんまだよ、気持ち良くなれるやつだよ」
当然のように言われて、俺は机に突っ伏した。
「いや、それは分かりますけど、なんでここで……あ、ハニートラップか!」
ようやくそれに思い至った俺は、頭を抱えてもう一度突っ伏した。
「まあ、そうとも言うね。一番狙われそうなのは、レース直前だね。一服盛られてお姉さんに乗っかられたらもう、はっきり言って終わりだよ」
面白そうに言われても、俺は笑えないよ。
おお……彼女いない歴イコール年齢の俺には怖すぎるトラップだよ。
一人で赤くなったり青くなったりしている俺を、ハスフェル達は面白そうに見ている。
うう、その余裕のある態度が、なんか悔しい……。
「なんだか妙な事になって来たね」
一人悶絶していると、耳元でシャムエル様が困ったようにそう呟いてる。
「まあそうだな。それで具体的にこちらとしては何かするんですか?」
後半は思いっきり嫌そうにエルさんに尋ねると、エルさんも困ったように俺を見た。
「君達さえ良ければ、ここの宿泊所のスイートルームを開けるよ。もしくは、旧市街の宿泊所の特別室に移ってもらうかだね」
それを聞いたハスフェルとギイが、感心するくらいの肺活量でもって揃ってため息を吐いている。
「分かった。旧市街へ移ろう。ここよりは安全だろうからな」
「そうだな。旧市街の方がまだ少しは冷静だろうさ」
顔を見合わせてそう言っていたのだが、そんな二人にエルさんは苦笑いしながら首を振っている。
「今年に限って言えば、正直言ってまだこっちの新市街の方が冷静だよ。個人的な意見を言わせてもらえれば、ここのスイートルームでレースが始まるまで大人しくしていてくれたまえ。必要な物があれば、なんでも言ってくれれば差し入れるよ」
「いや、それは駄目ですよ。こいつらの食事を兼ねて、二日か三日に一度は狩りに行かないといけないんですから!」
「ああ、それがあったか!」
困ったようなエルさんの叫びに、俺はマックス達を振り返った。
「祭りまでまだ十日近くあるんだもんな。最低でも三日に一度は狩りに行きたいよな?」
「まあ、十日程度なら我慢しろと言われれば我慢しますが、正直ちょっと辛いですね。そのまま走れと言われたら、加減が出来ないと思います」
「ええと、つまり……」
「最初から最後まで全力疾走して、さっさとレースを終わらせてしまいますね。そうすれば狩りに行けるでしょう?」
平然と、とんでも無い事を言うマックスに俺は叫んで抱きついた。
「それは駄目ー! 一応これは興行なんだからさ」
俺の叫びにエルさんが、驚きに目を見開いている。
どうやら、祭りまでの間も、平穏無事って訳には行かないみたいです。はあ。