開店準備は大忙し
「良い取引をさせて貰ったよ。お陰で資金に余裕も出来たね」
署名した書類を重ねたマーサさんは、すっかりご機嫌でクーヘンの背中を叩いた。
「せめて八万にしましょうって言ったのに……」
「まだ言ってるのかい。売り手がそれで良いって言ってるんだから、そこは普通、ありがとうって言って喜ぶところじゃないか。なんで安くして文句言われなきゃならないんだよ。なあ、そう思うよね」
態とらしく俺達に同意を求めるマーサさんに、俺達はもう、さっきからずっと笑っている。
「はい、これが振込明細。後で残高を確認しておいてね」
口座間の支払い手続きから戻って来たエルさんが、一枚の紙をマーサさんに渡した。
結局、金貨五万枚で落ち着いた家の価格で正式に売買の契約を交わし、立会人にはエルさんがなってくれた。
ひとまず俺達三人が一万ずつ出し、残りの二万を、恐竜のジェムの買い取り代金が大量に振り込まれたクーヘンの口座から、それぞれマーサさんの口座に振り込んだのだ。
俺達三人は、家の権利は発生しない店の共同経営者って形でサインはしたが、まあ、三人共彼の店に口を出すつもりは無い。
どちらかというと、ジェムを押し付けるから売り捌いてもらう気満々なんだよ。
一旦ギルドを後にした俺達は、リード兄弟の店に、まずは設計図の確認に行く事にした。
マーサさんも一緒に来てくれるんだって。専門家が一緒に来てくれるのは有り難いよね。
それでその後は、家の方の家具を探しに行こうって話になった。
相変わらずの大所帯で歩いていると、やっぱり街中の大注目を集めている。
だけど、最初と違うのは、あちこちから応援の声が聞こえ、拍手が沸き起こる事だ。
そして皆口を揃えて言っているのが、ようやく強力な対抗馬が出たって事。
あの馬鹿共、今更だけど本当に強かったんだなって、実感したね。
まあ、俺達が参加する以上、奴らの天下はもう終わりだけどな。
「おお、来たな。まあ座っててくれ。従魔達は奥の厩舎へどうぞ」
店から出てきたリードさんに言われて、店の横の路地を入って裏庭へ行くと、確かに大きな厩舎があった。
路地の門を閉めて仕舞えば、勝手に誰かに入られる心配も無い。
マックス達にはここで待っていてもらって、俺達は事務所の中に入って行った。
「ほら、こんな感じで良いと思うんだが、意見があったら言ってくれよな」
事務所に置かれた大きな机の上に、何枚もの設計図が広げられている。そこには店の設計図だけでなく、新たに建てる裏庭の厩舎の設計図もあった。
それから別に取り出された紙の束には、店の内装や、新しく設置するカウンターの設計図も有った。
おお、なんだか一気に話が具体的になって来たな。
俺が提案した、壁に作る値段表の設計図も有った。
うん、これは見事に、ファストフードの店にある値段表そのままだったよ。
一品ずつの品名と値段を書く欄があって、壁に作りつけられた値段表の溝にそれを差し込めば良い仕組みだ。品名や値段は書き換えられるようになっているから、価格の変動にも素早く対応出来る。
それ以外にも、在庫用倉庫の棚や、店で使う椅子や机、戸棚の設計図まであった。
どれも正確に描かれていて、ちょっと感心したね。
ゲイルさんがマーサさんと材料の事で話をしていると、店の奥から杖をついた男性が出て来た。彼らとよく似たその男性は、数枚の紙をリードさんに渡して、話をしている。
「クーヘン、これが最後だ。店の什器の設計図だよ、ちょっと意見を聞きたいから来てくれるかい」
机の上に置かれた設計図を見ていたクーヘンが立ち上がってこっちへ来る。
「三男のモルガンだよ。初めまして。ここで家具職人をやってる。ただし、ご覧の通りにちょっと足が不自由なんでね、店から出る事は殆ど無いんだ。何かあったら兄貴達に伝言してくれるか」
笑って握手する彼を見ると、確かにちょっと足が不自由みたいだ。
「お噂はかねがね。貴方に作って頂けるのなら安心です。無理を言いますがどうぞよろしくお願いします」
嬉しそうにクーヘンがそう言い、リードさんとマーサさんも加わって、店で使う什器の具体的な話を始めた。
実際の商品となる、細工物の大きさの話に始まり、どんな風にその商品を並べて、余分な在庫を何処に置くのか。
装飾品なので、贈り物が主になるから、それを入れる空箱も準備しなければならない。そうなると、当然だがその在庫場所も必要になる。
メニューボードにしたって、余分な板を何処に置くのか考えておかなければならない。
具体的な話が始まると、小さな問題が出るわ出るわ。
もう色んな問題があり過ぎて、皆、だんだんとヒートアップして来ている。
それこそ、什器の裏側を引き戸にするか両開きにするか、なんて話で大揉めしてたりするんだから、俺達もちょっと遠い目になったよ。
「なあ、什器の裏側は引き戸が良いぞ。両開きは場所をとるからお勧めしない。全開にしたいのなら、引き戸の横の部分を外れるようにしておいて、そのまま抜けるようにすれば良いよ。とにかく両開きは賛成しないな」
まだ引き戸か両開きかで揉めているので、見兼ねて横から口を出してやった。
両開きが良いというクーヘンは、何か言いたげだったが、俺の言葉に思うところもあったのだろう。結局モルガンさんお勧めの引き戸に、俺が提案した、そのままストッパーを外せば引き戸が抜ける案が採用された。
ようやく全ての設計図も補正したものが描き上がり、注文している材料が届き次第、工事に入ってくれる事になった。
リード兄弟の事務所を後にした俺達は、そのままマーサさんお勧めの家具屋に向かった。
お兄さん家族の家を二階にして、少し部屋数が少ない三階をクーヘンが使う事になったらしい。とは言え、三階だけでも、大小の差はあれ十部屋以上あったぞ、確か。
で、ここで問題になるのが、家の方は家具の類が一つもない事だ。
ちなみに、家の方も色んなところに小さな傷みがあるらしく、家具の搬入は、それらのリフォームが終わってからになるらしい。
「でもあれだけの部屋数があるんだから、ある程度は見て決めておかないと、いきなり全部の部屋の家具を決めるなんて大変だもんな」
「私は、自分が寝るベッドがあれば、それで充分だと思ってるんですけれどね」
俺の言葉に、クーヘンが呆れたような事を言う。
「せめて、机と椅子とソファーぐらいは置けよ。それに、そこで生活するんだから、自分の服を入れておく引き出しぐらいはいるだろうが」
呆れたようにハスフェルがそう言い、横でギイも頷きながら笑っている。
結局相談の結果、三部屋を客間として準備するので、それぞれ一室ずつ自分の予算で好きに内装を担当する事になった。
要するに、クーヘンに言わせると、俺達が訪ねて来た時に泊まる為の部屋らしい。
それ以外にも二部屋、クライン族の職人さんが来た時用にも別に部屋を用意しておくんだって。それはクーヘンが内装を担当する事になった。
結論から言います。
買い物って楽しい!
まずはベッドや机、椅子、ソファー、それから引き出しなどの大物の家具だけを決めて、店に事情を話して、前金を払って品物を確保してもらう。細かい雑貨は明日、もう一度見る事になった。
ようやく、貯まりに貯まった軍資金の出番だ。
俺は値段を見ずに買い物をすると言う、ある意味人生初の体験をしたよ。
その夜は宿泊所に戻って俺の手持ちの肉を焼いて夕食にした。
さすがに二日続けて、大騒ぎになるであろう事が簡単に予想出来るあの居酒屋に行くのは、底なしの彼らも遠慮したかったらしい。
そして翌日。いつものように起き出して、屋台で朝食を取ろうとした俺達が見たのは、冒険者ギルドと商人ギルド、それから船舶ギルドの、街を支える三つのギルドの建物にそれぞれ大々的に張り出された、早駆け祭りで賭け券の発行される、一周、二周、三周の参加者一覧と、各ギルドが出した独自のオッズだった。