二日酔いの朝
ぺしぺしぺし……。
「うん……」
ぺしぺしぺしぺし……。
ふみふみふみふみ……。
「うん、おき……る……」
「寝ちゃったね」
「ケンが一番控えて飲んでたとは言っても、昨夜は、皆完全に出来上がってたもんね」
「どうしますか?」
「起こすんなら、いつも通りに起こしますよ?」
「私達がひと舐めすれば、絶対ご主人は飛び起きますよ!」
俺の耳元で、タロンとシャムエル様の会話に、プティラとソレイユ、フォールの三匹の得意げな声が聞こえる。
そう、俺の頭は完全に目が覚めているんだが、どうやら昨夜の深酒の影響らしく、頭はガンガンしているし、完全に体が動かない。
そしてそのまま俺はまた眠ってしまったのだった。
ぺしぺしぺし……。
「うん……」
ぺしぺしぺしぺし……。
ふみふみふみふみ……。
カリカリカリカリ……。
「うん、おき……る……」
ザリザリザリ!
ジョリジョリジョリ!
いつもなら、その肉を持っていかれそうな痛さに飛び起きるのだが、その日の俺に出来たのは、唸るような悲鳴を上げて横に転がる事だけだった。
そのままニニの腹に顔を突っ込んで止まったが、やっぱり起きる事が出来ない。
「ごーしゅーじーんー! おーきーてー!」
ニニの声が聞こえて、俺はそのままベッドに転がされた。
「うわあ!」
その勢いのまま、ベッドから転がり落ちた俺は、いつもよりも遠くなった天井を見上げた。
「本当にいい加減に起きれば? もう朝市は終わっちゃったよ」
呆れたようなシャムエル様の声に唸り声で返事をした俺は、無言で外を見る。確かに、恐らくもう昼に近い時間なのだろう、すっかり明るい外は燦々と日が差していた。
「頭痛い……」
床に転がったまま、俺は唸るようにそう呟いた。
「大して飲んで無いと思うんだけどなあ」
「そもそも俺は、そんなに酒には強く無いんだって。底なしのあいつらと一緒にするなよ」
そこまで言って、ふと目を開く。
「ってかあいつらは? もしかして朝抜きだったのか?」
一応食事の面倒は見ると言っている手前、何もしなかったのは申し訳ないと慌てて起き上がったが、勢いよく世界が回って、俺はそのままもう一度床に転がった。
『おはよう。なあ寝過ごしたみたいで申し訳ないんだけど、飯ってどうした?』
起きる気力はなかったので、念話でとりあえずハスフェルを呼んでみる。
しかし、全く反応が無い。
「あれ? おかしいな?」
今度はギイを呼んでみたが、こちらも全く反応が無い。
なんとなく嫌な予感がして、俺は床に転がったまま、顔の横で呆れたようにこっちを見ているシャムエル様に聞いてみた。
「なあ、もしかしてハスフェルとギイ、それからクーヘンは?」
すると、シャムエル様は態とらしく大きなため息を吐いた。
「三人共、本気で死んだんじゃ無いかって心配になるくらいに、いくら呼んでも完全に反応無しなんだよね」
「あはは、さすがのあいつらも、あれだけ飲めば二日酔いにもなるか」
そう言って笑った俺は、なんとか手をついてゆっくりと起き上がった。
「アクア、そこの鞄を取ってくれるか」
丁度床に置いた鞄の横にいたアクアに頼んで、鞄を持って来てもらう。
「ここには確か、あの万能薬が一滴入った水筒が入れてあったはずだ」
予備にともう一つ買った水筒には、以前教えてもらった万能薬入りの水が入っているのだ。
「せめて頭痛だけでも消えてくれよっと」
その水を一気に飲み込んだ。
身体中に水が染み渡るのがわかるようだ。
「ああ美味い!」
そう叫んで、残りの水も一気に飲み干す。
なんとなく、視界まで明るくなったような気がした。
「はあ、なんとかこれで起きられそうだよ」
手をついて、なんとか立ち上がった。
酷かった頭痛はかなり楽になったし、喉の乾きも治ったようだ、万能薬凄え!
『ハスフェル! おーきーろー!』
水場で顔を洗ってサクラに綺麗にしてもらった俺は、サクラとアクアを水場に放り込んでやり、ベリー達に果物を出してやった。聞けば、タロンは昨日の狩りのおかげでまだお腹はいっぱいだったらしいので、タロンの肉は出さなかった。
もう一度ハスフェルを念話で呼ぶと、ようやく反応があった。
『うう、おはよう……』
『もうおはようの時間じゃ無いみたいだぞ』
『うん、おはよう……』
どうやらギイも目を覚ましたみたいだ。
『万能薬入りの水を出してやるから、とにかく起きて部屋に来いよ』
『ああ、その手があったか……それなら持ってるから、自分で飲むよ……』
『俺も持ってるから、飲んだら行くよ……』
二人の、本気で大丈夫かと心配になる念話が切れた時、シャムエル様が顔を上げた。
「あ、どうやらクーヘンも起きたみたいだね。あはは、すごいや。水場に頭から突っ込んだよ」
「おい、溺れたりしないだろうな」
慌てた俺の声に、シャムエル様は大笑いしている。
「大丈夫だよ。自分で水槽の縁に手をついて顔を動かしてるね。あ、どうやらこれで完全に目が覚めたみたい。ドロップが一生懸命お世話をしてるよ」
それを聞いて、俺も笑ってしまった。
「そっか、じゃ安心だな。さてと、二日酔いでも食えそうなメニューと言えば……やっぱりお粥かな?」
柔らかい鶏団子の入ったお粥を鍋ごと取り出して、大きめの鍋にたっぷりと取り出す。
中火にしたコンロにそれを乗せて、ゆっくりと木べらで混ぜて一煮立ちするまでこのまま時々混ぜてやる。焦げないようにしないとね。
その間にお湯を沸かして紅茶を濃いめに作り、氷をたっぷりと入れたポットに一気に注ぎ入れる。
そのまま軽く振って一気に冷やせばアイスティーの出来上がりだ。
それからもう一杯、今度は砂糖入りの紅茶も作っておいてやる。
「緑茶の冷たいのも飲みたいな。よし、これも作っておこう」
もう一度やかんにお湯を沸かして、直接やかんに多めに緑茶の葉を入れる。スプーンで軽く混ぜてしばらく置いておき、大きめのお椀に砕いた氷を山盛りに作っておき、空いたピッチャーに濃いめに出した緑茶を茶漉しで濾して入れる。
「これはここで冷やしておくっと」
先程の、砕いた氷の入ったお椀に、緑茶の入ったピッチャーを沈めてゆっくりと揺すってやる。しばらくそうしていると、ノックの音がした。
「サクラ、開けてやって」
扉に近かったサクラにお願いすると、簡単に扉の鍵を開けてくれた。
「おはようございます。もう昼前ですけれどね」
最初に入って来たのは、すっかり身支度を整えたクーヘンだった。
「おはようさん。俺もさっき起きたところだよ。さすがに頭痛と喉の渇きは酷かったよ」
「そうですね、私もここまで酷い二日酔いは初めてです。あの、ハスフェルとギイは?」
部屋に俺しかいないのを見て、心配そうにそう尋ねて来た。
「二人揃って二日酔い。まあ、もう起きたみたいだからそのうち来るだろうさ」
笑って少し煮立ってきたお粥を混ぜる。
「そこに冷たい紅茶と緑茶があるから、好きなのをどうぞ。あ、その前にこの水を飲んでおけよ。二日酔いが楽になるぞ」
新しく作った、万能薬入りの水も出してやる。
「ありがとうございます。いただきます」
嬉しそうにそれを受け取ったクーヘンが飲み干した時、またノックの音がして今度はアクアが扉を開けてくれた。
「おはよう、二日酔いなんていつ以来だろうな」
「俺もだ。まだ世界が回ってるよ」
苦笑いする二人は、冷たいお茶を見て喜んで飲んでいた。万能薬入りの水は、自分で持っていたのを飲んだみたいだ。
「はい、二日酔いの朝には、やっぱりこれだよな」
お粥の入った鍋を火からおろして机に置くと、三人は揃って拍手なんかしてるし。
「とりあえず、今日はどうする? 」
お椀に皆の分をよそりながら聞くと、ハスフェルとギイは顔を見合わせている。
「ベリーのおかげで、用事が無くなってしまったな。それなら俺達は今日は休ませてもらうよ」
苦笑いしながら、横でギイも頷いている。
「じゃあそうしてください。私は予定通りギルドで青銀貨をもらったら、マーサさんと一緒に契約をしてしまいます」
「支払いはどうするんだ? 即金で渡すのなら俺達の口座から引き出して渡すぞ」
「あ、俺は持ってるからその場で渡せるよ」
しばらく考えていたクーヘンは、小さく頷いて顔を上げた。
「じゃあこうしましょう。食事が終わったら、私はまず、マーサさんの所へ行って彼女をここのギルドへ連れて来ます。皆様はギルドで待っていていただいて、契約の際には同席してください。マーサさんに確認して、家の値段がすぐに決まるようであれば、その場で支払いましょう。一応幾らか値下げしてくれると言ってくださっているので、まだ値段が確定していないんです。なので、決まらない場合は仮契約のみになりますね」
「それなら仮契約が済んだ時点で、クーヘンの口座に俺達が入金してやれば良いんじゃないか?」
「そうだな、足りなければまた手分けして入金すれば済むな」
ハスフェルの言葉にギイも頷いている。
「じゃあ、言っていたように、まずは金貨一万枚ずつか?」
「そうだな、三人分なら金貨三万枚。まあこれだけあれば足りるだろう」
驚くクーヘンが何か言うよりも先に、ハスフェルは早くもお粥を食べ終わりお代わりを要求している。
「はいはい、二日酔いでもよく食うな」
笑ってもう一度たっぷりと入れてやり、薬味も追加でトッピングしてやる。
それを見たギイとクーヘンもお代わりして、最後に残ったお椀半分ほどを俺がお代わりして食べた。
うん、自分の分はかなり控えめによそったから、まあこんなもんだろう。
すっかり元気になった三人を尻目に、まだ若干の頭痛の残る俺は、もう一度万能薬入りの水を飲んだのだった。
さて、いよいよ家の契約だぞ!