例のお土産の事
「おお、これはまた沢山のお買い上げありがとうございます。研ぎはいつでも受け付けますので、遠慮なくお申し付けください」
選んだナイフを精算してもらい、嬉々として収納する俺を見てバッカスさんも嬉しそうにそう言ってくれた。
「あ、そうだ。以前頂いたこれ、一度研いでもらってもいいですか。ちょっと硬い木の枝を切った時に刃を傷めてしまったみたいで、ここの所だけ切れ味が違うんですよ」
ちょうど思い出したので、以前バッカスさんから貰ったあのナイフを取り出して渡す。
「おや、それは大変だ。拝見します」
ナイフを受け取ったバッカスさんが、慌てたようにそう言って渡したナイフを抜いて光にかざした。
それから、そっと指を刃先に近付け、反対側から撫でるようにして俺が言った刃の部分に触った。
「ああ、確かにここのところがちょっと傷んでおりますな。刃が欠けておるわけではありませんからこの程度なら研げば大丈夫です。これは一旦お預かりになりますが、よろしいですか?」
「もちろんです。じゃあお願いしますね」
預かり票を書いてくれたのでそれを受け取り、さっきのナイフと一緒に収納しておく。
今の所、切れ味の落ちたのはあれだけなので研ぎに出すのはそれ一本だけだ。
俺の場合はスライム達がいるから、例えば普通の冒険者ならテントを張る際に絶対にやらなければいけないような、枝打ちや草刈りなんかは全くと言っていいほどやらないから、意図して使わないとナイフの出番って意外にないんだよな。
料理だって、最近では切る事はほぼ全部スライム達にお願いしているので、俺自身が包丁を持つ機会自体が以前に比べてかなり減った。
まあそれはそれで楽だし気軽でいいんだけど、以前初めての火入れの際に打ったあのナイフをバッカスさんから貰い、バイゼンでもナイフ専門店の親父さんからナイフを買った際に色んな話を聞いて、やっぱり道具は使わないと意味がないと思ったので、たまには俺もちょっとした枝打ちくらいはやってみたりしているんだよ。
でも、元々そういった事には全く無縁だった、生まれも育ちも都会な元サラリーマン。
元バイカーのキャンパーとはいえ、泊まった場所の殆どはいわゆる水道やトイレ完備のキャンプ場で、組み立て簡単なテントを張って、簡易の調理道具で煮たり焼いたりするような簡単な料理や、湯を沸かしてコーヒーを淹れる程度。
フライフィッシングはよくやっていたから、釣った魚を絞めて捌くくらいは出来るけど、いわゆるサバイバル的な森や山で生き延びる為のような知識は全く無い。
俺の場合は、各メーカーさんが工夫して開発してくれた様々な道具に全面的に頼っていたお気軽キャンパーだったから、こっちの世界で使えるような知識って、実を言うと料理以外はほぼ皆無なんだよな。
チョコレートフォンデュの道具や草刈機もどきのように、元いた世界の便利な道具なんかを作ろうとしたら俺には絶対に出来ないので、バイゼンで色々やったみたいに、その道の専門家に仕組みを話をして依頼する他はない。
なので、ナイフの扱いなんて完全に自己流。迂闊に硬い枝を切ったりするとこういう事態になるわけだ。
さすがにこれはまずいと反省した俺は、この辺りについては、武器の扱いと同じくハスフェルやギイ、オンハルトの爺さんに折を見て教えてもらっている真っ最中だ。
まあ、俺の場合はスライム達がいるおかげで、あえて自分でするほどの事ってほぼ無いんだけどさ。
「ああそうだバッカス。バイゼンでの土産があるんだよ。渡すのが遅れて申し訳ない。今渡しても大丈夫か?」
ぼんやりとそんな事を考えていた俺は、ちょっと得意そうなランドルさんの声に我に返った。
「ああ、あれですね」
にんまりと笑った俺の言葉に、ランドルさんもにんまりと笑って頷く。
「ん? 何を持ってきてくれたんだ?」
ナイフの入っていた木箱を壁面に戻したバッカスさんが、不思議そうにそう言ってランドルさんを見る。
「ほら、これだよ。せっかくだから、店のどこかに飾ってもらおうかと思ってな」
そう言って取り出したのは、俺が買ってランドルさんに渡した、あの額縁に入ったヴェナートさんのサイン色紙だ。
「ん? 絵か? いや、何だこれ……ううん。すまんが全く分からんよ。誰のサインか聞いていいか?」
額縁を受け取りサインを見たバッカスさんは、しばし考えた後に申し訳なさそうにそう言ってランドルさんを見た。
「実はバイゼンで、ケンさんに連れて行ってもらって生まれて初めて観劇をしたんだ。二度目に観に行った際に、その主演の人からもらったサインだよ」
「ほう、ではこれは役者のサインか。それで、その役者は誰なんだ?」
「劇団、風と大河の、ヴェナートさんだよ」
その瞬間、バッカスさんだけでなく、周りにいたスタッフさんやボルヴィスさん達までが、もの凄い悲鳴のような声を上げて駆け寄ってきて俺達の周りを取り囲んだ。
「風と大河の、ヴェナートのサインだって?」
自分が持つそれを、目を見開いてガン見するバッカスさんとスタッフさん達。
「しかもこれ……もしかして、直筆か……?」
「ああ、そう聞いているよ。舞台が終わった後に、スタッフさんから直接、ヴェナートさんからですって言って貰ったものだからな」
ランドルさんの言葉に、もう一回悲鳴をあげる一同。
それどころか、気が付けば少ないけど店内にいた人達までが全員集まってきて、バッカスさんの手元をガン見している。
「よし、ここに掛けよう」
真顔のバッカスさんがそう言い、精算場所、つまりレジの壁面の一番上側を指差し、即座にスタッフさんが持ってきた脚立に上がって、そこにあった金具に手にしていた額縁を引っ掛けた。
真っ直ぐかどうかを確認して降りてきたところで、なぜか店内はもの凄い拍手と大歓声に包まれたのだった。
ええと、俺は知らなかったけど、もしかしてヴェナートさんって……超有名な俳優さんだったりしたんでしょうか?