厩舎での一幕
「はあ、疲れた。ええと、部屋に戻る前にちょっとだけ厩舎に顔を出してもいいですか? あ、お前らはどうする?」
二次会へ向かうクーヘン達やリナさん一家、ランドルさん達や新人コンビ達を見送った俺は、控えてくれていた担当執事さんにそう言ってからハスフェル達を振り返った。結局、二次会に参加しなかったのは俺達だけだったみたいだ。
「ああ、出来れば俺達も従魔の顔を見たいから、厩舎へ行くならご一緒させてもらうよ」
笑ったハスフェルがそう言い、ギイとオンハルトの爺さんも笑顔で頷いている。
「では、ご案内いたします」
笑顔で一礼した執事さんに案内されて、俺達はマックス達がお世話になっている厩舎へ向かった。
「ほら、お願いだから元気を出して」
「どこにも怪我はないのに、こんなに元気が無いのはやっぱりおかしいわよね」
「一応、先生はどこにも怪我は無いっておっしゃっていたんだけど、やっぱりどう考えてもおかしいわよね」
「ほら、マックスの好きな柔らかい子牛の肉を持って来たぞ。お願いだから少しでも食べておくれ」
「ええ、これでも駄目か。ううん、でもあれだけ走ったんだから絶対にお腹が空いているはずだぞ。水だけで足りるなんて絶対にないと思うんだけどなあ」
「他の子達は、なんとか食べてくれたのになあ」
「どうする? あと、食べられそうなものって何があった?」
俺達が厩舎に到着したところで、何やら困ったようなスタッフさん達の声が聞こえて思わず足が止まる。
「キュウ〜〜ン」
その時、スタッフさんの声の後になんとも悲しげなマックスの鳴き声が聞こえて、俺は思わず厩舎に駆け込んで行った。ハスフェル達も、すぐ後に続いて走ってきたよ。
「マックス! どうしたんだ? もしかしてあんなに走ってどこか痛めたのか?」
スタッフさん越しに見えたのは、厩舎に敷かれた干し草の上にうずくまるようにして、鼻先を自分の前脚の間に押し込んで俯くマックスの姿だった。明らかに様子がおかしい。
俺の叫ぶような声が聞こえたらしいスタッフさん達がすぐに下がって場所を開けてくれたので、俺はそのままマックスの側に駆け寄り、首筋から肩の辺りを何度も撫でてやった。
「ご主人……」
しばらくして顔を上げたマックスだが、いつもはツヤピカな毛並みもなんだかパサパサしているし、見るからに元気がないのが分かって俺は慌てて自分で収納していた万能薬を取り出した。
「なあ、痛いのはどこだ? ほら、具合が悪いなら言ってくれないと俺には分からないんだから」
慌てたようにそう言って、手にした万能薬の瓶をマックスの鼻先に差し出して振って見せてやる。
だけど、もう一回悲しそうに鳴いたマックスは、また鼻先を前脚に突っ込んで俯いてしまった。
「どこも痛くないですから、それは使わないでください」
小さな声でそう答えるマックスだけど、絶対にどこか痛いに違いない。
そっと前脚を手に取った俺は、肉球の隙間に石が挟まっていないかに始まり、どこかに棘が刺さっていないかや小さな傷が無いかを必死になってじっくりと確認した。
それが終われば後ろ脚も同じように確認して、念の為腹側に潜り込み、お尻の辺りや尻尾、それから背中や首元も何度も撫でて確認したけど、少なくとも見える範囲に怪我は無いみたいだ。
「じゃあ、どうしたって言うんだよ。なあ、どこも痛くないならどうしてそんなに元気が無いんだ? 具合が悪いなら、言ってくれないと俺には分からないんだからさ」
俯くマックスの頭に両手を広げて抱きついた俺は、出来るだけ優しい声で言い聞かせるようにもう一度さっきと同じ言葉を繰り返した。
「だって……」
「だって、何?」
小さくそう言って少しだけ顔を上げてくれたので、手を離して見えた目をしっかりと見つめながら優しくそう聞いてやる。
「だって、頑張ったのに三連覇出来ませんでした……もう悔しくて悔しくて……ご主人に申し訳なくて……一号とララちゃんにはおめでとうを言えたんですが、それでもここに帰ってきて考えれば考えるほど、悔しくて悲しくて……」
心底悲しそうにそう言って鼻先でキュンと小さく鳴いたマックスは、また鼻先を前脚の隙間に突っ込んで俯いてしまった。
「お前……」
ようやくマックスがどうして元気がないのかを理解した俺は、大きなため息を吐いてからもう一度その大きな頭に抱きついてやった。でもって、無理やり引っ張ってなんとか顔を上げさせた。
「お前は、全力で走ってくれた。俺は、それに感謝しかない。よく頑張ってくれた。ありがとうな。確かに勝てなかったのは、そりゃあ正直に言うと悔しいけど、勝つ事があれば負ける事だってある。それが勝負ってもんだ。な、レースは今回の一度きりじゃあないんだ。お祭りは年に三回もあるんだから、勝てるチャンスもまだまだある。俺はもう次のレースを楽しみにしているぞ。マックスも、過ぎた事を考えて無駄にしょんぼりするんじゃあなくて、次のレースでどうすれば勝てるか、それを考えて元気を出してくれる方が俺は嬉しいんだけどなあ。ん? どうだ? 次のレースはもう勝てないからって諦めるのか? それに、食事もしないで落ち込んで元気がないマックスに俺は乗りたくないぞ。大丈夫かって心配になって思い切り走らせられないからな」
じっくりと言い聞かせるように区切りながらゆっくりと話し、最後はちょっとだけ煽るような言い方をしてやると、効果はてきめんだったみたいだ。
「そ、そうですよね! ご主人を乗せて走るのが私の役割ですから、いつでも万全の状態で走れるようにしないといけませんね。それに、確かに次のレースで勝つにはどうすればいいか考えるのは楽しそうです!」
そう言ってガバって感じに勢いよく起き上がったマックスは、まだ俺が抱きついていたのに気づいて慌てて顔を下げてくれた。
危ない危ない、力一杯抱きついていなかったら勢い余って吹っ飛ばされるところだったよ。
若干冷や汗をかきながら手を離し、もう一度しっかりマックスの鼻先を抱きしめてからスタッフさん達を振り返った。
皆さん揃って心配そうにこっちを見ていて、何人かがすぐそばまで駆け寄ってきてくれた。
「あの、今のケンさんの言葉から察するに、もしかして……三連覇出来なくて落ち込んでいたりしました?」
恐る恐るって感じのスタッフさんの言葉に、苦笑いした俺は頷いて抱きついていた手を離した。
「その通りだったみたいです。ご心配かけて申し訳ありませんでした。俺が思っていた以上に、マックスは勝ちたかったみたいですね。あ、もう大丈夫だと思いますので、それ、あげてやってください」
いかにもマックスが喜びそうな大きなお肉の塊を載せた大きなトレーを持っていたスタッフさんにそうお願いすると、スタッフさんは満面の笑みで頷いて駆け寄ってきてくれた。
「ほら、しっかり食べて体力付けないとな」
笑ったスタッフさんの言葉に嬉しそうに今度は元気よくワンと吠えたマックスは、目の前に置かれたトレーのお肉を大きな口を開けてバクバクと食べ始めた。
スタッフさんと顔を見合わせて揃って吹き出した俺は、全部の肉を食べ終えたマックスが満足そうに顔をあげるまで、ずっと横で首元の辺りを撫でてやっていたのだった。