波乱の予感
「だから言ったよね。この家を買いたきゃ最低でも頭金を現金で用意して、支払い能力を公的機関に保証してもらってから来なってね。二人揃って言葉も分からない赤ちゃんかい? それに残念だが、この家はもう売れたよ。家が欲しけりゃ他を探しな」
驚く男達を見て、マーサさんは鼻で笑った。
「口ばっかりじゃなくて、現金を持って来な。そうすりゃ、他の家だって店だって紹介してやるよ」
「ババア。俺達を誰だと思ってるんだよ」
「そうだぞ。そんな口聞いてタダで済むと思うなよ」
しかし、男達の脅しにもマーサさんは平然としている。
「たかが駆けっこでちょっと勝ったぐらいで威張るんじゃないよ。ガキどもが」
「なんだと!」
自分達よりはるかに小柄なマーサさんに、本気で飛びかかりそうになった男達を、ハスフェルとギイが一瞬で駆け寄って腕を掴んで止めた。
俺が行くつもりだったんだけど、残念ながら後ろにいたのにあいつらの方が早かったよ。
どうやらそいつらは、ハスフェル達の存在に全く気付いていなかったらしく、突然現れた自分達よりはるかにデカい彼らに腕を掴まれて、めっちゃビビっている。
「な、な、なんだよお前ら!」
「そ、その手をはにゃせ!」
……あ、噛んだ。
堪え切れずに吹き出した俺とクーヘンに、男達は顔を真っ赤にして怒っている。しかし、ハスフェルとギイに掴まれた腕は全く動かない。
まあ、そうだろうな。それなりに鍛えている男達のようだが、所詮は俺と同じで素人レベル。ハスフェル達とは勝負にもならない。
「勝手に人の家に入って来て、その偉そうな言い草はなんだ」
真顔のハスフェルの言葉に、ビビってた男の一人が叫ぶようにこう言ったのだ。
「俺がここを買うんだよ。それなのに、あのババアは俺達を信用出来ないとか言って、何度言っても鍵を寄越さないんだ。やっと扉が開いているのを見たから、わざわざ見に来てやったんじゃないか」
何、その上から目線。
呆れたハスフェルがマーサさんを振り返ると、大きなため息を吐いたマーサさんが首を振った。
「庇ってくれてありがとうね。もう良いから手を離してやっとくれ。今、こいつらに怪我でもさせたら、それこそ大問題になるよ」
妙に引っかかる言い方に、小さく頷いたハスフェルとギイが手を離すと、二人はこれ以上ないくらいに偉そうに手を振り払った。
「全く。俺達を誰だと思ってるんだ。よくも俺の大事な右腕を掴みやがったな」
だから、何で一々上から目線なんだよ、こいつら。
だんだん腹が立って来たぞ。
何か言い返してやろうかと思ったら、先にギイが口を開いた。
「知らんな。じゃあ聞くが一体何様だ? お前ら」
あ、ギイの声も怒ってる……。
俺とクーヘンは思わず数歩後ろに下がったよ。それくらい少し低くなったギイの声は怖い。
しかし、ビビった男が何か言う前に、思いっきり大きなため息を吐いたマーサさんが嫌そうに教えてくれた。
「そいつらが、早駆け祭りで現在九連覇を達成している二人組みなんだよ。この夏も一位と二位を取れば、史上初の十連覇だってんで、街じゃあもう大騒ぎなんだよ。まあ、それなりに賞金やら何やらで稼いでいるみたいだけど、金遣いも荒いって聞いてるからね。それに、どこのギルドにも所属してないから、青銀貨の保証も無い。幾ら手持ちにあるのか聞かないうちは、そもそも商談に応じる気も無いって何度も言ってるんだけどね。どうやら自分に都合の悪い言葉は聞こえない、便利な耳の持ち主達らしいよ」
「黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって、このババア! 黙って大人しく鍵を渡せよ」
また、そう叫んで掴みかかりそうになったその男の前に、何も言わずにハスフェルが手を伸ばす。
たったそれだけで、ビビったそいつらは悲鳴を上げて後ろに下がったのだ。
どうやら本当に、偉そうなのは口だけみたいだ。
「お、お、お前ら……」
「分かってるのか! 俺達を敵に回すって事は、街中の人を敵に回すのと同じなんだぞ」
なんて言うかもう、完全に俺達の彼らを見る目は、駄々をこねる子供を見てるみたいになってる。
「こんなのが、早駆け祭り九連覇中の王者だって? なんだ、早駆け祭りも大した事ないな」
態とらしいギイの言葉に、また二人が何か言いかけたが、ハスフェルにひと睨みされて黙ってしまう。
「良かったな、早駆け祭りの勝者には賞金が出るらしいから、貰ったらそれも頭金の一部にしろよ」
これも態とらしく大きな声でクーヘンに向かってギイがそう言い、心得たクーヘンも大きく頷いて答えた。
「そうですね。色々と他にもかかりそうですから、賞金を貰ったら頭金に充てることにします」
その言葉に、二人はムッとした顔をする。
「お前ら、まさか早駆け祭りに出るつもりなのか?」
「そりゃあ残念だったな、今年も賞金は俺達が頂きだよ」
虚勢を張るそいつらを横目で見て、ギイは鼻で笑った。
「じゃあ、レースの着順で勝負しようじゃ無いか。俺達が負けたら、土下座でもなんでもしてやるよ。だけど、俺達が勝てば、お前らは二度とこの家とマーサさんに手出しするな、良いな」
「はは、こいつら本物の大馬鹿野郎だぞ。九連覇の王者である俺達に向かって、レースで勝負だと。おお、受けて立ってやろうじゃ無いか。じゃあ俺達が勝ったら、お前ら全員表彰式の間中土下座して、俺達の視界から消えてろよな」
「じゃあ、俺達が勝ったら、お前らが土下座だぞ」
「言ったな。その言葉忘れるなよ!」
そう言い捨てると、二人は逃げるように店を出て行った。
大きな音を立てて扉が閉まった瞬間、俺達はマーサさんを除いて、四人揃って同時に吹き出して大爆笑になったのだった。
「ギイ、煽るの上手すぎ。最高だったよ。ってか、調停の……いや、仲裁が得意なんじゃないのかよ。お前が煽ってどうするんだって」
笑い過ぎて出た涙を拭いながら俺がそう言うと、ハスフェルとクーヘンも笑い過ぎで揃ってしゃがみ込んだまま何度も頷いている。
「まあ、これも一つの仲裁だろうが。いやあ、面白い事になってきたぞ。祭り当日が今から楽しみで仕方がないよ」
嬉しそうなギイの言葉に、もう一度ハスフェルが我慢出来ずに吹き出して、また揃って大爆笑になった。
「あんた達、本当に大丈夫なんだろうね。庇ってくれたのは有難いけど、あんたらに迷惑かけるのは……」
ようやく笑いの治った俺達を見て申し訳なさそうなマーサさんに、皆まで言わせずハスフェルが手を上げて、彼女の前でその手を振った。
「ご心配無く。俺達が勝ちますよ。それより、いつからあいつらはあんな好き勝手を言って来てるんですか?」
平然としたハスフェルの言葉に、マーサさんは、呆れたようなため息を吐いてひび割れた床に座り込んだ。
「もう、なんのかんのと二年は過ぎたね。丁度三連覇をした直後に、誰かからこの店の事を聞いたらしくてね。分割で払うから売ってくれって言って来たんだよ。だけど、聞けば定職についてる訳でも無ければ、何処かのギルドに所属しているわけでも無い。それなら資産があるのかと聞けば、賞金で食ってるなんて言うもんだから、馬鹿馬鹿しくなって相手にしてないんだよ。だけど、馬鹿なのか諦めが悪いのか、毎回毎回偉そうに言ってくるもんだから、そろそろ腹に据え兼ねていたんだよ」
「確かに、どっちも見るからに馬鹿っぽかったな。一匹狼でやるだけの気概も無く。腕が立つわけでもない。騎獣は何を使ってるんだ?」
「二匹共、他より一回りは大きな赤毛の馬だよ。とにかく持久力はあるし、最後の加速も相当だよ。正直言って、普通の騎獣じゃあ相手にもなりはしないね」
「普通の騎獣ならな」
意味深なその言い方に、マーサさんもようやく理解した様で、手を叩いて笑い出した。
「そうかそうか、そうだったね。あんたらが乗ってるのは、ヘルハウンドにグレイハウンド、イグアノドンにラプトルだもんな。そりゃあ確かに、馬如きがどれだけ必死で走ったところで勝負にもならないか」
「そう言う事だ。まあ見てろ。だがそうなると、もう一つ大きな問題があるな」
「そうだな、確かにこれは問題だぞ」
ハスフェルとギイが何やら真剣な様子で、顔を付き合わせてそう言って頷き合っている。
「ええ? 何が問題なんだ?」
俺とクーヘンは、顔を見合わせて揃って首を傾げた。
すると、ハスフェルとギイは二人揃って、双子か! って言いたくなるくらいのシンクロ率で、振り返って大真面目に答えた。
「だってお前、こうなったら誰が一番になるかは大きな問題だぞ。 マックスとシリウスとチョコとデネブ。誰が一番速いか、本気の真剣勝負だぞ」
「た、確かに! 一位と四位じゃ天と地ほども差があるよな」
「な、これは大きな問題だろう? 手加減無しの真剣勝負だぞ」
「望むところだ!」
俺達は、ニンマリと笑って拳をぶつけ合った。
どうやら、単に、走ってみたかっただけの早駆け祭りが、いきなり互いの従魔のプライドをかけた真剣勝負になったらしい。
これは、マックスにも是非とも頑張ってもらわないとな!