彼女の事情
「それって遠見の術の応用ですよね。オンハルトさんって実は凄い術者だったんですね」
銀色に輝くお皿を見つめていたアーケル君が、感心したようにそう言ってからオンハルトの爺さんを尊敬の眼差しで見る。
「大した事ではないさ。所詮は小手先の術だよ。俺は、君らとは違って炎以外の攻撃系の術はほぼ使えんからな。そっちの方がずっと凄いさ」
「いやいや、何をおっしゃるんですか! 遠見の術は使える人がほぼいないと聞きます。俺も、それなりに長生きしていますが、実際の遠見の術を見るのは初めてです。これって、俺でも覚えられますか?」
興味津々のアーケル君の質問に、苦笑いしたオンハルトの爺さんが首を振る。
「残念だが、これは生まれ持った術なので、アーケルが今からどれほど頑張ったところで覚える事は不可能だよ。一歩間違えれば悪事に使える術ゆえ、そうなっておるのだろうな」
そう言ってそっとお皿を撫でたオンハルトの爺さんの言葉に、なんとなく納得したよ。
大雑把に見えるシャムエル様だけど、一応その辺りはしっかりと設定してくれているみたいだ。
それからすぐに、銀色に輝くお皿から水音が聞こえてきた。しばし、バシャバシャと水の跳ねる音や衣擦れの音、湯桶が床に当たる音などが聞こえる。
なんとなく全員が無言のままお皿を見つめている。
『うん、これでいいわ』
『綺麗になったわね。ほら顔を上げて』
リナさんとマーサさんの優しい声が聞こえて、また衣擦れの音が聞こえた。
多分、湯を使って体を洗った彼女を拭いてあげているのだろう。
暴力テイマーの方は、ここまで一切口を利いていない。
「面倒見てもらっているんだから、はい、とか、ありがとうくらい言えよな」
ちょっと口を尖らせたアーケル君の呟きに、なんとなく皆も頷く。俺もそう思っていたから苦笑いしつつ頷いたよ。
『どうして……そんなに優しくしてくれるんですか……?』
その時、消え入りそうな小さな彼女の声が聞こえて皆真顔になる。
『どうして? 分からないかしら?』
笑ったリナさんが質問に質問で返すが、それに対する答えはない。
『だって……』
『さっきは引っ叩いてごめんね。でも、あれは貴女が悪いわよ』
『そうね。ごめんなさい。でもあれは貴女が悪いわ』
笑ったリナさんの言葉に、力一杯同意するマーサさん。
『ねえ、いい機会だから聞かせてくれるかしら。どうして従魔達に暴力を振るうの? 反撃されるとは思わなかったの?』
若干問い詰めるような強い口調のリナさんの質問のあと、ガサガサと布が擦れる音が聞こえた。服を着せているのだろう。多分。
『だって、リンピオ達が言っていたもの。従魔を躾けるのは主人の役目だって』
『まさか、あれって躾のつもりだったの?』
明らかに驚いた口調のリナさんの言葉に、俺達も一斉に頷く。
あれは断じて躾なんかではないと思うぞ。どう見ても、一方的な暴力だよ。
『え? どういう意味?』
逆に彼女の方が驚いているのを聞いて、聞いていた俺達も顔を見合わせる。
ん? どういう事だ?
『つまり、貴女にとっての躾は、暴力?』
答えはないが、驚いたような二人のうめき声が聞こえたので、恐らく頷いたのだろう。
『もしかして貴女、子供の頃から誰かに暴力を振るわれていた?』
またしても答えはないが、もう一度戸惑うような声が聞こえたので答えは分かった。
黙って聞いていたシェルタン君が、何か言いかけてグッと口を閉じる。
ムジカ君が、そんな彼を横から腕を伸ばして無言のままグッと抱きしめるのが見えて、俺はなんとも言えない気持ちになった。
ここに、理不尽な暴力を受けても、ちゃんと愛し方を知っている子がいるよ。
『女だからって、生意気言うなって、これは躾だって言っていつも父親に殴られたり酷い事をされた。だからある時、いつもあいつが勢いよく座る椅子に仕掛けをして、後ろ側の足が折れるようにしてやった。あいつは見事に引っかかって壊れた椅子ごと後ろに勢いよく倒れて、頭を打って神殿に運ばれて、結局それっきり。でも、その後に私を引き取った爺さんも、同じように躾だと言って私をいつも殴った。だから私も同じように……』
『それは違う! 理不尽な暴力を受けたのなら殴られる痛みを知っているでしょう? 自分を無条件に愛してくれる相手をどうして殴るのよ。ぎゅっと抱きしめてあげなさいよ。どうして殴るの!』
半泣きになったリナさんの叫ぶような声に、こっちまで泣きそうになる。
その通りだ。自分がされた嫌な事を別の相手にしてどうする。ましてや、無条件で自分を愛してくれる従魔達に!
『抱きしめる?』
『そうよ。こうやって抱きしめてあげて。それだけで従魔も貴女も幸せになれるわ』
泣きそうなリナさんの声の後、しばし沈黙の時間が過ぎる。
『これが、抱きしめる?』
『そうよ。もしかして貴女……誰かに抱きしめられた事が無いの?』
驚いたリナさんの声と、またうめくようなマーサさんの声が聞こえた。
まさか、そんな事って……あるかもしれない。
養父に虐げられたシェルタン君には陰で助けてくれる村の人達がいた。だけど、彼女にはその助けの手が何処にもなかった。その結果、彼女の意思の表現方法は全て暴力に転換されてしまったわけか。
リンピオ達とどういった縁で知り合ったのかは分からないが、彼らも、もしかしたら似たような状態なのかもしれない。
愛し方を知らないって、これ以上ないくらいの不幸だよな。
今更ながら、両親亡き後に俺を引き取って高校を卒業するまで面倒を見てくれた親戚のおじさんとおばさんに、心から感謝した俺だったよ。寂しさは消せなかったけど、本当に良くしてもらったからね。
『ほら、これでいいわ。じゃあ部屋に戻って、待っている貴女の従魔達を殴るんじゃあなくてさっき私がしたみたいに抱きしめてあげなさい。きっと喜んで、もっともっと愛してくれるわ』
『そんな事……私に、出来るかしら……?』
『出来るか、じゃあなくて、するのよ。ほら!』
リナさんの言葉の後に、戸惑うような彼女の声と三人の足音と扉を開ける音が聞こえた。
「どうやら、戻ってくるようだな。覗きはここまでだな」
笑ってお皿の上で手を振ると、一瞬で銀色の光が消える。
黙って聞いていた俺達の口から、揃ってため息がこぼれ落ちる。
一応、若干乱暴な方法ではあったけど、これでなんとか目を覚ましてくれたと思っていいのかな?
さっき彼女がうずくまっていた場所は、スライム達がもう何処だったかすら分からないくらいに綺麗にしてくれた。それを見て、思わず小さく吹き出した俺だったよ。
もう一度ため息を吐いてから顔を見合わせて立ち上がった俺達は、彼女の従魔達を前に押しやり、彼女達が戻ってくるのを無言で待ったのだった。