彼女のケアと俺達の対応
「もうそろそろ勘弁してやってくれよ」
止めなければいつまででも遊んでいそうな従魔達に俺はため息と共にそう言って、床にうずくまったまま立ちあがれないであろう彼女にゆっくりと歩み寄った。
だが、俺が近寄っても彼女はうつ伏せになって顔を覆ったまま動こうとしない。いや、マジで動けないのかもしれない。
「あの、ええと……」
何と言って話しかけたらいいのか分からなくて困っていると、無言のリナさんとマーサさんがまたしてもツカツカと彼女の両隣に駆け寄っていった。
いやいや、もうさすがにこれ以上はやりすぎだって。
さっきのビンタを思い出して慌てて止めようとしたが、振り返ったマーサさんが何故だか俺に向かってにっこりと笑って手を振った。追いやるみたいにしっし、って感じに。これは明らかに、あっちへ行け、こっちに来るなって意思表示だ。
「あの、さすがにこれ以上は……」
俺が止めようとそう言いかけた時、真顔になったマーサさんは俺を見て首を振ってから、床にうずくまる彼女の腕をそっと握って引いた。
「立てますか? 別室へ案内しますから、とにかくそこで湯を使ってから着替えましょう。着替えは何か持っていますか?」
意外なくらいの優しい声に驚いて言葉が止まる。
そして、その言葉の意味を悟った。彼女がうずくまっている床の辺りが微妙に濡れている。何が原因かなんて聞くまでもない。
確かにこれは、俺やハスフェル達ではどうしようもないのでここは彼女達に任せるべきだろう。
無言で下がった俺を見て真顔で頷いたマーサさんとリナさんは、何も言わずに無理やり立ち上がらせた彼女を半ば引きずるようにして部屋を出て行こうとした。
「ご主人、アクア達がお手伝いしてあげてもいいですか?」
その時、アクアが俺の足元に転がってきてそう言ったのだ。他のスライム達も、自己主張するようにポンポンとその場で小さく飛び跳ねている。
自分を踏み潰そうとした相手なのに、なんて良い子達なんだ!
密かに感動しつつ、今にも倒れそうな彼女を見る。文字通り左右からリナさんとマーサさんに支えられて何とかよろよろと歩いているような状態だ。力はそれなりにあるのだろうが支えている二人も小柄なので、どうにも見ていて一緒に倒れそうで危なっかしい。
「お願い出来るか? でも、驚かさないように、そっとな」
小さな声でそう言ってやると、一斉に跳ね飛んだスライム達がくっついてもにょもにょと動き始める。これはスライム同士で相談したりする時にするおしくらまんじゅうだ。
「じゃあ、アクアウィータとアクアがお手伝いしますね!」
張り切った声でそう言って、彼女達のところへ跳ね飛んでいったアクアウィータとアクア。
リナさんの肩に飛び乗ったアクアウィータが、彼女の特徴的な耳元にくっつく。彼女になら言葉が通じるアクアウィータが、お手伝いを申し出ているのだろう。
「ああ、じゃあ彼女を運ぶのをお願い出来るか」
笑ったリナさんの声の直後、巨大化したアクアウィータとアクアが、彼女達を三人まとめて一気に包み込む。もちろん、確保したのは三人の下半身だけだ。スライムタクシーの出番だ。
突然の事に、暴力テイマーの悲鳴とマーサさんの驚く声が重なる。
「大丈夫ですよ。スライム達が運んでくれますから」
笑ったリナさんの得意そうな声と、マーサさんの感心したような声が聞こえたが、暴力テイマーは俯いたまま何も言わない。
「それで、何処のお部屋へ行くんですか〜〜?」
張り切ったアクアウィータの声をリナさんが通訳して、笑ったマーサさんの指示する声が聞こえる。三人を乗せたスライムタクシーは、そのまま廊下へ出て行ってしまった。
伸びた触手が、開けた扉をちゃんと閉めて出て行くのを見て、ちょっと笑った俺達だったよ。
「ううん、案外簡単に落ちましたね」
「俺達の出番はなかったな」
「確かに。あれだけ偉そうに暴力を振るっていたくせに、従魔達にちょっと抵抗されただけであそこまで怯えるなんて、案外小心者だったみたいだな」
草原エルフ三兄弟が、すっごく残念そうに顔を見合わせてそんな事を言っている。
「いやいや、俺達は慣れているから平気だけど、あのデカさの肉食の従魔達に唸られたり取り囲まれたりしたら、大抵の人は恐怖で動けなくなると思うぞ。しかも後半は完全におもちゃにされていたんだからさ」
別に彼女を庇うつもりはないが、一応一般的な意見も言っておく。
「そりゃあまあ、そうでしょうけど。ハスフェルさん達にまで殴りかかったのはちょっとびっくりしましたよ。それから、母さんとマーサさんの、あのビンタの凄かった事!」
「だよな。マジ怖かった。すっげえ音してたし」
「だよな。最初の予定では、俺達が先に手を出す振りをする予定だったのに、まさかの母さんとマーサさんがマジで手を出したよ」
「まあでも、あれは俺も本気で飛び出しそうになった。ってか飛び出したけど、母さんとマーサさんに先を越された」
うんうんと頷き合う草原エルフ三兄弟の言葉に、俺達も苦笑いするしかなかった。
そうなんだよな。当初の予定では、俺が従魔達と話をして彼女から引き離して別室へ誘導。その間に彼女の前で従魔達に血の滴る生肉を食わせてやる。そして、従魔達をケアした俺が戻った後、リナさん達が従魔を欲しがる。ここまでは予定通りだったんだよ。
だけど、その後彼女の方が二号と三号をいらないと言い、一号を取り返そうとしたのは予想外だった。
しかも、ハスフェル達にまで暴力を振るおうとしているのを見て、もっと後半の予定だったけど肉食の従魔達による脅しが始まってしまった。
俺達の中では一番小柄で弱そうに見える彼らに彼女との初手の対応は任せて、場合によっては説得が失敗した場合は殴る振りくらいはするつもりだったんだよ。だけど、雪崩的に従魔達による脅しから最後の予定だった彼女でのサッカー大会までが開催されてしまい、しかも俺達の予想以上に彼女にダメージが入ったみたいで、色々と可哀想な事になってしまった。
リナさんとマーサさんが即座に気付いて対応してくれたけど、あれはさすがにちょっと人として申し訳ない気がする。
各自が揃っていろんな思いのこもったため息を吐いたところで、オンハルトの爺さんが無地の小さなお皿を一枚取り出して膝の上に置いた。
「さて、湯を使う女性の部屋を覗き見するのはマナー違反だから、声だけ拾わせてもらうとしようか。だが、万一にも彼女達にあの女が暴力を振るうような事があれば、例え湯を使っている最中だったとしても遠慮なく部屋に押し入らせてもらうがな」
にんまりと笑ったオンハルトの爺さんがそう言った直後に、膝に置いたお皿の表面が銀色に光り始めた。
以前も見せてもらった、恐らくはシャムエル様視点のあの映像だ。だけど今回は映像はなく音声のみ。
俺達は急いでオンハルトの爺さんの周りに集まり、銀色に光り輝くお皿から聞こえてくる音に無言で耳を傾けたのだった。