マーサさん
「元気でやっていたかい! さあ、入んな」
笑ってそう言ったマーサさんだったが、クーヘンの後ろにいるチョコ、つまり恐竜であるイグアノドンを見て、文字通りあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
……沈黙。
「あの……マーサさん?」
目を見開いて、チョコを凝視したっきり全く動かないマーサさんに、クーヘンが恐る恐る話し掛ける。
「どうやら、とうとう私の目がおかしくなっちまったみたいだね。真昼間から幻覚が見えるよ」
大真面目なその答えに、クーヘンは笑ってチョコの首を抱きしめた。
「大丈夫ですよ。貴女の目がおかしくなった訳ではありません。こいつらは皆、私の従魔なんです。ねえマーサさん。見てください。私は魔獣使いになったんです」
「魔獣使い? あんたがこれをテイムしたって言うのかい?」
「ええ、そうですよ」
「寝言は寝てから言いな! 恐竜は地下洞窟にしかいないんだよ。そんな所にあんたが行ける訳無いじゃないか」
元冒険者としては、正しい反応だろう。
それまで黙って見ていたハスフェルが、ここで口を開いた。
「初めまして、マダムマーサ。私はハスフェル。ご覧の通り、冒険者をしております」
「マダムマーサなんて呼ばれたのはいつ以来かね。そんな改まった呼び方されたら背中が痒くなるよ。どうぞマーサと呼んどくれ。ミスターハスフェル」
「では、俺の事もハスフェルとお呼びください」
互いに意味深な笑いを浮かべて、握手を交わしている。笑顔なのになんか怖い!
ちなみにハスフェルの身長は、マーサさんの倍は余裕であるだろう。体重は……言わずもがな。
しかし、そんなハスフェルを前にしても、全く怖じける様子も無い。元冒険者の胆力、半端ねえっす。
「ギイです。俺も冒険者をしております。どうぞギイと呼んでください」
「よろしくね。ギイ。マーサと呼んどくれ」
「ケンです。俺も冒険者でクーヘンと同じ魔獣使いです」
差し出した手を握り返されたが、驚くほどに小さくて柔らかい手だった。
「マーサさん、彼が私の魔獣使いとしての師匠なんです。凄い方なんですよ」
「……そうだろうね。只者じゃ無いのは私にも分かるよ。私の目がちゃんと見えているんなら、ハスフェルやギイの後ろにいるその騎獣達も、彼がテイムしたんだろう? 紋章が皆同じだ」
苦笑いして頷く俺を見て、マーサさんは今更ながらに気付いたようで、笑ってクーヘンの背中を叩いた。
「ってか、何を玄関先で長々と話してるんだろうね。失礼しました。さあ上がっとくれ。従魔達も一緒で構わないよ」
満面の笑みになったマーサさんは、そう言って俺達を中に入れてくれた。
何と言うか、豪快な女性って感じだね。
「さあ好きな所に座っとくれ。今、お茶を入れるからね」
通されたのは、さっきの庭が見渡せる広いリビングのようで、真ん中に大きなソファーが置いてあり、ロッキングチェアには、毛糸の玉と、編みかけの編み針一式が籠に突っ込まれていた。
どうやら、ここでのんびり編み物をしているところに俺達が来たみたいだ。
「はいどうぞ。最近ではすっかり客も減ったからね。食器が一緒じゃなくてお恥ずかしい」
綺麗な陶磁器に花の模様が入ったカップに、良い香りのお茶が注がれる。
順番に渡されたそれを、俺達はお礼を言って受け取った。
「茶菓子は、こんなのしか無かったよ」
そう言って出してくれたのは、大きな瓶に入ったビスケットみたいだった。
大きなお皿に、それをまとめて出して真ん中に置く。
「まあ大したものじゃ無いけど、好きに食っとくれ」
ようやく座ったマーサさんに一礼して、とりあえず入れてもらったお茶を頂いた。
優しい香りのお茶は、ダージリンっぽい感じでとても美味しかった。
「しかし、あんたが魔獣使いとはね。クライン族で魔獣使いの奴なんて、恐らく初めてじゃ無いか?」
お茶を半分程飲んだ頃、マーサさんがクーヘンを見ながらしみじみとそんな事を言っている。
「どうなんでしょうね? 私も最初は何が起こったかわからなかったんですよ」
「ぜひ聞かせとくれ、一体全体、何がどうしてどうなって、お前さんが魔獣使いなんて事になったんだい?」
好奇心に目を輝かせるマーサさんに、クーヘンは、自分が初めてドロップをテイムした時の事。それから旅をする内に、これがどうやらテイムしたのだと分かったものの、もう一度やろうとしてもどうしても上手くいかなかった事などを話した。
「そんな時に、物凄い魔獣をテイムした魔獣使いがいるって噂を聞いて、必死になって探し回ったんです。それで、東アポンの街でようやく発見しまして……」
そこまで話して、クーヘンは俺達をちらりと振り返った。
「ちょうどその時、俺達はちょっと嫌な商人に目を付けられていてね。尾行には敏感になっていたんだよ」
ハスフェルの言葉に、クーヘンも苦笑いしている。
「姿隠しを使っていたのに、軽々と見破られてしまいましてね。それで捕まって誰の指図だ?って尋問されて……」
あの時の、ハスフェルの怖さを思い出したのか、クーヘンは小さく身震いしてドロップを撫でた。
「何も知らないと言い張る私がハスフェルに殴られそうになった時、こいつが俺を庇って飛び出してきたんです」
懐から顔を出したドロップを撫でて、マーサさんに見せてやる。
「スライムが? その小さいのが、そこのデカいハスフェルに立ち向かったって言うのかい? お前さん、無茶するにも程があるよ。あんな大きな拳にやられたら、あんたのジェムなんか粉々に砕けちまうだろうに」
呆れたようにドロップに向かってそう言ったマーサさんは、そっと手を伸ばして優しくドロップを撫でた。
「へえ、懐かしい。そうそう、こんな手触りだったね。スライムに触ったのなんて、いつ以来かねえ?」
嬉しそうにそう言い、俺を見た。
「じゃあ、ケンさんが止めてくれたんだね」
「いやあ、さすがにちょっと驚いたんですよ。それで、話だけでも聞いてやれって言ったら、いきなり弟子にしてくれ!って叫ばれてね」
「だって、もうそりゃあ必死だったんですよ。この機会を逃してなるもんか!ってね」
顔を見合わせて、俺達は堪えきれずに笑い合った。
「以来、お二人の旅に同行させて頂きました。その間に、テイムの仕方や従魔について、詳しく教えて頂き、段々と従魔達も増えてきました。それで、後は私の為の騎獣が必要だって話になって、それなら良いのがいるからって言われて……連れて行かれたのが、東アポンの南に広がる地下洞窟だったんですよ」
それを聞いたマーサさんの表情は見ものだった。
驚くやら感心するやら大忙しって感じで、ちょっと笑ちゃったよ。
「それで、ケンに手伝ってもらって、何とかこいつをテイムしたんです」
そう言って、背後に大人しく座っていたチョコを撫でた。
それから順番に、自分の従魔達をマーサさんに紹介していった。
「確かに、どれもお前さんの紋章が付いているね。いやあ、これは驚いた。イグアノドンだけでも充分過ぎるくらいの驚きだったのに、その上ミニラプトルに、レッドグラスサーバルキャットに、レッドクロージャガーだって? いやあ、長生きはするもんだね。まさか、冒険者時代に殺されかけたジェムモンスターが家にいて、目の前で大人しく寝転がってて、好きに撫でられるなんて日が来ようとはね」
笑ってレッドクロージャガーのシュタルクと、レッドグラスサーバルキャットのグランツを順番に撫でてやる。
ちゃんとマーサさんを紹介したので、従魔達は平然とマーサさんに撫でられて喉を鳴らしている。
一頻り従魔達を撫でた後、満面の笑みのマーサさんは俺を振り返った。
「ケンさん。あんたの従魔も紹介してくれるかい?」
嬉々としてそう言い、俺の後ろにいるマックスとニニを見た。
「しかし、これまたデカい従魔だね。そっちはヘルハウンドの亜種だろう? そっちは何だい? リンクスの亜種かい?」
俺は頷いて、順番に俺の従魔達も紹介した。その際に、マックスとニニは、俺の出身地である影切り山脈の樹海でテイムしたって事にしておいた。
俺の出身地を聞いて、マーサさんは大きく頷き、もうそれ以上、何も聞いて来なかった。
あ、一応、シャムエル様とタロンは、従魔じゃなくてペットだって事にしておいたよ。
ちなみにベリーとフランマは、こっそり庭までついて来て完全に野次馬状態で見物してます。
一通りの紹介が終わる頃には、もうお昼の時間が終わる頃になっていた。
「ああ、すっかり話し込んじまったね。そう言やあんた達、昼はまだかい? まだだったら、食っていきな。大したもんは無いけどね」
しかし、座っていても見上げる程に大きいハスフェルとギイを見て、マーサさんはちょっと黙って考え込んでしまった。
「さて、備蓄に何があったかねえ?」
そう呟いて立ち上がろうとするので、俺は慌てて止めた。
「ああ、マーサさん。待ってください。こいつらだと、一人暮らしの方の備蓄食料を一食で全部食い尽くしちゃいますって。俺が、食料は持って来てますので、申し訳ありませんが場所だけお貸しくだされば大丈夫です」
驚いたマーサさんは俺を見て、背中に背負った小振りな鞄を見た。
「その鞄は収納袋じゃ無いよね。って事は、まさかあんた……収納の能力持ちなのかい?」
頷いた俺は、鞄に一瞬で入ってくれたサクラから、とりあえずいつものサンドイッチ各種を取り出して並べた。
「こりゃあ驚いた。お前さん、調理済みの物を持ち歩いてるのかい? って事は時間停止の収納……羨ましい限りだね」
さすがは元冒険者。その辺りの事情はお見通しだったようだ。
「ええと良かったらご一緒しましょうよ、俺、ちょっと粥が食いたい気分なんです」
そう言って鶏団子の入った粥を大鍋ごと取り出すと、それを見たマーサさんは思い切り吹き出した。
「あんた最高だね。鍋ごと持ち歩く奴を初めて見たよ。ああ、良かったら台所を使ってくれて良いよ」
笑って連れて来てくれた台所は、広くて快適だった。
ハスフェル達に、手早くコーヒーを入れてやり、マーサさんと俺には緑茶を淹れておく。
小鍋に取り分けた鶏団子粥を温めて、お椀によそって、トッピングを乗せれば完成だ。
手早く用意した俺を見て、またマーサさんは感心しきりだった。
「ご馳走さま、とっても美味しかったよ」
多分、俺の半分も食べてないと思うんだけど、もう充分だと言われて、鍋に残った粥は、俺が美味しく頂きました。
デザートに蜜桃を出してやったら、久し振りだと言って大喜びで食べていた。
食後のお茶は、マーサさんがさっきとはまた違った濃厚な香りの紅茶を淹れてくれた。
「それで、急に帰ってきた理由は?」
改めてマーサさんにそう聞かれたクーヘンは、改めて座り直して彼女に向き合った。
「お聞きしたいのですが、以前言っておられた、店舗と厩舎付きの建物は、もう売れてしまいましたか?」
「お前さん……まさか、あれを買うつもりなのか?」
大きく頷くクーヘンを見て、マーサさんは首を振った。
「簡単に言うが、とんでもない値段だよ。確かに大きいし建物も頑丈だ、良い物件だが、あれはそう簡単に売れる代物じゃ無いよ。頭金だけでも大変なんだからね」
「明日には、ギルドから青銀貨を発行してもらいます。それで納得して頂けませんか?」
「何? 青銀貨だって?」
呆気にとられたようにそう呟いたきり、またマーサさんは固まってしまったよ。
しかし、今度は簡単に金縛りは解けたようで、いきなり笑い出した。
「いやあ、今日は最高の日だね。可愛い弟分が立派になって帰ってきてくれただけじゃなく、長年売れ残って頭痛の種だった物件を、青銀貨持ちになったその弟分が買ってくれるなんてね。ディーが生きていたら、大喜びしただろうにね」
そう言って、笑いながら泣き出した彼女を、慌てたクーヘンが必死になって慰めているのを、俺達は黙って見守っていたのだった。
詳しく聞くと、マーサさんはこの街で不動産の売買を生業にしているらしく、特に、仲間であるクライン族からの信頼が厚いんだとか。
クーヘンが買おうとしている店舗兼住宅も、元々、別のクライン族の人が店をしていた物件らしい。しかし、子供のいなかったその人が亡くなった後、マーサさんの知り合いのクライン族の人が買い取って入居する予定だったのだそうだ。しかし、その本人が怪我をして体が少し不自由になってしまった為、店を手放す事にしたらしいのだが、あまりに大きな建物だった為に、それなりの金額になってしまい、なかなか売れずに困っていたそうだ。
それで、資金に余裕のあったマーサさんの旦那さんが、その人から代理で購入すると言う形にして、以来販売リストに載せているんだそうだ。だけど、かなりの金額な為に中々売れていないらしい。
俺達もクーヘンの開店資金に協賛するんだと言うと、何故かお礼を言われた。
それで、相談の結果、まずは今から、その買う予定の家を全員で見に行く事になった。
手早く支度するマーサさんを待って、俺達は、また勢揃いして彼女の案内でその家へ向かったのだった。
もちろん、今回も大注目だったよ。