早起きして船に乗る
ぺしぺしぺし……。
ふみふみふみ……。
カリカリカリ……。
いつものモーニングふみふみタイムだ……。
「うう……うん、お……きる……」
返事をした、つもりだった。
ぺしぺしぺし……。
ふみふみふみ……。
カリカリカリ……。
あれ? まただ?
ああそうだ。今日は夜明前にはここを出るって言ってたよな。もう起きないと……。
俺は何とか目を開こうとしたが、眠くて眠くて全然目が開かない。
ザリザリザリ。
ジョリジョリジョリ。
突然、耳の後ろ側と首筋に、肉を持っていかれそうな勢いでヤスリをかけられた俺は、悲鳴をあげて飛び起きた。
「うわあ! ごめんごめん。起きるからそれは勘弁してくれって」
首筋を両手で庇ってそう叫ぶと、こっちを向いているモーニングコール担当一同が大喜びしている。
「ご主人起きたー!」
「やっぱり私達が最強だよねー!」
「ねー!」
そう。さっきのヤスリがけの犯人は、ソレイユとフォールの猫族コンビだ。
「あはは。本気で身を削られたかと思ったぞ」
「大丈夫だよ。ちゃんと人の体の柔らかさは分かってるから」
「ちゃんと、大丈夫な力で舐めてるよ」
「う、是非ともこれからもそれで頼むよ」
朝の弱い俺でも速攻で起きる、猫族コンビ。すげえ。
『おはよう。起きてるか?』
起きて顔を洗った直後、ハスフェルからの念話が届いた。
『ああ、おはよう。従魔達が張り切って起こしてくれたよ』
『そりゃあご苦労な事だな。じゃあすまないが、そろそろ時間だ。身支度が終わったら廊下に出てくれるか』
『了解、今やってます』
笑った気配がして、そのまま念話が途切れた。
「考えてみたら念話って携帯よりも便利だよな。道具もいらないんだからさ」
サクラに体を綺麗にしてもらって、大急ぎで鎧を身につけていく。装備を整えるのも慣れたもんだ。
「はい終わりっと。じゃあ、もうこのまま行くか。ええと、忘れ物は無いな」
調理道具や食器は使ったらその都度片付けているから、机の上には何も無い。
「おはようございます。じゃあもう出掛けますか?」
水場から戻って来たベリーの声に振り返った俺は、大きく伸びをして頷いた。
「ああ、じゃあ行こうか。俺、船旅って初めてだからちょっと楽しみだよ」
「ケンの世界では船は無かったんですか?」
俺の言葉に、こっちを見たベリーが、不思議そうに尋ねてきた。
「いや、勿論あったよ。だけど、俺は乗った記憶がないな。別に特に理由は無いけど、他にも便利な移動手段が有ったからさ」
「そうなんですね。もしご迷惑でなければ、今度時間のある時にでも、貴方が良いと思う範囲で構いませんから、貴方の世界の事を聞かせてください」
「そうだな。また今度な」
鞄を背中に背負い、小さく頷いて俺はそのまま部屋を出て行った。
まだ駄目だ。
もっと時間が経って、元いた世界が昔の事として考えられるようになるまでは、正直言って、迂闊に話したら最後、色々普通じゃいられないような気がする。
ベリーもそれ以上何も言ってこなかったので、この話はそのまま有耶無耶になった。
「おはよう。じゃあ行くか」
俺が廊下に出ると、もう三人とも準備万端で待っていてくれた。
「お待たせしてごめんよ。俺、朝は弱いんだよ」
誤魔化すようにそう言うと、三人とも笑っていた。
一旦ギルドへ行って各自の部屋の鍵を返した。ギルドの受付は、働いている人は少ないけど、二十四時間開いてるんだな。
早朝にも関わらず、それなりに人がいてちょっと驚いたよ。
さすがに街はまだ閑散としているので、それぞれの従魔に乗って、一気に港まで早足で走って行った。
うん、夜明け前の空気は初夏とはいえひんやりしていて気持ちがいいよ。
前回と同じく、乗船券を買いに行ったクーヘンとギイを従魔達と一緒に端っこで待っていると、またしても船舶ギルドのスタッフらしき人がこっちに向かって来た。
「ハスフェル様とケン様でいらっしゃいますね。早朝よりのお越し有難うございます。どちらの船に乗船をご希望でしょうか?」
めっちゃ丁寧な扱いをされて、正直言ってちょっと驚いた。本気でVIP扱いみたいだ。
「ハンプールまで行きたいんだが、大丈夫か?」
「畏まりました。間も無く乗船が始まりますのでご案内致します。どうぞこちらへ」
「あの、連れが今乗船券を買いに行っていますので、ちょっと待ってやってください」
その言葉に目を瞬かせたその人は、ちょうど戻って来たクーヘンとギイを見て、それから俺達を見た。
「こちらのお二人で間違いございませんか?」
「はい。そうです」
「なんだ? どうかしたのか?」
ギイの言葉に、その人はにっこり笑って振り返った。
「では皆様ご一緒にどうぞ」
今度こそ、大人しく俺達はその人について行き。結局、また一般の人とは別のタラップから早々に乗せてもらう事が出来た。
乗る時に、俺とハスフェルはもらった乗船券を見せたが、やっぱりここでは特に何も確認はされなかった。
クーヘンとギイの乗船券はそのまま回収されて、どこから見ても執事以外の何者でも無い人に案内されて通された部屋は、どう見てもロイヤルスイートレベルに豪華で広い部屋だった。
おお、この乗船券で乗るとVIP扱い決定だね。
「本日は乗船頂きまして誠にありがとうございます。私はこの部屋付きの執事でアンディーと申します。どうぞ何なりとお申し付け下さい」
深々と一礼した執事のアンディーさんは、顔を上げて部屋を手をかざして見せた。
「ハンプールまでとの事ですので、どうぞこちらの部屋をお使いください。恐れいりますが、室内の説明と、船内での従魔の扱いについて説明させて頂きます」
もう一度深々と一礼した執事さんは、ニニの背から降りて俺の足元に同じく大人しく座っているどこから見てもただの猫のタロンを見た。
「その猫やウサギなどの小動物程度は、お部屋に入れていただいても大丈夫ですが。基本的に自力で歩行する人よりも大きな従魔や騎獣は、奥のルーフバルコニーに馬用の厩舎がございますので、夜も、ベランダか厩舎で過ごして頂くようにお願い致します」
一度言葉を区切った執事さんは、壁にある両開きの大きな扉の前に立った。
丁度、先ほど俺達が入って来た扉の真正面側の壁にある別の扉だ。ちなみに、部屋の右側の壁部分は全部ガラス張りになっていて、そこにもバルコニーがあり、自由に出入り出来るようになっている。
あ、ここから見えるバルコニーにパラソル付きの机と横になれる大きな椅子が置いてある。おお、あれに寝転がるとちょっとリゾート気分かも。
そしてなんと、正面の両開きの扉の先には広い廊下があって、そこには左右に二つずつ扉があり、その全部が一人用の広いベッドルームになっていた。
そして、その廊下の突き当たりにあるこれまた大きな扉を開くと、執事さんが言う通りに広いルーフバルコニーになっていて、船室の左側の部屋の外側部分の奥が広い厩舎になっていた。右側は、同じく寝室の外側部分から先程のリビングのバルコニーへと繋がっていたのだ。
「部屋の周り三方が全部バルコニーと厩舎になっているのか。これはすごいな。これだけ広ければ、お前達も大丈夫だな」
ハスフェルが嬉しそうにそう言い、一緒にルーフバルコニーに出て来たシリウスの頭を撫でていた。
従魔達をバルコニーに残して、俺達は一旦リビングに戻った。
他にも、リビングの左側にはかなり広いキッチンと水場があった。
「へえ、自炊も出来るようになってるんだ」
綺麗なキッチンを見て感心していると、執事さんはにっこりと笑って頷いた。
「もちろん、自炊もしていただけますし、ご希望があれば料理人を寄越しますので、こちらのキッチンで料理をさせて頂く事も出来ます。一つ下のフロアには、レストランも数多くございますので、ご希望があれば部屋への配達も致します」
執事さんが当たり前のように平然と説明するのを聞いてて、めっちゃ庶民感覚しか無い俺は、何だか申し訳なくなって来た。
「説明は以上でございます。もう間も無く出発いたします、短い時間ではございますが、どうぞ船旅をお楽しみください」
一礼して出て行くその後ろすがたを、俺達は半ば呆然と揃って見つめていたのだった。
アンディーさんが部屋を出てしばらくしてから、ハスフェルが急に笑い出した。
「ナフティスの奴、やってくれたな。これって絶対半分は嫌がらせだぞ」
「だな。これは確実にそうだな」
ギイもそう言い二人してソファーに突っ伏して大笑いしている。
そのソファーだって、宿泊所にあったソファーの倍くらいありそうな超豪華なソファーだ。
ハスフェルとギイが並んで座っても狭く無いって……。
「まあ、もうこれは開き直って優雅な日常を楽しませてもらうしかないな」
「そうだな。滅多にこんな扱いは無いんだからせいぜい楽しませてもらおう」
俺とクーヘンはもう、驚きを通り越して笑うしかなかった。
「ケン、ここは考えを変えましょう。普段は絶対に出来ない、執事付きの部屋での贅沢三昧ですよ」
「だな、ここまで来て遠慮するのもおかしな話だろうからな」
俺達の言葉に、ようやく笑いのおさまった二人も、頷きながら起き上がった。
丁度その時、大きな汽笛の音がして船がゆっくりと進み始めた。
「テラスに出てみようぜ。外の景色見たい!」
そう叫んだ俺は、廊下を通り抜けてマックス達のいる一番広いルーフテラスに出て行った。
「おお、すっげえ速い!」
この部屋は、船の上部にあるいわばロイヤルスイートルームな訳で、船の真正面最上部に位置する。
その為、正面のテラスに出れば、前と左右全部の景色が遮るものもなくパノラマで見放題だった。
「これはまた綺麗ですね」
隣に来た感心したようなクーヘンの声に、ちょっと感動していた俺は、言葉もなく何度も頷く事しか出来なかった。