放逐と放心
「情けない。お前がそんな役立たずだったとは思わなかったぞ、あんな鷹ごときに負けやがって、よくも俺に恥をかかせてくれたな」
いつの間にか抜き身の短剣を握っていた、黒いエルクに乗った青年の突き放すような冷たい言葉に俺は目を見開く。
さっきのあの音は、戻って来たフクロウが彼の肩に留まろうとした際に、あの剣の横面でフクロウを殴って叩き落としたのか。
しかも、さっきのファルコに反撃された時と違い、地面に落ちたフクロウは明らかに右の翼が変な角度に曲がっている。あれはどう見ても骨にまで届くほどの怪我だ。
「おい! 空を飛ぶ鳥の翼の骨を故意に折るなんて、魔獣使いのする事かよ! ジェムモンスターの怪我がすぐに治ると分かっているにしてもやり過ぎだぞ!」
咄嗟に怒りのあまり大声でそう叫んだ俺だったが、当の本人はこっちを全く無視して今は地面に落ちた自分の従魔であるフクロウを睨みつけている。
「あいつ。常に誰かを睨まないと死ぬ呪いにでもかかっているのかよ?」
思わずそう呟くと、聞こえたらしいハスフェル達が揃って吹き出していたよ。
「申し訳ありません、ご主人……」
折れた翼はそう簡単には治らないらしく、起き上がったフクロウの右の翼は不自然に広げられたままだ。
「翼を切り落とさなかった俺に感謝するんだな。お前のような役立たずはいらん。消え失せろ。二度と俺の前に姿を見せるな」
これ以上ないくらいの冷たい声でそう言い放ったその青年は、そのまま本当に地面に落ちたフクロウを放置したまま乗っていたエルクを進ませて立ち去ってしまった。
もう一人の真っ黒な狼に乗っていた青年もそんな彼を止めるそぶりもなく、それどころか、地面に落ちたフクロウを見もせずにまっすぐに進み、なんと落ちたフクロウの上を通っていったのだ。
間違いなく、乗っている狼にフクロウを踏ませようとしている。
しかしごく小さく鼻で鳴いたそのオオカミは、器用にフクロウを踏まないように、しかも歩き方が不自然にならないような足運びで見事にフクロウを跨いで進んでいった。
「ま、待ってください、ご主人! 捨てるなんてあんまりです!」
自分を放置したまま、従魔に乗って立ち去る自分の主人を呆然と見つめていたフクロウが、折れた翼を引き摺りながら悲痛な声でそう叫んだ。少しでも彼に追いつこうとして、もがくように折れた翼を引き摺って進むフクロウを見て、街の人達から戸惑うようなどよめきが起こる。
フクロウの言葉は分からなくてもあの青年の言葉は聞こえていたのだから、今フクロウが何を言ったのか、そして何をしようとしているのか程度は容易に想像がつく。
同じくらいに呆然とその様子を見ていた俺の目に、不意に不自然な揺らぎが見えて驚いて目を凝らした。
一瞬ベリーが、あのフクロウを助けてくれたのかと思ったが違う。地面に落ちたフクロウの体から、何か妙な揺らぎのようなものが立ち上がっているのだ。
「ああ、これはいけない。あの子の支配が急激に消え始めた。こんな街の中で、しかも無関係の人が大勢いる場所に従魔を放置して主人から一方的に放逐するなんて、そんなの抵抗出来るわけないのに。あの男、本当に最低を通り越して真っ黒だよ。こっそり天罰を落としてやりたいくらいだよ!」
ダンダンと足を踏み鳴らしたシャムエル様が、明らかに怒っている口調でそう言って大きなため息を吐く。ここまで怒ったシャムエル様の声を聞くのって、地味に初めてかも。
若干場違いな感想を抱きつつ、その言葉をもう一度頭の中で繰り返してようやくその意味を理解した俺は、慌ててシャムエル様を見た。
「ええ、ちょっと待てよ。魔獣使いの支配が消えかけているって不味くないか。しかもあのデカさ。街の人に襲い掛かったらどうするんだ」
「まあ一応、放逐された場合でも、最低一日か二日程度は理性を保てるように設定してあるから、森へ帰る時間ぐらいはあると思うけど……あれ、逆に街の人達の方があの子を放置出来ないよね」
シャムエル様の言葉通りに見ていた街の人達の中から、恐らく鳥好きなのだろう何人かがフクロウの元へ駆け寄ろうとしているのが見えて慌てた。
いくらなんでも、素人があのデカさのフクロウをいきなり世話するのは無謀だろう。しかもあれは普通の鳥ではなくジェムモンスターだぞ。
「あの! 危ないですから手は出さない方がいいです! 俺が見ますから!」
咄嗟にそう言ってしまった。
駆け寄ろうとしていた全員が、嬉しそうにこっちを見てゆっくりと下がる。
言ってしまった以上やるしかない。
もうこれ以上ないくらいのため息を吐いた俺は、マックスの背から飛び降りてフクロウの元へ走っていった。
「おい、大丈夫か!」
鞄からサクラが出してくれた万能薬を手に取りしゃがむ。急いで栓を開けて翼の折れた部分全体にかけてやる。小さな瓶の半分くらい使ったかな。
一瞬で折れた翼が元に戻るのを見て、また周囲からどよめきが起こる。
その際に冒険者と思しき人達から、もったいないとか、あれ一瓶で幾らすると思っているんだよ! って声が聞こえて、苦笑いするしかない。
いや、俺の目の前で怪我している子がいたら、俺は使うよ。しかも一方的な暴力による怪我だもんな。
しかし完全に放心状態のフクロウは、周りを見る余裕なんて全く無くて、間違いなく怪我が治った事すら気付いていないだろう。
見開かれた大きな目は、まだあの男達が去っていった方向をずっと見つめ続けているし、その大きな瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちるのを見て、俺はもう何度目か数える気もない大きなため息を吐いたのだった。
マジで、これ、どうすりゃあいいんだ?