従魔とご主人の事
「スライムの重要性をお分かりいただけたところで、さっき俺が食事の際に、貴方が酷いと言って怒った理由をお話しします」
床に手と膝をついて項垂れているボルヴィスさんの腕を引いて立ち上がらせてやり、とにかく座らせてやる。その隣に俺も座った。
ギルドマスターが俺達の向かい側に細長い机を挟んで座り、なんと取っ手の無い湯呑みをそっと押し出してきた。
「ちょっと冷めちまったけど、よかったら飲んでくれ。少し甘めの緑茶だよ」
「ありがとうございます。いただきます」
笑顔でそう言って、久し振りに見る湯呑みに手を伸ばした。
そうだよな。緑茶を飲む文化があるんだから湯呑みや急須があってもおかしくないよな。
なんだか嬉しくなって、ゆっくりと少し冷めた緑茶をいただいた。
ボルヴィスさんは、無言のまま一礼して緑茶を飲んでいた。
すぐにおかわりのお茶を用意してくれているギルドマスターを見ながら、俺は床に転がっていたアクアをそっと手招きして机の上に乗せてやった。
「この子はアクア。ご覧の通りどこにでもいる一番定番の無色透明のスライムです。俺が樹海から出てきて初めてテイムした従魔ですよ」
「やはり、貴方ほどの魔獣使いでも最初はスライムですか」
苦笑いしたボルヴィスさんの言葉に俺は首を振る。
「違いますよ。樹海出身の俺がこっちの世界へ初めて来た時、ヘルハウンドの亜種のマックスと、リンクスの亜種のニニが一緒でした。ちなみにマックスは、早駆け祭りで俺を乗せて一緒に走ってくれた子です。あの子達とは、もっと小さな頃からの付き合いです」
嘘は言っていない。
一応樹海出身って設定の俺が、初めてこの世界に来てテイムしたのはこのアクアだ。そしてマックスとニニはもっと小さな頃からの付き合いだからな。
「そうか。あの二匹はケンさんと同じで樹海出身なのか。ならあのデカさも、能力の高さも納得だな」
マックスとニニを実際に見ているギルドマスターの言葉に、ボルヴィスさんも頷く。
「お仲間の方が戻られたら、是非とも従魔達を紹介してください。それでその、俺が酷いとは、一体どういう意味ですか?」
最後は遠慮がちに、俺を見上げながらそう尋ねる。
俺は一つ深呼吸をしてから、机の上にいるアクアをそっと撫でた。
「この世界へ生まれ落ちてただ単に一定期間存在して、そのあとはまた地脈に帰っていくだけの、いわばこの世界に存在するだけの存在であるジェムモンスターは、テイマーや魔獣使いに確保された瞬間に創造神様から今まで無かった知性が与えられます。それによってまず最初に理解するのが、自分は今からこの人にテイムされるのだ。これから先ずっと一緒にいられるのだって事。それは体の底から湧き上がるほどの喜びなのだとか。これは実際に俺の従魔達から聞いた話ですから間違いありません」
俺の手に一瞬甘えるみたいに絡みついたアクアが、すぐに元の形に戻って同意するかのようにプルプルと震える。
「創造神様から、知性が与えられる?」
「そうですよ。俺の経験的に言わせてもらえるなら、スライムの場合は十代前半から半ばくらいの子供でしょうかね。強いジェムモンスターや魔獣の場合は、テイムした時点で明らかに大人と変わらないくらいの充分な知性を持っていますね」
ボルヴィスさんは、壁際に戻って大人しく座っている自分の従魔を見た。
「従魔達にとって、自分をテイムしてくれたご主人の存在は絶対です。ご主人のそばにいたい。少しでもご主人の役に立ちたい。これはもう魂に刻まれるほどの強い思いです」
拳をグッと握った俺は、一つ深呼吸をしてから無言で従魔達を見つめているボルヴィスさんを見た。
「お祖父様の従魔は、スライムが二匹と、その狼のセラスとホーンラビットのラッキー。他には?」
黙ったまま首を振るボルヴィスさんを見て、俺は密かにため息を吐いた。
「それならば、やはり亡くなられたお祖父様は、魔獣使いではなくテイマーだったんですね。ちなみに魔獣使いとテイマーの大きな違いは、自分の紋章を従魔に刻める事だけではありませんよ」
紋章の無い従魔を見て、多分そう考えているだろうと当たりをつけてそう言ってやると、驚いたようにボルヴィスさんは俺を振り返った。
「ええ? それ以外に何か違いがあると?」
「全く違いますよ。魔獣使いになると、今我々が話しているように言葉を使って従魔達と意思疎通が出来るようになりますよ。今でも貴方の言葉はあの子達に通じているでしょう? でも言葉での返事は聞こえない。それが今度は従魔達の方からも話しかけてくるようになるので、もっと濃厚な意思疎通が図れるようになりますよ。もちろん、戦いの場で双方向の意思疎通が出来れば、たとえソロであっても戦いの際に従魔達と連携を取る事も容易でしょう。ちなみにスライム達は、防御が苦手な俺の背後をいつもしっかりと守ってくれていますよ」
アクアを撫でてやりながらそう言って、大きなため息を吐く。
「言ったように、従魔にとってご主人の存在は全てです。つけてもらった名前は、文字通り魂に刻まれる唯一の名前です。そのテイムしてくれたご主人から、お前は役立たずだからいらないと言われて放逐されたスライムの気持ちがわかりますか? 創造神様から知識を与えられて唯一のご主人だと思った人に、名前すらつけてもらえずに放逐されたテイムしたばかりのスライム。そして、役立たずはいらない。連れているだけで恥ずかしいと言われて、今まで仲間だったセラスとラッキーだけを連れて行った貴方は、残されたスライム達の目にはどんな風に映っていたでしょうね。まあ、スライムに俺達のような目はありませんがね。貴方から拒否されてお祖父様が亡くなるまで一緒にいたスライム達は、お祖父様が亡くなられて数日の間には知識も記憶も消え失せて地脈へ戻って行ったはずです。貴方が連れて行ってくれてさえいれば、今もまだ貴方の横で、新しいご主人と一緒に旅を続けていられたでしょうね」
俺の言葉に同意するかのように悲しげに鼻で鳴いたセラスとラッキー、黙ったまま椅子の背に留まって羽を膨らませて項垂れているオオタカ。
「お、俺は、俺はなんて事を……」
新しく差し出された湯呑みを受け取ることもせずに、小さな声で呆然とそう呟くボルヴィスさんの目に涙が浮かぶのを見て、俺は無言でアクアを抱きしめたのだった。