桜の記憶
「ああ、こっちの方もいくらか被害が出ていたんだ」
冒険者ギルドの建物を出た俺は、マックスに乗ってのんびりと南の街道がある側の城門へ向かっていた。
途中の街並みは全く問題無かったんだけど、城門まで後少しのところまで来て、驚いて城壁を見上げた。
この前来た時は気が付かなかったんだけど、南側の城壁の一部が妙に新しいのだ。
見ると城壁の上の方まで大がかりな足場が組まれていて、上ではまだ作業をしているらしき人影が何人もいる。
「ああ、この間の岩食い騒動の時に、こっちには直接の被害はなかったんですが、何しろすごい振動だったもんで、老朽化していた一部の城壁の表面が堪えきれずにヒビや崩落を起こしたんですわい。とはいえ特に被害は無く、取り急ぎ問題があるわけではなかったので後回しにしておりました。東の大門の外の全面改修がやっと一段落したんで、ようやっと人手が回されましてな。それでこっちの修繕もやっとるんですよ」
立ち止まって上を見ていたら、すぐ近くにいたドワーフの爺さんが笑顔でそう教えてくれた。
「まあ、確かにもの凄い爆発でしたからねえ。そりゃあ衝撃で壁くらい剥がれるか」
苦笑いしてもう一度城壁を見上げた俺は、そう呟いて頷いた。
「魔獣使いの兄さんも、大活躍だったと聞きましたよ。バイゼンの街を救っていただき、本当にありがとうございます。ワシももう少し若ければ一緒に戦えたんじゃがなあ。年寄りがしゃしゃり出て若者の邪魔をしてはいけませんから、こっちで避難の誘導を行っとりましたわい」
苦笑いするそのドワーフの爺さんは、細くなったとは言っても、多分俺より太い腕を曲げて見せてくれた。
まあ、背は低いけど筋骨隆々なドワーフにしてみれば、確かに痩せて衰えているのだろう……多分。
「そう言えば、北側の城壁は大丈夫だったのかなあ」
一番最初に、ハスフェル達が戦った場所だ。確かあっちは山側の鉱山へ続く道があるって聞いた。
「ああ、向こうも少し城壁が少しやられとりましたなあ。ですが崩れるほどじゃあなかったと聞きましたよ。あっちはもう綺麗に修繕されて、鉱山での採掘が始まっとりますよ」
「ああ、そうなんですね。それなら良かった」
小さく笑ってそう言った俺は、爺さんに鞍上から一礼してその場を離れて南側の城門へ向かった。
「うわあ、もう咲き始めてるよ……」
城門から外を見たところで、俺は驚きの光景に絶句してしまった。
今はマックスに乗っているので目線が高い事もあるのだろうが、それでも見えてきた景色は圧巻だった。
はるか奥までまっすぐに続く街道の両端に植えられた巨大な桜の木々は、咲き始めた花達のおかげで一面ピンク色に染められていた。
「五分咲きってところかな。満開まで後少し……」
その時、やや強い風が吹いて一気に桜の木が騒めく。しかも咲いた花の枝も何本かが大きくしなって見えて焦る。
「うわあ! せっかくの枝が折れたり……しないのね。成る程」
まだ受粉もしていないようで、あれだけの強い風にも桜の枝も咲いた花もほぼ大丈夫みたいだ。
「俺はもう少し咲いたほうが好みだけど。これはこれで良いよなあ」
俺の知るソメイヨシノよりもやや濃いピンク色の桜並木は、それはそれは綺麗だった。
「咲いちゃったか……もうあと数日もあれば、本当に満開になっちゃうよ……」
目の前まで迫ってきた別れの時を思って、俺はマックスの背中の上でぐっと涙を飲み込んだのだった。
「戻ろう。それで、もうあと数日だって言わないと……」
しばらくの間、半ば呆然と桜並木を見つめていたんだけど、今日の陽気も相まって、さっき見た時よりも桜が咲いた気さえし始めた。
「いやいや、いくらなんでも見ていて咲くのが分かるとか有り得ないから」
慌てたようにそう呟き、そのまま城門を出て桜並木をゆっくりと進んでみる。
「うわあ、本当にピンクのトンネルだよ。なんて綺麗なんだ……」
その、妙に懐かしい光景に、俺は不意に高校の時の卒業式を思い出した。
それなりに歴史のある高校だったので、学校の正門周りには大きな桜の木が何本も植っていて、春にはそれは見事な花を咲かせていたんだよ。
卒業証書の入った筒を抱え、亡くなった母さんや父さん達にこの姿を見て欲しかったって思って、だけどそんな風に考える事そのものが、せっかく仕事を休んでまで見に来てくれたおじさんやおばさんに申し訳なくて、うまく言い表せない気持ちがごちゃ混ぜになって、俯いて声を殺して泣いたんだっけ。
すると今度は泣いた事自体が恥ずかしくなってあたふたしていたら、赤くなったり青くなったり忙しいやつだって友達に笑われたんだっけ。
「あいつ、今頃どうしているのかなあ」
すっかり忘れていた学生時代の友達の顔まで思い出してしまい、あの時みたいに気持ちがごっちゃになった俺は、マックスの背中に乗ったまま、ぐすんぐすんと鼻を啜っていたのだった。
桜の花は、思っても見なかった懐かしい記憶も一緒に連れてきてくれたみたいだ。
「俺が異世界で冒険者やっているなんて知ったら、きっと羨ましがるだろうなあ」
ファンタジーものが好きで、本や漫画だけじゃなく、アニメや特撮まで、異常に詳しかった友達の事を考えて、笑うやら泣くやら、どうにも忙しい俺だったよ。
いつの間にかマックスの頭の上から俺の右肩へ移動していたシャムエル様は、まるで慰めるみたいに俺の頬や耳のあたりにもふもふ尻尾をくっつけてくれていた。
「ありがとうな。シャムエル様……」
鼻を赤くしつつそう呟いた俺は、今度は遠慮なく柔らかなシャムエル様の尻尾に思いっきり頬擦りしたのだった。