渡し舟と西アポン
「渡し舟もこの券で乗れるのか?」
俺は貰ったばかりの乗船券を取り出した。
「ああ、もちろんだ。個人所有の船は駄目だが、船舶ギルドが管理している船はこれで全て乗れるぞ。いやあ、これは本当にありがたいよ」
嬉しそうなハスフェルの声に、俺は乗船券を買いに行ったギイとクーヘンを見た。
従魔達は、俺達と一緒に留守番だ。
「そういえば、クーヘンって従魔達と話せるようになったのか?」
以前、俺が従魔達と話している時に、彼はまだ、人同士で話す様には解らない、と言っていたのを思い出した。
「ああ、あの後部屋に帰って確認したが、どうやらかなり解るようになってきているみたいだぞ。やはり、魔獣使いとして紋章を持ったおかげのようだな。それに従魔達の方も、テイムされた事により知能も上がっているからな。お互いに話す事に慣れてくれば、もっと円滑に会話出来るようになるだろうさ」
ハスフェルの説明に、俺は何度も頷いて隣にいたチョコを撫でてやった。
「早くクーヘンと、もっと自由に話せるようになるといいな」
『はい。とても楽しみです』
嬉しそうに目を細めて、チョコはゆっくりと喉を鳴らした。
「へえ、お前も喉を鳴らせるんだ。猫達とはまた違う不思議な音だな」
額を寄せて、目を閉じてその低い喉の音を聞いていると、なんだか眠たくなってきた。
「お待たせしました……ケン? どうしたんですか?」
はい、ギイとクーヘンが戻ってきた時、俺はチョコに寄りかかって立ったまま半分マジ寝してました。
「ふわい。おかえひい」
寝ぼけていたが平気な振りして言ったら、何だか意味不明の言葉になった。
「だ、大丈夫ですか? どこか具合でも悪いのでは?」
慌てたようなクーヘンの言葉に、俺は笑って顔の前で手を振った。
「違う違う。チョコの鳴らす喉の音を聞いていたらなんだか眠くなってきちゃってさ。ちょっと目と閉じたら意識が飛んだだけ」
俺の言葉に、クーヘンは呆れたように笑っている。
「これだけ大勢の人が居るところで、立ったまま寝られるって……さすがですね」
「あはは、気が緩みすぎだってな。じゃあ行こうか」
肩を竦めて笑い合い、俺達は船に乗る為の行列に並んだ。
「相変わらず、空間が出来るな」
俺達の前と後ろには、完全に二人分は空間が空いている。前が進むので詰めようとすると、悲鳴を上げて前に逃げられたので、それからは俺達も前の人達と少し距離を開けているのだ。
「もしやハスフェル様ですか? それからそちらはケン様でいらっしゃいますね」
従魔達と一緒に列に並んですぐに、渡し舟の船員らしき人が走って来た。
「あの、どうぞこちらへ。お連れの方も、従魔達もご一緒にどうぞ」
「まあ、このまま並んでいると、周りに迷惑みたいだからな」
俺とハスフェルは顔を見合わせて頷き合った。
大人しく、船員の案内について行くと、何と別のタラップから優先して船に乗せてくれた。
入り口で乗船券の提示はしたが、言っていたような個人を特定するチェックは無かった。
そのまま船員さんが中に案内してくれた。しかも、通されたのはどう見ても一等船室だった。
「こちらのお部屋をどうぞ、従魔達は出来れば外の甲板にお願いします」
そう言って、深々と一礼して帰っていった船員さんを見送り、俺達は無言で部屋を見回したまま立ち尽くしていた。
「へえ、渡し舟なのにこんな設備が有るんだ」
感心してそう呟き、広い部屋を見渡す。豪華な調度品は壊すととんでもない金額を請求されそうで、ちょっと気が遠くなったよ。
部屋の足元には見事な絨毯が敷かれている。確かに汚すのは申し訳なさそうだ。
そのまま外側に出る扉を開けてみる。
「おお、広い! これなら全員外に出ても大丈夫だぞ」
俺の声に、三人共デッキに出てきた。
「すっげえ、対岸があんなに遠いぞ」
デッキから身を乗り出してそう言うと、クーヘンが慌てたように俺の背中を掴んだ。
「ケン、危ないですよ。落ちたらどうするんですか!」
「大丈夫だって。おお、下にも人が居るぞ」
今いる場所は、船の客室部分の謂わば最上部に当たる為、数段下にあるメインデッキには、大勢の人がぎっしりと乗り込んでいるのが見えたのだ。
「なあ、ハスフェル。ケン。お前ら、一体何をしたんだ? ここは貴族用の部屋じゃないのか?」
ギイの不審そうな声に、ハスフェルは苦笑いしている。
「いやあ、ちょっとナフティスと交渉して、ジェムの代金の一部を無期限乗り放題の乗船券でくれと言ったんだよ。で、貰ったわけだが……俺達は普通に乗れたらそれで良かったんだけどな。まさか一等船室扱いだったとは、恐れ入ったよ」
「だよな、俺もこの展開は予想していなかったよ」
ハスフェルの言葉に、俺もそう言うしかなかった。
渡し舟でこれなら、もっと長距離を乗ったら一体どんな扱いになるんだろう? 考えたら、ちょっと気が遠くなったよ。
なんとなく、皆無言のままでデッキから街の景色を眺めていた。
「この渡し舟に乗れるのは、騎獣程度の大きさまでだ。荷馬車や馬車は、あの橋を渡って対岸へ行くんだ」
ハスフェルが指差す先には、巨大なアーチ型の橋桁に支えられた橋が見えていた。
「あの巨大な橋を作っちゃうんだから、この世界の建築技術は相当だな。これもドワーフの技術か?」
「ああ、これはドワーフ達の技術の粋を集めた最高傑作だよ。この橋無しには、東西アポンの発展はないと言っても過言では無いだろうな」
これは工房都市バイゼンに行く楽しみが出来たよな。どんな所なんだろう?
その時、船の上部から、大きな汽笛の音が響いた。
「おお、近い!」
「うっわあすっげえ音!」
皆、思わず耳を塞いで笑いながら叫んだ。
岸側からもベルの音が響き、タラップが外されて船は出発した。
この船も以前見た帆船と同じで、両横に巨大な外輪が付いていてそれが回って進む仕組みみたいだ。
水音と共に、飛沫が飛び散るのが見えて、舟はゆっくりと対岸目指して進み始めた。
「え? 真っ直ぐに横断してるのか?」
川上側にある橋との距離が、ほとんど変わらないのだ。
「船首を川上に向けて進むと、流れに押し戻されるから、結果として真っ直ぐに横に進んでいるように見えるのさ。この船の場合は、外輪とあの帆で調整しながら進んでいる」
「確かに、マストが一本だけ立っていて、大きな帆が張られていたな」
ハスフェルの説明に、感心したように頷いて、俺達は無言で川の上を吹く風を感じていた。
「ああ、気持ちいいな」
季節はそろそろ暑さを感じ始めているが、感じる風は水面を渡る際に水温で冷やされていて快適そのものだ。
すぐに対岸に着いたが、俺達はこのちょっとした船旅を満喫していた。
「ほら、ここが西アポンだ。向こうとはまた違う景色だろう」
船員さんにお礼を言って船から降りたそこは、確かに東アポンとはまた違った作りになっていた。
ハスフェルの言う通りで、東アポンは、全体に建物も大きくどっしりとした石造りの建物が並んでいて、これぞ中世の街並み、って感じだった。だけど、それに対してこっちの西アポンは、それよりはもう少し新しいように感じた。
建物も全体に小ぶりだし、装飾も簡素だ。だけど、みすぼらしさは無く、街全体が活気に満ちている。東アポンは割とのんびりした雰囲気だったんだけど、こっちはいかにも都会に来ましたって感じだ。
「東アポンは旧市街と呼ばれている。それに対してこっちの西アポンが新市街と呼ばれているんだよ。その名の通り、元は東側だけだったんだが、この橋が架けられた事により、西アポンが急速に拡大して発展したんだ。百年ほど前に、正式に街として独立して、今では東西両方が違いをうまく利用して発展しているんだよ。ギルドは東西両方にあって、内部での管理は一緒なんだが、一応受付窓口は別になっているから、こっちのギルドでも忘れずに登録だけはしておけよ」
「了解。じゃあまずはギルドに行って登録するか、それで、言っていた武器屋に行こう」
俺の言葉に、隣で一緒になって景色を見ていたクーヘンも頷いている。
「そうだな。まあ他にもいろんな店があるから、見たければ好きにすれば良い。渡し舟はかなり遅くまで運行しているし、なんなら帰りは、騎獣に乗って橋を渡ってみても良いぞ。歩くのは正直言って御免だが、従魔に乗って行くなら、まあなんとかなるだろうさ」
「確かに橋の上を従魔で渡るってのも面白そうだ。元気があったら、帰りはそれでも良いかもな」
「風のきつい季節はやめた方がいいが、今の季節なら確かに騎獣に乗って走ったら気持ち良さそうだな」
ギイまでそんな事を言うものだから、帰りは橋を渡って帰る事が決定したみたいだ。
とりあえず俺達は、ハスフェルとギイの案内で、冒険者ギルドへ向かったのだった。