南の街道と今後の予定
「うわあ、すごい! 桜だ……桜並木だ……本当に、桜並木だ……」
目に飛び込んできたその不思議と懐かしい光景に思わず歓声を上げた俺は、しかしそのあとはそう呟いたっきり、ただただ茫然と言葉も無くその光景を眺めていたのだった。
何度も名前は聞いてはいたが、この南側の街道へ来るのは、考えてみたらバイゼンへ来て以来初めての事だ。
バイゼンから南へ向かってほぼまっすぐに伸びるその街道は、東の街道に比べると道幅は広いものの人通りはまばらだ。
そしてその広い道の左右には、ほぼ等間隔に見上げるほどに大きな桜の木が延々と続いていたのだった。
しかも街道を向いて左側、つまり街道の東側には広い水路が道沿いにずっと続いていて、桜の木は大きくその水路の上まで覆い被さるみたいに長い枝を好き放題に伸ばしていた。
広い川の街道側は綺麗に護岸工事が施されていて、見える限り見事な石積みの護岸が続いている。
これは満開になった暁には、見事な花筏が楽しめるだろう。
水路の向こう側は、聞いた通り栗林が広がっている。時折、広い畑があってまた栗林、そしてまた畑が広がり栗林がある。おそらくこれは、防風林的な意味もあるのかもしれないな。
そんな事を考えつつ、俺は初めて見る南側の街道沿いのいつもとは違う景色を楽しんでいた。
ちなみに街道を挟んだ反対の右側は、もっと幅の狭い水路というか、小川になっている。こっちの対岸には自然の木々が大きく育っていて、足元は草ぼうぼうになっている。マックスなら行けるだろうが、普通の人はちょっと中に入るのは無理そうだから、不審者が潜む場所が無いというのは、ある意味これも安全対策なんだろう。
城門を出て手前にある桜の木に近寄ってみる。マックスの背の上にいたら、大きく伸びた枝にだって手が届くよ。
顔を寄せて見た目の前のその枝先には、それはもう数え切れないくらいのピンク色の蕾が鈴なりになっている。だけど、ややグラデーションのあるピンク色を帯びたその蕾は、まだ硬いみたいで花びらはしっかりと閉じている。
花が開くまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
もっとよく見てみると、俺の知る桜の木の代名詞とも言えるソメイヨシノとこの世界の桜の木はちょっと違っているみたいで、大きく膨らんだ無数の蕾と一緒に、枝先には薄緑色の葉っぱも小さいけれども顔を出し始めていた。
「そっか。この世界の桜は、葉っぱも一緒に出るのか。それならソメイヨシノじゃあなくて山桜系なのかな? それもまた風情があっていいよな。仮に葉っぱがあったとしても色は薄そうだし、これだけの桜が一斉に咲いたら、そりゃあ視界一面ピンク色で、さぞ綺麗なんだろうなあ……」
ここから見る限り、どの木の蕾もかなり膨らんではいるが、まだまだ咲く気配はないみたいだ。
「ううん、これは咲くまであと十日ほどってところかなあ」
「そうだなあ。今年の桜は少しのんびりさんのようだな」
笑ったハスフェルとギイの言葉に俺も頷いて、改めて街道を振り返った。
大きなカゴを背負った行商人と思しき人が数人、ゆっくりとこっちへ向かって歩いて来るだけで、広い街道には誰もいない。
「案外、人通りは少ないんだな」
思わずそう呟くと、近くにいたハスフェルには聞こえたらしく、彼が笑って首を振った。
「まあ、この時間だからな。ちょうど人通りが途切れる頃合いだよ」
そう言って、街道沿いの広い水路を指差す。
「この街道を南下すると、この世界の大河の一つであるダリア川に突き当たる。この広い水路は、そのダリア川までずっと街道沿いに続いている人工の運河なんだよ。ダリア川の向こう岸に広がるカデリー平原の穀倉地帯から運ばれる穀物に始まり、街道沿いの畑で作られる様々な作物や果樹、それから街道の西側にある西方草原地帯の牧場からは肉や牛乳に始まり、大量の食料が日々運ばれてくる。その物流の要が、この運河なんだよ。荷下ろしはあそこでするから、早朝はすごい人だぞ」
そう言って指差したのは、水路が突き当たる城壁横に作られた広い船着場で、城壁沿いにかなり奥まで船着場が続いているのを見て目を見開いた。
「へえ、すげえ。あそこがいわば川港な訳か。そっか。運河なら流れが無いから、平地であれば川と違って登るのも下るのも自由って事か。成る程なあ。これもドワーフの技って事か」
感心したようにそう呟き、今は空の船が数隻しかいない船着場を眺めていた。もしかして、船の移動にもジェムが使われていたりするのかな? これは見るのを楽しみにしておこう。
「もちろん荷馬車で自分の畑の作物を運んで来る小規模農家の人達をはじめ、仕入れた物を背負子で運ぶ行商人だって大勢いるから、早朝の城門担当者はすごい人数がいるぞ」
笑ったハスフェルの言葉に納得する。
一応、街へ入る際には身分証明書が必要で、俺達なら冒険者ギルドのギルドカードを見せる。
農家の人達や商人達なら、商人ギルドのギルドカードが必要って訳だ。
朝市に間に合うように早朝の時間に一斉に人が来れば、確かに城門の担当者は大変だろう。
「まあ、ほぼ来る奴らは顔馴染みだから、身分証の確認も形式的なものだよ。逆に言えば、俺達みたいな流れの冒険者は余程急いでいるので無い限りはその時間帯は避ける。逆に怪しまれて、いらぬ事まで根掘り葉掘り聞かれるからな」
「ああ、確かにそうだな。気をつけるよ」
笑った俺の言葉に、ハスフェル達も苦笑いしていた。
「じゃあ、出発まで本当にあと少しってところだな。鉱夫飯の配達も終わったし、作り置きの料理も弁当もかなり出来たから、当分何があっても大丈夫だよ。となると、あとは俺も少しくらいは狩りに行こうかな」
何気ない呟きだったのだが、それを聞いたハスフェルとギイの目が光るのに気が付き、俺は無言で慌てた。
しかもその背後では、シルヴァ達やリナさん一家までが揃って拍手をしている。
「よく言った! じゃあ、もう一度最後に飛び地へ行くとするか!」
「わあい! 一緒に行こうね!」
「ちゃんと守るから大丈夫よ!」
シルヴァとグレイの二人に嬉々としてそう言われてしまい、断るタイミングを逸した俺は、無言で空を仰いだのだった。