距離感と人見知り
「ああ、蹴っ飛ばされちゃったわね」
「ううん、残念。それより、思った以上に痛いわね、これ」
「確かに〜〜。予想以上の痛さだわ」
笑いながらそう言って起き上がったシルヴァの右手と右頬には、真っ赤な引っ掻き傷が一直線に走っているし、グレイの綺麗な額には、これまた豪快な引っ掻き傷が斜めに走っている。
子猫の爪は、細い上に尖っているから、実はちょっとの傷でもすごく痛いんだよ。
慌てて万能薬を取り出そうとしたが、笑ったグレイが右手で自分の額を撫でると、何故か一瞬で傷が消えた。
シルヴァも同じく、引っ掻き傷の上を左手で撫でていく。
するとこちらも一瞬で引っ掻き傷が消えてしまった。
「おお、お見事。あれってもしかして癒しの術ってやつ?」
笑ってそう言いながら拍手をしてやる。
癒しの術は、たまにハスフェルがやってくれる事があるけど、今見たそれはハスフェルが使っている癒しの術よりもかなり強力みたいだ。
「お前ら、そうきたか!」
それを見て、何故かまたしても大爆笑しているハスフェルとギイ。少し離れて見ていたオンハルトの爺さんと
レオとエリゴールも、揃って遠慮なく大爆笑している。
「引っ掻き傷が怖くて、子猫と遊べるか〜〜! ってね」
「そうよね〜〜〜! だから、準備万端整えて来たんだもんね〜〜〜〜!」
「ね〜〜〜〜〜!」
そんな彼らを見て何故かドヤ顔でそう言った彼女達は、最後はお互いの顔を見合わせて満面の笑みでそう言って揃って笑い出した。
「まあ、綺麗な顔に怪我のあとが残らなくて済んだのなら、良かった……んだよな?」
何が何だか分からないけれども、彼女達の綺麗な肌に傷が残らなくて割と本気で安堵した俺だったよ。
そんな事を考えていると、またしても懲りずに嬉々として子猫達の側に行こうとする二人。そして、見知らぬ二人がぐいぐい距離を詰めてくるのを見て、割とマジでドン引きしている子猫達。
そうだよなあ。今のところ、子猫達はまだお城の外には一歩も出た事がない。なので、知らない人を見るのも接するのも、文字通り生まれて初めての事なんだよ。
冷静に考えたら、その見知らぬ人達がいきなりゼロ距離でくっついてきたら……しかも目が覚めた時に体ごと抑え込まれていたりしたら、そりゃあ怖いよな。一歩間違えたらマジで夢に見るレベルだよな、これ……。
そこまで考えて割と本気で焦った俺だったけど、ある事実にも気が付いた。
実際に、彼女達にドン引きしてはいるけれど、さっきの子猫達の彼女達への攻撃は、明らかに本気では無かった。
あの鋭い爪で本気で攻撃していたら、彼女達の怪我はあんな引っ掻き傷程度で済むわけがない。
つまりこれは、子猫達なりに自分と周囲の人間との関係性や距離感をちゃんと理解しているって意味だよな。
そこまで考えて一つため息を吐く。さっきの一連の行動はどう考えても彼女達が悪いので、ここは彼女達が子猫達に本気で嫌われないようにフォローしておかないとな。笑って見ていた俺達も、子猫達を怯えさせたって意味では同罪だって。
「大丈夫だよ。彼女達は俺達の大切な仲間だから怖くないよ。ちょっと事情があって、いつもは一緒にいないんだ。だけどせっかく来てくれたんだから、仲良くしてやってくれよな」
笑って側へ駆け寄った俺は、マニの頬を両手で撫でながら言い聞かせるようにゆっくりと話しかけてやった。それからカリーノとミニヨンにも、同じように撫でてやりながら言い聞かせるようにしてゆっくりと説明してやる。
一応、俺の事がご主人だって認識は、子猫達にもそれなりに出来てきているみたいだ。だけどニニやカッツェの報告によると、まだテイムそのものの意味や価値がしっかりとは解っていないらしく、今のところ正式なテイムはまだ出来ていない状態だよ。
とはいえ完璧ではないが、子猫達にはそれなりに言葉も通じてきているので、一応そう言い聞かせてフォローしておく。
だけど、もしもマジで子猫達が嫌がるようなら、残念だけど彼女達を無理矢理にでも引き剥がしてやらないといけないからな。一番優先すべきは、子猫達の安心安全だよ。
「ほら、シルヴァ、グレイも。子猫に会ってテンション上がる気持ちは、ものすご〜〜くよく分かるけど、子猫を怯えさせてどうするんだよ。友好関係の第一歩は、まずは自己紹介からだろう?」
放っておいたらさっきの二の舞になりそうだったので、彼女達の前に腕を伸ばして、抱きつく寸前だったところをとにかく阻止する。
「あ、ああ……そうなの?」
不思議そうな彼女達を見て俺は無言になる。そして戸惑う彼女達の様子を見て原因を理解したよ。
これって悪気は一切無いんだけど、どうやら彼女達は初対面の従魔達との距離感を掴めていないって事だよな。
恐らくだけど、普段、俺が従魔達とイチャラブしているのを見ていて、もしかしたらあれが通常なんだと思っているのかもしれない。いやいや、それは無茶だって。
あれは、するのが俺だから従魔達が許してくれているんだって。
脳内で思いっきりツッコミを入れつつ、困ったように顔を見合わせている二人を見た。それから、少し離れてこっちの様子を窺っているレオとエリゴールとオンハルトの爺さんを振り返って手招きする。
「なあ、もしかしてシルヴァ達って……動物を飼った事って無かったりする? ってか、そもそもこの中で愛玩動物、つまりペットを飼った事ある奴っているか?」
あえて誤魔化さずにはっきりと質問をしてみる。
「ええと、この子達が生まれて初めての従魔達よ!」
「後は、以前ここへ来た時に騎馬を買ったわ」
そう言って、彼女達のすぐ近くで羽ばたいているゴールドスライムを示す。
「いや、従魔や騎馬じゃあなくて、言葉の通じない動物のペットの事だよ」
俺の改めての質問に揃って目を逸らす神様軍団……。
大きなため息を吐いた俺は、ひとまず子猫達を順番に撫でて落ち着かせてやってから、改めて一人ずつ子猫達に新しい仲間達を紹介していったのだった。
一応、シルヴァ達も俺の言いたい事を理解してくれたみたいで、それはそれは神妙な顔で、さっきの失礼を謝ってから、ちゃんと自己紹介をしていたよ。
おかげで、子猫達もその後は嫌がる様子もなく神様達に撫でられてご機嫌になっていた。
ああ良かった。
そうだよな。どこの世界であっても、例え相手が誰であっても、初めて会った時の最初の挨拶って大事だよな。