き、来たって何が!
「はあ、ちょっと背中が痛くなってきたよ。起きるから退いてくれるか」
猫族軍団にのしかかられてマックスとビアンカの間に埋もれていた俺は、マロンとヤミーの顔を交互に揉んでやりながら、なんとか起き上がってソファーから降りて思いっきり伸びをした。
「さてと、夕食の準備でもするかな……あれ? あれ?」
不意に感じた違和感に驚いて周りを見回す。
「どうしたんですか? ご主人」
起き上がったマックスとビアンカが、俺の横へ来て頭突きをくれる。
「なあ、ニニとカッツェは? コタツにもいないぞ?」
無意識にマックスを撫でながら和室を覗き込んだが、見る限りコタツは空っぽで誰もいない。
慌てて産室を見ると、入り口からカッツェの尻尾がはみ出してゆらゆらしているのが見えた。だけど、妙に緊張しているみたいで若干いつもよりも尻尾が太くなっている……。
「なあ、どうしたんだ?」
なんだか不意に心配になって、慌てて駆け寄ってカッツェの横から中を覗き込んだ。
「うん、ちょっと変な感じなの。だからもうここにいるね」
小屋の中でぐるぐると渦を巻くようにして歩き回っていたニニが、俺が覗いているのに気が付いてこっちを振り返ってそう言い、小屋の奥側に行くと壁を背にして脚を投げ出してゴロンと横になった。
横になっても大きく膨れたお腹は凹む事なくパンパンなままだ。
少し体を起こしたニニが、自分のお腹のあたりをせっせと舐め始める。だけど、その様子はいつもみたいに落ち着いているようには見えない。ニニの尻尾もいつも以上にもふもふだから、多分あっちも膨れている……。
ああ、もふりたいけど、今はそれどころじゃあないよな!
「ええと……どうすりゃあいんだよ。あ!」
無駄に周りをキョロキョロした俺は、不意に手を打って慌ててベリーを探した。
『なあ、ベリー! ちょっとニニの様子が変なんだけど、大丈夫かなあ?』
部屋を見回したんだけど、ベリーだけでなくケンタウロス達全員の姿が見えなかったので、慌てて念話で呼びかけてみる。
『おや、もう来ましたか。少し予定よりも早いですね。ではすぐに戻りますので、貴方はそこにいてください!』
驚いたようなベリーの言葉の直後に念話がブチ切りされて、俺の方が慌てる。
「き、来たって何が! 何が来たんだよ! ああそっか、陣痛か! ええ〜〜陣痛〜〜〜!」
自分の叫びに自分で突っ込んでから、もう一回そう叫んで、慌ててもう一度小屋の中を覗き込む。
一緒に小屋の中に入っていたカッツェは、少し離れたところに良い子座りしたまま心配そうに二二を見ているだけだ。
まあそうだよな。こんな時に野郎に出来る事は決して多くないよ。ってか、マジで早く来てくれベリー! 俺は、こういう状況って人生初体験なんだからさ!
突然の事態に割と本気で焦って、無駄に部屋の中をうろちょろしてしまう俺。
「ううん、たまにドラマとかで見た光景だけど、こういうのって本当にやっちゃうもんなんだなあ」
若干明後日の感想を抱きつつ、時折ゴソゴソとニニが産室の中で動くたびに俺の方が数倍びっくりして飛び上がっていた。
「お待たせしました」
軽い蹄の音がして、ベリーが開けたままだった扉から中に駆け込んで来る。後ろには何故か長老の姿もあった。
「な、なあ、急に産室にこもっちゃったんだよ。どうすればいい? 何か俺が準備する事とかあるか?」
我ながらテンパってる自覚はあるんだけど、マジで何をしたらいいのかなんて全然分からない。
だってベリーに事前準備は何が必要だって聞いたって、産室があれば後は大丈夫だって言われただけなんだから、俺は本当に何にも準備が無い。ちなみに心の準備も全然出来てなかったよ。
「ちょっと失礼しますね。ニニちゃん、どんな具合ですか?」
ベリーが産室へ入ってニニのお腹のあたりを話しかけながらそっと撫でている。
「ニニ、大丈夫か?」
カッツェが横に動いてくれたので、俺もベリーに続いて産室の中へゆっくりと入ってみた。
もしも嫌がるようならすぐに出ていくつもりだったんだけど、ニニは俺を見て嬉しそうに目を細めた。
「大丈夫だから心配しないでね、ご主人。すぐ産まれるからさ」
完全にテンパっている俺と違い、ニニは意外なくらいに平然としている。
カッツェも俺の横からゆっくりと近寄って来て、ニニの頭から首の辺りを舐め始めた。
ニニとカッツェの鳴らす喉の音が、重なり合って小屋の中一杯に響く。
俺もニニの頭の横へ行って座ると、手を伸ばしてニニの顔の周りや眉間の辺りを撫でてやった。
ベリーはニニのお腹の横に座り、ゆっくりと一定のリズムで大きなお腹を撫でている。
「ええと、お産ってもう始まってるのか?」
状況が全く分からず、小さな声でそう尋ねる。
「今は、陣痛がゆっくり来ていますね。あと少ししたら生まれてきます。もう時間の問題だと思いますよ。それから、ケンは外にいた方がいいと思いますが、大丈夫ですか?」
何やら含みのある言葉に、ニニを撫でながら少し考える。
「ええと、それはつまり……色々と生々しいって事だよな?」
苦笑いしつつ頷くベリーに、ちょっと遠い目になる俺だったよ。
知らないとはいえ一応、テレビのネイチャー系の番組とかでお産の瞬間のシーンとかは見た事がある。
サバンナでの出産シーンとか、農家で子牛が生まれるシーンとかさ。もちろん完全に画面の向こうだから、実際の現場を見たわけじゃあ無いけど、確かに生々しかった気がする。
それに確か産まれてくる子供って……びしょ濡れの膜みたいなのに包まれた状態で産まれてきていたし、まあそれに伴って色々と肉っぽい塊や血が流れ出たりしていたような記憶がある……。
だ、大丈夫かな。俺……。
スプラッタシーンとか、グロ画面とかは絶対ダメなタイプの俺がリアルお産に立ち会ったりしても大丈夫なんだろうか?
もしもショックでぶっ倒れたりしたら、そっちの方が迷惑かけそうだ。
「ええと、俺は外にいた方がいいかな?」
だけど、側にいてやりたい気もする。なので、両手でニニの大きな頭を揉みもみしてやりながらそう尋ねると、ニニは可愛く目をパチパチさせて俺を見た。
それからしばらく考えている。俺は無言でニニの言葉を待った。
「確かにそうね。そこにご主人がいたら、私、産む時にもしも痛かったりしたら、うっかり本気でしがみついちゃうかも。カッツェと違って人間のご主人に爪を立てたり噛んだりしたら大変だものね」
前脚の爪を全開にしながらそう言われて、俺とベリーは同時に吹き出した。
「おう、それは俺も勘弁願いたいよ。分かった。じゃあ小屋の外から見ているからな。頑張ってくれよな」
笑ってそう言い、俺はもう一度両手で力一杯ニニの大きな首を抱きしめた。
「うん、楽しみにしていてね」
笑ったニニが、そう言って俺の頬をベロンと舐める。
「うひゃあ! だからニニの舌は痛いんだってば!」
笑ってそう言い、眉間のあたりも指を立ててかいてやってから、俺はゆっくりと立ち上がってカッツェに場所を譲った。
「よろしくな」
一言だけそう言って、カッツェも抱きしめてやる。
「はい、お任せください」
大きく喉を鳴らしながらそう言ったカッツェは、ニニの顔のすぐ横に座ると、首の後ろから背中のあたりをせっせとなめはじめた。
小屋から出た俺は、すぐ側にいた長老と並んで座り、後はもうひたすら黙って横になったままのニニを見つめていたのだった。