ファンの悲喜交々
「ああ〜〜〜もう幸せすぎて気が遠くなりそう」
「心臓がバックバック鳴ってるわ。口から出てきそう」
笑顔の俳優さん達が全て下がり、拍手大喝采のうちにこれで全て終了となった。
手持ち無沙汰な俺は、なんとなく残りのコーヒーを飲んでいるハスフェル達を眺めていた。すると、ようやく再起動した彼女達が、もう目を潤ませながら左右からお礼を言ってくれたよ。
「喜んでもらえたみたいで、招待した甲斐がありましたよ。ヴェナートさんと握手も出来て良かったですね」
「ええ、もう大感激でした!」
「私、今夜は手を洗わないわ〜〜!」
ファータさんの声にフクシアさんがうんうんと頷き、あちこちから笑い声が聞こえる。中には同意する声もあって、俺達はもう堪えきれなくなって、最後は遠慮なくゲラゲラと大笑いしていたよ。
ううん、こっちの世界でも好きな芸能人に握手してもらったファンの人って、やっぱりこれを言うんだ。
もう全員デザートもコーヒーも飲み終わってるようなので、そろそろ解散かと思って立ち上がろうとしたその時、フクシアさんがいきなり奇妙なうめき声をあげてもの凄い勢いで立ち上がった。
「ああ、私ったら、なんて事!」
そして両手で頭を抱えた彼女は、いきなりこの世の終わりみたいな声でそう叫んだ。
「ええ、どうしたんですか?」
突然の声に驚いてフクシアさんを見ると、彼女は完全に涙目になっていて今にも泣き出しそうになってる。
「ああ〜〜! 本当だわ! なんて事!」
反対側にいたファータさんまでもがいきなりそう叫んでこっちも立ち上がった。
そして二人揃ってもの凄いため息を吐いた。
「おお、すげえ肺活量だな、おい」
思わず感心したようにそう呟き、一体何事かと交互に両隣に座ったフクシアさんとファータさんを見る。
完全に脱力して倒れるみたいに揃って椅子に座った二人は、頭を抱え込んだまま机に突っ伏している。
「……サイン、貰おうと思って、奮発して高級ノートを買ったのに……」
「握手した瞬間、もう離したくないって、それしか考えられなかった……」
打ちひしがれた二人の、消え入りそうな呟きを聞いて納得した。
要するに、ヴェナートさんにサインを書いてもらうつもりで高級ノートを買って持って来ていたのに、いざ本人を目の前にして握手してもらった瞬間、完全にテンパって全部頭から吹っ飛んじゃったわけだな。
「ああ、それは残念でしたね。じゃあそれは次の楽しみにすればいいじゃあないですか。またチケットを買って観に来るんでしょう?」
一応慰めるつもりでそう言ったんだが、どうやら彼女達の傷をさらに抉ったみたいで、二人がまた泣きそうな悲鳴を上げて固まってしまった。
「ええと……どうしたらいい? これ」
苦笑いした俺がハスフェル達を見ながらそう尋ねると、彼らだけでなくリナさん一家とランドルさんまでが揃って苦笑いしていたよ。
まあ、本人にとっては大事件だろうけど、第三者から見るとちょっと笑える事態だよなあ。などと、完全に他人事気分で若干薄情な事を考えていた。
「まあ、とりあえず出ましょう」
気が付けばもうほとんどの人達が席を後にしていて、場内は舞台での賑やかさが夢だったかのようにがらんとしている。
「前回もちょっと思ったけど、舞台での賑やかさの後の、この静かでこう……なんて言うか、誰もいなくなった感じって、なんとも言えない寂しさみたいなのがあるよなあ」
「ああ、確かに言いたい事はわかる気がするなあ。あの賑やかさが夢みたいにパッと全部無くなる感じが、なんとも寂しい気がするよ」
立ち上がって大きく腕を伸ばしたハスフェルが、俺の呟きを聞いてうんうんと頷いている。
「確かにこの舞台が終わった後の独特の静けさってのがあるよな。寂寥感とでもい言うのかなあ。祭りの後の静けさと同じだな」
「ああ、それそれ。確かにそんな感じだ」
なんとなく俺も伸びをしながらそう言い、まだ再起動しない二人を見る。
「はあ、大変失礼をしました」
「そうですよね。また次があります。頑張ってチケット争奪戦に参加します」
またしても、ものすごく大きなため息を吐いたフクシアさんとファータさんは、お互いの顔を見てもう一度ショボーンって感じに分かりやすく凹んだ後、それぞれ自分の右手を見た。
「でも、ちゃんと私達の目を見て笑顔で握手してくださったものね!」
「そうよね。握手してお話まで出来たんだものね!」
若干無理して自分を鼓舞した二人もなんとか立ち上がり、改めて俺たちに向かって深々を頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました」
「若干心残りはありますが、最高の時間を過ごさせていただきました」
「まあ、元気出してください」
「きっと次回は綺麗なサインをいただけますよ」
俺達の言葉に、照れたように二人が笑う。顔を見合わせて小さく吹き出した後、俺達は揃って会場を後にした。
「ん? 何だ?」
建物を出ようとしたまさにその時、一人のスタッフさんが俺達の所へ早足で駆け寄って来た。
「あの、ヴェナートから渡すように言われて預かって参りました」
小さな声でそう言って、俺に何やら平たくて角張った包みを渡してくれる。
「はあ、ありがとうございます」
一礼してすぐにいなくなったスタッフさんを見送り、手にした袋を見る。
「何だろうな?」
何となく端の方へ寄り全員が不思議そうに注目する中、袋の中を覗き込む。
「ああ! もしかしてこれって……」
俺の知る色紙とはちょっと違うが、明らかにそれっぽいものが入っているのを見た俺は、もう吹き出しそうになったよ。
ヴェナートさん、もしかしてめっちゃ気遣いの出来る男? それとも、役者さんってこういうところには気が付くものなのか?
「よかったですね。ちゃんと人数分入っていますよ」
にんまりと笑った俺が、そっと中から一枚だけ引き出してチラッと見せてあげると、フクシアさんとファータさんは悲鳴をあげそうになり、咄嗟に自分の口を両手で塞ぎながら歓喜のあまりぴょんぴょんと飛び跳ね始めたのだった。
そう、入っていたのはまさかのヴェナートさんのサイン色紙。しかもパッと見た感じ俺達全員分あるよ。
「じゃあ、このまま一緒に冒険者ギルドまで行きましょう。そこでお好きなのを選んでください」
「ありがとうございます〜〜〜!」
綺麗に二人揃った歓喜の叫び声に俺達は吹き出し、それぞれのムービングログを取り出して飛び乗った。
雪で濡れるといけないので、ヴェナートさんのサイン色紙の入った袋は俺が一旦収納しておきました。
フクシアさんとファータさんは誰かのムービングログに相乗りさせようと思って振り返ると、何と彼女達も、収納袋からムービングログをさっと取り出して飛び乗っていたよ。
「まあ、これの開発者だもんな。そりゃあご本人だけじゃあなくてご家族だって持ってるよな」
俺達は顔を見合わせて笑い合い、そのまま一列になって小雪がちらつき始めた道を冒険者ギルドへ向かったのだった。