懐かしの京料理もどき?
「ほう、これはまた美味しいなあ」
汁椀の鶏肉のつくねを食べたハスフェルが、嬉しそうにそう言って笑っている。
「成る程なあ。ゆっくり順番に出てくるわけか。たまにはこういうのも良いな」
ギイも、嬉しそうにこれまたスプーンで汁物をいただいている。
ううん、出来れば和食はお箸で食べて欲しいところだが、まあここは無理強いは駄目だよな。
お出汁を味わっていると、もう次が来た。
「あれ、何だ?」
見ていると、ごく小さな携帯コンロと一緒に小さな鍋が静々と運ばれて来る。
「これが面白いんですよね」
「以前ここへ来た時、もうこれが気になって他が目に入らなかったんですよ」
笑ったアーケル君の言葉に、アルデアさんが吹き出している。
「ええ、何があるんだ? 見るからに一人鍋っぽいけど、鍋の何がそんなに面白いんだよ?」
首を傾げつつ、自分の少し前に置かれた鍋を見る。
コンロに火は入っているが、まだ沸いてきていないみたいで鍋の中には何も入っていない。
隣には、醤油瓶みたいな陶器製の小瓶と一緒に小鉢と小さなスプーンが置かれているから、多分これで食べろって事なんだろうけど、具が何処にもないぞ?
「ではご説明を……」
「ああ、大丈夫ですよ!」
店員さんが、わざわざ説明をしてくれるところだったのに、なぜか目を輝かせたアーケル君がそれを遮って断ってる。
「ええ、俺は説明を聞きたいぞ」
思わずそう呟くと、吹き出したハスフェルとギイもうんうんと頷いている。
店員さんは困ったようにアーケル君を見たが、彼が笑って首を振るのを見て一礼してそのまま下がってしまった。
全員の前には、それぞれ火がついたコンロに乗せられた、謎の汁しか入っていない鍋が置かれているだけだ。
後から具を持って来てくれるのかと思ったが、全く来る様子がない。
だけどアーケルくんはニコニコと笑っているだけで説明してくれる気は無さそうだ。多分、俺達がびっくりするようなリアクションを期待しているんだろう。
「ええ、一体どうなってるんだ? 温まったらこの汁を吸うとか?」
小さくそう呟き、鍋の中にたっぷりと入った乳白色の汁を見て考える。
だけどさっきから思っていたんだよ。なんだかこれって見覚えがある料理だって。
そして不意に閃いた記憶にこれが完璧に合致して思わず声を上げた。
「ああ、これってもしかして!」
思い出したのは、大学の友人達と卒業旅行で古都へ行った時に、せっかくだからと老舗の料亭で食べた豆腐懐石料理だ。お値段はかなり高かった覚えが……。
確か、こんな感じで鍋に入った豆乳を煮立てると表面に膜が張って、それを剥がして醤油で食べるやつ。これがなんだか面白くて、友人達と大笑いしながら他の料理そっちのけで延々と膜が張るのを見ていたんだっけ。
「何だっけ……名前が……」
眉間に指を当てて必死で思い出す。
「ああそうだ! 引き上げ湯葉!」
俺が手を打ってそう言った途端に、アーケル君がすごく残念そうな顔になった。
「ああ、残念! ケンさんはこの料理をご存知だったんですね。びっくりするところを見たかったのに〜〜!」
「あはは、そりゃあ申し訳ない。だけど、まさかこんなところでこの料理を食べられるなんて嬉しいよ」
少し煮立ってきた鍋を見ると、うっすらと表面に膜が張り始めていた。
「ほら、表面に膜が張ってきただろう。これが湯葉。しばらくするともう少し硬くなるから、そうしたらお箸で引っ掛けて引き上げるんだ。こんなふうにしてな」
ちょっと早いかと思ったんだが、お箸で鍋の周りをぐるっと回して鍋から湯葉を剥がして、真ん中あたりをそっと摘んで引き上げて見せた。
「おお、布みたいに剥がれた!」
食べ物の例えが布ってあんまりじゃね?
吹き出した俺は、湯葉を小鉢に入れて醤油をそっと垂らした。
予想通りの出汁醤油だよ、これ。
懐かしさにまたしても涙が出そうになったのをぐっと飲み込み、湯葉を口に入れる。
「ほら、やってみろよ。綺麗に剥がすコツは、今みたいに鍋にくっついてるのを剥がす事だけ」
目を輝かせたハスフェル達も、お箸を手にしてそれぞれの鍋に向かう。
「おお、これは楽しいな!」
なかなか上手に引き上げたハスフェルが、嬉しそうに笑っている。
「ああ破れた〜〜!」
だけどギイはうまく引っ張れなかったみたいで、真ん中あたりで破れてくちゃくちゃになってた。
「まあ、口に入れたら一緒だって」
笑った俺の言葉にギイも吹き出して頷き、せっせと鍋に残った湯葉を集め始めた。
リナさん達やランドルさんも、嬉々として湯葉を引っ張り始める。
次の料理が来るまでの間、俺達は子供みたいに大はしゃぎしながら湯葉が出来上がるのを待ってはせっせと引き上げて美味しくいただいていたのだった。
次に出てきたのは、魚料理。
多分鱧、これもその旅行で食べた記憶がある。
骨が多い魚らしく、骨切りと言って皮を残して身を数ミリ単位で切り目を入れてから、さっと茹でてあるやつ。
これは赤っぽいタレがついていたから、多分梅味。
もう懐かしさのオンパレードに、感動を通り越して呆然とするレベルだよ。
『これは以前君の世界を見てて、気に入った料理だからこっちの世界でも作れるようにしてみたの。気に入ってくれたみたいだね!』
密かに感動に打ち震えていると、頭の中に唐突にシャムエル様の声が聞こえた。
『おうお疲れさん。へえ、やっぱりそうなんだ。懐かしい料理をありがとうな。それより今日は食べに来ないのか?』
なんだか物足りないのは、シャムエル様がいないせいなんだよ。念話で返すと笑った声が聞こえた。
『今からそっちへ行きま〜〜す!』
聞こえた声と同時に机の上に登場するシャムエル様。そしてその背後に一緒に現れた収めの手。
「ああ! 料理に感動し過ぎてお供えするのを忘れてるじゃんか!」
焦ってそう呟き、慌てていつもの敷布を取り出して広げて、まだ手をつけていない鱧もどきのお皿を置く。
「うう、忘れてて申し訳ありません! あ、これもどうぞ!」
そろそろ次の湯葉が出来上がってきていたので、慌ててそれも引っ張って小皿に取り、出汁醤油を掛けて並べた。
「鱧の梅肉添えと、引き上げ湯葉です。少しですがどうぞ」
改めて手を合わせると、収めの手が笑ったみたいに軽く手を振り、それから俺の頭をこれ以上ないくらいに優しく撫でてくれた。
「うん、懐かしい故郷の料理だよ。ぜひ食べて下さい」
順番に料理を撫でてお皿ごと持ち上げるのを見ながら小さくそう呟き、不意にこぼれそうになった涙を必死になって飲み込んだのだった。
これを書きながら、引き上げ湯葉って全国区なのかなあ? と密かに考えていた関西人の作者です。
鱧料理とか、湯葉とか、知ってますよね?