一生一度の体験?
「おお、なんだかすっげえ脂が出てきたぞ」
目の前の肉が焼けるその様子を見た俺の呟きに、あちこちから拍手が起こってたよ。
何しろ、鉄板に並べて焼き始めた岩豚の肉からは、それはもうありえないくらいの大量の油がにじみ出している。そして、なんとも言えない甘くて香ばしい良い香りが部屋中に漂っているのだ。
俺は無言で串に刺した白ネギと、ざく切りにしたキャベツを一掴み肉のすぐ横に落とした。
この美味そうな脂を使わない手はないよな。
「こ、これが死ぬまでに一度は食べろとオルダムで言われている冬の岩豚……ああ、もうこの滲み出す脂を見てるだけで美味しいって分かるよ」
アーケル君が鉄板に並んだ肉を見て、なにやら感動に打ち震えながらそんな事を呟いてる。
「死ぬまでに一度は食べろって、いくらなんでも大袈裟じゃね?」
皆はトングを使ってるけど、俺は菜箸を使って自分の肉をひっくり返しながらそう言うと、それはそれは真剣な様子で肉をひっくり返していたヴァイトンさんとエーベルバッハさんがものすごい勢いで俺を振り返った。
「なにをおっしゃってるんですか! ケンさん! 言っておきますが岩豚を出す高級店なら、この一皿分を食べるだけでも金貨一枚は最低でも必要ですよ」
ものすごい勢いでヴァイトンさんが差し出した皿にあるのは、やや厚切りのバラ肉が二枚……。
「はあ? たったこれだけで、金貨一枚?」
思わずそう尋ねると、ヴァイトンさんとエーベルバッハさんが揃って首がもげそうなくらいの勢いで頷いてる。
「今夜は焼き肉だと言って、これだけ大量に出してくださいましたが、はっきり言って焼き肉屋で岩豚を出すような店はバイゼンでも王都でも絶対にありませんよ」
真顔で断言するヴァイトンさんの言葉に、エーベルバッハさんだけじゃなくてリナさん一家とランドルさん、それからハスフェル達までが苦笑いしつつ頷いてる。
どうやら彼らはこの肉の相場を知ってたみたいだ。
まあ、確かにギルドでチラッと確認しただけだけど、岩豚の買い取り価格もかなり高額だったよ。
しかし小売店に行くとそこまで上がるんだ。ちょっと中間マージン取り過ぎじゃね? と思ってしまうのは営業出身者の悲しき習性。
まあそこは言っても仕方がないので、まとめて明後日の方向へぶん投げておく。
「って事は、今出した分だけでも……」
これ以上ないくらいに積み上がったお皿の肉の山を見て、俺は乾いた笑いをこぼす。
「あはは。まあ、良いじゃないですか。だってこれっていつも食べてるハイランドチキンをはじめとした肉と同じで、従魔達が取って来てくれたものだからそもそも俺は何もしていないし、原価はゼロなんですよね。強いて言えば解体費用がギルドで差し引かれてるくらいで、それも皮や骨、それから内臓を買い取ってくれてるから、プラマイで言えば余裕でお釣りが出てるんですって」
「なに〜〜! 内臓は売っちまったのか!」
笑った俺がもう一度肉をひっくり返しながらそう言うと、ヴァイトンさんとエーベルバッハさんは揃ってものすごいショックを受けたかのような顔でそう叫んだ。
「いやだって、そんなこと言われても、そもそも俺があんまり内臓系は好きじゃあないんですよ。レバーとか、正直言うとちょっとどころかかなり苦手。それに内臓は下拵えが大変だし、下手にすると全然美味しくなくなるって聞くから、もうそっちは専門家に渡す事にしたんですよね」
「おお、まあ苦手なら致し方ない。残念だがそっちは諦めよう」
なんだかものすごく残念そうにそう言われて、苦笑いした俺は誤魔化すように肩を竦めた。
ごめんよ。そっちは食いたかったら自力でお店で食べておくれ。
「あの、ケンさん。今更ですけど、本当にこれ頂いちゃっていいんですか?」
アーケル君までが、なにやら遠慮がちにそんな事を聞いてくる。
どうやら俺が岩豚の相場の値段を知らなかったのを知って、驚いたみたいだ。
「もちろん、たくさんあるから遠慮なく食ってくれたまえ」
にんまりと笑ってそう言い、俺とシャムエル様の分で余裕二人前分を焼いたのをせっせと自分の取り皿に取っていった。
それを見て、他の皆も慌てたように肉の焼け具合を見て次々に取り皿に取り始めたよ。そうそう、豚肉系はしっかり焼かないと駄目だけど、焼き過ぎも駄目だもんな。
「では、まずはこちらへお供えだな」
いつもの簡易祭壇に、新しい白ビールと一緒に焼けた岩豚の肉の第一弾を並べる。岩塩と和風醤油味の玉ねぎたっぷりのステーキソースも一緒に並べておく。
「お待たせしました。岩豚の焼き肉です。一応岩塩といつものステーキソースを用意したからお好きな方でどうぞ。今回は焼きながら食べるスタイルだから、良ければ、焼けたら勝手に持って行ってもらってもいいでしょうか?」
焼きながら食べる場合、どうしても途中でお供えするのが難しいもんな。こう言っておけば多分勝手に焼けたやつを持って行ってくれるだろう。
するといつものように現れた収めの手が、焼き肉のお皿を撫で回しお皿ごと持ち上げる振りをした後に俺に向かってOKマークを作って見せた。
「あはは、大丈夫なんだな。了解。それじゃあ後は勝手に焼くから、好きに持って行ってくれよな」
小さく笑ってそう言い、お供えした焼けたお肉の乗ったお皿を持って席に戻った。
「おお、待っててくれたのか。悪い悪い。では、いただきます!」
当然のように待っていてくれた彼らに慌ててお礼を言い、そう言って改めて手を合わせる。
「いただきます!」
俺がいつも言ってたら、いつの間にかそんな習慣のないはずのリナさん一家やランドルさんまでがそう言ってから食べてくれるようになった。
嬉しくなってそんな彼らを眺めていると、いきなり耳たぶを引っ張られた。
「ああ、ごめんごめん、はいはい、半分こな」
肉を焼いている間中、ずっと味見ダンスをカリディアと一緒になって踊っていたシャムエル様は、待ちきれなくなったらしく俺の右肩に現れて、持っていたお皿の縁を俺の頬に押しつけ始めた。
「だからそれは地味に痛いからやめてくださいって」
苦笑いしながらお皿を受け取り、焼いた岩豚の肉を半分に取り分けてお皿に並べる。
「で、ここで食べる前に次を焼いておくんだよな」
そう言って次の岩豚をガッツリ目の前に並べてから俺は自分の分を一枚口に入れた。
「うおお、一回噛んだだけで肉が溶けて無くなったぞ!」
もうそうとしか言えないくらいに肉が柔らかい。そして美味い。
シャムエル様の尻尾も、スイーツを食べている時と同じかそれ以上に大きいくらいに膨れている。
そりゃあ、確かにこれは一生一度って言われるわけだよ。何もかもが違うよ。
「まあ、ここにはまだまだ大量にあるから、遠慮なく食うけどな」
にんまりと笑った俺は、目の前でジュウジュウと音を立てて焼け始めた次の肉を菜箸でひっくり返し始めたのだった。