案外平和な時間
「おお、本当に地下を通って宿泊所に来たよ」
ディアマントさんに案内された通路を通って出た先は、見覚えのある廊下だった。
「それじゃあごゆっくり。警備はしっかりしているから大丈夫だと思うよ。万一、お前さん達に手を出す奴がいれば、ギルド全体を敵に回す事になると思い知るだろうよ」
……ディアマントさん、笑顔が怖いですって!
無言でビビる俺に構わず、笑ったディアマントさんは、ハスフェルに何か耳打ちして、彼が頷くのを見ると手を振ってギルドの本部へ戻って行った。
「じゃあもう休むよ、何だかものすごく疲れたって」
「そうだな、まあ、夜中に部屋に忍び込むような奴がいるとは思わないが、一応警戒はしておくから安心して休め」
「よろしくお願いします」
頼んでから思った。
闘神の化身の警戒って……何するんだろう?
若干、聞いてみたい気もしたが、聞くのも怖い気がしてそのまま笑って俺は自分の部屋の扉を開けた。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
挨拶をしてそれぞれの部屋に入る。
机に鞄を下ろした俺は、タロンに鶏肉を出してやり、それを見ながら思いっきり大きく伸びをした。
「じゃあ、もう疲れたから休むよ。サクラ、綺麗にしてくれるか」
防具を脱ぎながら、いつものクリーニングタイムだ。あっと言う間に、ベタベタだった身体中綺麗になったよ。
サラサラになった髪をかきあげながら、俺はふと思った。
「これはこれで有難いんだけど、出来たら疲れている時はお湯につかりたいよな。この世界に温泉とかは無いのかね?」
これだけ、今までいた世界と酷似しているんだから、温泉も探せばありそうだ。
「よし、旅のサブクエスト! 温泉を探せ!だな」
無意識に独り言を呟いていると、いきなりシャムエル様が俺の耳を引っ張った。
おお、新たなパターンだな。おい。
「痛いって、何だよ、いきなり」
振り返った俺に、シャムエル様が手を上げている。
「何それ?」
「はい! 質問!」
目を輝かせて手を上げている。成る程、何か聞きたい事が有るらしい。
「何だよ。俺に質問?」
俺の言葉に、シャムエル様は妙に可愛く首を傾げた。
「温泉って何?」
おう、まさかの創造主様が温泉をご存知なかったよ。
「もしかして、この世界では温泉って無いの?」
「初めて聞くね。何それ?」
「ええと、地熱で温まった湧き水がお湯になるんだよ」
「地熱? 地脈の事?」
うーん、どう説明すればいいんだ?
「俺達のいた国は、火山があちこちにあってね。そのおかげでその周りの土地に温泉が湧いていたんだよ」
その説明で、ようやくシャムエル様に話が通じたらしい。
「ああ、それは駄目! 火山は一箇所だけあるけど、あれは火竜の寝床だから熱くしてあるだけで、実際には噴火なんてしないからね」
成る程。そう言えば以前、例のブラウングラスホッパー騒ぎの時に、ハスフェルが火竜がどうとかって言ってったな、
「ちなみに、お風呂は?」
「あ、それはあるよ。だけど、湯を沸かすのに時間も燃料も掛かるから、お風呂に入れるのは一部の貴族達だけね」
まあ、確かにそうかもしれないな。宿泊所にも、広い水場は有ったが、お風呂らしきものは無かったもんな。
「じゃあ、それ以外の人って、どうしてるんだ?」
俺の疑問に、シャムエル様は当然のように答えた。
「水を浴びるか、お湯で絞った布で体を拭く程度だね」
おう残念! 温泉三昧のクエストは、そもそも存在しなかったようです。
「そっか、それにしては、この世界の人達って割と綺麗にしてるよな」
俺が笑ってそう言うと、シャムエル様は嫌そうに顔を上げた。
「ええ、当然でしょう! 街中臭いのとか嫌だよ」
その答えに、俺は堪える間も無く吹き出した。
「シャムエル様が清潔好きで良かったよ。うん、街中臭いのは俺も絶対に嫌だ」
笑ってる俺を見て、シャムエル様も吹き出した。
「気が合うね、私達」
「だな!」
笑ってシャムエル様のちっこい手に、手を重ねて叩き合った。
「それじゃあ、もう休むか。今夜もよろしく!」
振り返った俺は、既に大きなベッドに寝転がっているニニの元へ向かった。
いつものふかふか腹毛の海にダイブだぜ!
「ああ、やっぱ癒されるよ……このもふもふ……」
腹毛の海を満喫していると、俺の背中側に巨大化したラパンが、そして反対側にはマックスが寝転がった。
「私はここね」
最後にタロンが俺の腹の横で丸くなる。
幸せパラダイス空間、完成!
「それじゃあ皆、おやすみ」
「私達が見張ってるから、安心して休んでね。ご主人」
ニニのザラザラな舌に舐められて、俺は思わず悲鳴を上げたよ。
「痛いよ。ニニの舌はザラザラなんだからさ。俺の弱い皮膚には刺激が強すぎだって」
大きな顔を抱きしめて、思いっきりグリグリしてやった。
楽しそうにしていたニニが、いきなり俺の頭に頭突きをして来たので、俺はラパンにもたれかかる形になり、今度はラパンに捕まった。
「ご主人ゲット!」
「助けてくれー!」
笑った俺の叫びに、マックスまでが参戦して、俺達は勢い余って、揃ってベッドから転がり落ちたのだった。
「……大丈夫?ご主人?」
「ご、ご主人! すみません! 大丈夫ですか!」
「死なないで! ご主人!」
「うえーん。ご主人が死んじゃったよ!」
潰れたカエルよろしく、床にうつ伏せで大の字になっていた俺は、マックスとニニ、ラパンとタロンの叫ぶ声に笑いを堪えられなかった。
「ちょっ、お前ら! 俺を勝手に殺すなって!」
腕立ての要領で起き上がった俺は、一番近くで俺を覗き込んでいたマックスの顔を捕まえてやった。
「ベッドの上で飛びかかって来たのは誰だぁ?」
「それは私です!」
マックスが答えて、俺達は床に転がったまま笑い転げていた。
ふみふみふみふみ……
ぺしぺしペシペシ……
「うう、起きるって……ちょっと、待って……うわあ! 起きます起きます!」
タロンの爪が出るのを感じて、俺は大慌てで飛び起きたのだった。
「あはは、おはようさん。うん、毎朝スリル満点の目覚ましだね」
苦笑いする俺に、タロンは嬉しそうに頬ずりしてくれた。
いつもの如くタロンとシャムエル様のダブル攻撃で起こされた俺は、眠い目を擦りつつあくびをして起き上がった。
「結局、昨夜は特に何も無かったんだな?」
後をつけられたとかって聞いたから、正直ちょっと怖かったんだけど、特に何も無かったみたいだ。
「おはよう。起きてるか?」
ノックの音がしてハスフェルが来たみたいで、近くにいたアクアが、飛び上がってドアの鍵を開けてくれた。
「おはよう。今日もいい天気みたいだな」
「ああ、朝飯なんだが、ここも中央広場で屋台が沢山出ているぞ。行ってみないか?」
「行く行く! じゃあ、準備するからちょっと待っててくれ」
ハスフェルは、もうすっかり身支度を整えている。
まだ、起きたきりだった俺は、慌てて水場に向かった。後ろをサクラとアクアが付いてくる。
顔を洗って綺麗にしてもらい、一番下の水桶の中に二匹を放り込んでやった。
「おいおい、そんな事して大丈夫なのか? 溺れるだろうが」
ハスフェルの言葉に、俺は笑って水桶を指差してやる。不思議そうに駆け寄って来たハスフェルが、水桶の中を見て吹き出した。
「気持ち良さそうだな。あれって泳いでるのか?」
「いや、そうじゃないみたいだな。どうやら、水の中にいる事自体が楽しいみたいだよ。ついでに底に溜まった汚れも綺麗にしてくれるし、宿泊所の楽しみにしてるんだよ」
「そうか、それならミストもやりたいかな?」
その声に、シリウスの背中にいたミストが、嬉しそうに飛び跳ねてこっちに向かってすっ飛んで来た。
「ミストもやるー!」
「だってさ。それなら俺が身支度してる間だけでも、放り込んでやれよ」
水場を指差した俺に、ハスフェルは笑ってミストを捕まえて水の中に放り込んだ。
三つの肉球が嬉しそうに水桶の中を動き回るのを見て、俺達は揃って吹き出したのだった。