陽の子供たち
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
どうも天気がご機嫌斜めだと、気温も下がり気味だなあ。夏場だったらありがたいんだけど、こうも寒い時期に来られるとどうもテンションまで落ちてきてしまうよ。
こう考えると、昔から太陽を命の恵みと捉えてきた気持ち、分かるねえ。恵みが覆われれば人間を含めた自然の多くは、冷え込むと力が出しづらくなってしまう。雨とか雪とかが降らなくても、かげってしまうだけで、その寒さに心折れそうになる時だってザラだ。
確か天気が「曇り」と判断されるのって、空に雲が9割以上ある場合だったっけか? そうでもないと雲の勝利と認められないわけだから、このような点でも、いかに太陽がアドバンテージを持った存在かが、うかがい知れるね。
だが、見方を変えれば空に満ちた雲は、太陽と同等かそれ以上の力を持ち得る、ということじゃないかな?
君、小説のネタが欲しいといっていただろう。雲を巡るお話をひとつ、メモリーの中に刻んでみるのはいかが?
今をさかのぼること数百年。応仁の乱が起こる数十年前で、まだ世情が比較的落ち着いていた時期のこと。
今とは正反対の、雲ひとつない青空が広がる日。あるお寺の門前町の一角から、盛んにのこぎりを引く音が聞こえてきたんだ。音を耳にした人の中には、どのような仕事をしているのか見物しようとした者がいたけれど、その様子を見ることはできなかった。
音の出所には、のこぎりを持つ者は誰もおらず、当時の金融業者だった「土倉」が所有する、土蔵の一角があるばかりだったという。
店主もすでに使用人を使い、音源を探らせたていたが、蔵の内外に盗人らしき姿は見当たらなかった。音は日暮れ時に止んだものの、翌日、太陽が昇り始めるとまた同じように響き始める。
その日の昼頃、調べさせていた者のひとりが報告してきた。蔵内にある柱の一本に、切れ込みがあるというんだ。
バカな、と店主は思う。
報告のあった土蔵は、去年に完成したばかり。近年は庶民のものに加え、幕府のお偉方からも担保の品を預かることが増えたために、新築を計画したもの。当然、柱だって真新しい。
店主は実際に確認する。二階建てになっている建物の階段部分、その中ほどを支える柱の一本が、中ほどまで深く切れてしまっている。それだけなら、まだ持ちこたえられるものの、これが二本、三本と増えていくことになれば、二階に詰めてあるものの重さで、蔵が潰れかねない。
見張りの人数を増やして警戒を強めたものの、連日、のこぎり引きの音は止まず。犯人を捕えようと、蔵内のすべての柱を見ようと人が張ったりすると、今度は屋根裏や縁の下といった人が入り込むのが難しい場所へ逃げ込んで、柱を傷つけ続ける。10日が経つ頃には、すでに蔵の柱で傷ついていないものはなく、かといって完全に切られてしまった柱も、またなかった。
遊んでいるのか。それとも一斉に切り離して根本から潰そうとしているのか。いずれの狙いがあるにせよ、この狼藉を止めなくてはいけないのに、犯人の姿すら分からない。
ただ、この期間で分かったのは、曇りや雨の日だと、この「解体作業」が進まないということ。10日のうち、陽の光が差さなかった2日の間は、おとなしかったんだ。
あとどれくらいの時間、蔵が持つか分からない。事態を重く見た店主は、得体の知れない犯人捜しのために、お寺の住職の知恵を借りようとしたんだ。
町に小僧さんたちが何度かお使いに出たこともあり、住職もすでに対策を検討中だった。曇りの日に、店主が何人かの供を連れて訪れた時、住職自らが出迎えて、話をしてくれた。
住職は犯人を「陽の子供たち」と呼んだ。それは太陽の光に乗って地上へ滑り落ち、その日暮れを帰り道として天地を行き来する、純然たる命の姿なのだという。
人の世における善悪の概念を持たず、自分が楽しいと思ったことをひとつ覚えして、延々と行い続けるきらいがあるらしい。それが今回は、土蔵の柱切りだったのだろうと。
「子らは、いわば光の申し子。そのままでは人の手で、掬い取ることはかなわない。じゃから、『雲』で掴まねばならぬ。それも我らが手ずから作り上げる雲で」
話が終わると、住職は店主たちに策を語り始めた。
直後、店主たちは小僧さんたちの先導で、町の四方のはずれへと散った。
そこにはそれぞれしめ縄を巻かれた、大きな楠が立っている。もし穴を開けたならば、数階建ての家としても機能するであろう巨体。その中腹に、下向きの弧を描いた筋が入っている。人の爪の先を持って、ようやく入り込めるかという狭い溝。
作法通りの一礼をした後、木によじ登り、溝の中に端から線香を詰めていく小僧さんと店主たち。その姿は、数えきれないほどのつまようじをくわえたかのように見える。
そうして敷き詰められた線香たちを、今度は住職から預かった巻物を広げて、ぐるりと何重にも巻いていき、軸も挟み込んで固定してしまう。
これで準備は整った。翌日は風の具合から晴れると見られている。その夜明けが作戦決行の時。
計画通りにことは進んだ。四方の楠に設置された線香たちは、山から陽光が漏れ出すと共に、小僧さんたちの手で火をつけられる。
その間、店主たちは蔵で待機していて、じっと空を見つめ続けている。
じわじわと陽が昇っていき、空が青みを帯びるにしたがって、また蔵の中からのこぎりの音がし出した。けれども今回は違う。
あの楠がある方角から、煙が上がっているのが目に入った。風もないのに煙はひとりでに曲がっていき、霧が包むようにして町の中央上空に集まったかと思うと、空の光を押さえながらも完全にはさえぎらない、絶妙な加減でとどまった。
のこぎりの音は止んでいない。彼らはまだ、ここにいる。
「やってくれ」という店主の合図。蔵の上部に取り付けられた採光用の窓が、一斉に開かれる。
するとどうだ。空に溜まっていた煙たちが、ふたたびその身体をうごめかせたかと思うと、蔵の開け放たれた窓へと殺到した。
瞬く間に線香の煙で満たされる室内。けれども息苦しさはないし、視界も多少は白みがかかったものの、多少の見えづらさを相まって、成果は出ている。
先ほどまで響いていた、のこぎりの音の出どころにひときわ濃く煙がよどんでいたんだ。それは床へ寝転がった子供を思わせる姿で、仰向けになりながら手足をじたばたと天井に向け、盛んに動かしている。
二階に2人。階段下に1人。一階の四隅にも1人ずつと、合計で7人分の煙の塊。そのそれぞれに、待機していた使用人たちが、麻でできた大袋を広げて煙を包み、木桶に詰めてふたをしてしまう。それらが済むと、桶は寺へと運ばれていった。
住職たちは届けられた桶ひとつひとつに、しめ縄を十文字に巻いて、複雑な文様が書かれたお札を貼り付けていく。むこう一ヶ月の間、これらの桶は寺で預かり、毎日、経を詠みながら柱にいたずらしてはいけないことを諭す、と住職は店主たちに告げたそうだ。
その日から言葉の通り、住職と小僧さんたちによる読経が、朝と夜にそれぞれ一刻ほどの時間が設けられて行われた。
蔵の柱については、倒壊は免れたものの、強い風が吹くとぐらついたりして、かなり危ない状態なのを店主たちは感じていた。
幸い十分な蓄えがあったので新しく建て直すことになり、蔵は一度取り壊される。
今度こそ、本当の大工仕事の音が響き始めた、ひと月後の昼頃。
寺の方角から七本の煙が立ち、天を目指して駆け上がっていくのを、多くの人が目にしたという。