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7 【小話】私とミルク byヒルダ

ヒルダ視点の小話になります。

 真朱(しんしゅ)の紅茶から立ちのぼる湯気と包む芳香が私をくつろがせる。

 温めたミルクをそそぐと、美しい層を織り成して染まる柔らかな杏色に心が暖まった。



 仕事終わりのわずかな時間。キッチンの隅で開く私の小さなティータイム。


 安らげるひとときは、無事一日を終えた自分へのご褒美だ。


 そしてまろやさを纏いふわりと漂うミルクティーに誘われ、さっそくティーカップに顔を寄せれば。

 私の中をなめらかに広がり、ゆっくりと体を満たす感覚に癒される。


「はあ、幸せ」

 ほのかな甘さに張っていた気を緩ませて、毎日何かしらあるわと思いを巡らせた。



 先日、お嬢様は魔物に出会い気絶した。

 眠り続ける一週間はお嬢様が気を失う事実以外、何事もなく穏やかに流れた。

 だが意識を取り戻すとすぐ色んなことが目白押し。とてもまだ四日の経過とは信じがたい日々に、すべて嵐の前の静けさだったと思わせられる。

 何しろ私が仕えるお嬢様はお姫様のような方だから。


 それは可憐で(しと)やかの形容ではない。

 子供らしいと表現するにはほど遠い大人びて口がたつ高飛車さと一切を意のままに運ぶ我が儘が、まさに傍若無人な偉ぶるお姫様という意味の比喩。



 私がレハール邸に仕えて早三年。

 換言すればまだ三年の間に何人ものメイドが辞めている。勿論、原因はお嬢様。

 この(やしき)で長く勤めるのは、旦那様の側近も兼ねる執事のテオと、亡き奥様に雇われた庭師のダニエルぐらい。

 それに加わる私は、負けず嫌いの性格が勝り何とか今まで耐え抜いた。

 おかげで、いつの間にかお嬢様専属の世話係になるだけでなく、この年でメイド頭にまで登り詰めてしまっている。



 さておき、お嬢様は今回初めて痛い目にあったとはいえ性格が変わるはずもなく。

 目覚めてからの憮然(ぶぜん)な態度に、ここまでくれば意地でも職務を全うしてやるわと、私はのべつ笑顔ながらもお嬢様に負けない強さで対応する日常を再開させた。


 だからこそ新しい家族としてロマン様が迎えられた事は、どのような反応を示すか気を揉んだ。お漏らしをさせた時には、本当にどこまでひどいのかと辟易もした。

 けれどそれは違った。

 どうやら行き過ぎる愛情のせいとわかり、想定は外れるが、懸念で終わったことに心底ほっとする。

「やりすぎではあるのだけど……」


 困ったものだと思い返す。

 無論きっちりお説教をした上で旦那様に報告もあげたが、ロマン様に一生懸命なお嬢様に、私は初めて子供らしい可愛らしさも覚えていた。



 意外にもお嬢様は、本当にロマン様を大切にしている。昨日のティータイムに用意されたお菓子はその証拠。

 でも――。それだけでないことが私の顔をほころばせた。


「おかげで私もお嬢様の知らなかった一面に気づけたもの」

 言いながら頬笑んだ。そして先ほどまでの出来事を振り返っていく。



 それはおとつい、ロマン様の一件でお嬢様が旦那様に叱られてからの話――。



***



 執務室へ迎えに行くと、すでにお嬢様は解放された後だった。


 そして姿が見当たらない。怒られたことに拗ねたのか……。


「まったく。いちいちいなくなられて面倒だわ」


 それは振り回されるいつものこと。

 だが鬱憤から何かされてはたまらないとすぐに捜索を始めれば、お嬢様が今まで近寄ることもなかったキッチンに入り込むのを見つけた。


「皆様の邪魔をしてはいけませんよ」

 夕食の準備をする人々に混ざり隅で何か行うお嬢様を、また迷惑かけるのかと内心で溜め息つきながらたしなめる。

「いいんだ。ヒルダ」

 するとにこやかに料理人たちは言う。

 今までにないお嬢様への穏和な対応を不思議に思えば、一人が笑顔で教えてくれた。



「明日のティータイム用にお菓子作りをされてるんだよ」

「お菓子?」

 なぜ突然にと首をかしげるも、旦那様の説教を受け、ロマン様のご機嫌取りをするのかと勘ぐった。


「食が細いロマン様のためにって。そうですよね? お嬢様」

「うん!」

 思惑の違う料理人の言葉と、元気に返すお嬢様に目が瞬く。


 実は私も気になっていた。ロマン様は育ち盛りなのにあまり食事が進まないのだ。

 お嬢様がそれに気づいただけでなく、何とかしようとすることに驚いた。



「なかなか手際がいいんだよ。とても初めてとは思えないくらいさ」

 料理人たちが柔和に話す態度の意味も、ようやくわかった。

 ロマン様のために励む懸命な姿は、私から見ても微笑ましい。だから阻むのはやめた。

 そしてお菓子作りを眺めていると、次は何やら食材を探し始めた。


「あった! これよ。ねえ、このミルク使ってもいい?」

「いいですよ。何でも使ってください」

「ありがとう!」

 そんなやり取りのあと、また元の場所に向かうお嬢様の手元を見て……私は思わず小さく声をあげた。


「ん? どうかした?」

 瞬時に口をつぐみ、何とか平静を保たせる。

「その、今お持ちの物を使用されるのですか……?」

「これ? うん! そうだよ。今回のお菓子に絶対欠かせないの!」

 即答に軽く眩暈(めまい)がした。何を隠そうあのミルクは、私が今夜の小さなティータイムのために用意したものだから。

 それはいつもの加熱処理されたミルクとは違う、生乳という少々値がはる特別なもので。たまには贅沢もいいだろうと奮発したばかりだった。



「ロマはミルクが好きだと思うの」

 そう言って嬉しそうに鍋へと流し込む様子を張りつけた笑顔で見つめる。

 ここで『それは私のです!』と水を差すのは大人げない。

 ――ロマン様のために頑張ってるんだ。少しくらい分けてあげてもいいじゃない、と自分に言い聞かせてうろたえる気持ちをおさめた。



「だから、たっぷり使って風味をきかせたいのよ」

「……そうなんですね」

 たっぷり……その言葉に気が遠くなりつつ、今さら止められないと注視すれば、空になる瓶がテーブルへ置かれた。



 私は涙がこぼれそうな思いを噛み殺し、――これでロマン様が食べてくだされば本望よ! と再度自身に語る。



 そのための貢献と納得して、あとはお菓子作りの成功を切に願った。



***



 そして朝の明るさが広ぐキッチンに、甘い香りが充満する。


 見守る作業は夕食後も続き、一晩寝かせた生地はお嬢様が早起きして焼き上げた。香ばしく彩られ並ぶお菓子に、無事完成とわかる。


 ――良かった。本当に良かった!



「上手く仕上がりましたね」

 私は心からの安堵に胸を撫で下ろした。

「うん! すっごくいいのが出来たと思う。ティータイムまでロマには内緒ね!」


 喜び溢れる姿は、私に素直な満足感を与える。

 そしてロマン様を驚かせたいのだろう。悪戯っぽく目をきらめかせるお嬢様を、思わず可愛らしいとも思ってしまった。



***



「――本当にいい日だったわ」


 その日の夜、私は小さなティータイムに、いつものミルクティーを傾けた。ロマン様の嬉しそうな顔が浮かべば、それも格別な味に変わる。


 甲斐あってロマン様は、お菓子をとても美味しそうに召し上がった。

 何よりそれがきっかけになったのか、夕食も普段より多く口にしたことには目を見張った。少なからず役立てた自分も誇りに思う。



「でも、少し残念ね」

 ティーカップを見て苦笑したが充足してる。

 お嬢様を可愛いと思った今日、でも木に登ったりと行動は相変わらずだ。


 私は、やはり気を抜いてはいけないと自分を律して一日を締め括った。



***



 暁の爽やかな耀(かがよ)いに鳥がさえずり、心軽く私の今日が始まるも――たった今、一気に沈められた。



「……どういうこと?」

 もぬけの殻で冷たくなったベッド前に立ち尽くす。お嬢様の部屋を早朝のひやりとする空気だけが浸透した。……嫌な予感が走る。

 私は(あるじ)のいない室内をあとに、(やしき)をくまなく探し求めた。


「誰か! お嬢様を見かけませんでしたか!」

「ヒルダ、どうしたんだ? お嬢様なら門の辺りにいたぞ?」

 ほどなく得たのは、庭師ダニエルから門外に出たという証言。それはお嬢様の失踪を表す。

 (やしき)は朝から騒然とした――。



 なぜ止めなかったと喉元まで出る。だが、まさか本格的に(やしき)を離れるなど思わなかったろうと推測して抑えた。

 そこが普通の令嬢とは違う。私は気を抜かないと考えた矢先の事に頭を抱えた。



 その中で――ふと昨夜お嬢様の部屋前を通った時のことを思い出す。

「何か……ひとりごちてたわ」

 なんだか、耳慣れない単語も出ていた。



『――私は悪役令嬢だから気にしなくていいんだよ!』

 悪役令嬢……? 何のことだろうと立聞きすれば。

『高飛車、我が儘でいいの! けどやっていいこと悪いことはわかってるんだよね……。もう! これは私の人生楽しむためよ――』



 ――なんて言ってた気がする。

 あの時はよくわからず、気にとめなかったのが失敗だ。


 やっていいこと悪いことはこれなのか。

 そして人生を楽しむために家出するのかと考えた。

「本当にもう。何が気に入らないのですか」

 一瞬でも可愛いと感じたのは幻想だったと思い直す。

 それから私は呆れながらも、お嬢様を連れ戻すべく急いで着替えて街へ出た。



***



 さほど遠くに行けないはずと周辺の街並や市場を見て回り、連なる店を何軒か過ぎた。


 そうして足早に通りを歩き、髪結いの店を横切る際。座っている女の子が目の端に映った。

「……切ってしまうのね。まあ、あの金髪なら高値になりそうだけど」

 気が向いたのは、女性は髪を伸ばすことが当たり前で、切るには勇気がいるだろうと思ったから。

 けれど貧しさに髪を売る人の存在も知ってる。世知辛いものだ。


「でも今はそれどころじゃない。早くお嬢様を見つけなければ」

 そう。見つけないと、って……。



「――あの金髪っ!」

 私は即座に来た道を走り、先ほど目にした店の扉をバンッと勢いよく開けた――。



「本当にいいのかい?」

「うん。ざっくりやっちゃって」

 まさに今、その髪にハサミが入ろうとしていた。

「だめです! 切らないでくださいーっ!」



***



 ――ともに屋敷へ向かう現在。正確には、とぼとぼ歩くお嬢様を、後ろからせっついている。



 あの後、お嬢様の首根っこを掴んで店から引きずり出した。本当にいつも慮外の行動ばかり。

 一体何がしたいのかわからない。



「宰相のご令嬢ともあろう方が、髪を売ろうなど。旦那様がどんな目で見られると思っているのです? お嬢様はご自身の立場もおわかりでないのですか」

 まこと淑女の行儀ではない。侯爵令嬢なら尚更だ。

 そんなに周りを困らせたいのかと少しの苛立ちを湧かせて小言を並べれば、黙りこくるお嬢様が口を開いた。


「ごめんなさい……」


 小さな声で謝った。

 始めからしなければいいのにと思っていれば、謝る理由が違ったと気づかされる。


「……ヒルダのミルクを勝手に使って……ごめんなさい」

「は?」

 予想外の言葉に私は呆けた。

「返そうと思ったけど、私のお金じゃ足りなくて……」

 最後の辺りは震えて聞こえる。すぐには理解できなかった。



 ……お嬢様は私のミルクを買いに外出をしたというのだろうか?

 そしてお金が足りず……。

 まさかそのために、自分の髪を……売ろうとしていた?


 小さな手に握られたのは、わずかな硬貨。

 ねだれば何でも手に入るお嬢様が自身で金銭を持つ必要はない。少なくて当然だった。

 これもコレクションとして所持する物を、何とか掻き集めたのだとわかる。



 予期せぬことに思考が止まり、私は自分の口を抑える隙から「どうして……」とこぼしていた。

 それをどう捉えたのか、お嬢様は懸命に説明を始めた。

「あのね、お菓子を食べた時にいつものミルクと違う気がしたの。だから誰かの私物だったかもってみんなに聞いたら、ヒルダが買ってたのがわかって……それで」


 違いに気づいたとして、誰のものかを探すとは思わなかった。言葉につまり閉口して告白を聞く私は絞り出す。


「ですが、私は……使わないでくださいと言いませんでした」

「うん。わかってる。ロマのためだったからでしょ? 言えなくしてごめんね。本当にごめんなさい……」



 私はお嬢様を見つめていた視線を足元へ下げた。


 目の前で起きた使用は納得済みだとわかるはず。なのに、これほど気にしていた。

 そして誰に頼るでもなく自分で返そうとした。

 ――私のために。


 元々怒ってはいない。でもそんな泣きそうな顔をされたら怒る気が起きないどころか。


「本当に。本当に、もう……」

 ――なんて愛すべき方なんでしょう――。



 俯いて表情を隠す私は、笑顔を溢れさせた。

 胸に(かす)かな温もりが灯る。

 紅茶も飲んでないのにと、じんわり緩んでいく気持ちを嬉しく思っている自分がいた。



***



 それから私は浮き立つ気持ちを落ち着かせ、二人でミルクを購入しに行った。


 店主に頼んでお嬢様の持参する金額分だけをわけてもらえた。……が、家路につくお嬢様の表情はいまだ晴れない。

 微妙に眉を下げるそれはとてもらしくなかった。



「なぜそんな顔をされるのです。ちゃんと手に入りましたよ?」

「だって……ちょっぴりだもん」

 どうやら同じ分量でないことにわだかまるようだ。律儀だが調子は狂う。

「私はとても嬉しいです。これで一度ミルクティーが味わえれば満足なのですから」


 本音を伝えれば喜ぶ顔を見せたけど「でも……」とまだ府に落ちないでいる。

 私は、慣れない嬉しさの照れと、らしからぬ様子に戸惑った。


「いつまで気になさるのですか? ミルクのことも最初から知らない振りをして良かったのですよ。ご自分のことだけお考えください」

 そしてつい、気持ちを誤魔化す裏腹な言葉を続けてしまった。

 だから案の定、怒らせたかと思ったのだが……。



「そんな卑怯なこと無理だもん! 知ってたら気になるし、自分に嘘はつけないよ」

 返答は私の発言より至極全うだった。

 確かに、お嬢様の我が儘は自分に正直で嘘がないもの。高飛車も決して卑怯とは違う。それは初めて知る真意。


「嘘で自分をなくすのも、ずるくなるのも嫌だよ。私は正直に、お父様の権力で得る地位と財力をフル活用して、正々堂々といばり散らすの!」

 そして嬉々とした断言は、いつも以上にお嬢様そのもので――。

「それでこそ、お嬢様です」

 安心を覚えてにこりと言えば、しまったという顔をする。

 だけど私がお嬢様の手を握ると、それもすぐに笑顔へと変わった。



「今夜さっそくいただきますね」

「うん」

 道すがら伝えてちらりと伺えば、頬を桜色に染めてはにかむお嬢様がいた。


 手を繋いで歩くのも初めてで、すべてがくすぐったい。

 変わらず偉そうな口振りで我が儘と高飛車を宣言されたのに、私は頬笑みを湧かせて帰邸(きてい)した。



***



 そう反芻し終えた私は再びティーカップを口に運ぶ。


「今日のミルクティーは、一段と美味しいですよ。お嬢様」

 ここにはいない人物へ語るように呟き、テーブルに置いたミルク瓶を見てふふっと笑った。



 今夜はとくに楽しみだった小さなティータイム。


 念願のミルクティーは本当に美味しかった。

 それは、これが特別なミルクだからではなく、このミルクが特別だからだと思う。



 何が変わったわけでもない。むしろ最近は、振舞いに奔放さも追加されて拍車がかかってる。

 なのに、手に負えない行動も含めてすべてが愛おしく感じる私はどこかおかしくなったのか。


 旦那様は常々、ティアナは可愛いだろう? とおっしゃっていたが――。


「――そのお気持ちをわかる日が来るとは思ってなかったわ」



 私は笑いながらミルクティーを飲み、また、いつもより優しく広がる味わいを堪能していくのだった。

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