6 私は、目標に挑みました
眩しい太陽に照されて、庭に植えられた花が嬉しそうに咲き誇る。
はびこる草たちも気持ち良さそうにすくすくと育っているね。
ほんとに――。どこまでも緑だよ。
はい。私が今なにをしてるかというと、庭で草むしりをしています。なぜって?
それは昨日、公務を終えて邸に帰ってきた父に……ロマンを傷つけちゃったことを告げ口されたからよ!
父の執務室にある椅子の上で正座させられ、こってりみっちりお説教をくらったあとに言い渡された罰、『庭園の草掃除』をただ今実行中。
密告の犯人はヒルダと見ている! まあ、本当の事だから仕方ないか。
だけど、娘を溺愛、猫可愛がりの父から、まさか罰まで与えられるとは思ってなかった。
さすが宰相を勤めるお父様。
悪いことはきちんと指導して甘やかさない賢いお方でした。
それはそうと、私は草むしりを甘く見ていた。
ただ引っこ抜くのがこんなに大変だったとは……。
はじめは、鎌でちゃちゃーっと刈ればいいのよ! なんて思って、庭師のもとに行ったのだが貸してもらえなかった。何やら専門の資格がないと鎌を持つことは許されていないらしい。
くそう。鎌を扱うにも免状がいるとは知らなかった。奥が深いな貴族世界!
前世でも必要だったかもしれないけど。
確かに、鎌は凶器にもなるしね。悪役令嬢には尚更渡してはいけない武器な気もするよ。
――そんなことを考えつつ、私はひたすら草むしった。
たかが草むしりと侮るなかれ。なんせこの邸の庭はでかい。
あーもう! この広さが恨めしいわ!
「姉様……大丈夫ですか?」
むきーっとやけになって手荒にむしっていれば、ロマンが声をかけてくれた。
心配そうにしながらもテラスから私を見つめるだけでいるのは、絶対に手伝ってはいけないと言われたため。
それでも彼があたふたと、こちらに近づきたいのを我慢してるのがわかるほどに、愛しさが込み上げた。
「うん。平気だよ!」
側にいてくれるだけでお姉ちゃんは嬉しいよ!
途端に元気とやる気を取り戻した私は、笑顔で答えた。
あれから姉様と呼んでくれるようになったことも嬉しくて、私は一人にまにましている。
「お嬢様、にやけていないで手を動かしてください。早くしないと日が暮れますよ?」
現実に引き戻すように言ったのは、一応ティアナ専属のお世話係兼、レハール家のメイド頭でもあるヒルダ。
今日もアッシュベージュの長い髪を後ろできちっとフィッシュボーンに編み込んでいる、清潔で几帳面そうな人だ。
まだ若い彼女がメイド頭を勤めるのは、それだけ人の入れ替わりが激しいから。私のせいでね。
なのに仕えてくれるヒルダを見て、出会った当初……というか覚醒した直後は、いい人そうで良かったなあと頬を緩めたのだけども。何気にヒルダは私に厳しい。
今も切れ長のエメラルドの瞳が優しく弧を描いてるけど、背後からはちゃんとしないと許しませんよオーラが出てる。
私は高飛車、我が儘な悪役令嬢のはずなのにおかしいな?
いや。だからか、と思いながらも急ぐ。
ロマンと一緒にティータイムを過ごしたい私は集中して頑張りはじめた。
早く終わらせなければ。
――今日は彼に渡したいものがあるんだ。
***
「終わったあーっ!」
ようやく罰をやり遂げた私は、手を洗い、待たせていたロマンの元へと走った。
すでにティーセットが整然と置かれたテーブルにつくロマンは「待たせてごめんね」という私を笑顔で迎える。
そして彼と並ぶように着席すれば、間もなくヒルダが今日のお菓子を運んでくれた。
「さあ、ロマ。一緒に食べよ!」
「はい」
私の声で、ロマンは飲んでいた紅茶を置き、並べられたお菓子へ手を伸ばす。
あまり食事を取らない彼は、昨日のティータイムでもお菓子は食べていなかった。けれど、促す私の言うことを素直に聞いてくれたようだ。
それから口に運ばれる様子を、私はわくわくしながら見守った。
「! ……美味しい……」
私はヒルダと顔を合わせる。
「このパレット、すごく美味しいです……っ」
頬を赤らめて本当に美味しいそうに言うロマンを見て、二人ではしゃいだ。
「姉様?」
そしてその様子に戸惑うロマンへ、ヒルダが説明をしてくれた。
「ミルクの風味が広がりますでしょう? そのパレットバルトンヌは、お嬢様がお坊っちゃまのために作られたのですよ」
「……え?」
そうなのだ。ロマンが食べたパレットバルトンヌと呼ばれる厚めのクッキーは、私が昨日から今朝にかけて作った特製のパレットだった。
「姉様がこれを……? 僕の、ために?」
「えへへ。ロマはあんまり食が進まないみたいだけど、いつもミルクは必ず飲んでたでしょ? だから好きなのかなーと思って。ミルクを煮詰めて作ったクリームを練り込んでみたの」
「それでこんなにミルクの甘さと香りが……」
「あとね。こっちは、すった野菜を使ってみたの。やっぱり野菜も取ったほうが体にいいしね」
これはどの野菜を使うか、どれが合うかと少々手こずった。だけど試行錯誤した分、中々上手く出来たと思ってる。
私は「こっちも食べてみて?」とロマンに勧めた。
「美味しい……野菜がこんなに美味しくなるなんて知りませんでした」
ロマンの言葉に、幸せな気持ちが泉のように湧きあがる。彼は私を喜ばせる天才だ。
かく言う私は、歌やダンスなど芸術的な能力と運動神経は引きちぎれてるけど、前世の一人暮らし生活のおかげで料理だけは自信があった。
それでも、食べてもらうまではドキドキしていたから。
ロマンが本当に美味しそうにしてくれる様子に、口にあって良かったとようやく安心できた。
「ありがとう、ロマ。食べてくれて嬉しいよ」
「そんな……っ! 僕の台詞です。姉様、こんなに美味しいパレットを作ってくれてありがとうございます」
やはり遠慮がちに俯きながら、でも両手で掴んだパレットを見つめて微笑みを浮かべる姿に。
私は頑張ってみて良かったと心から思った。
***
そうしてティータイムを終えた私は、更なるミッションに取り掛かるべくトランプを取り出した。
「ロマ。次はゲームをしよう!」
「ゲーム、ですか?」
今日、私が自分に課した目標は、
『ロマンにお菓子を食べてもらうこと』と『一緒にゲームをすること』の二つ。
すでに何のゲームをするかも決めている。それはトランプの王族ゲームだ。
王族ゲームとは、まずそれぞれの手札に四枚のカードを配り、伏せて並べる五枚のカードの真ん中に残りを山にして置くことから始まる。
あとは順番に手持ちのカードと並べたカードを交換して、先に絵札を揃えた者が勝ちという単純なものだ。
他のトランプゲームと少し違うのは、その名の通り『王族の絵札を揃えた勝者が王様となり、敗者に何か一つ自分の望みを命令しなければならない』という決まりがある。
――このゲームを選んだ理由はそこにあった。
ロマンは私のことを姉様と呼んでくれるようにはなったが、先程みたいにやはりどこか自分を抑え込んで見える。
だから、彼が本当にしたいことを言えるようにしたかったのだ。
ルール上、勝てば望みを命令しなければならない。ロマンは優しいから仕方なくでも従ってくれると思ってる。
そして負けた場合のこともちゃんと考えていた。
勝った私は『ロマンのしたいことを言え』と命令するつもりだ。にしし。
どっちにしても私の望んだ通りの結果が得られると言う算段。
ずるくないもんね。王様は絶対だもん!
これでロマンが勝った時に、
『一人になりたいです』とか言われたら終わってるけど……うん。絶対勝とう!
***
「負けた……」
意気込み空しくあっさり負けてしまいました。
勝ったロマンは少し落ち着かないようで、居心地悪そうにしている。
「じゃあ、ロマ。望みを命令して?」
私はロマンに求めた。
伏せる目を泳がせて、そわそわと言いよどむ彼に、まさか本当に拒絶を言い渡されるんじゃないかと焦りが生まれる。
願うように必死の思いで見つめていれば、ロマンはようやく意を決したようで、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「ぼ、僕は……」
――ごくりと唾をのみ、続く言葉を待つ。
「姉様と、ずっと一緒にいたい、です……っ」
告げられた思いがけない内容の命令に、破顔した私のダムが決壊したのは言うまでもない。
「いるよっ! いるに決まってる! ずっと一緒にいて!」
私は泣きながらロマンに抱きつき、柔らかな髪をくしゃくしゃに撫でまくった。
そんな過剰な愛情表現も、臆せず笑って受け止めてくれる姿はもう天使!
これからは心置きなく愛でまくれることに、私はミッション大成功! と一人心の中でガッツポーズをした。
***
そんなこんなでロマンと打ち解けた私は、愛でまくっては遊んで貰っている。
やっぱり男の子はわんぱくでないと! という思いから、自然と外での遊びばかりになった。
かくれんぼも鬼ごっこも、たった二人とはいえ、相手がロマンというだけで楽しい。いや、鬼ごっこに関しては早々にやめたけど。
……だってロマンに気を遣わせるんだもん!
始めこそロマンは本気で逃げていた。だけど私の引きちぎれた運動神経を認識したのか気づけばゆっくり走ってくれてるのがわかり、遊びの選択から外したのだ。
そんなどうにもならない脚力だけど、木登りは出来たりするから不思議だよね。
引きちぎれかたがよくわからないと思ってる今、私とロマンは木の上でくつろいでいた。
たくさん走ったからちょっと休憩中のつもり。
それにしても、子供の遊びも全力でやるとほんとに楽しかった。
今はやりたいことをやってるから楽しいのかな?
どうせ終わるんだしと思って、余計なことが気にならなくなったからなのかな?
思いながら顔を上げて……息をのんだ。
広がるのは、葉の間できらきらと光るまばゆい日差しに縁取られた青い景色。
私は眺めた空に目を見張る。
「……綺麗だね。ロマ」
気づけば自然と口にしていた。
自由な気持ちのままで生きてみると空の青さにも気づく。
流れる空気を大きく吸い込めば、体まで軽くなるような気持ちがした。
いつも、これからも続くと思うから、波風立てないように生きてた前世。
それが、いつも今日が最後みたいに生きるだけでこれだけ楽になれるんだ。
今にして思えばなんて生き苦しい中を過ごしてたんだろう。
何も気にせず生きてみると身も心も軽く感じる。逆に何を気にしてたんだろうね。
それだけ今が楽しかった。
この世界にこれて良かった。悪役令嬢になれて本当に良かった。そう、思った。
「姉様? どうかしましたか?」
「ううん! 何でもない!」
黙りこくる私を見て問う不安げなロマンに、元気よく笑顔で言った。
潤んでしまった目はこっそり拭って。
「それより、ロマ。逃げるよ!」
「えっ?」
私はロマンの袖を引っ張って木から降りるよう告げた。早くしないと、特に私は。
だってほら……。
「お嬢様ーっ! お坊っちゃまをなんてところに登らせているのですか!」
「ごめんなさーい!」
そうして全力で逃げたものの、十秒と持たず速攻でヒルダに捕まったことは言うまでもない。くそう。
私はヒルダにずるずると引きずられながら、
「次回は物理的距離をとろうとせずに、何とか体力勝負で持久戦を狙ってみよう!」――そんな逃亡作戦を考えるのだった。