36 私は、お願いをされました(前編)
さんさんと降りそそぐ太陽が、街全体の明度を上げてゆく最中――。
強い日差しを受けて真っ白に輝く道沿いの塀が、目も眩むような光の照り返しを車内へと届ける。
そんな陽光の暑さも、走る馬車が素早くきってゆく風たちによって中和されていた。
「本当に、すばらしく快晴ですわね。今日も素敵な一日になりそうだと思わなくて? ――ねえ、ロマ」
「……はい。そうですね、姉様」
穏やかな揺れに身を任せながら、同乗したロマンに声がければ、いつもの笑顔で応えてくれる。
その声が幾分小さいような気もしたけれど、テンションの高かった私は構わず、うふふと会話を続けるうちに目指す正門へと辿り着く。
次いで、大きく開いた門を抜けた馬車は、オベラート邸の玄関前で停車した。
それからまもなく、ゆっくりと車外へ降り立った私は……。
おもむろに両手でフレアなワンピースの裾をつまんで軽く持ち上げると、斜め後ろに引いた片足を曲げ、優雅なお辞儀を披露してみせた。
「皆さま、ごきげんよう」
――よし、完璧。
そう内心で頷きつつ、にこやかに顔を向けた先では、なぜか出迎えてくれたディルクとリリーが無言のまま立ち竦んでる。
揃って目をぱっちりさせた上に、口を半開きにしてる姿はまるで埴輪みたいだ。
私は不思議な様子でシンクロする二人に首をかしげながらも、この兄妹似てきたなと少し微笑ましく思う。
「……何で、正門から入ってきてんだよ」
そうして心をほっこりさせていたところ、ようやく口を開いたディルクから出てきたのは、挨拶の返しではなくおかしな言葉だった。
いや、入るためにあるんだよね? というよりも、散々「正門から入れ」って言ってたくせに、咎められる意味がわからない。
「あの……私が誰だか、わかる……?」
だけど今度は、おずおずと近づいて来たリリーからも変な質問をされた。
「リリー。どうしてそのようなことをおっしゃるのかしら」
「……ティアナが、記憶喪失になったのかと思って……」
うん、なぜそう思った。
私は脳内で軽く突っ込みつつも、保たせた笑顔で、いっそう優しく返すことにする。
「うふふ、面白いご冗談ですわね。お話の続きをするためにも、そろそろお邸にお邪魔させていただいてもよろしいかしら?」
「え、……あ、はい。どうぞ……」
「いつもみたいに外で遊ばねえのかよ」
「それも素敵ですわね。ですが、このような厳しい暑さでは、熱中症になってしまうかもしれませんもの。本日は、室内でティータイムを愉しむというのはいかがでしょう」
そしてなかなか終わりそうにない立ち話を切り上げるべく運び、ついでに早々とプランも持ちかけた。
「うん……わかった」
「……ふーん。まあ、とにかく入れ」
するとディルクはちょっぴり不満そうだったけど、リリーがすんなり受け入れてくれたおかげで、何とか邸内へと招かれる。
こうしてサロンに通された後、私たちは先ほど提案したティータイムを興じることになった。
***
――ほどなく、芳しい紅茶の香りが静かな室内を包む。
言わずもがなの重たい空気が流れる中……テーブルを挟んだ向かいで沈黙するオベラート兄妹に合わせて、私もとりあえず笑顔を作り大人しく過ごす。
そのままロマンと並んでティーカップを傾けていれば、リリーが少し思い詰めた表情で隣のディルクに問いかけ始めた。
「どうしよう……。ディルク、お祓い……できる?」
「いや、知らねえ。十字架をかけてみたらどうだ」
「……それは、吸血鬼……」
「だったら、厨房からニンニクを持ってきて嗅がせるとか」
「それも同じだから……他にいい方法、ない……?」
「うーん、そう言われてもなあ」
彼女が言い出したことは突拍子のない内容に思えたものの、ディルクはことさら気にする素振りもなく返してる。
それどころか、互いにますます奇妙なやり取りを繰り広げていった――。
当然ながら事態が飲み込めない私は、しばし傍観を続けたけれど。
若干泣きそうなリリーと真剣な顔で悩むディルクを見ているうちに不安が芽生え、口を挟まずにはいられなくなってしまった。
「お祓いだなんて……今、オベラート邸では何か大変なことが起こっているのですか?」
だから心配して尋ねると同時、バッと視線が集りにわかにたじろぐ。
「そんなの……
ティナに何か取り憑いてるからだろ」
「ティアナに何かが、取り憑いてるから……」
――刹那に、険しい顔でこちらを向く兄妹にハモりで言われた。
この再びシンクロする言動から、ディルクとリリーが同じ考えでいたことはよくわかる。
それにしても打ち合わせもなしに、よくそんな変な会話を成り立たせられたなと思わず感心した……じゃなくて。
二人とも、すんごい失礼だよね?!
「……ご安心ください。私は誰にも乗っ取られておりませんわよ」
「じゃあ、なんだ。もともとティナが阿呆なのは知ってるし、今さら少々のことでは驚かねえ……けどな。これはどういう理由だっ、ロマン!」
それでも努めて平静に返すと、更なる暴言を吐くディルクは、――なぜかロマンへと詰め寄った。
相手が違うはずだけど、続いてリリーまで同様に身を乗り出すから、とばっちりで的にされたロマンは苦笑してる。
「姉様がこうなったのは、もうすぐ『お試し』をするからです」
「はあ?」
「お試し……?」
「――ええ。実は昨夜、父から話がありまして……」
そして、告げられた回答にますます怪訝な色を深める二人へ、事の次第を語っていった――。
***
濃藍の夜空がレハール邸を静かにつつみ、いつの間にか、くっきりと浮かぶ月が窓を飾りだす頃。
私はいまだ、自室へ引っ張り込んだロマンとのお喋りに花を咲かせていた。
このように夕食後はいつも二人で過ごし、夜の訪れと共に父からロマン解放を促される、というのがお決まりのパターンだったけれど――。
「ティアナには、フィッシャー家で修学して貰おうと思ってる」
――今宵はなぜか、まったく違う話を切り出されていた。
「フィッシャー家で、修学……?」
「うん。アンテウォルタでは、一定の年齢を迎えたら他所の邸でも学習する慣習があってね。今日、赴く場所が決まったんだ」
そんな予想外の言葉を復唱して目を瞬かせていたら、すぐに貴族的義務のことだと教えられる。
だけど私は、――『やるべきことはやる』がマイルールとはいえ、多少不満の気持ちが湧いた。
「その習わしのことは知ってるよ。でも、私にはまだ先の話だと思ってた」
「確かに、他の子供たちよりは少し早いかな。だが、いずれ魔法宮へ通うティアナは、その前に済ませて置く必要があるからね」
「……私が……、魔法宮に行くから……」
「ああ。ただ、きちんと通うのは来年だし、いきなり始めることもしないつもりだ。私としては、事前に何日かの『お試し』をおこなってはどうかと考えてる」
『魔法宮』とは――。
……私をデッドエンドへと導く、ゲーム始まりの舞台だ。
そして、何の前触れもなく現実を突きつけた父の説明により、どうやら自分は魔力があるせいで前倒すということも理解した。
「訪問先にはちょうど同じ年の子供がいるから、一緒に楽しく学べるはずだよ? ルイスくんといって、とても利口で可愛い子なんだ」
「でも仲良くなれるとは限らないし……って、ん?」
「オベラート兄妹とも、いち早く打ち解けたティアナなら大丈夫。どうだろう? まずは来週、三日間だけ試しに行ってみないかい」
「……――喜んでっ!」
その次の瞬間――、私は元気よく応える。
本当なら、未来についてと、人より余分な行程をこなす面倒事の両方から逃れたくて足掻いただろう。
なのであやうく聞き漏らしかけたけど、直前の会話でとっても大事なことを思い出したのだよ。
……そう、あの転生した時点で一番に求めた笑顔の主が、ルイス・フィッシャーという名であることに!
「ありがとう、快く了承してもらえて良かった。フィッシャー大公とは幼馴染みでね、彼の元なら私も安心だよ」
「え……じゃあ、どうして今まで交流がなかったの?」
かくして、偶然にもお気に入りキャラの邸が修業場所だと気づき、ひそかにガッツポーズしていたところ。
――また、新たな情報を知って、『それならもっと早く会わせてくれたらいいのに』と思いながら問いかけた。
「私もよくわからないが……。大公になって忙しいせいか、最近はあんまり遊んでくれないんだ。彼も大人びたがってるのかな」
遊んでくれないとか子供か。
だけど、父からこんな発言を聞くのは初めてで、それだけ心を許しているのだろうと感じた。
おかげで尚更初めての訪問に不安がなくなり、楽しみで待ちきれない気持ちだけが膨らむ。
「ともかく、あまり気負わず楽しむ心づもりで行っておいで」
「わかった! そうするねっ」
そんなこんなで、私は最初の態度とは一変して、前向きに『お試し』をすることが確定したのだった。
***
「――と言うわけで。フィッシャー家へ赴いた際、父に恥をかかせないよう、今から振舞いを正すそうです」
私はロマンの話を聞きつつ、横でこくりと頷く。
実を言うと、こんなふうにそれらしい理由づけをして、今朝方から行動を改めていた。
けれど真相は、ルイスの前でお淑やかな令嬢を装うための予行演習だったりする。
だって……せっかく推しと実際に会えるんだもん。自分が悪役令嬢なのは心得てるけど、多少でも印象を良くしたくなるのが乙女ゴコロだと思う。
「なるほどな。それはいい心掛けだが……ティナ、ひとまずその気持ち悪い喋り方は今すぐやめろ」
「淑女としてのマナーですわ」
「でないと即行で邸から追い出す」
「――もうっ、わかったよ!」
そして事情も明らかになり、練習を続けられると思いきや、ドSの横暴で無念の中止になった。
くそう……。ロマンがわざわざ伝えてくれた心意気を褒めたにも関わらず、強制終了させるとは何事だ。
「いつも元気はつらつな私が、ちょっぴりお嬢様仕様でいただけなのにーっ」
「慣れねーことすんじゃねえよ、リリーが怖がる。別に普段のままでいいだろ」
「大公様のお邸に行くんだから、ちゃんとするに越したことないでしょ」
「そのことだけど。ティナが行くフィッシャー家ってルイスのとこだよな」
それから私が己の邪な気持ちは棚に上げ、ぶうたれながら会話していれば、思わぬ反応が返ってくる。
「あれ? ディルはルイスを知ってるの」
「まあな。ここんとこ顔を合わせていないが……、前はよく一緒に戯れてた」
「……ティアナと、同年のご子息……どんな人……?」
「そうだなあ、見た目は中性的で綺麗な顔立ちをしてる。あんまり感情が表に出ないから彫像とか言われたりもするけど、心根の優しい良いやつだよ」
彼らの知り合い設定すら覚えてなかった私にとって、友達である事実は驚きだった。
だけど今は何より、リリーがすかさず興味をそそる質問をしてくれたことで得た回答に、やっぱりー! なんてときめいてる。
「ロマンは、一緒じゃないのよね……」
その一方で、対面のリリーは何だか難しい顔をしながら、ぽつりと呟いた。
「それがどうかした?」
「あのね……ティアナ。他所の邸なら、ここにして……」
「え? リリーのとこにも誰か来る予定なんだ」
「……違う。今までも、来たことないけど……お父様に、これからは受け入れて、と進言する……」
「いや。うちの親は王宮官僚で、ほぼ邸にいないから無理だろ」
「何事も、諦めないのが大事……」
「うん。いいこと言ってるけど、それは我が儘とも取れるぞ。おいティナ、大事な妹に変な影響を与えないでくれ」
なぜかディルクから悪者みたいな言われ方をされて心外に思うも、リリーが自分の邸を提供しようと考えてくれたのは嬉しかった。
きっと、一人で行く私を案じての優しさだろうなと頬も緩んでる。
……だがしかし、今回に限ってはフィッシャー家への訪問を断固として望むため、非情にも笑顔で流すしかない。
その間もリリーはよほど心配をしてくれてるらしく、「偵察に行って……友達なら、行けるでしょ……?」などとディルクに力強く訴えていた。
対する私は『来なくていい。そんなことしたら、お淑やかモードが保てなくなるじゃないか!』と心の中で抵抗するのに必死だ。
ところがディルクはと言うと、先ほど発言して以降じっと口をつぐんだまま遠くを見つめてる。
その様子はどこか考え込むようにも感じ、何かあるのかな? と眺めたら、不意に向き直るディルクと目が合った。
「――ティナ、ちょっといいか」
途端に、すっと起立したディルクが、視線で庭を差しながら言う。
「ねえ、ロマン……私も風の魔力を持ってるの。今どんなことを習ってるか、聞かせて……」
「……いいですけど」
「あーっと。じゃあ、二人とも少し待っててね」
「はい。わかりました」
「いってらっしゃい……」
唐突にお誘いを受けたかと思えば、間髪入れずリリーが空気を読んでロマンと会話し始める。
だから私は素直に従うべく席を外すことを告げて、もうすでに進み出す、彼の後を追うのだった――。
36 私は、お願いをされました(後編)に続きます。




