5 私は、やらかしました
新しい日常のはじまりに、喜びのスキップで部屋中を駆け廻っていると、ヒルダが朝食を知らせに来てくれた。
扉を開いた彼女が一瞬無言になったのは、私が既に起きてたから驚いたわけじゃないことはすぐにわかった。
「……お嬢様。両足がつっておられるのですか? はっ! まさか、倒れた時の後遺症が今になって……っ」
「出てないから」
私の軽快なステップも、ヒルダには謎のかけずりにしか見えなかったらしい。
うん、すんごく失礼だと思う。
さておき、体調が問題ないとわかったあとは早かった。
ヒルダにてきぱきとドレスへ着替えさせられ、あっと言う間に身支度が整う。本物メイドの技量ってすごいね。
そうしてお姫様スタイルの出来上がった私は、朝食もさることながら今一番やりたいこと、
『新しい弟のロマンを愛でまくる』を実行するために足取り軽く食堂へと向かった。
やりたいことをやりたいように生きていく。それは今までのティアナと変わらないから、周りにおかしく思われることもないだろうと安心してる。
***
「おはよう! ロマ!」
着いた場所に対象を見つけるやいなや抱きついた。感情の赴くまま抱き締め、頬擦りし、その柔らかい髪を撫でまくる。
コタの生まれ変わりのような彼に数年分の愛でたい欲求を一気にぶつける私の行動は、たぶんただの嫌がらせに近い。
以前の私だったら相手が嫌がってないか気遣うところだけど、今は違う。
ふっふっふ。だって私は、何をしてもいい悪役令嬢だもんね!
「ロマンのことはこれからロマって呼んでもいい?」
もう呼んでるけど。
返事がないのを勝手に了承と捉えてしがみついてれば、遅れてやって来た父が私の肩に手を置いた。
「ティアナ……。ロマンが固まってしまっているよ? まずはきちんと朝食を取らせてあげなさい」
言われて抱き込むロマンを見やると、顔が真っ赤になっていた。
――おっと、これだけ力づくで頭を押さえてたら声も出せないはずだ。答えられなくて当然だよね。
「あ。ロマ、ごめんね?」
私は謝ると慌てて腕を緩めた。あやうく窒息させるとこだったよ。
嫡子のすることには逆らえないのか成すがままでいたロマンを、父に諭されようやく解放してあげた。
「あとで一緒に遊ぼうね!」
忘れず約束を取りつけてから自席に向かうと、彼もその言葉にこくんとだけ頷いて一緒に朝食の席についた。
それから私は食事しながらもこの後なにしようかと考えつつ、可愛いロマンの一挙一動を余念なく観察している。
すると、なぜか彼は食が進まないように見えた。
まだ緊張してるのだろうか。それとも口に合わなかったのか?
この邸のご飯は美味しいと思うけど。
あまり食べない様子が少し気になったが、自分のことしか考えないと決めた私は、すぐに食後の楽しみへと思いを移した。
実際、その時間に待っていたのは貴族の学習だったけど。くそう。
***
そしてヒルダに与えられた課題は、昨日からなぜか重点を置かれるダンスレッスン。
勉強じゃなくてダンス? 楽しそうー、とは思えん!
なんせ運動神経が引きちぎれてますから!
うん。出来ないから余計に学ばされるんだよね、とテラスでしゃがみながら考える。いま私は合間の休憩でひと息ついてる段階。
この後もまだ続くのかと思うとげんなりする。
でも今日の私は一味違ったとにんまりもしてる。
昨日、就寝前にこっそり励んだ練習の成果か、まだ先生の足を一度も踏んでないの!
「あれ絶対痛そうだったもんね。何とか、出来て良かったよ」
音楽にのれてたかはわからないけど、とりあえず踏まずに済んでほっとしてる。私にもちゃんと出来たよ。
うん、出来るようになった……って……。
「だから出来るように復習してるとか!」
そこ! 根本的に間違ってるところに今さら気づいて顔面を覆った。
「自由に生きるって決めたのにー! なにやってるのよ、もう!」
したたかに我が儘するはずが真面目か! と、先生の足は踏まなかったけど、地団駄を踏んだ。
なんてかけてみても全然うまくないわ!
「そうだよ……真面目にしちゃうんだったね。前世の私は」
若干呆れて溜め息が出る。刷り込みこわい。このきっちり几帳面な性格が恨めしい。
「悪役令嬢だよ? ここはスパーン! と投げ出していいんだからね! 殊勝にもデッドエンドを受け入れるんだから、それまで好きに生きようよ!」
自分に言い聞かせると共に、この性格には補正が入らないのかと本気で思った。
そうやって悶々としていれば、いつの間にかやって来たヒルダに覗きこまれた。
「お嬢様。こんなところで座り込むなんてはしたないですよ? さあ、レッスンをいたしましょう」
「……はーい」
憩いの終焉である再開を告げられ、私はダンスホールへ素直に足を運びながら考える。
本当に、この染みついた真面目さをどうしてくれようか!
どうせ五年で終わるなら学習する意味はない。今まで通り放っておいていいに決まってる。
もうロマンのところへ遊びに行っちゃおうかな? ……と思ってみたけど。
そうするのが無理、というより嫌な自分がいた。
そもそも私は、最低限のこともせず自己主張ばかりする偉そうな人が苦手だった。だから自然と同類になることを避けたのだろう。
自由なスタンスで好きなように生きるなら、自分が嫌いな自分にはなりたくないもの。
そう理解した私は『これから生活する上でやるべきことはちゃんとやる』を、一つだけマイルールにした。
うん。そのほうが自分的に正々堂々と高飛車で我が儘をやっていける気がする。
決めてしまえば、案外しっくりきた。
何でも基本は大事だよね。自己中心的な振る舞いも、きちんとした教養、素養がある上でするのが私らしい。あえて性格を変えるのではなく活かそう。
そして全力で高飛車と我が儘を遂行してやろう、そうしよう! と短い思考の中で結論した。
だからダンスレッスンの続きも、そのあとの座学も真面目にこなしたよ!
***
そうして無事にレッスンというミッションを成し遂げた私は、足早にサロンを目指した。
やっと心置きなく欲求を満たせる! と勢いよく扉を開けば、テオとの学習を一足先に終えたロマンが待っていてくれた。
「お待たせ! 何して遊ぼっか!」
再び抱き寄せて聞いた。
口ごもるロマンにおかしいな? と目を向けたら、私より少し背の低い彼をまたしても抱き込んでいるのに気づく。やっぱり私のせいだね。
「ごめん、ごめん。何したい?」
解き放しながら、呼吸をふさがれて赤くなったロマンと目を合わせた。
紫がかる淡いグレーの瞳が揺れる。
私は彼の頬を両手で挟み、更にじっと見た。
「あ、あの……」
「うん。やっぱりロマの目はとっても綺麗ね! 私、その目が大好き」
前世で家族だったうさぎのコタも同じ色をしていた。懐かしさもあるけど、それでなくてもロマンは可愛い。
何とか打ち解けたいと思う私は、特にやりたいことがない彼に探検と称して邸の案内を始めた。
まず邸内を巡った次は庭園の散策。
大きな目をしきりに見渡せて、後ろをとことこついてくる姿に私の頬は緩みっぱなしだ。
ロマンは抱きつくといつも肩をびくっとさせる。
だけど、ぷにぷにの頬っぺと少しくせのあるふわふわのアッシュグレーの髪を触りたくて、ことあるごとにぎゅっとしては撫でまくった。
拒まないのを良いことに何度も繰り返し、その度に私は癒されている。
そして花を渡って舞う蝶とロマンが戯れる姿に身悶えた私は、また飽きずに彼をハグした。
――ああ、幸せ! と悪役令嬢人生を満喫中だ。
「あの……少し、邸に戻ってもいいですか……?」
なのにしばらくして口を開いたロマンは、突然私から離れたいと言い出した。
「逃げちゃうの?」
今まで逆らわずにいてくれたのに何でと思いながら尋ねる。
「そうではなくて……ごめんなさい。僕、ちょっと……」
言葉を濁すロマンに、私は抵抗してさらに囲い込む。せっかく腕の中に取り戻したぬくもりをまだ消したくなかったから。
「本当に……。その、お願いです……っ」
それでも彼は、遠慮がちに強く出れないながらも振り解こうとしている。本気で逃れたがるのがわかるほどに寂しくなった。
「ううんー!嫌だあー!」
だから私は我が儘な令嬢そのままに、すがりついて離さなかった。
そんな攻防の時間がわずかに過ぎた頃――。
「……あ……っ」
「え?」
次の瞬間、ロマンが小さく震えだした。
俯く目はうっすらと涙の膜で覆われている。そんなに嫌だったのかと急いで体を退けたが、「もう、遅いです……」と囁く彼のズボンに、広がる少しのシミが見えた。
あ……ヤバい……やっちゃったよ、私。
***
そして今、私たちはまたサロンにいる。
「ご、ごめんね。ロマ……大丈夫?」
主に精神的なものが。
「……大丈夫、です……」
部屋の隅で三角座りをするロマンは、抱えた足に顔をうずめて言った。
うん。大丈夫じゃないよね!
まさかトイレに行きたかったとは気づかず、私は九歳のロマンをちびらせてしまいました。
あの後、ロマンは着替えに連れていかれ、私は悪役令嬢にも関わらずメイドでお世話係のヒルダと執事で教育係のテオにこっぴどくお説教された。
まあ、当然と言えば当然。さすがにひどすぎるもん。
それで現在、二人きりでいるサロンには、気不味すぎる空気しか流れてない。これから仲良くなれる気もまったくしない。
「あーあ。やっと会えたのにな……」
ぼそっと言いながら、私は失敗したと思っていた。
例えばペットの場合、新しくおうちに迎え入れた時の心得は、
『一、目を合わせてはいけない』
『二、かまいすぎてはいけない』
『三、馴れてくれるまでじっと待つ』だ。
でも私は、無理にかまったら怖がられちゃう?
ノンノンノン、私は悪役令嬢よ?
嫌われるのもデッドなエンドもすでに決定事項。それよりいますぐ彼を存分に愛でたいのよ! と高飛車、我が儘に行動した。
ロマンをペットと同列に考えるのは良くないけど、結果は見事三つの禁忌を全て侵し、加えて辱しめるというおまけつき! ……やらかした。
ゲームの設定上、ティアナは弟を散々いじめて人間不振、主に女嫌いにさせている。
実物のロマンに会い、こんな可愛い子をいじめるわけないでしょと思ってたけど……私のしたこれがイジメじゃなくてなんだ!
さすが悪役令嬢クオリティ。やっぱり外さないよね! ――というより私のせいだけど。
故意にいじめようとしなくても、意地悪したとしか取れない方向に進むなんてほんとすごいよ、乙女ゲーム! ――……って違う。全部自分のせい。
本当にロマンを傷つけてしまった……。
……ごめんなさい。
私は遠くからロマンを見つめた。
うなだれた様子はひどく落ち込んでいるのがよくわかる。これだから嫌なんだ、自由に生きるのは……と身勝手に思う。
もう仲良くなれなくても仕方ない。
嫌われてもいい。だけど彼を傷つけたことは許せなかった。
自分が受ける痛みなら、その痛さがわかればいくらでも我慢できる。でも他人が受けた痛みの強さはわからない。わからないからこそ余計に痛く感じて辛くなる。
これもすごく自分本位なんだけど。
もう声をかけることは出来ず、側に行くのもはばかられた。
ただ見守りながら、わからない痛みをこらえて立ち尽くす。それは数分にも永遠にも続く時間に思えた。
何も言わない私が気になったのか、ふいに顔をあげたロマンがこちらを見て固まった。
なぜかその目は大きく見開かれている。
「……どうして、泣いているのですか?」
無意識にも私はぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ロマが傷ついてるから。ロマの心が痛いのが、痛い……」
勝手だとわかってはいるけど。
言った私の眉は寄り、更なる滴を溢れさせた。
「ごめんなさい。私が傷つけたのに、泣くなんて卑怯だよね」
本当にずるい。そう思うから隠すように必死で顔をこすった。けれど、すぐに側へやって来たロマンが私の動かす手を抑えた。
「擦ると目が腫れてしまいます」
指をそっと私の手にのせて止める。
そんなロマンをぼやける視界の向こうに見れば、彼は少し困った顔をしてからハンカチを差し出してくれた。
「本当に、僕はもう大丈夫です。姉様が変わりに泣いてくれたから痛くなくなりました」
そう言うと、はにかむように頬笑んだ。
初めて向けてくれた天使のような笑顔は、ついに私の涙腺ダムを決壊させた。
同じく、初めて姉様と呼んでくれた嬉しさも相まってだだ漏れになる私の水分。
それをロマンから遠慮なく受け取ったハンカチで拭いながら「ありがとう。これからよろしくね」と伝えた。
「僕こそ、よろしくお願いします」
ほんのり頬を染めて言うロマンは本当に優しくて可愛くていい子だ。
それに引き換え私は……気持ちがたかぶっていたせいか、涙のついでに鼻までハンカチでかんでしまった。
本当にもう人としてどうかと思う! と自分を殴りたくなったけど。
――これも悪役令嬢だから仕方ない。そう帰結することにしたのだった。