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34 私は、またいつかを終えました(前編)

 心地好い陽光が明るく冴え渡り、景色を軽やかに見せる。

 そんな清々しい庭園の真ん中にいながら、私は心に悶々とする思いを湧かせていた。



 ……またしてもやらかしてしまった、それはディルクの時より確実だとわかる。


 よくよく考えてみれば、熱血な人物の特徴といえば物事に対して真剣で真面目、とにかく曲がったことが嫌いなわけだから、言い訳したり約束を破る(だます)行為は(もっ)ての外。

 そして熱い(ハート)を否定したなら、もたらされる結果は『怒らせる』か『落ち込ませる』の二択で、私の場合は後者に導かれると決まってた。

 むしろ悪役令嬢の特性で行き着く先は、最初から一択しかない。


 そんなことを頭の隅で思いつつ、ラウレンツと二人きりのティータイムを過ごし始めたところ……、不意にエトガーがやって来た。



「――ティアナ。すぐに戻りますから、ほんの少しだけここ(・・)で待っていて下さいね」

「うん、わかった」


 何やら急ぎの用が出来たらしいラウレンツからそう言われて見送ると、私はとうとう一人になってしまった。

 そしてとくにすることもないので仕方なく、ぽつんと景色を眺めていれば……どうしてもアベル王子の姿ばかりが浮かんでくる。


「あれは絶対、傷つけてるよねー……」



 噂に聞いていた彼は『見目麗しく文武両道、性格も快闊で器が広い王子様』、だからこそ怒りはしないだろう。とはいえ、どんなに器が広くても傷つかないわけではない。

 私はつい考えに(ふけ)ると、大きな溜め息を吐いた。



 思えばこうやって何となく心情を図ってしまうのは、前世で人の目を気にして、その顔色を伺いながら生きた記憶があるせいだ。

 それも悪役令嬢を満喫し始めた今となっては、すべて仕出かした後に気づくため、残念なことにまったく活かされてないけど。


 だから尚更、経験を踏まえて回避できないなら、すっぱり割り切れた方が楽だと思うし、最近はだんだんと前世(まえ)の私がただのいい子ぶりっ子だったようにも感じてる。

 なのにどうしても染みついた思考の癖は、すぐに変わってはくれなかった。



「――よし。とりあえず、謝ろう」


 次の瞬間、私は唐突に告げていた。


 色々考えて悶々とするうちに、とにかく謝ることでけじめをつけて、気持ちをすっきりさせようと思い至ったのだ。

 それはいつもの身勝手な開き直りなので、許してもらいたいという願望は勿論持ってない。


 何はともあれ課題を決めた私は、さっそくアベル王子の探索へ向かうことにした。



***



 それから、花壇や生け垣もすり抜けて彼が去った方向へと歩きつつ、広い庭園内で辺りをきょろきょろ見回した。


 ラウレンツが席を外す間に済ませるべく、早く探し出そうと先を目指すも、まだアベル王子には出会えないでいる。

 どころか誰に会う気配すらないなと思いながらひたすら進んでいれば、やがて庭園の端らしきところにまで辿り着いてしまった。



「……もう、部屋に戻ったのかなあ」


 私は少しの不安からひとりごちて、一旦引き返すことを考えたのだけれど。……ふと、奥まった場所から水音が聞こえて、最後にもう一度と足を運んだ。


「あ……」

 踏み入れたそこには、こちらへ背を向けた形で噴水の石垣に腰掛けるアベル王子の姿があった。


 目当てを見つけた私は当然、急いで近づく。それでも対する彼は微動だにせず、一言も発さないままでいた。


「アベル王子……ごめんなさい」

「…………別に、怒ってなどない」


 その様子に次の行動を迷うものの、背中に向かって謝れば、顔は合わせないながらもボソッと応えてくれる。

 ……だけど、アベル王子が怒ってないことはすでにわかっていた。



 私は悪役令嬢を満喫し始めてから、前世(いぜん)より高飛車で我が儘になれてると思う。だとしても、わからない痛みがすごく痛そうに感じることだけは変わらなかった。


 そんな私の目には、じっと座り続けるアベル王子が何だかとても痛くてつらそうに映ってしまい……思わず涙が滲んでくる。



「うん。知ってるよ……」


「……!? っお、おい。泣くな! 俺が泣かせたみたいだろうっ」

 叫ぶように言うアベル王子は、ぎょっとした顔で向き直っていた。


 本当なら返答にちらっと目をやるつもりだったろうけど、私の姿を見て咄嗟に振り返ったらしい。

 それは、踏ん張りをきかせなかった涙の防波堤が、すでに役目を放棄してこぼしまくっていたからだ。


「アベル王子は気にしないで」


 そう返しながら、次々に漏れ出す水分が伝う頬を手で拭い続け、何とか流れを止めようとした。


 ところが、自由に生きる私の涙も同じくとっても奔放なようで、中々言うことを聞いてくれない。


「いや、無理だろう……って、いい加減にしろよ! 大体、なぜお前が泣くんだっ」


 アベル王子は少し苛ついた様子で、声を荒げて立ち上がった。

 だけどその行動は、自身の傷を隠すためのようにも思えて、そんな姿を見てると、見てると……。


「だって……だって、アベル王子が泣かないからあ――っ!」

「はああああっ?!」



 とうとうこらえきれず、本格的な号泣を始めた私のもとに駆け寄るアベル王子は動揺していた。

 うん、ごめんね。


「俺が泣かないからって、どうしてお前が泣く……っ。そもそも何で俺が泣かなきゃならないんだ」

「それは、私が……、アベル王子を傷つけ、ちゃったからっ。だから、ごめんなさい」


 必死に泣き止もうとしていれば、当然の疑問を投げ掛けてくる。

 だから私は、しゃくりあげそうになるのを噛み締めつつ、何とか伝えた。


「……なぜ、傷つけたと思った?」

「わかんない。わかんないけど……でも、痛そうに見えたから。なのに……痛そうなのに、泣かないから、も、もっと痛そうでっ」

「わかった、わかったから泣くな! 俺は大丈夫だから。今は泣かれるほうがきついっ」

「ご、ごめん」


 話しているとまた込み上がってきた涙に、彼が再び慌ててハンカチを取り出しながら言った。


 うん。本当にごめんね、ごめん……。



「ちょ、待って……っ、アベル王……」

「いいから、もう泣くなっ」


 アベル王子は焦りながら、懸命に私の涙を拭おうとする。

 いや、拭ってる……というか手にするハンカチで人の顔をがしがしこすっておられます。


「ちが……良くないっ、ちょっと止めて……」

「だめだっ。まだ涙が出てるぞ」

「……や、違うから! 違う涙だからっ」



 熱血王子の熱意ある拭き取り方で一瞬にして違う涙へと変化させられた私は、それから何とか彼を押し留めた。

 そして頬を両手でガードしながら、もう泣いてないかと心配するアベル王子へ必死に泣き止んだと訴えるのだった。


 ……今は、ひりひりするほっぺが無事なのか心配だよ。



***



 あれから私たちは、どちらからともなく二人並んで噴水の縁に腰掛けている。


 何も語らず、ただ目の前の景色に視線を固定するアベル王子の横で、私も流れてゆく水をボーッと眺めた。

 ひりついた頬は、そよぐ風が熱をさらってくれたおかげで、今はもう気にならない。


 泣いた後だからか、日射しを映す水はよりきらきらと見えて、場の空気も不思議なほど穏やかだった。

 ――そんな中、私は無意識に伸ばす手で……彼の胸あたりをそっとさする。



「っ! 何だよ、いきなり」


 唐突な行動のせいで、アベル王子はびくっと肩を跳ねさせてから私に向き直った。


「何となく……」


 けれど、返す私の行動はとくに止められなかったので、こちらを見る彼に目を向けることなく撫で続けた。

 心のどこかで『痛いの痛いの飛んでけ――』、そう思いながら。




「……本当は、少し気に障った」


 しばらくしたら手を掴まれたので顔を上げると、アベル王子がふっとわずかに微笑んで言う。


 けれど私は、その表情をやや寂しげに感じていた。


「うん、ごめん」

「まったく。俺に蹴りをいれて、言いたいこと言って、おまけに泣くやつなんてお前が初めてだ」

「う……ご、ごめんね」


 それは何の気なく(おこな)ってきた事実、とはいえ全部を並べられたらさすがに(ひど)すぎるという感想しか浮かばない。

 謝ると同時に反省もした私は、多少の自重を覚えようと思った。


 そんな思考を巡らせていた矢先、不意にアベル王子がぽつりと話し始める。




「俺は……いずれこの国の王になる。みんなを守るため、常に誰より賢く強くなろうと生きてきた」

「うん」

「……だけど。お前から、まだ足りないと言われたように感じたんだ」


 努めて毅然とした様子で話すアベル王子は、すごく努力をしてきただろうとわかる。

 そしてそれは彼にとって、――辛いことだったのではないか、とも思ってしまった。


 なぜなら、辛さに耐えてまでした努力を足りないと否定されれば傷つくに違いないから。


 アベル王子はそれほどひたすらに頑張ってきたんだ。それなのに、一番自分を認めてないのは……『彼自身』な気がした。



「私はもう強いと思ってるよ。初めて森で会った時に、アンテウォルタの騎士と勘違いしたくらいだもん。アベル王子だってわかってるでしょ」

「……強い、ということをか?」

「うん。だから、ちゃんと自分で強いんだって認めてあげたら、あとは誰に何を言われても気にしなくていいと思う」


「ああ、そうだよな……。本当は、俺が一番わかっているんだ。――認められないってことを」


 ……あれ? 何だかおかしい。

 私は彼に、自分を認めて欲しいという話をしたつもりだったけど。


 どういう訳か、返ってきた言葉が真逆すぎて唖然とする。そうしてる間にもアベル王子は続けた。



「俺はいつも、何一つ守ることが出来ない。そう……、あの日でさえ俺が守られていた」


 変わりなく(たずさ)える彼の笑顔はひどく切なくて。自嘲を含むセリフに、『あの日』という言葉の示す事柄が、瞬間で思い出された。


「それって……二年前のラウレンツのこと?」

「っお前、どうして……!」


 問い返した途端、ばっと目を見開く彼のあまりの驚き様に『しまった』と口を覆った。


「……さすが宰相の令嬢。そんな事まで知っているんだな」

「っ……」

「話が早いな。二年前……お前も知るように、俺はラウレンツに守られるだけだった。ずっと、強くなろうと努めてきたにも関わらずだ」



 後悔を滲ませる様子で話す姿になおさら「本当はラウレンツから聞いた」とは言えず、私は黙って耳を傾けた。


「ラウレンツに残る傷は俺の戒めだ。あれから更に、もう大切なものは傷つけないと覚悟を決めて励んでいる。それでも、あの日守れなかった俺が……自分を認めるなど早すぎだろう?」


 ――そうして、一通り話し終えるとアベル王子は口を閉ざした。



 胸の内を聞いた私はといえば、強いはずの彼がなぜか儚く見えて仕方がなかった。


 きっと彼は覚悟という強迫で心を縛り、時に自身を痛めつけるほど厳しく努めてきたと思う。そのせいで痛みがすり替わって、ラウレンツだけでなくアベル王子にも傷があると気づかないのだろう。

 それは、今も自分を苛めるように認めない様子からわかるけど。

 これだけ頑張って強くなってる人に、どうして(もろ)い印象を受けたか悩んで……ふと前世(むかし)を思い出す。


 それは(つよ)いの字を『こわい』と読む際の意味を調べてみたら『力強くて猛々しい』や『かたくてごわごわしてる』だった、という他愛もないもの。


 ――別に深い理由はなかったけど、と反芻するうちに私は一人納得した。



 例えば腕を引っ掻いても、傷が浅ければすぐに治るし、再生した皮膚は前より強くなっている。

 そしてもし、せっかく治ったところを再び傷つけたとしても、また新しい皮膚が更に強く作られる。

 こうやってどんどん強くなるだけならいいけど、繰り返せばそれは治るごとに強くかたい傷痕になっていくのだ。


 何となく、アベル王子は自分の傷を……治るたびに何度も痛めつけてきたと思ってる。

 私は、そんな積み重なるごわごわのかさぶたで固められた心が、『つよい』ではなく『こわい』になってる気がした。

 それはアベル王子が弱いわけじゃなくて。漢字は違うけど、傷つけ続けたら強くなるどころか、もう一つの読みと同じ『怖い』になって当然なんだ。


 先ほど告げられた思いと、理解した彼の様子から使命感の強さは十分わかった。

 だからといって、誰もアベル王子だけが辛い思いをすることは望んでないと思うのに。


 ……本当に、この世界の人物は何でも一人で背負いたがる。



 男の子ってみんなそうなのかなあ、と考えてラウレンツを頭に浮かべた。

 そもそもアベル王子に事件の責任はないし、こんな心情でいることを彼が知ったなら……。


 口元を抑えたまま思考していた私は、すっと両手を下ろした。



「アベル王子がいつまでもこだわってたら……、ラウレンツは悲しいよ」

「そう言ってたのか?!」

「ううん」

「何だ、それはっ」


 私が告げた途端、アベル王子は勢いよく詰め寄ってきたけれど。重ねて否定すれば、拍子抜けしながら突っ込まれた。


「だって。もしもだよ、ラウレンツが『お兄ちゃんを守りたかっただけなのに、傷つけてしまったー。自分が上手に回避できなかったせいだー』って今も気にしてたら、アベル王子はどう思う?」

「ラウレンツは気にしてるのか!」

「だから、もしもだってばっ。どうなの、『ああ、ラウレンツはそんなにも俺のことを考えてくれてるのかー』って嬉しい?」



 どうやら熱いハートの彼は、すぐに気持ちが先走るらしい。

 今もまた、『意志の疎通が難しかった森での会話再び』になりかけたので、咄嗟にたたみかけて質問した。


 そんな私の行動にアベル王子は一瞬たじろぐと、瞼を伏せて少し考えてる。



「それは、嬉しく……ない。むしろ嫌だ」


 そして目を反らすまま、気持ちを確かめるようにゆっくりと紡いだ。

 私はその言葉に「でしょ?」と返しつつ、これでわかってくれたならと望むけど……。


「……頭では、わかった。だが、俺は本当にあいつを傷つけて……守ってやれなかったからっ」


 やはりそう簡単に丸く収まりはしなかった、と言ってもそれは当たり前のことかも知れない。

 すぐに心も追いつけるのなら、初めからわだかりなど持つはずがないとも思えるからだ。


 そして本当に人の気持ちは難しいとため息をこぼすけれど、アベル王子がラウレンツを大切に思う気持ちは私の胸を温めてる。


 だから尚のこと考えてしまう……大切な人のために、笑っていて欲しいって――。




「うん、心はどうにもならないよね。だけど、もうアベル王子が気にする必要はないかな」


 私は、思うままをきっぱりと口にしていた。

 するとアベル王子はにわかにいぶかしそうな表情をつくってゆく。


「どういう意味だ」

「ラウレンツは、アベル王子に守ってもらいたいと思ってないから」

「っ、本当か!?」

「知らない」


「……お前は、さっきから何なんだ。もはや例え話ですらないだろっ」


 確かに言われた通りなんだけど、ラウレンツの身になって思いを例えたところで、他人が考える妄想でしかない。

 所詮、私が今話していた勝手にそうだろうと想像する事と中身は同じだと思うのに。そう捉えてはもらえなかった。



「ただの憶測だけど、でも意見として取り入れてくれないかなーと思って話してる。私はラウレンツと同じように、アベル王子にも笑っていて欲しいだけだよ」

「あいつは優しいから……、どんな時でも笑うんだよっ。だいたい、ずっと真意のわからない話を聞かされて、どうしろと……」


 そうして言葉を返す最後、彼は唸るようにして頭を抱え込んだ。


 ラウレンツのことをわかっていながら、わからないところばかり考えて気にするアベル王子。

 私は悩ませるつもりも、無理に気持ちを変えようとしたわけでもなかった、――とはいえ結果そうなってる今、いっそ本人に聞こうかなという気もしてしまう。



「本当のことは本人じゃないとわからない。……けど、聞かなくてもわかってることが一つあるなあ」


 そんな思いに駆られる中で、私はついぽつりと洩らした。

 すると、一瞬で反応して顔を向けるアベル王子と目が合い、思わずただ真っ直ぐ見つめ返すのだけど。



「――ラウレンツは、強いよ」


 自分で気づくより早く、断言していた。



「アベル王子が思ってるよりずっと」



 ……静かに、でもはっきり言い放った言葉は水音へと溶け込んでゆく。

 視線を離さず黙る私たちを、明るい日差しだけが照らしていた。


 こうして私は、想像ではなくわかるただ一つを、アベル王子に告げたのだった――。

34 私は、またいつかを終えました(後編)に続きます。

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