32 私は、またいつかを迎えました
――来賓室のソファにゆったり体を預けた第一王子アベル・カイザーリングは、肘掛けに頬杖をつきながら物思いに耽る様子で黙りこんだ。
射し入る光を一身に受けては眩しげに、燃えるルビーのような瞳を細めつつ、それでもじっと窓外に望む景色を映し続ける。
時おり強くなる日差しが、そんな彼の赤みがかった栗色の髪を炎のごとく輝かせていた。
「やはり、名前だけでも聞いておけば良かったか……」
「どなたか気になられる方がいらっしゃるのですか?」
しばらくしてふとアベルがひとりごちれば、傍らで待機中の専属執事フィオンはすぐさま反応して問いかける。
「……いや。それよりラウレンツは、自ら申し出て婚約者候補にした令嬢がいるのだったな。現在、第一候補なのだろう?」
「はい。おっしゃる通りでございます。元はアベル王子の候補の方でしたから、不都合があれば戻すことも可能でしょう」
「それはいい。ラウレンツが心にもなく、俺のために何か気を使ったというなら話は別だが」
会話が始まって早々気掛りを口にするのは、アベルが熱い心を持つためだった。
課せられた重責も自らの使命と捉え、すべてを単独で引き受けようとして生きる彼は、常に他者へ負担をかけまいと自身の向上だけを目指す。
それは弟であるラウレンツに対しても然りで、婚約者候補のことも含め、余計な荷は背負わせたくないと考えていたのだ。
「まあ。近頃王宮を空けていた理由が、その相手に会いに行くためだとすれば心配もないだろう。本当に良かったと思ってる。ラウレンツには、心から好きな者を選んで欲しかったからな」
こうして自由にさせようとするのは、出来れば自分もそうありたいという願望を少なからず持つからだろう。
心底嬉しそうな半面、どこか羨ましそうに見えるのも、ラウレンツの現状を知れば尚更そうなるかも知れないとわかる。
「私もアベル王子の考えに共感します。……ですがそれはラウレンツ王子だけではなく、アベル王子にも同じことが言えませんか?」
「ふっ、俺の第一婚約者候補はすでに決まっているぞ」
アベルがラウレンツのことばかりを案じて話す中で、フィオンが当然のごとく疑問を投げかければ、笑いながら即答する。
それはまるで、『自分には選択肢がないのだ』とでもいうように聞こえた。
――確かに、時期国王であるなら心を寄せる者がいたとしても、私情より国益で王妃を選ぶことになるのは暗黙の了解。それなのに、なぜか事情を心得るはずのフィオンは、やや不可解な面持ちでいた。
しかし正面を向いたアベルは、その姿を捉えることなく思い出すようにして続ける。
「まだ一度も会ったことはないが、噂だけは耳にしている。とても高飛車で我が儘な令嬢らしいな」
「え……」
「そうだとしても弟が決めた今、俺も先の事とはせずに向き合う。今日がその日だ」
言い終えて起立すると、さっと身を翻して素早く入り口へと足を運ばせる。
そして、そのまま退室しようとする背後をフィオンがすかさず追った。
「アベル王子っ、ひょっとしてそのご令嬢というのは……! っ……」
振り向くアベルは、問いかけを目だけで制した。次いで、ちらと何もない角に視線を送り、誰も気づかないくらいの一瞬眉をしかめた直後、再び前だけを見据える。
「心配するな。
――俺はちゃんと自分の決められた道を歩く」
それからフィオンに目も合わせずそう告げては、颯爽と来賓室を後にするのだった――。
***
陽射しは穏やかに降りそそぎ、そよぐ風がティーカップから甘いフルーツフレーバーティーの香りを届けてくれる。
そうしたとてもなごやかな王宮庭園の真ん中、目移りしそうなほどのお菓子が並べられたテーブルを挟んだ対面には、殊更ぶっすーと不貞腐れているアベル王子がいた。
……しつこいなあ、もう。
ラウレンツとアベル王子、そして私の三人でティータイムを開く現在。
居心地悪い空気の中で、『まあ、すべて私のせいなんだけどね』と半目になりながら出会いを思い返す。それは、今日が始まる数時間前に遡る。
――ガラス細工が壊れた事件の翌日から、ラウレンツはまた私の邸へ訪れるようになった。
それからしばらく経った頃、今度はラウレンツに王宮へ招かれて本日出向く運びとなる。
前回の実はお茶会だった、というちょっぴり騙された感を引きずる私は当初渋っていたのだけど、「私たち兄弟水入らずでティータイムを過ごすだけですよ」なんて言われて了承してしまった。
事前に小さなお茶会だと知らせて誘ってくれたし、『私たち姉弟』の言葉に私とラウレンツとロマンだけならいいかあと安心したからだ。
それなのに、それなのに……!
招待を前日に控えた昨日――、レハール邸にはいつもより機嫌の良さそうなラウレンツがいた。
「ラウレンツ、何かいいことでもあった?」
「明日のお茶会が待ち遠しいだけですよ」
その返答に、何だか遠足前の子供みたいだなあと思いながらも、にこにこと嬉しそうな姿を見て招待を受けて良かったと感じていたら。
「いつも忙しい兄上とも、共に過ごせるのは久し振りのことですからね」
「はい……?」
何とも聞き捨てならない言葉を放たれた気がして、私はすぐさま確認作業を行った。
「えっと、ラウレンツ? 明日参加するのって私たち姉弟だけなんだよね」
「ええ、そうですよ。ティアナとロマンくん、そして私と兄上の兄弟四人のみです」
「あ……」
――なんと、お互いに考える『きょうだい』の字が違ったようです!
確かにラウレンツにも兄弟がいたと思い出し、私たちってそういう意味か、とようやく気づくが時すでに遅し。
最初から嘘をつかれたわけでもなく、何よりこれほど楽しみな様子を見せられて、今更断る勇気は持ち合せていなかった。
こうして勝手な思い込みで捉え違いをした私は、自分の浅はかさをうらみながら一人で馬車に揺られてる。ロマンは王宮へ行くついでに父の職場見学をしてから参加するらしく、一足先に出発していたためだ。
そんなこんなで車窓から青葉が光る木々を眺め、いい天気だなあと静かに呟く頭の隅では……。
『とうとうメインヒーローのお出ましかーっ!』と本音をわめいてる。
……そうです。私は今からまたしても、攻略キャラの一人、第一王子アベル・カイザーリングと初顔合わせしなくてはならないのだ。
自業自得はわかってるので大人しく王宮を目指すが、内心は連行されるドナドナ気分だった。
思えば以前の私は、彼に会おうと懸命に王宮へ足を運んでいたけれど。前世の記憶を戻した後は、むしろ近づくことさえ避けている。
その甲斐あって、ラウレンツと会うために何度か訪問したものの、せっかくアベル王子にはまだ会わずにいれてたのに……今日会うことは必至だ。
ついこの間までなら念願叶った対面であろうが、今はまったくもって嬉しくない。
私はそんな喜べない気持ちのまま、とりあえず前世で知るアベル王子についてを思い返してみた。
――乙女ゲームや小説では、王になる使命を背負って、常に賢く強くなるための努力を惜しまない熱い心の持ち主と紹介されている。
このような正しくメインヒーローにふさわしい人物像の中で、私が一番印象に残っているのは彼の恋愛観。
それは『心から愛するただ一人と添い遂げることを望む』というすこぶる一途な設定になっていたからだ。
なぜそうなるのかは、現国王と王妃が互いに好意を抱いて結ばれており、今もとても仲睦まじいことが前提にあった。アベル王子は常日頃からそんな両親を見て過ごすうちに、いつしか自身もそうありたいと淡い希望を持ち始めたらしい。
アンテウォルタの王族が一夫一妻制かどうかはよく知らないけど、素晴らしく乙女だと思う。
そういうわけで、熱血ツンデレ王子様の不器用だけど真っ直ぐな思いと行動は萌えを振りまき、ユーザーの一番人気も獲得していた。
うん。さすがメインヒーローだね。
だけど――、『夢』と『現実』には総じてズレが生じるもの。
自分の立場を理解するアベル王子も、結界を維持して国を守るためにそれは、叶わぬ願いだと思っていた。
婚約者候補たちが決められた瞬間は、少しの躊躇いから承諾の返事を口に出来ずにいたけど。異論を唱えることなく、いつかはきちんと受け入れるつもりだった――。
……と、まあはじめから過去形の説明がアベルルートのプロローグ。
だってティアナを第一婚約者候補としながらも、恋愛結婚をしたい乙女的願望があったアベル王子は、結局ヒロインと恋に落ちるから。
ちなみに私がバッドなエンドを与えられるのは、どの攻略キャラでもデフォルトだからもういいや。
それはさておきよく考えてみれば、すでにラウレンツの婚約者候補へ移行してる今となっては、アベル王子に会ったところでフラグは立ちようがない気もする。
「……なんだ。全然悩まなくて良かったじゃない」
現状を振り返って安心したら、すぐに今日のお茶会ではどんなものが食べられるだろうとわくわくが湧いてくる。
それにより私は、ついさっきまでとは真逆の楽しみになる気持ちを乗せて王宮を目指すのだった。
***
ほどなくして王宮へ着き、ご機嫌なラウレンツに先導されるまま、以前ティータイムを過ごした庭園へと向かう――。
「本当に天気にも恵まれましたし、兄上やティアナたちに急な用が入ることもなく、今日を迎えられて良かったです」
「そうだねー」
答える私も軽い足取りで進んでいるけど……アベル王子がいつも忙しいなら今日も無理に参加しなくていいのになあ、なんてちょっぴり考える。
心配がなくなったとしても悪役令嬢である限り、会わないに越したことはないはずだから。
ラウレンツには申し訳ないけど、いざ会う瞬間が近づくにつれてますますその思いは強まってゆく。
だからこそ油断は禁物と気を引き締めつつ、できるだけ交流を持たずに終わらせようと、うつむき加減でお茶会の場所へ辿り着いた。
そして私が気乗りしない心で、表面上しおらしく伏せる目にアベル王子の足元を映していれば。
「はじめまして。俺はアンテウォルタの第一王子、アベル・カイザーリング…………」
先立って自己紹介を始めてくれたのだけど、なぜか言葉が途切れたことを不思議に思い、つい顔を上げた。
「ああ――っ! お、お前は……っ」
「兄上? ティアナに会ったことがあるのですか」
「会うも何も……って、おい! その肩に乗ってるのは何だっ」
「ああ。この子は彼女のご家族のコタくんです」
「ラウレンツ、お前に聞いてるんじゃないっ。そいつに聞いてるんだ!」
繰り広げられる会話を耳にしながら、私は口をあんぐりさせて立ち尽くす。
その目前では、太陽に照らされた赤みをおびる栗色の髪が輝く。
彼の顔にかかる無造作な前髪とサイドの髪は毅然として真っ直ぐ伸びていた。
子供ながらも堂々とした出立ち、そして熱い心を表すような燃えるルビーの瞳をたずさえたその人は……。
以前『魔物を使役する悪役令嬢』へレベルアップする際に、色んな意味を含めて大変お世話になった騎士だった。
――実際は王子様だけど。
「マジか……」
うわー……と回想しながら、無意識にぽそっと小さくこぼす。
私は悪役令嬢のフラグ立て能力を侮っていた。
――初対面が『森の中で偶然出会う』っていうのも運命的で素敵よね! ――というティアナの目論みは、いつの間にか叶えられていたのだ。
会わずに済めば、どころかすでに会ってたね。おまけに初見で蹴りを入れたとか終わってる。
てっきり騎士だと思った彼がなんとまさかの第一王子だったなんて、もう……後の祭りでしかない。
それにしても小説に書かれていた風貌を覚えてなかったとしても、ストールが上質な時点でなぜ気づかなかったのだろう。
何はともあれ、またいつかの再会がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかったよ。
そうやって運命の出会いをひたすら呪う私は、アベル王子の問いかけに答えることも忘れ、自分が犯した失敗を反芻しては遠い目になるのだった。
「――どうしたのです? そいつなどと兄上らしくもない。しかも、そのように声を荒げては彼女が怯えてしまいます」
「怯えるかっ。それより、俺との約束を破ったのかっ?!」
たしなめるラウレンツの言葉も意に返さず、詰め寄ってきたアベル王子を見て我に返る。
あ、今は逃避してる場合じゃなかった。
「約束、は……してないよ?」
それから早々とコタが見つかってしまった動揺を隠すように、思わず目線を反らしながら言ってみる。
「俺は元気になったら放せって伝えただろう? お前もうんと言ったはずだっ」
「うん。パンを食べさせるってのには返事したけど、放すっていうのに『うん』とは言ってないもん」
「こいつ……!」
自分に正直の信条を貫いて、ああ言えばこう言う屁理屈をこねてると、アベル王子はとうとう言葉を詰まらせた。
あの時、温情ある対応をしてもらっていただけに少々後ろめたい。けれど、悪役令嬢だから仕方ないよねと開き直ることにする。
「まあまあ、二人とも落ち着いてください。何があったのかは後ほど詳しく聞かせていただくとして、まずは席につきましょう。お茶が冷めてしまいますよ?」
「何でお前は平気なんだ。魔物を連れているんだぞ?!」
「コタくんなら大丈夫ですよ。危害は加えないので、とはいえ彼女に害を与えればその範疇にありませんが――」
「いってえ!」
「……残念。少し遅かったですね」
どうやら私を散々責めたことからコタは『アベル王子=ティアナを苛めるもの』と判断したようで。
私たちを取り成そうとするラウレンツに彼が顔を向けた途端、後頭部へ飛び乗ったかと思えばすぐさま、――かぷっと噛みついてしまった。
「ああっ、ダメだよ! その人はコタを助けてくれたんだからねっ」
「くそう……、この恩知らずめっ」
その行動に慌てた私は、急いで噛りつくコタを引き剥がしたら。
これ以上、事を荒立てないようにと、用意されたティータイムの席へそそくさと腰を下ろすのだった。
***
――そうして、超絶不機嫌なアベル王子とお茶会を過ごす今に至る。
この空気を作り出した元凶は私だから、とくに突っ込まずに大人しく座ってるけど。
何とも言えない雰囲気の中で、どうして攻略キャラとの初めてのティータイムは、毎回こんなにも気不味くなるかなあとがっくりしていた。
「兄上、もう良いではありませんか。彼女のことなら心配ないですよ?」
すると、さっきお茶会を開始した直後に私の説明を聞いて事情を知ったラウレンツが、アベル王子をなだめるように言ってくれる。
「そいつは大丈夫だろうさ、俺に蹴りを入れるくらいだからな。心配なのは、魔物がこの国内にいることだ!」
いきさつを話す当初、蹴りの一撃のことはさり気無く省いたけれど、アベル王子が「ちゃんと話せ」と自ら付け足してる。……別に保身じゃなくて、彼の名誉のためだったのに。
おかげで私はまた、ラウレンツにすんごい綺麗な笑顔を向けられていた。
「……いつまでもグチグチ言うなんて、男としてどうかと思う」
そういうわけで若干拗ねながら、紅茶を飲みつつぼそりと呟く。
「っ大体、お前が約束を破るからだろう!」
「約束なんかしてないもん」
次いで当たり前にアベル王子から怒られても、すでに開き直っている私は、つーんとそっぽを向いて返した。
そういえば熱血王子様は俺様ツンデレだったし、自分の思い通りにいってないことがよほど気に入らないのだろう。
「俺は国を守る立場として、間違ったことは言ってない。男としてどうかという発言は取り消せ」
「もう、ほんとこだわりが強いなあ。私、アベル王子はもっとみんなを守る自信があると思ってたのに、これくらいのことで不安になっちゃうんだね」
「……言ったな?」
私が言い終えるや否や、いかにもカチンときたという顔つきになった。
うん、……またしてもやらかした模様。
ついつい本音を口にし過ぎて、どうやら彼の地雷を踏んでしまったらしい。
勿論、本気で怒らせるつもりはなかったものの、うっかり自分が悪役令嬢であることを忘れて調子に乗りすぎたせいだ。
「もういい、わかった。守ればいいんだろう……。ちゃんと守るさっ!」
――次の瞬間そう言ってガタッと席を立つと、そのままアベル王子はこの場を後にした。
そして思いがけない展開にうろたえていれば、隣席のラウレンツが「気にしないでくださいね――」と安心させるような笑顔で声をかけてくれる。
そうする中で、私は去り際のアベル王子の様子を見て思う。
すぐに背を向けられたので、表情は窺えなかった。それでも彼を怒らせるというよりは……何か、ひどく傷つけてしまったのではないか、と。
だけどその理由まではわからず、なぜそう感じたのだろうと思いながら、去っていく背中を私はただ見送るだけだった――。
 




