31 【小話】私と大切な人 byラウレンツ(後編)
31 【小話】私と大切な人 byラウレンツ(前編)の続きです。
晴れ渡る空の下、緑の芝生が光りを弾かせる。
きらびやかな装いの人々が集い始めた庭園は、まるで花が咲いてゆくように眩しかった。
――迎えたお茶会当日、心踊らせる私は開催が待ちきれず厨房にいた。
私の楽しみな気持ちがそうさせるのか、準備されていくお茶や食べ物すべてがきらきらと目に映る。
「ねえ、クルト。ハチミツはどこにあるの?」
「すみません。本日、ハチミツは使わないのですよ」
用意される物の中にハチミツが見当たらず、進行を見張っていたクルトに問えば今日は使わないと言う。
「えーっ、なぜなの? せっかくアベルも参加してくれるのに、絶対あった方がいいよう……」
「仕方がありませんね……。ラウレンツ王子、手を出していただけますか?」
「……こう?」
ハチミツを入れた紅茶が大好きだった私は、思わず駄々をこねたあげく拗ねるけれど。すかさず指示され、両手をあわせて差し出した。
「今日はこれで我慢してください」
するとクルトはなだめるように言いながら、小さなお菓子を幾つか手のひらにのせてくれた。
それはとても美味しそうで、可愛らしいもの。
「わあ……僕、こんなの初めて見た。何ていうお菓子なの?」
「スミレの砂糖漬けです。ハチミツがないお詫びですよ」
「わかった。ありがとう、アベルと食べてくるね!」
私は新しいお菓子に喜び、途端に機嫌を直すとすぐさま庭園へと向かった。
***
そうして廊下を歩く途中、すれ違うメイドたちから「可愛らしいお菓子ですね」と言われるたびに、「クルトに貰ったの」と何度も自慢しながら進む。
――きっとアベルも喜んでくれる、そう思うほどに笑顔が溢れた。
やがて庭の景色が見えてきた時、人波の中でアベルの姿を目にした私は足を速めたのだが……。
「あっ!」
外に出る手前で、私はドン――! といきなり誰かにぶつかった。
早くあげたいとつい気を逸らせてしまい、周囲に注意を払い忘れたからだ。
そして衝撃で、お菓子が全部手からこぼれて焦るも、突き当たった相手が残さず受け止めてくれたことにほっとする。
「ごめんなさい……」
お菓子を渡してもらいながら謝れば、その人物は『大丈夫だから、早くアベル王子に食べさせてあげなさい』と優しく言って、頭を撫でてくれた。
私は怒られずに事が済み、お菓子もちゃんと手元にあることでまた笑顔を戻しては、促された通りアベルの元へ駆けていった――。
「――アベル! これ一緒に食べよう」
それからようやく側へ着き、手を差し出すと同時に声を弾ませて伝えた。
見上げた先でにっこりと笑う顔を目にすれば、ますます嬉しい気持ちは込み上がる。
「へえ、可愛いな」
「でしょう?」
喜んでそう答えたら、覗きこむアベルと同じように自分の手の中へと目を向けた。
けれど、ふと……何となく違和感が走った。
「じゃあ、遠慮なく貰うな――」
次いでアベルが断りを入れて取ろうとしてきた時、私はなぜかさっと手を引いた。
「や、やっぱりだめ……」
「ん? 何だよ、一人占めなんてずるいぞ」
咄嗟にどうしてそんな行動をしたのかも、口をついて出たセリフの理由もわからない。それでも私は、『食べさせない』という選択をして今さら隠そうとしたのだ。
対してアベルはというと、こうした私の振る舞いをふざけてるとしか捉えなかったようで、変わらず笑顔でいる。
その様子に戸惑う間もなく、少し背の高いアベルが上からひょいっとお菓子をつまんでいった。
「あ……」
瞬間的に頭へ浮かんだのは、昨日聞いてしまった『毒』という言葉――。
何故、今思い出したのだろうか。
――毒を使う。それは誰かを、殺すということ……?
私はわずかに混乱しながら、アベルが口に入れようとするお菓子を見て思う。美味しそうで可愛らしいと喜んだお菓子はもっと、小さかった。
……違う、あれはクルトに貰ったスミレの砂糖漬けじゃない!
「食べちゃだめ――っ」
即座に掴みかかり、奪い取った。
そしてアベルが食べられないようにと、すべてをすかさず自身の口の中へ押し込んだ。
「――ラウレンツ王子っ、食べてはいけません!」
突然、聞こえたのはクルトの声。
けれど私がその制する言葉を耳にした時はもう、まるごと飲み下してしまった後だった。
「すぐに吐き出してくださいっ」
「クル……、っ!?」
顔を振り返らせれば、必死の形相で叫ぶ姿が視界に入って、そんなクルトに向き直ろうとした途端――、突然喉が詰まった。
次いで激しい嘔吐感に襲われた刹那、焼けるような熱が一気に広がり、身体中から汗が噴き出す。
その間にも気管はどんどん締めつけられてゆく。
――息が、出来ない……!
喉を掻きむしりながら倒れ込む寸前、駆け寄るクルトに抱きとめられた。
そして会場だった庭全体に悲痛なざわめきが巻き起こる中で、言葉も発せずにもがく私の手から……突如、火が噴き出した。
「きゃあ――っ!」
「うわあっ!」
私は無自覚にも魔力を暴発させてしまったのだ。
周りで起きていた騒がしい声は、たちまち悲鳴と叫びに変わる。
けれど頭は真っ白でどうにかしようという気にもならず、熱いと思う熱が内からくるのか、外から燃やされるためかも考えられない。
出現した魔力の火は、苦しさを発散させるようにいきおいよく上がったが、それでもせばまる自分の喉へと手をかけた――。
「駄目です! っ、王子……っ」
次の瞬間、伸ばしたはずの手はクルトの体に押し当てられていた。
彼は真っ赤に燃立つ火で自身が焦がされるのもいとわず、消し止めるように覆い包む。
このようにクルトを傷つけてゆく状況となっても、私は魔力を抑えることが出来なかった。
……苦しくて辛くて目の前がぼやける。そんな私の頭をクルトは優しく抱き寄せ、続いてアベルもぎゅっと体にしがみつく。
包まれる柔らかな感覚は、徐々に気持ちを落ち着かせてくれて、ゆっくりと暴れる熱をおさめてゆく。
そうして静かにその火は鎮められた。
「……王子っ。ちゃんと、息をしてくださいっ……!」
「ラウレンツっ! すぐ楽にしてやるから……俺が絶対治すからなっ」
自分の身に一体何が起きたのか――。
これが夢か現実かもわからず、茫然とする私は……微かに呼吸をしながら、必死なクルトとアベルの声を聞いていたのだった。
***
それから――時が止まるような流れの中で、クルトの脚に頭をのせて横たわった姿勢のまま、周りをぼんやりと目に映した。
魔力が『地』であるアベルは、とても稀な光の性質を兼ね備えており、癒しの効果を与えることが出来る。
今も隣で跪き、医師の到着を待つ間に治癒を施してくれていた。苦い表情で『すべて俺のせいだ』と自分を責めながら。
そして私の噴き出す汗を拭うクルトも、悲愴な面持ちで唇を噛み締めている。それは自身が負う傷の痛みからではなく、アベル同様に己を責めているようだった。
……だけど違う。悪いのは、すべて私。
アベルが涙を流すのも、クルトの焼け焦げた服の下に見える肌が熱傷を受けているのも全部、私のせいでしかない。
毒を口にしたのがアベルでなくて良かった、そう思うけれど……もっと他の回避方法はあったはずだから。それなのに選択を誤り、魔力をきちんと扱えなかったことで、アベルの心もクルトの身も傷つけている。
自分がもっと賢ければ、もっと賢く選択をしていればという後悔にさいなまれながら、庭園を眺めた。
……そして締め付けられる心に眉をしかめた私は、やがて意識を失わせていった――。
***
私が次に目を覚ましたのは、五日の時が過ぎる頃だった――。
「ラウレンツ! 良かった、本当に良かった……っ」
「……アベル、クルトは……クルトは大丈夫?」
皆が一様に喜ぶそこに、誰より側にいて欲しいと望む人の姿が見えなくて尋ねれば……。
私が運ばれるのを見届けた後、早急に治療を受けたと教えられる。
彼が負った熱傷は酷いものではあったが、医師の処置とアベルの癒しもあり、命に別状はないと無事を聞いてほっとした。
「ねえ……どこにいるの。早く、会いたい」
「……それは、無理なんだよ……」
私はすぐにでも会って、謝りたかったのだ。
だから無理という返答にどうして? と思うのだけど。
「クルトは、もう王宮にはいない――」
そう言って、解雇されたことを告げられて愕然とする。
それも、私が口にした菓子をクルトから貰ったと知る人々の証言で、事件の嫌疑をかけられたのが理由と知ればなおさらだ。
私は即座に『あれはクルトに貰ったものではない』と伝え、動けるようになればすぐさま王宮内を訴えてまわった。
……けれど、皆は私を庇っているだけとあしらい、嘘の事実を支持したのだ。
「違うって言ってるのに、本当に違うのに……っ。どうして誰も僕の話を信じてくれないの――?!」
自分の無力さと、人の心が利害で動くことを知り、そうした人々で成り立つ場所にいたと悟る。
――当たり前に続くと思っていた日常は、一瞬で失われる儚いものだった。
だから、もう間違えてはいけない。二度と大切な人を傷つけずに済むよう、賢く強くなるために……私自身も利害で生きることを選ぶ。
そうして強まる思いは、私の内なる火となり灯った。
誤れば、大切なものを傷つけてしまうことは心得たが、それでも――。
「……私は、この火ですべての障害を燃き尽くす」
そう胸に小さく、そして強く誓い、私はこの世界の利害を掌握すると決めた。
***
一際明るく反射した光が、私をさあっと照らした。
その眩しさがひいてゆくのにあわせて、流れるように穏やかな空気を満たす室内へと意識が戻る。
――あの日、ぶつかったのは誰だったのだろう。
毒に侵され朦朧とする意識の中、見渡す景色に私は――……駄目だ、思い出せない。
霞がかかったようにそれ以上の映像は見えなかった。
「……ラウレンツ王子?」
つい靄を振り払うように頭を軽く振っていれば、気遣う様子で名を呼ばれる。
私は何でもないと笑って返すも、ふと思いつく。
「唐突ですが。二年前の事件について、一つだけ……エトガーにも伝えておきたいことがあります」
そして考えが浮かぶままに前置きをしてから話し始めた。
「――クルトは、犯人ではありません」
「はい。存じております」
一番身近な彼だからこそ、知っておいて欲しくて告げたのだけど。分かりきったことのごとく肯定されて、少し呆気に取られた。
「ティアナ様ではありませんが……ラウレンツ王子の信じることが、私の真実です」
その間にも続けて、いつもと変わりなく微笑まれると、わずかに胸が軋んだ。
例の事件は、アベルの執事と一部の官僚が首謀者を追うも行方を掴めず、暗にクルトを犯人として解決させている。そうすることで波立つ王宮内をおさめたのだ。
愚かな私がただ眠っていたことには今も罪悪感を拭えないが、悔やまれるべきはそれだけじゃない。
「エトガー……あの一件が早々に処理されたのは、なぜかわかりますか? それは私が服毒したこと、だけではなく……おそらく暴走させた魔力のことを伏せるためなのですよ」
そう、私は自らのせいで最も大切な人を失い、謝る機会をも永遠に失くしていたのだ。
「ですが、ラウレンツ王子のせいではありません」
「この理由を話しても……?」
「――はい。私は、クルトという方が解雇に至る公の理由を、『ラウレンツ王子を危険に晒したため』と伺っております。それは紛れもない事実で、だからこそ一言の弁明もせずに潔く去ったと理解しています。ですから、先ほど教えていただいた事情があったとしても、やはり王子のせいではないのです」
ずっと心の片隅にあった事柄を明かすが、直後に私のせいではないと解いてくれる。
だけど、自嘲の気持ちが湧いた。
「私が自ら危険を犯しており、守ったのはクルトなのですけどね……」
「ラウレンツ王子がそう思われるのと同じで、その方も未然に防げず悔やんだのではないでしょうか。そして大切な方を守りたいと思っても、自責されることは望んでいないはずです」
「……っ」
「誰しも最良の成り行きを願いますが。例え考えた通りではなくても、ラウレンツ王子が現在健やかでいらっしゃることが一番の結果です。そしてもし事件の被害者がアベル王子であったり、何かしらの不利な証拠が残っていた場合、彼は間違いなく断罪されたでしょうけれども。そうならずに済んだことも幸いの結果なのです」
エトガーが紡いだ、先ほどのティアナと似たような内容の言葉たちにハッとする。
本当に……二人が言ってくれるように、私がすべての菓子を飲み込んだことで断罪は免れているのであれば、それは唯一の救いだ。
私はふっと手にするガラスの欠片を見つめた。
今日、物が壊れてしまっても、この胸にある大切な思い出は消えないとティアナに告げている。
できればクルトも、自分のことを覚えてくれていたら嬉しいと思う。けれど、思い出の中の私が笑顔ではなく苦しむ姿だとするなら……いっそ存在ごと記憶から消して欲しい。
――こうした自身の考えに気づき、ようやく後悔ばかりにとらわれるべきではないのかもしれないと行き着く。
「わかりました。これから彼のことを思い出す時は、笑顔の姿だけにします」
言いながら思い出されていたのは、大好きなクルトの優しい笑顔と、幸せに過ごした大切な記憶だった。
自然と頬が緩んでいく私の隣ではまた、エトガーも嬉しそうに微笑む。
それを見て、『本当に笑顔は伝染するのだな』と思っていれば、以前そのことを教えてくれたティアナが頭を過った。
続けて浮かぶまま、今日久し振りに会えた彼女へと思考を傾けかけた時――。
『――ラウレンツがすっごくかっこよく見えた』
不意にその言葉がよみがえり、再びかあっと顔が熱を持ち始めた。
そういえば、また大切な思い出が出来たのだったと思いつつも、嬉しいような恥ずかしいような……何とも言えない気持ちに翻弄されてしまう。
「……一歩、前進ですね」
すると突然、エトガーが意味ありげな言い方をしてきた。
「何のことでしょう」
「ティアナ様も、ようやくラウレンツ王子の魅力に気づかれたようです」
「っ、からかわないでください……っ」
何やら楽しげな声色に不服を感じながらちらりと伺えば、それはにこにこと満面の笑みを向けられる。
「エトガー……。怒りますよ」
「はい。申し訳ありません。つい、嬉しかったものですから」
そう言われてしまえば強くも出れない、と口をつぐむ刹那。本当に幸せそうな表情をつくるエトガーに、なぜかクルトの笑顔が重なった。
「ラウレンツ王子? どうかなさいましたか」
「あ、……いえ、何でもありません」
私はわずかに目を開いたまま見つめたが、問われてすぐさま我に返る。
そして思わず視線を反らした先では、大切な思い出たちが変わりなくきらめいていた。
「少し……もう、少しだけ――」
無意識のうちに、言葉が口をついていた。
――『ガラス細工を片付けないで欲しい』。
思い出は心にあるけれど、まだいささか名残惜しい気持ちから、つい言いかけてしまったことに気づき、言葉を止める。
「すみません。何でもないです」
「――一週間」
「え……?」
「一週間でしたら、その間は来賓室を使用しないように手配いたします。短い期間で申し訳ないですが、私が何とかできるのはそれだけです……」
「っ! 十分です。ありがとう、エトガー……っ」
礼を言う私の胸に、温かな喜びが広がってゆく。それと同調するように、暖かさをおびた風が吹き込み、私の髪をなびかせた。
「随分と伸びましたね。そろそろ切られますか?」
「いえ……、まだです」
私はいまだ何も遂げていないと考えて、真っ直ぐ前を見つめると、深く息を吸い込んだ。
ティアナとエトガーはクルトのことを信じてくれた。そして、今の私も受け入れてくれているから。
大丈夫。私はまだ強くいられる――そう思いながら、ゆっくりと呼吸した。
現状では出来ないことが、未来で叶えられる立ち位置にいたり、正しい選択を選べる思考になっていたとしても。その瞬間に持ち合わせなければ、無意味とさえ感じる。
これから先にも、今だったら違った未来をつくれたはず、と過去を振り返ることはあるかも知れない。
だからこそ、少しでもそうならないで済むように、今を精一杯生きていこうと思った。
――いつかその時が来たら、必ず会いに行きます。
心に浮かぶ大切な人に内心で語りかけると、微笑んでくれた気がした。
そうして私はきらめきの中で、今一度、大切な思い出との時間を過ごしてゆくのだった。




