4 私は、乙女な世界と知りました
――『乙女ゲーム』。それは萌えと癒しを与える夢の世界――。
ゲームには攻略対象キャラクターというものが数人存在し、プレイヤーである自分がその世界の主人公になり各キャラクターとの恋愛ストーリーを進めていく。それが『乙女ゲーム』。
物語の最後でハッピーエンドを迎えるか、バッドエンドになるかは、ゲーム進行中に現れた選択肢から選ぶ、行動やセリフによって変化する。
乙女ゲームは平たく言えば、――女性主人公がかっこいい男性キャラクターを攻略していくマルチシナリオのゲーム――だ。
そして、どうやら私はその数あるゲームの中、『麗しの王国・あなたと恋する妖精たち』という乙女ゲームの世界にいるらしい。
ゲームの楽しさは、用意されたキャラクターの中で好きな人物を選び、幾つもある分岐点を越えて望むルートを目指して頑張ること。
なのに主人公のプリンセスをいじめ抜く敵役の悪役令嬢に転生した私は……すでにエンドが決まってるんだよ!
***
一日の終わりを告げようとする夜のしじまをぶち破り、邸内にいる皆さまの安らぎのひとときを奪った私。
申し訳ない……なんて気遣える余地はない! たった今知った事実を受け止めるのに必死だからね!
ただでさえ混乱するような記憶の襲来を受けたばかりなのに、新たな洗礼的事実の突きつけは許容量を越える。それでも私は、何とか落ち着く様子を周りに見せて、ようやく一人になる時間を確保したところだ。
実際はあたふたしっぱなしだけど!
「と、とりあえず。もう一度状況を整理しよう」
自身の気持ちをなだめるように言ってから、頭まで潜ったベッドの中で現在持てる記憶を思いつく限り引っ張り出す。
私は宰相の一人娘、ティアナ・レハール。
ファンタジーな国のここ、アンテウォルタで生活をする侯爵令嬢。うん。それは間違いない。
そして前世のゲーム世界。
舞台となる国の名はアンテウォルタ。
プリンセスの敵役をつとめる頑張り屋さんの悪役令嬢はティアナ・レハール、宰相のご令嬢……。
やっぱり私だ――っ!
改めて自分が何者かを確信し、再び叫びそうになるのはこらえた。
ああっ、と落ち込む場合じゃない。お望み通りの場所に転生したのはわかった。自分が悪役令嬢なのもわかったよ!
そんな私はうろたえている。
なぜなら、ゲーム内での悪役令嬢はバッドorデッドエンド確定。反してスピンオフ小説の中なら萌え溢れるハッピーライフをおくるからだ。
とてつもなく真逆の人生に、ここはどっちの世界なのよ?! と私は頭を悩ませた。
「何にしても、五人の攻略対象キャラ全ルートでプリンセスいじめに励む私とか。阿呆じゃないの?そんな頑張りいらないから!」
吐き捨てたあと、ティアナのこれからについて考えた。
まずアンテウォルタでは、魔力を持つ者がある一定の年齢になると教育を受けに行くことが定められている。その場所こそがゲーム開始の舞台である魔法宮だ。
そして十三歳で入宮した私は、攻略キャラを取られたくない思いから主人公のプリンセスに数々の嫌がらせをしまくる。
だけど努力の甲斐もなく、逆に言えばそのせいで十五の歳にバッドエンドもしくはデッドエンドというお決まりパターンを迎えるのだった。
それにしてもデッドエンドはともかく、バッドエンドで誰か一人くらいはティアナを選んでもよさそうなのにね。こんなに頑張っても誰とも結ばれないとか逆にすごいよね。
まあ、力を注ぐ方向が間違ってるから仕方ないか、とそのまま思考を巡らせて、はたと気づく。
この世界へ実際に来てわかったことだけど、国境の外は魔物の住み処だ。バッドエンドで私に課せられるのは決まって国外追放、ということは……。
私のエンドはデッドエンド一択なんじゃないの?
「マジか……!」
焦った私は、すぐさまゲームと小説のどちらなのかを考えようとした……矢先に答えはあっさりと出る。
「どっちでも一緒だな。うん」
そう。例えここが小説の世界でも、破滅のルート回避が出来なければ迎えるエンドは同じと気づいた。
序盤しか読んでない小説に描かれる対処方法がわかるはずもなく。何より小説の主人公のような『勉強は出来なくても天真爛漫で身体能力は高く、前向きで皆に好かれる』というスペックを私は持ち合せていない。
ゲームもしてないからどんなイベントがあるかは知らないし、正しい選択なんてわかりません。それ以前に悪役令嬢の選択肢なんて出てこないよね?
現時点で目の前には破滅へと続く道しか見えなかった。
どう転んでも、行き着く先はデッドエンドに決まりだね!
「もう、私の人生は五年で終わりかあ」
今が十歳だから残りは五年と、運命に抗うことなく観念した。私は諦めが早いんだよ。いつもそうやって生きてきたから。
前世は、とくに何の起伏もない平坦なものだった。楽しくなかったわけじゃないけど、満足してると胸を張れるほどでもない。それこそ自分が望む平穏無事な人生だったのか……いつの間にやら終わってるけど。
早々に幕を閉じた前世の結果に、ただひたすら自我を抑えて真面目に生きたことが無駄だったように感じてしまった。
「……無駄ってなんだよ」
自分で考えて苛立ちが湧いた。
どうせ終わるならやりたいようにすれば良かった。人の目なんか気にしないで、諦めないで、ちゃんと自分を生きれば良かったのに!
夜具の中で丸まる私は、枕に顔面を押しつけた。
「それをこのティアナは……」
どうにも出来ない思いの矛先は今の自分へと向かう。
前世に対する虚しさもいざ知らず、この記憶が戻るまで何も考えることなく勝手気ままに生きていたティアナ。
叶えられるどんな我が儘も当たり前に受け取り。父の功績のおかげで得る地位や権力、財力も、まるで始めから自分の持てるスペックのように利用して。周りの人や物すべてに高飛車な態度で過ごしていた。
「他人に迷惑かけても何にも気にしないで、自分の気持ちばっかり優先して……! したくないことは知らんぷり。したいことだけ自由にやって生きて。ほんと楽しそうでいいよねっ!」
とんだ高飛車、我が儘な阿呆令嬢のその自由さに、筋違いにもふつふつと怒りを込み上がらせた……のだが。
「……ていうか私か」
当然のことにがっくりする。衝撃につい前世の目線が強くなっていた。
だけど怒れる存在も紛れなく自分なわけで。
「そうだよね。楽しんでたわ。何でも望み通りになって、欲しいものもねだれば全部手に入ると思って毎日を過ごしてたんだもんなあ」
……て。お、おおおー! それがいまこの手にあるじゃないの! 私はがばっと頭をもたげた。
「あ、でも無理。前の記憶思い出しちゃってるから無理だわ」
喜びにはねのけた上掛けを再度引き戻しながらうなだれた。
自我を抑えて形成された、周りに従い真面目に生きる性質は、我慢することがデフォルトになっている。自由に生きていいとわかっても、とてもじゃないけど今まで通りには出来そうにない。
「もう癖だよね。性格はそう簡単に変えれないって」
じゃあここでもまた以前のように生きるのか。それなら万一デッドエンドを逃れても意味がないように思えた。
「――いずれにせよ、この宿命的運命は変わらないだろうけどね。今から大人しくしてもどうせみんなに嫌われるんだよ」
それ以前に、これまでの私ではすでに嫌われてるとも考えられる。生きにくいな、と溜め息をついた。
「あと五年で終わってくれて良かったのかも。それまでを何とか切り抜ければいいだけの話だしね」
生きなければならない期限が決まってることに少しほっとした。
迎えるエンドがわかっていることも、むしろ潔く感じる。
「……そっか。そうだ、そうよ!」
私は掛け布をはいで立ち上がった。
五年後に終わるデッドエンド確定の人生。おまけに私は、どう頑張ってもいい人に思われないことが決定の悪役令嬢。
それなら……何も気にする必要ないんじゃない?
本来、性格をすぐに変えるのは難しいけど、ラストもリミットも決まっているなら話は別だ。
「周りなんて関係ないわ。反対に考えたら、どんなに嫌われようが確実に五年は安泰で生きられるってことだよね」
心の底から期待が溢れてくる。私の顔はどんどん喜色ばんだ。
「これはもう……心置きなく自分の人生、満喫しまくれる!」
ベッドの上、仁王立ちの姿勢でガッツポーズをした。いつまで続くかいつ終わるかわからない日を淡々と積み重ねることにくらべたら。
存分に思うまま堪能できる確実な時間が五年もあるなんて充分だよ!
――という答えに私はたどり着いた。
「本当に。自由に生きていいんだ……」
はあ、と満面に広がる笑顔と共にこぼした。
私は高飛車、我が儘し放題の悪役令嬢。幸いにも権力、財力もふんだんに兼ね備えている。これをフル活用すれば残りを十二分に楽しめるはずだ。
デッドなエンドを甘んじて受け入れるからこそ満喫できる今。誰のものでもない自分の人生を楽しまなくてどうする。悔いを残すなんてもっての外だ。
かくなる上は、持てるスペックを最大限に使ってやる! と、私は今までのティアナのように、
『高飛車、我が儘に、自由に生きまくる』を選択すると決意したのだった。
***
迎えた翌朝。私は清々しく起床した。
覚醒を遂げる昨日一日で色んなことが起きた。その大半を占めた私の心も、今は朝陽に輝くこの真っ白なシーツのようにさっぱりとしている。爽快で生まれ変わった気分だ。
うん、実際に生まれ変わってるんだけどね。
そして、昨夜これからの生き方に対する方針を決めた私は、改めて姿見の前に立ってみた。
「ほんとに金髪なんだねえ」
映った自分をまじまじと見つめる。見慣れたはずなんだけど、記憶が戻った私には染めなくても金髪なことが目新しかった。
前髪を作らない腰まである長い髪は、綺麗にウエーブがかかっている。
くせ毛というよりはパーマでもかけてるのか? というようにくるくる巻かれる頭は、若干、爆発的な広がりをみせてる気もするけど。金髪だと何となく様になって見えるからすごいよね。
「真ん中わけだと目にかかるし、顔周りがもしゃもしゃするな」
頬にかかる髪を手で払いながら辺りを見渡した。
昨日は気づかなかったベッド脇の小さなドレッサーが目に入り、足を向ける。
ハサミがあれば切ろうと思ったが、引き出しにリボンを見つけた私は、中から薄ピンク色の細い一本を取り出してそのままドレッサーに腰掛けた。
そして正面の髪をポンパドールにしてきゅっと結い上げる。
「うん。これですっきり!」
私は、ようやくはっきり見えるようになった顔を映し出す鏡を覗き込んだ。
「あらまあ、気のきつそうな猫目。さすが悪役令嬢だね。けど嫌いじゃないなあ」
観察した感想を述べつつ、睫毛も金髪なんだなあと興味深く触った。容姿も十人並みで、自分的には申し分ないと満足する。
もし美人だったら更に意地悪そうに見えるだけだから。これくらいがちょうどいいと思いながら、続いて身につけるネグリジェに目を移した。
「可愛いなあ。テンション上がるわ」
私は裾を摘まんでゆらめかせた。
切り返しになってる胸もとから幾重もひだを作るネグリジェは、少し動かすだけでもふわふわと揺れる。首周りや袖だけでなく、全体にもたくさんのレースがあしらわれていて、寝間着というよりナイトドレスの言葉がふさわしい。
ときめく乙女心はさらにわくわくしていった。
服は綺麗だし、ご飯も美味しいし。手取り足取りお世話してくれるお姫様扱いの日々が待っている。
「もうほんと。自分の好き勝手に生きれるなんて、何てノンストレス。他人を気にしないで能天気に生きるなんてパラダイスだよ! おまけに願いが何でも叶えられる権力、財力も保持してるし。もう笑いが止まらないよね!」
今までのティアナを振り返るほどに、うわあ、そんな風に生きていいんだあ、とにまにましてくる。
「うは。楽しくなってきたあ! もう、太く短く存分に満喫して生きていくわ!」
悪役令嬢バンザイ! と私は小躍りした。
やっぱり最高だったよ、悪役令嬢って。ようこそ夢の自由人生だね。やったあー!
――そうして、私の悪役令嬢満喫の人生が今、幕を開けたのだった。