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28 私は、応戦しました(前編)

 乳白色の壁面で囲われた廊下は、柔かな空気を醸し出すはずなのに……。

 今はただ一直線に続くトンネルのような薄暗さを感じさせる。


 足を交互に繰り出すことで進ませるだけの歩行も、私に『歩いてる』という感覚を与えなかった。



「――ヒルダは何も話そうとしないのです」

 半歩前で先導するクラーラからかけられた言葉は、滑るように横を流れてゆく。


 ……何だか息がしづらい、心臓がどくどくして気持ち悪い。

 胸を押さえる私の頭は、あのガラス細工が壊れたということでいっぱいだった。



 繊細なガラス細工とはいえ、高さ三十センチメートルほどにもなればそれなりの重量がある。飾られていた土台の小さなテーブルも、置物に対して十分な余白を持ち、しっかりした天板と脚でつくられていた。

 地震のような揺れがきても、そう簡単に滑り落ちるとは考えられないバランスだったように思う。


 ――それなのに、なぜ? どうして……?

 何よりもまだ、本当に壊れたなんて信じられずにいた。



***



 ようやく着いた来賓室前で、クラーラから先に入室するよう促されて踏み入れた私は――。

 飛び込んできた光景に瞠目(どうもく)する。

 そこに広がっていたのは、つい先ほどまで私の目を楽しませ、心まで照らしてくれたガラス細工の無惨な有り様だった。

「……っ」


 う……そ、でしょう――?

 私は息をのみ、言葉を発することが出来なかった。


 重い足を引きずって近寄り、原形が想像できないまでに広がる残骸を呆然と眺める。

 砕けてもなおきらきらと輝くガラスの欠片たちが、どんなにきらめいて、四方に虹を作り出しても。綺麗だと、楽しめるはずなんてない。


 気づけば私は咄嗟に口もとを押さえていた。

 ……言霊ヤバすぎる。



『形あるものはいつか壊れるんだよ――』

 それはただの(ことわり)で、実際にそうなることを望んだわけじゃない。

 だけど私は、攻略キャラを傷つけるのが得意な悪役令嬢だ。余計なことを話せば、その通りになるかもしれないとなぜ予測しなかったのか。


 決して口にしてはならない言葉を放ってしまった数時間前の自分を憎む、けれど。


「――ヒルダ!」


 名を呼ぶと同時、みんなに囲まれてじっと瞼を伏せるヒルダのもとへ駆け寄った。


「ねえ、どうしようっ。ガラス細工が壊れちゃってるの。何とか直せないかな」

 今は後悔するよりも出来ることを考えなければと思い立ち、ヒルダの腕にしがみつき焦りながら問いかける。

 迎えた彼女がそんな私を見て、わずかに表情をほっと緩める様は不思議に映った。



「どうかした?」

「いいえ……お嬢様。ですが、これほど壊れていては中々難しいかもしれません」

「うん。でも、やれることはやりたいの」


「――隠蔽をなさるおつもり?」


 背後からかけられた言葉に驚いて振り返れば、呆れたような顔を向けるミアがいた。


「そうですね……。私も、隠そうとするのは不誠実に感じます」

 次いで、その隣りに立つクラーラからも同じく続けられて困惑する。


「え、ちょっと待って。隠すとか何? あの……とりあえず、このガラス細工を何とかしないとラウレンツが悲しむ……」

「あら。はぐらかすなんて、本当はティアナ様が置物を壊されたのかしら?」

「はい? いや、私じゃないよ。確かにさっきここには来たけど」


 あれ、ひょっとして疑われてる……? まあ、この中で一番壊しそうなのは私だよねと思いつつ答えていて、はたと気づく。

 その心のままバッとヒルダを見返せば……少し眉へ力を入れる姿が目に飛び込み、私は素早く思いを巡らせた。



 ――そういえば、クラーラが壊したのはヒルダだと言ってたけれど。非を認めずにいるなら、きっと潔白に違いない。

 なのに何も話さなかったのは、もしかすると……私が壊していたらヒルダは、庇うつもりでいたの?


 短い思考ですべてを理解できれば胸が痛む。

 ガラス細工が壊れてると相談してヒルダが顔をやわらげたのは、私ではない可能性に安堵したからだろう。

 そして、再びこわばらせたのは、私が疑いを向けられる中で『来賓室にいた』と話したせいで、いざという時のことを考えてまた気を引き締めたのだと思った。

「うん。エトガーも一緒だったし、壊したのは私じゃないよ」


 だから私は、ヒルダにその必要はないのだと伝えるように話した。



「そうですの……。ともかく、犯人の方は責任をとるべきですわね。クラーラ様はどうすれば良いと思います?」

「はい。まず、謝罪をすることが大切ではないでしょうか」


 私が壊してない旨を告げる一瞬、何となくミアが不満気に感じたのと、『犯人』というセリフを怪訝に思う。

 けれどそれよりも、責任や謝罪についてばかり話し出す二人に切なさを感じる。

 ……壊れたガラス細工に誰も悲しむ様子を見せないのが、私はすごく淋しかった。


「それも必要だと思うけど。今はラウレンツのことを考えて、先にみんなで直す方法を探したりしない?」

「まあ! 私たちがラウレンツ王子のことを考えてはいないとでもっ?」

「別に、……そうは言ってないよ」

「王子を、思うからでしょう。お気持ちを察すればこそミア様は壊した方が許せないのではないですか?」

「ええ。おっしゃる通りですわ。ヒルダのせいでこんなことになって……、本当に心が痛みますもの」


「――あ、そのことだけど。何でヒルダが壊したことになってるか、私はわからないんだよね。見た人でもいるの?」


 クラーラの言い方が少しだけきつく聞こえたものの、意見は一理あると思った。

 次の瞬間にはまたしてもヒルダが的にされたが、それでも一旦は私を疑ったことから、やはり確信はないのだと捉えて問い返した。



「私が来賓室へ戻ると壊れた置物があり、そこにヒルダお一人がいらっしゃいましたのよ」

 そう言って語り出すミアの話によると――。


 ラウレンツが去った直後、クラーラと二人で中庭から見た時には、まだガラス細工が壊れてなかったらしい。

 反射した光が窓から漏れていたので間違いないと言われて私は、……窓ガラス自体も日差しを反射すれば光るよね、と出かかるツッコミを我慢した。

 そして私と対面した後、王宮内を巡っている途中クラーラは花摘みへ行き、ハンカチがないことに気づいたという。

 ……うん。トイレに行って手を拭こうとしたらなかったんだ、と思いつつ続きを聞く。


 そんなわけでクラーラがハンカチを探すために中庭へ向かったことにより、ミアは来賓室で待っていようと戻ったところ、先にヒルダがいてガラス細工も壊れていたそうだ。


 ――ああ、そっか。だからヒルダが犯人なんだあ。



 …………って、おい。

 それって、二時間サスペンスドラマでよくある、事件現場で犯人じゃない人が犯人にされちゃう典型的なパターンだよね?!

「じゃあ、みんなヒルダが壊したところは見てないってことじゃないっ」

「来賓室に入っていく姿を見ましたわ」


 確実に誤解だと思い、誰が犯人なのかわからない旨も含めたけど、私の意図は通じなかったようだ。

 だから何だという返しをいただき、大いにげんなりした。

「誤魔化そうとなさるなんて潔くありませんわね。ヒルダが犯人だとお困りになるでしょうけど」

「あのね、そもそもが見当違いなの。……ん? それ、どういう意味?」


 確かにヒルダを犯人にされるのは困るけど、何となくそれだけじゃない嫌な感じを覚えて眉が寄る。


「メイドの失態は、ティアナ様の非になりますもの。ラウレンツ王子の大切な置物を壊したとあっては、私ならとても申し訳なくて……婚約者候補のままでなど、いられませんわ」


 私が責任をとるのは構わない、そう挟む間もなく言い切るミアの声は、どこか弾んで聞こえた。

 それから頬に手を添えては、しらじらしく心配するような表情をつくりながら見つめてくる。

 今の言動で、やっと自分の置かれた現状に気づけたよ。


 ――二人は、私が婚約者候補から外れることを望み、何としても犯人にしたいのだ、と。



「く、くだらなさすぎる……」

 思わず小さく呟いて、私はがくっと肩を落とした。


 ……それでも、彼女たちにとっては大事なことなんだろう。ラウレンツを何とも思ってない人物がちゃっかり第一候補になるなんて、好きな子からすれば面白くなくて当然と言える。

 もとより私は快く思われていなかったのだと把握した。


「これから、どうなさるおつもりなのかしら?」


 そして遠回しに詰め寄られるのを聞きながら、いつか断罪される時もこんな感じなのかなあと、まだ見ぬ未来に思いを馳せて遠い目になった。



 ここでふと、今朝からのヒルダの様子を振り返って思う。

 機転の利く彼女は、始めからすべてを見越したに違いない。普段よりうるさく言われたことを思い返すほど、つけ込まれないように注意を払ってくれていたとわかった。

 だけどこの結果を招いたのは、……全部、勝手な我が儘でヒルダの側を離れた私のせいなんだ。


 そう考えて何気なく後ろに目をやり、白くなるほど握りこむ重ね合わせた手を捉える。

 見上げた先では、まばたきもせずに一点へ視線を落とすヒルダの唇が動き出そうとしていた――。



「私は……」


「ちょっと待って!」

 彼女の目に決意を感じ取り、急いで遮る。

 責任を取るべき人と実際に取った人が別、なんて話は前世でもよく耳にしたけど、私がまったく望んでないことだ。それ以前に私もヒルダも壊してないので、尚更不要だった。


 だからもし、やってないという証拠がないから、現状を丸く収めるために責任を負うつもりなら……絶対にそんなことはさせない。



「ヒルダは壊してないよ」

「っ……!」

 私は落ち着く口調で、はっきりと告げた。


 それは、口を開こうとしたまま驚いて顔を上げるヒルダに問うのではなく、していない(・・・・・)と全員に示す断言。


「……おかしなことをおっしゃいますのね。私がこちらへ戻るとヒルダだけがいて、それまで何ともなかった置物が壊れていましたのよ」

「だから何? 私は見てないもん。ヒルダが壊すところなんて」

「状況が物語ってますわよ。素直に認められたらいかがですのっ」

「ああ、間違えてた。壊してないじゃなくて、ヒルダは壊さないんだ、――絶対に。そうだよね?」


 この貴族たちが寄り合う中、最初に無実を訴えられなくさせたことで、今になってメイドが自らを守る言葉を発するのは難しいように思う。

 そのため私は他の言いたかったことは省いて、ヒルダに発言を求めた。


「お、嬢様……っ」

 切れ長の目をいっぱいに開いた彼女は眉を寄せてゆく。

「うん。ヒルダが嘘をつく必要はないから。してないものはしてないと言えばいいよ」


「……私は。――壊しては、おりません」

 そして瞼を一度強くあわせると、再び持ち上げ、いつものしっかりした眼差しで前を見据えて明言した。

 その様子にうなずく私は胸を撫で下ろす。



「自分の見たものだけを私は信じるの。そして、ミアの言うことなんかじゃなく……、ヒルダの言葉が私にとっての真実だよ」


 次いで間もなくざわつき始める場に向かって、公言したのだった。



***



「いつまでも……いい加減な言い訳ばかりなさらないで!」

 ミアは強く言い放つと、更に続ける。


「私が廊下を歩く時分はまだ無事だったのですわよ。だから、犯人は先に入室したヒルダ、そう決まってますでしょう。それに何ですの、先ほどからのお言葉使いといい。本当にティアナ様はプリンセスとして相応しくありませんわっ」


 ――そういえば、すっかり忘れていた言葉使いを指摘されて思い出すが、とりあえず気にしないでおく。

 さておき、懸命に犯人がヒルダだと説くミアの姿を、この令嬢は阿呆なのかと思いながら眺めた。そんな彼女はどうやら私を絶対に追い落としたいらしく、徹底して罪を被せようとしていらっしゃる。


 別にそれは構わないし、自分がどう思われて何をされようとも気にしない。だって私は嫌われるのがお役目の悪役令嬢、デッドなエンドも心得てるんだもん。

 なのでこれも予行演習かと思えばなんてことはなく、本来なら腹も立たないのだけれど……。


「言いたいことはわかったよ、ミア」


「ようやくおわかりになられましたのね」

 にこやかな笑顔で答える私に、ミアは勝ち誇ったように微笑む。

 即座に「お嬢様っ」と言ってかがもうとするヒルダには振り向かず、ただ、上げた片手で体を抑えて留まらせた。



「メイドのしたことは私の非なんだったよね?」

「ええ。その通りですわ」

「うん、ヒルダは家族だからいいけど。それなら……私だけを責めなよ。今後一切ヒルダの名前を出すことは、許さない」


 私の低く紡いだ声は、室内を静かに緊張させた。


 ……(じか)ではなく、ヒルダを介する攻撃だったのが悪かった。

 くだらない企てに巻き込んで、あれほど思いつめさせたことまでは我慢できるはずがないから。


「壊したのが本当なら、誠心誠意謝るよ。謝って、済むことじゃないけど……」

 ふと浮かんだラウレンツの笑顔に、自然と眉が下がるのは、ぐっとこらえた。



「――でも、私は絶対に謝らないから!」


 サスペンスドラマでは最後にちゃんと真犯人がわかるけど、このまま二時間も待つ暇はない。


 だから私は、今から応戦することにした。

28 私は、応戦しました(後編)に続きます。

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