27 私は、王宮に招かれました(後編)
27 私は、王宮に招かれました(前編)の続きです。
――ハチミツ入りの紅茶の香りに包まれた柔らかな雰囲気と同じく、穏やかな時間が流れている。
あれから、ラウレンツの左側は私、右側がクラーラで対面にミアという席につき、お茶会は始まった。
愉しげに談笑するみんなを眺めながら、私はとくに加わることなくお茶とお菓子に夢中。
花より団子というよりは綺麗な皆さまに囲まれて、花を愛でながら美味しくいただいてる。そんな気持ちでほくほくしつつ、萌え要素が起きるのを待っていた。
それにしても、本当にとっても目の保養になってるけれど、この二人以外にも同じランクの婚約者候補がいるなんて驚きだ。
あと何人いるんだろう? なんて考えて思う。
「よりどりみどりで迷っちゃうよね」
「はい……?」
つい、ぽそっと呟いたつもりだったけど思いがけずラウレンツに拾われた。
ふと前を見ればミアとクラーラが二人でお喋りして、どちらもラウレンツには話しかけていなかったので、こっそり耳打ちしてみる。
「ねえねえ、どっちがタイプなの? ミアも可愛いけど……クラーラとラウレンツは、ほんっと絵になるだろうなあ」
「……ティアナ。どういう意味ですか」
何気なく聞いた私に、なぜか真顔で向き直ったラウレンツが問い返してきた。
「ん? 二人が並ぶ姿はすっごくお似合いってことだけど」
彼を見つめて答えたら、途端に綺麗な笑顔が作り出される。それがみるみる深められていくのを眺めていれば、ふっと視線を外された。
「私、何か変なこと言ったっけ?」
尋ねる私にちらと顔を向け、目があったと思ったら、はあーと盛大にため息をつく。
こめかみを押さえながら瞼を閉じる姿に、一体どうしたのかと首をかしげた。
「何だか頭が痛くなってきました……」
「えっ、大丈夫?」
言われてみれば、確かに顔色が悪くなってきてるようにも感じる。
――そういえば、ここ最近忙しかったみたいなのに今日も公務で遅れて来たし……ラウレンツは仕事をしすぎなんだよと言いたくなった。
「少し……、機嫌が優れないので庭を歩いてきます」
言いながら起立する後ろで、エトガーも動きだそうとしたけれど。
儚げに頬笑む彼は片手を上げてそれを制する。
「……わかった。気をつけていってきてね」
私は二人のやり取りを目にしたのもあり、一人の方が楽な時もあるだろうからとおとなしく見送った。
だけど――やっぱり心配にはなるから、去った後にエトガーの袖をちょいちょいと引っ張る。
「エトガー、お薬ある? 気分が悪いみたいなの」
「ティアナ様……」
エトガーは眉を下げて寂しそうな顔をした。やはりラウレンツのことが心配なのだろう。
「お嬢様……きちんと耳を傾けていらっしゃいましたか?」
「え?」
「気分ではありません、機嫌です」
……機嫌ってどういうことかな? 意味を考えて、気分が悪すぎたら笑顔でいられなくなるのは明らかだと行き着けば、なおのこと気がかりになる。
私を見下ろして言ったヒルダも、何だかすごく悲しそうな顔をするのが目に入り、きっと彼女もラウレンツを心配してるのだろうと思った。
***
それからしばらくして外に面した大きな窓へ目を向ければ、優雅に中庭で歩くラウレンツが映る。
「ラウレンツ王子!」
私が側に行こうかとうずうずしてる間にも、名を呼ぶミアが立ち上がり、真っ直ぐ入り口へと向かった。
「あ……」
呆気に取られて声を洩らすだけの私を余所に、クラーラも続いて退室する。なので私も合わせて後を追った時には――、ラウレンツはもう二人に囲まれて散策をしているところだった。
行動派の彼女たちに感心しながらも、一人でくつろがせてあげたかったなあ……なんてちょっぴり考える。
でも見る限り、今は表情も穏やかそうだから大丈夫かと思い直して眺め始めれば、うきうきしてきた。
「やっぱり、思った通り麗しいなあー。さすが乙女ゲームの登場人物。本当に王子様とプリンセスの図そのものだよねっ」
ラウレンツとクラーラの景色を切り取って見るそこは、たまたま二人の周りを舞う蝶さえもエフェクトかと思えるような光景が繰り広げられている。
差し込む陽に照らされた王宮の美しい中庭。
その光の中で微笑み合う姿はあまりにまばゆく、映画のワンシーンみたいに綺麗だった。
「うーん。これでクラーラがちょこっとつまずいたりなんかして、ラウレンツがサッと助ければ、更にきゅんポイントが上がるんだけどなあ……」
萌えを得ようとする私は呟きながら、
『いけっ、ラウレンツ! クラーラはそこでちょっぴりつまずいてみようか』なんて不謹慎なことを念じていた。
そうしてしばし見惚れつつ、アクシデントを期待していたものの……なかなか思うようにはいかない流れから、退屈になってくる。
つと辺りを見渡せば、同じく室外に出ていたヒルダは、続く外廊の先で他のメイドたちと話している模様。
だから邪魔をしたら悪いというのもあるけれど、私から目を離している今こそ、ヒルダから逃れる絶好のチャンス! とほくそ笑んだ。
今日は他の貴族もいるせいなのか、いつも以上にヒルダが私の行動を見張り、チェックも厳しい。
お茶会の間も、マナーにいちいち小さな声でダメ出しを続けられており、実のところ大いに疲れていたのだ。
そんなわけで、もう一度あのガラス細工を見たいなあと思い始める私は、しめたとばかりに一人で先ほどの来賓室に引き返すのだった――。
***
ほどなくして目的の場所に戻ると、ちょうど胸の高さにあるガラス細工が置かれたテーブルへもたれるように肘をつき、両手で頬を挟んで見つめた。
「ふふっ。何回見ても素敵だなあ」
精巧で柔らかな光を放つ置物に、すぐさま心はなごみ笑顔が洩れる。
「こちらにいらっしゃいましたか、ティアナ様」
私が飽きることなく楽しんでいれば、いつの間にか入り口に立ったエトガーから話しかけられた。
「よほど気に入られたようですね」
「うん。だってとっても綺麗で……何だか優しく見えるんだもん」
思うままを伝えると嬉しそうに目を細める彼を見て、はたと『前任者』の言葉が浮かぶ。
「――あっ」
「どうされました?」
「そういえば……、さっき聞きたかったんだけど。ラウレンツの執事ってずっとエトガーがしてたんじゃないの?」
「いいえ、私が入宮したのは二年前ですので。王子の執事になったのも、つい一年ほど前からです」
彼はラウレンツをとてもよく理解してると思ったから、前任者がいたなんて考えもしなかった。
けれど、言われてみればエトガーはまだ若い。それなのに入宮後まもなく、専属執事につけるのはすごいことだと思う。
こうした優秀な彼だからこそ、ラウレンツのこともわかって当然なんだと受けとめた。
それから、このガラス細工が素敵なのもあるけども。こうして今も飾られているのを目にして、きっと前任者もいい人に違いないと少し会ってみたくなったりした。
「その人は、王宮のどこにいるの?」
「いえ。その方は今、王宮にはおりません」
エトガーの返答に、まさかなくなっちゃったのかな……とわずかに焦りを覚えた直後、「前任者は二年前に解雇されています」と告げられる。
「え……っ、どうして?」
これほど大切に置かれる様子と解雇という言葉が合わさらず、尚更にびっくりしてしまう。
思わずなぜかと問う私に、エトガーはやや考えるようにしてからつと頬笑んだ。
「あまり、楽しいお話ではないかもしれませんが……」
口を開いたエトガーは、前置きしてからゆっくりと内容を話してくれた。
***
――それは、クルトという前任の執事が仕えていた二年前のこと。
公にはされてないけれど、ラウレンツが毒によって生死をさまよう一つの事件が起こったという。
倒れる直前、口にした菓子を手渡す人物こそがクルトだったため、彼は王子暗殺未遂の嫌疑をかけられて解雇に至ったそうだ。
現在、前任者クルトからエトガーに執事が変わっているのは、こうした経緯からと教えられる。
私はまったく予想もしない話に、ただ目を瞬かせた。
そんな中で付け加えて、本当に狙われていたのはアベルだった――……とも聞かされる。
今日ここへ向かう道すがら、ヒルダに教えてもらった王宮内の派閥、その一方が水面下でアベル暗殺を企てた話があるらしい。
「じゃあ……何でラウレンツが被害にあったの?」
「おそらくは、アベル王子を庇うことでそうなったのでしょう」
戸惑いつつも投げかけた問いに対するエトガーの答えを聞いて、兄弟を守ろうと身を挺す気持ちは十分に同感できた。
だけど……代わって服毒するという、後先を考えないような行為は若干腑に落ちない。
非難するつもりではなく、今の利害優先に事を運ぶラウレンツなら、もっと他の行動を取りそうに感じたからだ。
そうした私の考えが表情からわかったのだろう。
エトガーは、「あの頃の王子はまだ幼く、生き方も違っていましたから」と解を示すように言った。
「そうなんだ……」
「ラウレンツ王子は皆さまが思うよりもずっと……本当に、とてもお優しい方なのですよ」
最後にそう告げてから微笑む。
その様を見つめる私も、エトガーほどではないにしろ、ラウレンツが優しいことは少なからずわかっているつもり。
だから肯定の気持ちを込めて、同じに微笑み返した――。
……音もなく過ぎる時間が、部屋を包んだ。
窓の外で、ちぎれた雲間から差した陽光は、強さを増して室内を照らす。
きらきらと乱反射する輝きが視界に映り、私は再びガラス細工に目を向けた。
クルトがいなくなった理由もそうだけど、ラウレンツが毒で侵されるという酷い目にあっていたことにも驚いてる。
いつも綺麗な笑顔だけを見せる彼は、それほどの過去を微塵も感じさせなかったから。
私は繊細なガラス細工にラウレンツの顔を重ねながら……光がきらめく様子をただじっと見つめるのだった。
***
それから部屋を出た私は、雑務があるエトガーとは別れて中庭へ急ぐ。
私がいなくなったことは当然ヒルダにバレているだろうから、そろそろ本当に怒られると思ったのだ。
運よく廊下には誰もいなかったため、自分的全速力で向かっていると、途中のテラスでたたずむクラーラとミアが目に入り足を止めた。
「あれ? ラウレンツ……、ラウレンツ王子は?」
「王子でしたら先ほど官僚の方に呼ばれ、公務に戻られていますよ」
「本当に、休まるときがありませんわね。ミアが代わって差し上げたいくらいですわ」
出会ったのが二人だけなので尋ねてみれば、紡がれた思わぬ言葉に見開く。
「ですので、私たちはラウレンツ王子がお戻りになられるまで、王宮内を巡るつもりですの」
「貴重な調度品や芸術性の高い装飾を鑑賞することは素養が深まりますから。ティアナ様もご一緒にいかがです?」
「そう、ですね……」
続けてかけられた誘いには、協調性をもって同行するべきなのかも知れないけれど。
私は、また公務に戻ってしまったという彼のことを考えた。
「……ごめんなさい。私、少し用を思い出したので、二人で行ってきてくださらない?」
庭では普段通りだったけど、何があっても顔に出さないとわかった今は不安しか覚えない。
それに結局のところ、薬ものんでいなかった気がする。
まだ会えていないヒルダのことも気になるけど。まずはラウレンツのことが先だと思い、彼女たちに断りを入れた私はただちに、エトガーを探すべく踵を返した。
***
「……っ、エトガー! ラウレンツがお仕事しに行っちゃったのっ」
別れた起点から追い、やがて見つけたエトガーに状況を伝えながら駆け寄った。
それなのに、焦らず「そうですか」と返答されてじれったくなる。
「ねえ、お薬は? まだのんでないよね?」
「体調のことなら、王子は問題ないと思いますよ」
「もうーっ。何でそんな悠長にしてるの! 絶対、疲れてるはずなんだってばっ」
軽んじるなんてらしくないと思いつつ、早く早くとせがむ。
そうしてやきもきする私をつれたエトガーは、別室でようやく薬を用意してくれた。
「はい、薬です」
「ありがとう! 早くラウレンツに渡してあげて」
当たり前に言ったのに、つと動きを止めて見つめれる。いや、早く何とかして欲しいのだけど。
「お伝えしていたように、私はまだ雑務が残っておりますので……。よろしければ先に、王子のもとへ届けてくださいませんか?」
「えっ、私が行ってもいいの? お仕事中なんでしょ?」
「大丈夫です。というよりむしろ、ティアナ様に渡していただいた方が元気になられると思います」
言われたセリフにこてっと首を傾けるが、エトガーはそれ以上発さず優しい目を微笑ませるだけ。
言葉の意味はよくわからなかったけど、何よりこれでラウレンツが元気になれると思ったら嬉しくなった。
「……わかった。じゃあ、行ってくるね!」
私はその気持ちのままに駆け出していた。
そうして、後で向かうと言ったエトガーを置き去りに、ラウレンツがいるであろう執務室へ急ぐ時――。
「ティアナ様っ」
突然、後ろから名を呼ばれる。
声の主はクラーラとわかったけど、逸る心は必然的に聞こえない振りを選択させた。
「早く……、来賓室に来てくださいっ」
そうしてなお進もうとする私に、彼女はめげずに声をかけ続ける。勧誘の心遣いをありがたいとは思う、だけど今はわずらわしい。
……もうっ、私は早くラウレンツのところに行きたいんだよ――
「ヒルダが王子のガラス細工を壊してしまわれたのです――!」
――って、…………は?
強めのはっきりとした口調が耳に入った。廊下に響いた声は私に突き刺さってやむ。
前のめりで斜めになる体は急ブレーキをかけたようにフリーズし、動作だけでなく思考も一瞬間止まる。それでも、無意識に振り向いた。
「……今すぐに、お戻りくださいませ」
落ちついて告げたその顔は、困ったふうに眉を下げてはいるが、凛と厳しく見据えてくる。
――あのガラス細工が、壊れた……? ヒルダが……何?
クラーラの発した言葉の意味が、私にはわからなかった――。




