24 私は、再び勝負をしました(後編)
24 私は、再び勝負をしました(前編)の続きです。
薄絹を剥いだ空は、真新しい染付みたいな濃い青色を披露していた――。
そんな雲が晴れた鮮やかな大虚のもと、ゲームをする広場はここオベラート邸にある庭園の一角。
車を走らせるのにおあつらえ向きな、白い敷石で作られる幅広の園路上で行うことにした。
私たち二人はというと、すでにそれぞれの出発地点へとわかれている。
そして、真ん中のゴールを基点とする左右同距離の場所に互いの車を配置させた。
「ねえ、口でふーふーしてもいい?」
「ああ。いいぜ」
先ほど風の車を作成した後に、本の余ったページを進ます道具として貰っている。
――けれどそれを使ってあおぐだけでなく、息を吹きかけるのもありらしい。
「負ける気がしねー」
不敵に口端を上げて言うディルクの対面でしゃがむ私も、にっこり笑顔を絶やさない。
だってそれは、……こっちのセリフだから。
ちょうど東西にある場所の東側にいる私は、さっき塀を登った時に気づいているのだ。
今日は風が東から吹くことに――。
この庭内は現在ほぼ無風なんだけど、風が吹きはじめたらすぐにでも勝つと思ってる。
断然有利な状況を一人周知する私は、またドSを負かすことを想像してにまにましていた。
***
「じゃあ、始めるぞ」
「いつでもいいよ」
「用意……スタート!」
ディルクの合図で勝負が始まった。
各自一斉に思い思いの風で発進させたら、次は早く走らせようとさらなる風を作りだすのに必死だ。
そうしながらも、風が吹くのを今か今かと待ち望んでる。まもなくして、私の思いへ呼応するかに――……そよ……と流れる空気が頬を撫でた。
――来たあ! 喜び勇んで顔を上げると、正面に立つディルクがとてつもなくニヒルな笑顔で見下ろす。
そして、ざあっと音を立てる風は……なぜか、その彼の背後から吹いて私のもとへ辿り着いた。
「……え?」
勢いよく届いた気流をおもてに受けて、自然と声は洩れる。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
でも視界の端で、いとも簡単に前進してきたディルクの車を見れば理解するしかない。
オベラート邸の庭の形状なのか、はたまた雲が晴れた天気のせいなのか、なぜか風は西から吹いてきたのだった。
「おい――。お前の車、後退してるぞ?」
ハッとして目線を下げると、進めてきた車が足元まで戻っている。慌てて息を吹きかける途中、はたと思い立ち再び前を見やれば……。
すんごくご機嫌なディルクに、薄く開いた目でニヤリと笑われた。
「……っ。ディルク、知ってたでしょ!?」
「何を?」
「風のことだよ!」
「さあ、何のことだか。スタート地点を先に選んだのはお前だろ?」
「ぐ……っ」
この様子だと、ディルクも今日の風の流れを知っていたに違いない。そして流れの変化も事前に読んでいながら選ばせたと思った。
私の考えは始めからバレていたんだ、と彼が自信たっぷりだったわけに今更気づいても時すでに遅し。
……くそう、またしても謀られた!
もう、ディルクが策士なんて設定はなかったはずでしょ? ――と思わず難癖をつけたくなる。
そうこうしてる間にも、また次の風は吹いた。
「風が吹くとか、俺はついてるな。まあ、日頃の行いだろうけど」
「うー……」
知っていたくせにーっ、と思いながらもこれまた反論できないセリフに唸った。
なんせ私は悪役令嬢、自分の行いは存じているからだ。
「運も実力のうちだ。どうした、お前はもう諦めるのか」
「そんなわけないよっ」
「だよな。諦めて投げ出さねーんだっけ? じゃあ、頑張らねえと。ほら――、負けるぞ?」
く……、悔しすぎる。
いかんなくドSを発揮するディルクが、これまでで一番なんじゃないか? っていうくらいイキイキしてるんだもん。
――これぞ、ドSの本領というものか。
ディルクファンのお姉様方に、実際体感するとすんごく癪にさわりますよ! と教えてあげたい。
だけど、……今はそんなことを考えてる場合じゃない。
圧倒的不利な状況だろうと私は負けるわけにはいかなかった。なんといっても、大事な五年の人生がかかってしまっているのだから。
思い直すと紙や息のダブル使いで、車を進める新たな風を懸命におくる。
そして勿論、勝つために頑張った。
「お前って、ほんと……健気だよな……」
ドSになると嫌味まで言うのか、と思いながらも口を挟む暇なく挑んだ。
けれど……今の方法では、これ以上の大きな風を起こすことに限界を感じて、他に何か良い手立てはないかと思考する。
「――よしっ」
次の瞬間、私は紙を地面に置いて、――すっくと立ち上がった。
そして今までは紙を掴んでいた手で、おもむろにワンピースの両裾を握る。
それからこちらを見て「ん?」とわずかに見張り不思議そうにするディルクと目が合うと、にこっと笑顔を送った。
それに合わせて……ワンピースのスカート部分をばたばたと大きく揺らし風も送った。
「にししししー」
紙以外を使っちゃダメとは言われてないからね。
これぞ女子の特権アイテムと私はフル活用することにしたのだった。
「おっ前……、それでも女か! もう少し恥じらいってもんを覚えろっ」
「別に服で仰いだっていいでしょー」
お行儀悪いことを指摘されても、勝ちを優先したい私はさらっと答えた。
「俺が前にいるだろーがっ」
……それがどうしたのだろう? 叱るのでなく、焦るような反応の意味はいまいちわからなかった。
だけどディルクは腕で顔を隠すようにするとわずかに反らす。
「変なの」
「うるせえっ」
「何でも使っていいんだよね?」
「そうだけど……っ。いいから、それは今すぐやめろ!」
何でか叫んでるディルクは、いいとかやめろとか意味不明だ。
けれど私は、なんと言われても勝ちたいものは勝ちたい。
だから、背に腹は変えられないもん! ――と、よくわからない彼の言葉は聞こえない振りをして続けた。
なのに、私の名案と頑張りを嘲るようにまた風が吹きつける。
「……ハッ。そんなことをしても無駄なんだよ」
振り向いたディルクは顔を抑えるままだが、気を取り直すように落ち着いて言う。
そして放たれた言葉通り、……私のひたぶる努力も虚しく、まさに彼の車はゴールへ到着しようとしていた。
「ああっ……」
「頼む、早くゴールしてくれ……っ!」
――本当に負けちゃう。
いやに懇願してるディルクの前で、私は諦めたくないにも関わらず、少しの落胆に包まれた。
でも、それもこれもあえて東を選んだ私のいやらしい心が招いたことかと思えば、バチが当たったのかなあとも感じる。
うん……、神様ごめんなさい。
でも悪役令嬢がイイ子になったら、せっかくの個性が死んじゃうと思う。
だから、イイ子になるという約束はしないけど、私は都合良く風が起こることを神に願った……その時。
一陣の風がすぎる――。
驚くことにぶわっと私の後ろで巻き起こった突風は体を包み込むように流れると同時、眼前の私の車を一気にゴールへと到達させたのだ。
「う……わ、あ……やったあ――っ!」
「嘘だろ?!」
天は――我に味方した。
思わず万歳した両手を広げて空へ掲げると、閉じる瞼に軽く感涙を滲ませた。
そうして、ディルクが横で「くそー……」と呟く中、彼の所有物になるのを免れた私が、苦しい時だけの神頼みもこころよく聞き入れてくれたことに感謝していたら。
「――姉様っ」
思いがけず、庭へ響いた聞き慣れる声にすぐ振り向く。
そこには……、柔かな笑顔でサロンから出てくるロマンがいた。
「あ、お前……っ」
「ロマ! いつからいたの? もう課題は終わったんだね」
私は愛しい存在の登場に、新たな喜びを湧かせて駆け寄った。
「はい、つい先ほどから。課題のことは……。
姉様がオベラート邸に向かったと聞いて――瞬殺してきました」
「そうなの?」
ロマンの変わった言い回しがちょっぴり謎だったけど、とりあえず済んだなら良かったと気にしないことにする。
「それにしても……姉様が無事、勝利する場面に何とか間に合って良かったです」
「あ、見てくれた? すごいでしょ。風が味方してくれたんだよ!」
「ええ。風も味方に出来るなんて、さすが姉様です」
「えへへー」
私が奇跡的大逆転の勝利をはしゃぎながら話すと、ロマンがにこやかに微笑んで褒めてくれるから、なおさら嬉しくなった。
対してまさかの敗北をおさめたディルクは、不機嫌満載な表情で私とロマンに近づいてくる――。
「ロマン、お前なあ……」
ディルクに声がけられる瞬間、ロマンは満面の笑みを向けた。
――それは今まで見たことがないくらい、とても純粋で無邪気な……まさに天使の微笑みと例えるべきものだった。
「何か、問題でもありましたか?」
いつもより更にきらきらと音が聞こえそうなほど、きらめく光を発しながら応えていた。
あまりの輝きに、私は天使の来降を感じてるよ。
……ちょっとだけ、区切るようなカタコトになってたのは気になったけど。
「何だか不穏な空気を感じたので、早急に来て良かったです。ね? ディルク」
ディルクに話す内容はよくわからなかったけど、今の喋り方は普通に聞こえる。――うん、気のせいだったらしい。
一方ディルクは眩しすぎる笑顔に見開き、固まったままロマンを凝視していた。
思わず釘付けになる気持ちはわかるよ。
でも……なぜかその眉間には皺が寄ってたけど。
それはそうとして。
私は無事、満喫人生を守れたことに一安心した。
***
――さて、そろそろ本題に移らなくては。
再びドSに勝った私は、にやける顔でディルクを見つめた。
「そんなに……、俺から名前で呼ばれたいのかよ」
言いたいことを心得たように答える彼は、負けたわりには少々嬉しげな顔をしている。
「だって勝ったもん」
「ふーん」
そんな報酬のやり取りをしてれば「勝負にかけていた罰ゲームの話ですか?」とロマンが尋ねてきたので、呼び方をかけていたことを簡単に説明した。
「では、ディルクの言うように名前を呼ばれたくて頑張っていたのですね……」
少し微妙な表情をするロマンに首をかしげつつ、最も重要な、ディルクの私物的概念が取り払えることも嬉々として伝える。
「そうだよー。ちゃんと名前で呼ばれたら、私は晴れてディルクの物じゃないっていう証拠になるんだからね」
すると嬉しがる姿を見たからか、またすぐにふわりと笑ってくれた。
そして同じように喜んでくれることで、更にうきうきしながらディルクをうかがえば……私とは反対に彼は眉をしかめてことさら不機嫌そうにしている。
――本当は負けたのが悔しかったんだねと思っている私の隣では、ロマンがとてもおかしそうに笑っていた。
「くそっ、名前で呼べばいいんだろ。……じゃあ、ティアでいいな」
「ティア?」
……はて? 私の名前はティアナだけど。
最後まで言わずにナを抜かすとか、どれだけめんどくさがり屋さんなんだよ。
だけど、とりあえずお前呼びではないし、一部であっても名前だしいいか……と納得しかけたら。
「ティアナはなげーからティアにする。泣き虫にはぴったりだよな」
ああ――、そっか。
ティアって涙のことだもんね、うん。……ではなくって。
「泣き虫じゃないもん! ちょっと人より汗っかきなだけだよっ」
「へえ。目から汗が出せるとかすげえ」
――まあ。なんてにくたらしいんでしょう、さすがドS。
それに今度は名前をもじってるけど、またまた不本意なあだ名を勝手に決めてきたよ。
「ティアナって全然長くないでしょ?!」
「ティアのほうが言いやすい」
いやいや、ディルクも同じ文字数だからね。思いながら言い合いは続いていった――。
そんな二人のやり取りをロマンは静観してたけど、最後には間を取り持ってくれたおかげで何とかまとまりはする。
肝心の呼び方は、結局ティアナになることはなく、『ティナ』と短縮することで合意した。
ほんとにもう、四文字が長いって『でこっぱち』は五文字でしたけど! と言わなかった私を褒めて欲しい。
それから流れで、私もディルクを『ディル』と呼ぶことに決める。
はじめは嫌がるかと思ったんだけど、「片方だけ、あだ名なのは公平じゃねーしな」と自ら素直に受け入れてくれた。
こういうところは男気を感じるけど、本質的にドSなのが極めて残念だ。
何はともあれ、愛称で呼び合うのは結果仲良くなれた気がして嬉しい。
ディルクも何となく嬉しそうな気がしなくはないから、あだ名は気に入ってくれてると思ってる。
***
――そうしてこの後は、駆けつけてくれたロマンも含め、三人で遊ぶことにした。
使うのは勿論、ディルクが作ってくれた風の車。
「ロマン、ずるはなしだからな」
「何のことかよくわからないです」
「気にしなくていいよ、ロマ。もう、私の天使に変なこと言わないでよね」
「天使ねえ……」
かくしてディルクとロマンが二人で勝負を繰り広げる、オベラート邸の庭では――。
「……こうなったら、意地でも勝ってやるからな」
ディルクが不屈の精神を見せていた。
ちなみにゲームは……、「姉様は僕が守ります」と事前に頼れる宣言をしたロマンが連戦連勝してるところ。
その姿を目にする私は、やっぱり天使だから神に守られてるんだと、ひたすら感動していたのだった――。




