2 私は、転生しました
柔らかな白い陽射しを受けるベッドの中。横向きに寝そべる私は部屋の中を視線だけでたどった。
「……広い」
いま自分がいる場所は、義務教育の教室二個分くらいの大きな部屋。品のいい調度品で飾られ、優しい色調に統一された寝室だ。
逃避的に二度寝を試みたら、状況は変わるどころか、ここが現実だと気づく。だけど社会人まで生きた記憶、あれも夢じゃないとわかる。
「生まれ変わってる、ってことなのかなあ……」
前の人生がいつ終わったか覚えてないけど。
――魔物に出会って気絶しました事件。
それをきっかけに前世を思い出し今に至る、ということだけは理解した。
「私がお嬢様って。ここは貴族の世界なんだよね」
誰ともなく確認するようにひとりごち、ごろんと寝返り天蓋を見上げた。
思い出した前世が鮮明すぎて、どちらが夢かわからない気持ちになる。
この現状がいまいちぴんとこない私は、何気なく今の自分に思いを馳せて……ばっ! と跳ね起きた。
浮かんだのは父から愛情たっぷり、真綿にくるむような猫可愛がりで育てられる私。
生まれたと同時に母を亡くしているが寂しさを感じたことはない。どころか何不自由ない以上に、父の地位と持てる財力のおかげで周囲からお姫様のごとく扱われ、その結果、高飛車と我が儘を地で行く傍若無人の令嬢になっている。
先ほどから蘇るのは、常に邸の者をしもべのように扱う日常。当たり前に我が物顔で自身の欲望を好き放題に満たす日々だ。
「ふ、ふふふ。嘘でしょ……? これが私とか……ありえない」
頭を抱えたくなる素行に笑いさえ起きる。
ベッドに座った私は、ふるふると小刻みを始めた手で額を覆い、思考を抑えようとした。だがそれは止まることなく走馬灯に流れ続けた。
しっかりとある、この体で生きた記憶は前世と全く違うものだった。
なぜなら私はこれまで、ひたすら我を出さず周りに合わせて生きていたのだ。
気持ちのままに動いて誰かの感情に触れるより、始めから自分を押し殺すほうが楽だったからではあるけど。
「いや、まてまて。あれだけただ真面目に生きたのに、いつ終わったんだよ。思い出したのが妹と会ってた時って……二十代前半のあの辺りまでってこと? 早くない?」
それは少し寂しい気持ちになる。当たり前に学業を終え、社会へ出る。夢がなかったわけじゃないけど、そんなものを掴めるのはほんの一握りと最初から挑戦しなかった。
それより波風を立てずに生きるのが賢明と過ごした前世が……早々に終わってるとか!
「何でだよ! 超地味に生きた人生があっさり簡単に終わって。こんな身勝手で超自由な私が魔物にあってもぴんぴんしてるとか! あれか、正直者は馬鹿をみるってゆうあれか!?」
理不尽すぎる! と思わずにはいられない。
前世は唯一癒しとした小説世界だけでひっそり自由を楽しんでたのに、今の私はリアル自由。
思えばいつの世もいい目をみるのはこういう人間な気がする。
だいたい現在の私は持てるものからすべて違った。宰相の侯爵令嬢で、思い起こせば自国の王子の第一婚約者候補でもある。ヒエラルキーの頂点もいいとこだ。ずるい。ずっこい!
……うん。これ、今の私だ。
「なあんだそっかあ。やったね! って……喜べるわけないでしょー?! なんせ性格に難がありすぎるんだよ、この子は! いや、私なんだけどね!?」
悲しいかなそれは揺るぎない事実で。
このティアナの常に貴族然と偉そうに振る舞う高飛車さは――。
うん、人の顔色を伺っていた私には無理だね。
そしてすべてが思い通りになると信じて疑わないゆえの我が儘振りも――。
うん、他人に合わせてきた性格では……無理だってば! どんな勇気を出せと!?
私は屈伸するように顔をばふばふと布団に打ちつけて悶えた。
社会人だった私は、勉強は普通に中か中の上くらいはあった。一般常識も兼ね備えていたし、世渡り術もふんだんに取得済み。
ティアナも淑女のマナーやダンスレッスンは熱心に取り組んでいたようだけど、勉強その他はおざなり。でも問題はそこではない。
「自由なのはいいけど、痛いのはやだー!」
前世の記憶と共に庶民すぎる感覚の戻った自分に、今の生き方は痛すぎた。
もう、ほんとすごいよね。人目を全く気にせず、というより自分が嫌われるという概念がない。これが溺愛の賜物なのだろうか。
精神年齢オーバー20に十歳の無邪気さが思い出せないとしても、これはただの阿呆だとわかる。
「ああ、もう! いっそ何も思い出さなきゃ良かったんじゃないの? 満喫してたみたいだしっ」
口にした直後、脳裏をよぎるのは黒い影。
記憶が戻るきっかけとなった魔物の姿を思い出して、ふるっと身震いした。
「そうだ。それもこれも…全部あいつのせい! ていうか魔物がいるとかどれだけファンタジーなんだよ。この世界は!」
思わずつっこんだ。この国には貴族はもちろん、王様も騎士団もいる。ついでに魔物も。
おまけに人の中に存在する魔力を有する者。その人たちが国境に結界をはることでそれぞれ自国の平穏を守っていた。
もう、マンガみたいでこっちをリアルと実感するのが難しい気分だ。でも、私は魔物とご対面してるし、結界があったおかげで助かってるから本当と思うしかないのだけど。
あの日、森への遠征について行ったことで遭遇した事件。
第一になぜ父が結界視察をするかというと、魔力に秀でた彼がこの国の結界を一人ではっているからだ。すごいよね。そりゃあ権力も持つわと思う。
でも父は自ら確認を定期的に行うなど、責任感あふれるとても出来たお方。そこは素直に尊敬するけど、娘の育て方は下手くそすぎだと思います!
そしてついでに思い出したことがある。
実は私も父と同じく魔力があって二年前から結界をはる助力をしているみたい。無意識に。
それもそのはず。お姫様生活を過ごす私は『いずれこの国の第一王子アベルと結婚して本当のプリンセスになる』というそれだけにしか興味がない。
父と違って責任は皆無に決まってた。……でも今、そんなことはどうでもいい。それよりも。
「これからどうやって生きていけばいいっていうの! 何で貴族なんだよお……。侯爵令嬢なんか、前世よりもさらに気を使いまくりそうとしか思えないもんー!」
今まで通りの態度で生活することにも悩ませられる頭では面倒さしか感じない。
舞踏会? 社交デビュー? 考えるだけでぞっとする。
私はとうとう枕に顔を突っ伏した。
***
そうしてどれくらいの時間が経ったろう。
まだ昼間を思わせる明るい陽光が、差し込む窓から屈折して絨毯に落ちている。
「くそう……いい天気だなあ……」
私の心とは正反対の晴れ晴れとした景色を、いまだ抜け出せないでいるベッドの中からじと目で眺めた。
まさか前世を思い出してしまうとは。記憶は整理したけど、答えは全く見いだせない。だせる気もしない。
「ああ、お嬢様! 良かったです! また眠ってしまわれたのでどうしようかと思いました」
私が溜め息をついてると、部屋の入り口から声をかけられた。
聞こえた方を見やれば、扉の側に立つのはバリバリのメイド姿をした先程の人物。今はこの人が誰だかわかる。
正真正銘のメイド。お世話係であるヒルダだ。
私はいろいろ覚醒めてどうしようかと思ってるよ! と心の中で返していると、医師を伴って入室したヒルダが枕元までやってきた。私が気を失ってから、仕事も休んでずっと付き添っていたという父は今ここにいない。
たまたま今日に限って外せない用があり、邸を離れているそうだ。
そして簡単な診察を終え、何も問題がないことがわかるとほっとした様子を見せるヒルダ。
おお、さすがメイド。こんな令嬢のこともちゃんと心配してくれるんだ、と私は少し感動した……のもつかの間。
「ではお嬢様、支度をいたしましょう。まずはダンスのレッスンからでよろしいですね?」
さっそくダンスレッスンを持ちかけてきた。
柔らかく微笑むその顔は有無を言わせないと語る。そうだね。私のお世話係ならそれくらいの強さがなくちゃ勤まらないよね。
とはいえ、目覚めたばかりの私にすぐ貴族的学習をさせるとか鬼か! と思った。
何やら週末、王子様が開くパーティに招かれているとかで、それを楽しみにしていた私のことを考えたらしいが。あとは、ずっと寝込んでいたから少し体を動かした方がいいと言った医師の言葉に従ったようだ。
だけど、頭は整理しても気持ちの追いついてない私には面倒で仕方なかった。
それでも周りに合わせてきた性格が戻った今、他人の好意を無下に出来ないのが悔しい。加えて、郷に入れば郷に従わなくてはという思いから、渋々にも申し出を受け入れた。
「え!? お嬢様、本当にレッスンなさるのですか?」
大人しくいうことを聞いたのに、なぜか驚かれる意味がわからない。そしてはたと気づく。
私は高飛車、我が儘な令嬢だったんだ。
しまった。ここは断って良かったと今更思っても遅い。元々の私は根が真面目なんだよ。
「あ……ああ、うん。ダンスは好きだし、ね」
前世の性格が邪魔をして、やっぱりやーめたと言えない私は、何とかバレないように場を濁してレッスンを受けることにした。
***
踊ること――。それはティアナが好んで興じる得意とするもの。
けれどレッスンが進むうちに違和感を覚える。
「あ、あれ? おかしいな……」
どうも変だ。ティアナはダンスが上手だった。
なのに今の私はとてもそう見えない。音楽に合わせることもままならず、踏み出す一歩すべてで先生の足を踏んづけまくる。
確かに前世では、音楽などの芸術的才能と運動神経は引きちぎれていた。
いくら記憶が戻っても体は覚えてるはずなのに。その体が思うように動かない。
おいおい、私はちゃんとティアナとして生きてたよ? それなのにこうも出来なくなるものかと困惑しながら、以前の思考に引きずられるかのように残念な運動能力を披露し続けた。
人間の思いの力ってすごいね、なんて感心してる場合じゃないっ!
どうしようと焦る気持ちから、冷や汗だらだらになっていく。
すると、側で見ていたヒルダが「お嬢様はまだ本調子でないのに無理をさせてはいけませんね」と早々に切り上げてくれたから助かった。
マジでヤバい。
「あとで、隠れて自習しよ……」
小さく口ごもる。うん、自習とか……。
真面目か! 今の私はお姫様的ご令嬢なんだから、そんなこと気にしなくていいのよ!
そう思えたら楽なのに。
如何せん前世の私は真面目。適当に流すとか大雑把に放って置くことが出来ない。
切り替えが下手、というより自分のせいで迷惑かけたり失敗するのが嫌なだけで全部周りに合わせるためだ。それは少しいやらしい性格に感じて変えたかった部分でもある。
――結局変われずに終わってるけど。
「私はここで高飛車、我が儘に生きてきたはずなのに……なんで前の性格が勝つかな?! 年数か、生きた年数のせいなのか?!」
ぶつぶつと憤りをぼやいていれば、目ざとくヒルダに指摘される。
「お嬢様。何か言われましたか?」
「う、ううん。別に」
慌てて否定した私は、ダンスからは逃れることが出来たものの「体は休めるとして頭を使うだけなら良いでしょう」と次の学習部屋へ押し込められていた。
「そうですか。ではレッスンに集中なさってください」
「はーい……」
そしていつもなら投げ出していたはずの座学レッスンを受けている、真面目に。くそう。
***
黄昏る邸内。一通りのレッスンを終えた私は、内心でぶうたれながら自室のソファに腰かけている。
勿論、ダンスの自習もしっかりしたよ!
だけど、今まで得意として習得した技術はどこへやら。引きちぎれた運動神経を復活させた私では、何の成果も得られなかったわ!
……ただ、今日のレッスンで改めて実感した。
私は間違いなく貴族世界のご令嬢様に転生してるのだと。
うん、憧れた。そういう世界に転生したいと思ったし、片足突っ込んでるとも言ったよ。
だけど……何でも良かったわけじゃないからね?! 私がときめいたのは、自分が読んでた小説の世界!
こんなどこかわからない、どこの誰かもわからない令嬢に生まれ変わっても嬉しくも何ともないわ! 晩ご飯は美味しかったけど!
それはともかく『貴族なんて面倒くさそうとしか思えない』から『むしろ本当に面倒だと思う』に変わったところだ。
私は柔らかなソファにもたれながら、
「どうせならあの乙女ゲームの小説世界が良かったなあ。それなら頑張る気にもなったと思う、たぶん」
――と、今となっては読むことが出来ない癒しの小説に懐かしく思いを巡らせては、ふて腐れるしかなかった。